第140話 満月と祝福者達

〈若かりし頃のサラとラメド、クルケアンの北方にて〉


「ラメド、大丈夫か!」

 

 サラはラメドに駆け寄り傷の確認をする。ラメドは胸に穴をあけ、口からは僅かな喘鳴を上げているだけだった。片肺をやられている、もしかしたら穴の位置的に心臓も傷ついているかもしれない。サラはそう診断をするものの、彼女が持っている治療薬ではどうにもならない。彼女は師であるヤムが神獣と飛竜を治癒したことを思い出し、自分にその再現ができる事に賭けた。


「傷を塞ぐことはできても、血と内臓の欠損まで補えるのか……」


 魔力を相手と同化できなければ、拒否反応でラメドは死に至るだろう。どうすればいい? 自分の体なら魔力で治癒できるのだ。自分の体なら……。

 その瞬間、サラは月の祝福の本当の力に気づいた。


「ラメド、私と同化するぞ」


 サラの魔力でラメドの肺と心臓が作り変えられていく。サラはラメドと自分の魔力を混ぜ合わせ、二人の魂を同質に変えたのだ。月の祝福とは変化をさせる力であった。しかしその本質はモノの在り方を変える、人でいうなら魂の変質をすることであったのだ。魂が変われば肉体と精神はそれに引きずられてその形を変える。今、ラメドとサラの魂は心臓と肺を介して一つに繋がった。


 ラメドは自分の頬に冷たいものが数滴落ちていることに気づき、目を開く。ぼやけていたその輪郭が次第に明確になり、サラが自分を抱きかかえているのを知った。


「サラ、私は助かったのか」

「あぁ、ラメド、もう大丈夫だ。何か違和感はないか?」

「変だな。君は口を開いていないのに話すことができるのかい? 君の声が、考えが心の中で聞こえるようだ」

「ラメド、すまない。私が貴方を連れ出したりしなければ…」

「その言葉は小舟で外洋に出ようとして遭難した時に言うべきだったな」


 ラメドは笑ってそう話した。いや、本人は笑って口に出したつもりだったのだが、痛みで体が動かないことに気づく。

 どうやって私はサラと話しているのだろう。

 それともこれは夢なのだろうか、夢ならまだしばらくは覚めないでいてほしい。

 こんなに近くで愛しい女性の顔を見られるのだから。


「……馬鹿者、恥ずかしい言葉を考えおって」


 サラこそ何を言っているのか、私は口に出してはいないはずだ、とラメドは不思議に思う。


「もしや、私たちは心で会話をしているのか?」

「あぁ、そうだ。治癒をするために私とラメドの魂を一部とはいえ融合させた。故に、臓器も血液も問題なく再現することができたんだ。ただ、ただ……」

「気にするな、魂で会話できるなら、そうそう悪いもんじゃない」

「それだけではないんだ。貴方の心臓は私の魔力で動いている。つまり、私が死ねば、貴方も死んでしまう。私は君の人生を縛ってしまった」


 ラメドはサラの膝の上で彼女の言葉を反芻はんすうした。何を謝る必要があるのだろう。私はまだ生きることができ、人生の果てまでサラと共に歩めるのだ。むしろ縛ってしまったのは自分の方だ。彼女にこそ謝りたい。


「……ラメドが謝る必要はない」


 サラの思いがあふれてラメドに流れ出す。彼女と過ごした日々の記憶が、サラの視点で流れ込んでくる。そしてラメドはその記憶に彩られた感情を正確に理解した。


「サラ、あなたと共に生きたい。私はあなたを愛しているのだ」

「血まみれで愛の告白をする馬鹿に何も言うことはない」

「私だけ伝えて、君は何も言わないのは卑怯だぞ」

「言わなくてもわかっているくせに」


 そう言って女は男に接吻をした。




「頭が痛い……」


 ラメドは酒瓶が散らかっている机の上で目を覚ました。サラ、リベカ、タファトに酒を勧められて不覚にも意識を失っていたらしい。同じ境遇の者を探すと、果たしてイグアルも隣で机に突っ伏していた。タファトが酔い覚ましの水をラメドに差し出す。


「寝言をいっておいででしたよ。ラメド様」

「お恥ずかしい。この歳で寝言とは。お忘れ下され」

「忘れる事なぞできません。サラ、サラ、とそれはもう情熱を込めた物言いでした。イグアルにも見習ってほしいものです」


 ラメドは赤面した。過去の思い出を現実で口走ってしまうとは情けない。老いて動じず、という境地に自分はまだ到達していないのか、そう心の中で嘆いたとき、彼に応える声があった。


「懐かしい思い出であった。しかし些か私を美化していないか? 自分の若い姿を夢で見るのはこそばゆい思いがするぞ。しかしラメドよ、情熱をこめて名を呼ぶのは本人の目の前で言うのが礼儀であろう」

