第119話 ハドルメ国からの使者

〈評議員、黒き大地の戦況を知る〉


 続けざまに前線からの報告が評議会に届いていく。


「シャムガル将軍が囮となり魔獣二万体の撃滅に成功」

「神獣騎士団アナト、飛竜騎士団バルアダンの戦功比類なし」

「黒き大地に祭壇あり。ハドルメの民が関わっている模様」

「ハドルメの民の指導者オシール、特使の相互派遣を要請」

「魔獣の遺骸を神殿とハドルメが半分ずつ所有することに双方同意」


 そして一番に評議員が欲していた、損失報告の声が議場に響きわたった。


「シャムガル将軍戦死、飛竜騎士団残存百五十二騎、神獣騎士団残存二百十騎、死者五百人、戦傷者千人。現在、アナト連隊長、バルアダン中隊長の指揮の下、第二軍約二千名の兵を砦に残し、ハドルメ国の監視をしております。……ハドルメに転じた飛竜六百体はいずれもギルアドの城を護るように飛んでいるとのこと」


 クルケアンの守護者である飛竜騎士団が、その戦力の大部分を奪われたのである。その衝撃は評議会を圧して余りあるものであった。昨日まで魔獣をその圧倒的な力で屠ってきた竜に、今日から怯えるのはクルケアンの民となったのだ。


「飛竜が、このクルケアンを見限ったというのか、なぜだ、神代から飛竜は我らクルケアンと共に生きてきたのではなかったのか!」


 ザハグリムが議場で叫ぶ。


「それは飛竜が四百年前に主人を失い、今また主人を得ただけのこと」

「誰だ!」


 権能杖を持ち異国の服を着た男が演台に向かって歩いていく。


「飛竜? 飛竜騎士団の者か?」


 その誰何の声に、男は冷笑をもって応えた。


「ハドルメ国のアバカス、クルケアンの評議会に使者として参った」

「アバカス?貴様、ギルドの評議員だな? 何をふざけておる。衛兵、この妄言を吐く男をつまみだせ!」

「蒙を開かねばならぬか。……見よハドルメの力を、我らの恨みを!」


 アバカスが二十アス(約十二メートル)離れた距離で権能杖を振るった。


「何を馬鹿な、貴様、いよいよ気が触れた……」


 次の瞬間、ザハグリムは耳元で誰かの絶叫を聞いた。周囲を見ると彼の取り巻きが数人まとめて吹き飛ばされている。議場に赤黒い線が引かれ、その先には彼らの腕や脚などが転がっていた。

 権能杖から放出された魔力の一撃は、十層ある議場の天井にまでその亀裂を作っていた。


「アバカス! これはいったい何の真似ですか?」

「これはリベカ様、いやリベカ殿。先程名乗った通りです。私はアバカス。渾天儀シャマアストのギルドのアバカスではなく、ハドルメの民としてのアバカスです」


 アバカスはトゥグラトに視線を合わせ、朗々たる声でハドルメ国書記官としての要求を伝える。


「私、ハドルメ国指導者オシールの代理、二等書記官アバカスはここにクルケアン元老、トゥグラト殿に親書を奉呈する。願わくは我が国との国交を樹立し、共に魔獣討伐の盟を結ばんことを」

「元老のトゥグラトである。ハドルメ民を名乗る者よ。盟は礼を明らかにして初めて成る。飛竜を奪われた我らがどうして会盟に応じることができよう」

「飛竜と我らの盟約は既に五百年も前に交わしております。それ故、飛竜が自ら望んで我が国に帰参しただけのこと。お疑いならば我が国へ来て飛竜に呼びかけるとよろしい。我らが竜に無理強いをしているのではないと分かるでしょう。そちらの騎士殿、我が同胞は竜を強奪したのかな?」

「……飛竜が我らを振り落としてハドルメ側に飛んでいったのだ。ハドルメは呼びかけはしたが強奪はしておらぬ」

「飛竜騎士団ともあろう者が、情けないことを。何か弱みでも握られているのか!」

「そうだ!大方、敗北した言い訳を竜に転嫁しているのであろう」


 貴族の批判に、特に敗北という言葉に騎士は反応した。


「そうだ、飛竜騎士団は敗北した。戦闘で後れを取ったわけではない! 竜との関係において敗北を認めるのだ! ハドルメの民は飛竜と会話をしていた。我らが竜を一番理解しているのは自惚れだったようだ。私の若い飛竜は残留したが、成竜以上は望んでやつらに合流したのだ」

