偽りの和平
第121話 イズレエル城
〈クルケアンの使節、ティムガの草原に向かう〉
評議会はハドルメへの使節団として教皇シャヘル、ザハグリム、リベカの三名を選出し、一行は急ぎクルケアンの出城に向かうこととなった。サラが盟友であるリベカの手を握りながら道中の無事を祈る。
「リベカよ、すまぬが私はいけぬ。トゥグラトを牽制できるのは私しかいないのだ。お主が選ばれたのはギルドの支援をハドルメの手土産にしようという魂胆だろう、苦労をかける」
「サラ、それでもギルドは構わない。あの大地の北方には大森林があるのだから。材木はクルケアンにとって魔獣石よりも貴重なのです。都市開発のために我々は魔獣石ばかりに頼ってはいけないのですからね」
サラが漏らした嘆きに、リベカはこちらも利があることだから心配するなと言外に含めて笑って答えた。
「それよりも軍の代表者がいないのはどういうことかしら?」
「出城でラメドが合流するとのことだ。そこから飛竜に乗り換えて砦を目指す。リベカ、彼の地をよく観察しておいてくれ。果たしてクルケアンとハドルメは共存できるのか否かをだ。ギルドが彼らとの架け橋となってくれることを祈る」
「ラメド様といつ相談したの?相変わらずあなたたちはお互いを知っているのね」
相変わらず仲のいい事ね、とリベカはからかい半分に笑う。
「そうやっかむな、ラメドとの付き合いはお主よりも長いからの。しかし、奴が元老になったことは伝えておらぬ。びっくりさせてやれ」
そのラメドは出城にて丁寧にリベカたち一行を出迎えた。やはり彼は自身が元老に任じられたことを知らず、リベカはサラの悪戯顔を思い浮かべながらラメドに昇進の事実を伝えた。
「私が元老ですと! 何かの間違いでは?」
「サラからの伝言です。私はしがない
「……早く公務を終わらせてイグアルを捕まえて共にこい、という脅迫か」
「解釈はお任せします」
「リベカ殿、あのサラ導師を止めるには貴方しかおりませぬ。その時はぜひ、ご同席していただきたい!」
「あら、私でよければぜひ参加させてください。この歳になると美味しいお酒を少しばかりいただくのが何よりの幸せでして」
「ありがとうございます!後はタファトを誘えばサラ導師も無理強いはすまい」
後日、元老への昇進祝いと称した飲み会で、クルケアンで一番目と二番目と三番目の酒豪にラメドとイグアルは潰されることになるが、この時の彼は知る由もない。
「シャヘル様、任務を果たしてまいりました」
神官アサグがシャヘルに報告をする。
「ご苦労だったアサグよ。魔獣を奥の院に運び、遺骸の浄化を始めるがよい」
「御意」
アサグの返答は短い。多弁でないのは彼の性質でもあるが、ラメドはアサグがシャヘルを見る目に不穏なものを感じた。上司を見る目ではないのだ。神殿内に対立があるのか、と勘ぐってしまうほどにアサグの目は暗く澱んでいた。
ラメドの指示の下、飛竜騎士団が飛竜に使節団を分乗させ、砦に向かって飛び立った。ハドルメとの国境にあるその砦は、イズレエル城と今は呼称していた。
途中の砦で休息をとるために、一行は地上に降り立つ。その中で旅慣れぬザハグリムが帰属に相応しい椅子がないだの、葡萄酒を持ってこいだの騒ぎ出す。
「こんなみすぼらしい場所で休息をとるとは、まったく祖先に顔向けができん」
「ザハグリム、お主は変わらぬな。器を大きく持たぬと、取り巻き共も逃げ出すぞ」
「叔父上、私を子供扱いしないでいただきたい。これでも貴族の代表を務めておるのですぞ。しかも元老院ができた暁には、その代表を務めるつもりです」
「リベカ殿から聞いたが、そのようなものができるのか。私はその頃には引退させてもらう。まったく校長さえうまく勤められたのか疑わしいのに、これ以上政治に関わってたまるか」
「ラメド様は早くサラの直属の部下として仕えたいご様子、しかと伝えましょう」