「安売りはしたくないのでな。とっておきの機会に言わせてもらうさ」

「ラメド様、今、誰に向かって話されていたのですか?」

「いや、タファト、何でもない。さぁ、イグアルの奴を介抱してくれ。まさか君まであの婆さん達と一緒で酒豪だったとは思わなかった。これからは男性の陣容をもっと整えてくるとしよう」

「いやな、ラメド様。そうそう、リベカ様より言伝を預かっております。ギルドの諜報部門からラメド様とサラ様に関する情報収集が盛んとなっているとの由。お気を付けください」

「ありがとう。タファト。気を付けるよ」

「あぁ、サラ様は」

「分かっておる。露台にいるな。私は少し外で酔いを醒ましてくる。お主たちは空いている寝室で休んでおれ」


 満月の光の下、ラメドは露台に腰かけている目当ての人物を確認し、彼女が落ちないようにさりげなく片手を添えて、もう片方の手で水を飲む。


「せっかくのうまい酒であったのに、酔いつぶれるとはもったいない」

「サラ殿の記憶で十分にうまいことはわかっている。それでいいのだ」

「ここには誰もいない。心で思うておる通り呼び捨てで構わんのだぞ」

「この姿では私は公的な身分だ。誰がどこで聞いているかわからんのでな」

「堅物め」

「言われなくてもわかっているさ」


 ため息をついて、何かをごまかすかのようにラメドは黒き大地の方を見やる。サラが鼻で笑っているのを表面上は無視し、往時を思い出す。


 あの時、しばらくして飛竜騎士団が駆けつけてきた。月の祝福者同士の、軍が衝突したような激しい戦いはクルケアンからでも確認できたからだ。鎖に繋がれたヤムとサラの膝の上に頭をのせているラメドを見て、騎士団員たちは困惑した。


「いったい何があったのだ、ラメド」

「月の祝福者であるヤム殿とサラ殿がその力をぶつけ合ったのだ。なにやらヤム殿は乱心していた様子。なんとかクルケアン郊外に誘導して一戦交えたが、止めようとした私はこの怪我だ」


 騎士は首を傾げた。確かにラメドの鎧は血にまみれているが、出血はなく、穴が開いた鎧から見て取れる彼の体は問題なさそうだ。美女の膝枕にやっかみ半分、状況の不自然さに困惑半分といった感じで、騎士団はヤムをクルケアンに運んでいく。

 ヤムは乱心ということで隠居を元老より命じられ、神獣は神殿長が慌てて引き取りに来た。魔獣を手なずける実験の一環だったという。その過程でヤムは何か影響を受けたのではないか、そう神殿長が主張し、ヤムは隠居という処置で済んだのだった。


「我らは二つの体に、同じ魂を入れこんだ。もし一つの体に二つの魂を入れこんだとすればそれは恐ろしく強い存在、魔人となる。ハドルメも神殿も魔人を多く生成するだろう。ヤムを殺すぞ、あの可愛い子供達のためにもな」

「そうだな、私達も老いた。そろそろ次の世代のために命を捧げるとしよう」


 思い合う二人は、結婚という選択をしなかった。魂で結びついている彼らはその必要を感じなかったからだ。また子宝を授かったとしても、同じ魂をもつ両親では歪な存在として世に出る可能性がある。今となって思えば、我が子がいるとすれば魔人となる可能性が高いのだ。故に彼らは家庭を持つことよりもクルケアンのために、子供達のために陰に陽に動いてきた。神獣とヤムの件で神殿長になれなかったサラは、市民の圧倒的な支持を背景に元老となり国政に携わった。ラメドは将軍となり、引退してからは校長として後進を育てた。意外にラメドが教師に向いていたのは、内実はサラによる指導が大きい。ラメドはサラの意図を汲んで多くの若者を教育していった。


「ラメド、久々に夜駆けをするか」

「そうだな、私も再び乗騎を持てたことだしな」


 ラメドが口笛を吹くと、飛竜が露台に現れた。月の光が二人を照らし、飛竜は主人たちの顔を見やって驚きの鳴き声を上げる。

 月光に照らされた二人は若く美しい姿となり、サラが力強く露台を蹴って自分の鞍に飛び乗ったのだ。ラメドがサラを包むようにその後ろに座った。

 満月の夜、月の祝福は最大のものとなる。祝福者が望めばその時に存分に力を振るうことができるのだ。二人は月の光を受けて若かりし日の姿に戻る。それはヤムにしても然り。ハドルメの城を出現させ、力が弱くなった彼が暗躍するとしたらその時だ。


「サラ、ではクルケアンの巡回と行こう」

「あぁ、ラメド。手綱は任せたぞ」


 師であるヤムを見つけ、その能力を変質させ魔人を生成できないようにする。それは今日かもしれないし、次の満月の時かもしれない。しかし、我がままをいえるのであれば、今宵だけは魂の休息が欲しい。サラはそう考えて男の胸に顔を預け、クルケアンの頂上と星空を見上げた。


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