「飛竜と会話するだと? 嘘を申せ、獣と言葉を交わせることなぞできん!」


「飛竜よ、ここに来るがよい」


 アバカスが急に声を出して飛竜を呼んだ。露台にいた騎士の乗騎である若い飛竜が体を震わせてアバカスに近づいてくる。


「怖がらなくてもよい。お主は我らと契約をしているわけではない。そこの騎士によく仕えるがよいぞ」


 アバカスは飛竜に何やら囁くと、飛竜は嬉しそうに鳴いて騎士の側に侍った。


「騎士よ、喜ぶがよい。その若い飛竜はお主の事を主人として認めておるぞ。あぁ、飛竜から聞いたのだが、お主はすぐに砦に引き返さねばならないのだな」


 アバカスの視線を受けて飛竜は心得たように主人を乗せるために態勢を下げ、鞍に乗ったことを確認すると北へ向かって飛び去って行った。


「ハドルメの民……」


 敗北感にとらわれた評議員達は一様に呻くように呟く。


「では続きといたしましょう。会盟の件、こちらとしても一朝一夕にとは考えてはおりませぬ。五日後に使節団を派遣しましょう。その間に親書の内容をよく吟味していただきたい」


 ハドルメ国の使者はそう言い放つと踵を返して露台に向かう。ザハグリムは友人の復讐とばかりに兵を彼にけしかけた。三十人近くの屈強な男がアバカスを取り囲む。


「裏切り者、この状況で逃げおおせると思うな!」


 アバカスの眼光が愚かな貴族と兵をえぐる。

 ……これは貴族を過大評価しすぎたか。憎くはあるが、狡猾で勇猛であった彼らの先祖と比較をしてはならない。奴らは家畜だ。ただ生をむさぼっているだけなのだ。

 彼は長剣を抜き放ち、包囲の只中へ歩いていった。如何に兵士がアバカスにその凶刃を振るおうとも、彼の身体に傷をつけることはなかった。見えるはずもない後方からの一撃は空しく宙を斬った。血しぶきが舞い、血と脂の匂いが漂う中、すでにアバカスは十人を打ち倒していた。人ならざるその強さに、兵は怖れを抱いて距離をとった。

 しかしエラムだけは気付いていた。アバカスが兵に止めを刺していないことに。


「アバカスさん!」


 その呼び声をことさらに無視し、アバカスは評議員に向けて宣言する。


「それでは失礼させてもらおうか。評議員よ、現実を見よ!我らに矛を向けるのであればその挑戦を受けよう。我らと盟を結ぶのであれば受け入れよう。お主たちの判断を楽しみにしているぞ!」

「飛竜が、議場を取り囲んでいる!」


 貴族の叫び声の後、雷鳴のような唸り声で議場が揺れた。百体の飛竜が二百五十層を取り囲んで威嚇をしているのだ。その背に人影はなく、自らの意思で行動しているのは明らかだった。

 大きな飛竜がアバカスの姿を認め、駆け付けるように彼の下へと向かう。


「ハノンだな、覚えているぞ。大きくなって……」


 竜は甘えるような声を出し、アバカスは優しくハノンの頭をなでた後、その背に飛び乗った。ハノンはアバカスの魂の内にもう一人懐かしい人物を見出した。驚きと悲しみがその眼に宿り、評議員を睨みつける。


「今はいいんだ、ハノン。私を故郷まで連れて行っておくれ」


 ハノンは力強く飛び上がり、たちまちに議場から遠ざかっていく。アバカスは一瞬だけ振り返ると、果たしてその視線の先には自分を見つめている少年と少女がいた。


「……未練だな」


 竜が一際高い声で鳴き、周囲の竜がそれに続いていく。

 クルケアンの空は赤く染まり、アバカスは魔獣と化したその日のことを思い出していた。


「体が熱い、血が煮え立っているかのよう。アバカス、私達に何が起こっているの?」


 自らの吐き出した血が床に落ちた花束を赤く染める。薄れゆく意識の中、アバカスは妻を掻き抱いた。


「死ぬな、死ぬなフェリシア、俺たちの人生はこれからなんだ。いや、君だけは死なせはしない」

「もう遅いわ」

「あきらめるな!」

「貴方と結婚してしまったから。私、もう一人で生きていけないの。あなたの所為よアバカス。せめて私の手を握っていて……」


「フェリシア……」


 アバカスが最後に見た景色は赤く染まる世界と南の彼方にそびえ立つクルケアンの神殿、それに妻の精一杯の笑顔だった。


 時が経ち、魔獣が黒き大地に蠢動し始める。

 その中に、連れ添うように黒き大地をさまよい続ける二体の魔獣があった。そしてその二体を守るかのように少し離れて何体かの魔獣が環を作っていた。

 それは約四百年後、ヤムと呼ばれる老人が魔獣の前に現れるまで変わらなかった。

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