「リベカ殿!そのような誤解をしてはなりませぬ!」
「分かりました。部下としてではなく、ですね」
意味ありげな言葉に、甥が興味を持った。
「叔父上、サラ殿と何かあったので?」
「何もない! 只の上司だ」
「元上司でしょう。ザハグリム殿、ラメド殿は四十年ほど前、神殿から出向してきたサラ導師の部下としてご活躍されました。美しいサラと美丈夫であったラメド殿はそれはもうクルケアン中の憧れとなりました。当時はお二人の噂が絶えることがなかったくらいです」
「……リベカ殿、その噂には、短剣一つで哀れな男が魔獣の群れに放り込まれたり、嵐の海を調査するのだと、泳げない男の襟首をつかみ小舟へ引きずり込んで外洋に出ようとしたり、月の祝福の限界を知りたいと、骨折した私の骨を……。あぁ、思い出したくもない。ともかくも真実の部分は何も伝わっておらんのです」
必死で抗弁するラメドの顔を見てザハグリムとリベカは笑った。リベカは隣で笑う若い貴族を横目で見て意外に思う。ザハグリムの性質は悪くはないのだ。しかし評議会でのやり取りを見るに、始まりの八家族という歴史と重荷が彼を歪なものにしているのだろう。まったく、叔父の前では普通の青年であった。この青年もクルケアンの外に出て学ばねばならないのだ。私と同じように……。ギルド総長としてではなく、一人の技術者として外の世界を学ぶつもりのリベカはそう思った。
「叔父上、ここは高台と思ったら、大きな溝の淵なのですね。軍馬の移動には適しているかもしれないが、奇妙な地形だ」
「涸れ川だ。伝説ではカルブ川という大河が流れていたらしい」
「この川の流れが戻れば大森林からの木材搬送がずいぶんと楽になるかと思います。上流で流れが変わってしまったのでしょうか?」
「水源は高地にある大森林のはずなのですが、何かあったのでしょうな」
「穴が開いたのよ」
ラメドは驚いて声の主を見た。それは教皇シャヘルであった。シャヘルは手を乾いた川底にあててしばらく祈るように目を瞑った。
「黒き大地には湖があった。それは大きな湖でな。ハドルメの民は内海と呼んでおったよ」
「猊下は御存じなのですね」
「伝承にすぎん。穴が開いて涸れたなどと子供のお伽話でもあるまいに。さぁ、そろそろ出発しようぞ。この涸れ川をたどれば黒き大地に出るはずだ」
訝しむ一向を無視してシャヘルは鞍に飛び乗り、飛竜を見事に操り飛び立っていった。
「教皇は飛竜を乗りこなしておられる。叔父上、シャヘル様は神官兵の出身だったのでしょうか?」
「薬師だ。トゥグラト殿もそうだが、多くの教皇が即位の後にその人柄が変わったと聞く。噂ではな、ザハグリム。神殿の奥の院では初代教皇の魂が残っていて、神官に乗り移るらしいぞ」
「脅かさないでください。叔父上。そんなお化けの話で怖がらせようとして。もう子供ではないのです!」
拗ねるザハグリムをみてラメドとリベカは一笑し、飛竜に乗った。
「さぁ、リベカ殿、参りましょう。イズレエル城へ。バルアダンとアナトが待っている」
飛竜は黒き大地に向けて飛び立った。
一騎で先行するシャヘルが、大きく聳え立つハドルメ側の城と、その手前にある小さなイズレエル城の存在を確認する。
「おぉ、ハドルメよ、失われしティムガの草原よ、カルブの河よ! そして故郷を守るギルアドの城よ。私は帰ってきたぞ……」
シャヘルがそう口走った瞬間、彼の体から複数の裂け目が現れ、大量の血が吹き出た。
「……トゥグラトめの呪いか。年甲斐もなくはしゃぎすぎたか」
シャヘルは赤い宝石の指輪と権能杖を用いて傷を塞ぐ。赤い宝石はセトの魔力を、権能杖にはダレトの魔力を予め注いであった。
「私はシャヘル、神殿の忠実なる僕……」
そうつぶやき、自嘲したように口角を上げると、彼は冷めた目でイズレエルの城に降り立った。
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