第108話 魂の在処

〈エラム、神殿の会議室にて〉


「これより会議を開始する。シャドラパよ、進行を任せる」

「はい。車輪のギルドから提案がありましたのは、三十四層の神殿とギルドの薬草園の水耕栽培への切り替えとその設備工事となります。車輪のギルドに加盟しているアスタルトの家よりその説明をしていただきます」


 神殿の会議室にシャヘル猊下、フェルネス評議員、イグアルさん、車輪のギルドのカムディ氏、薬師のギルドのコンス氏が座っている。

 僕たちアスタルトの家からはセト、エル、トゥイ、先生、僕の五人が会議に参加した。先生は本来参加する予定ではなかったのだけれど、僕たちを心配して来てくれたのだ。

……いや、先生が心配しているのはきっと僕だろう。


「エラム、シャドラパさんから聞いて予想していたことでしょう。貴方の恩人の神官は現教皇のシャヘル猊下よ。そして彼は魔人化して性質と記憶を失ってしまっている」


 先生はここに来る前に誤魔化すことをせずにそういってくれた。僕に未来を、僕に命を与えてくれたあの神官は、セトたちの敵対者として目の前に立っている。


「記憶を取り戻すことはできないのですか?」

「サリーヌと同じ。魂がひび割れるように痛みが走って絵画のような過去の光景が思い浮かんでも、それを自分のものと受け止めたり、記憶として戻ったりすることはないらしいわ」


 先生の言葉を聞いて僕は諦めないことを決心する。思い浮かべることができるのであれば、魂に刻まれた記憶はあるのだろう。たとえ魔獣の魂が混ざったとしても。



「アスタルトの家のエルシャです。よろしくお願いします」

「挨拶はよい。神殿が興味があるのは民を救うための実利だけだ。さぁ、説明をするがよい」

「では薬草園の現状についてから説明します。薬草の生産量はこの三十年で大きく減少しています。量にして約三分の一が減少し、クルケアンの人口増と合わせて考えると、実質的に必要な生産量は半分にまで落ちています」

「原因は何だ。神官の人数は若干減少したものの決定的ではない」

「はい、神殿側だけでみると薬師の神官数の減少の影響もありますが、ギルド側の薬草園の従事者数はさほど変動在りません。両者共に生産量が下がっているのは土とその毒素の為です。三十四層の魔道具の光では薬草園の土に対する浄化効果はなく、かといって陽の当たる最下層では市民の住居確保や、魔獣からの防衛を考えるとその生産に向きません」

「ほう、土か。しかし土を入れ替えれば良いのではないか?」

「三十四層の土を定期的に入れ替え、毒素に汚染された土を海や周辺に廃棄するのも衛生や効率が悪いと考えます。勿論、資料では十年毎に土の入れ替えをしておりますが、それでも生産が落ちているのは、もはや三十四層そのものが、除去できなかった古い土からの毒素が染み渡っているものと考えます」

「分かった、ではその改善案を聞こうではないか」

「アスタルトの家のエラムです。技術的な提案を僕が説明します」


 脚にかすかな震えを感じながら、教皇の前に僕は立った。あの優しいシャヘルさんが、今は僕を睥睨している。

 ……僕は神様に対して怒鳴りたい気持ちを抑えていた。神の試練などではない。これは世界の理不尽なのだと自分を宥めて、僕は皆の前に立った。


「土を使わない方法をクルケアンの家は提案します」

「土を使わないだと? エラム君、神殿の薬師でもそんな栽培方法は聞いたことがない」

「古来の栽培方法の記述にあります。水耕栽培に関する四百年以上前の文献を五十年前に書き写したものが薬師のギルドの資料にありました。残念ながら原本は見つかりませんでしたが」

「確かに我がギルドにはその文献はあった。しかしそれはクルケアンの都市の東北部にカルブ川が流れていた神代の話だ。水が北の森の栄養を運び、河川沿いの施設で栽培されていたとあったが、今の環境で再現できるのか」

「はい。水道橋の修繕を行い、栄養を含んだ水を西方から運びます。また、豊富な水力を用いた空気の循環と三十四層外縁部における太陽光の取り込みを機械的に行います」


 僕は会議室の豪華な机にはあまりふさわしくない、急造でつぎはぎだらけの模型を置いた。いよいよ佳境だ。僕が目指すもの、アスタルトの家が目指すもの。その実現への一歩だ。そして欲張りなことに、この場を利用して僕はもう一つしたいことがある。

 鼓動が早くなるのを自覚する。僕は呼吸を整えるために、わざとゆっくり模型を指で指し示す。


「ご覧ください。破損した水道橋は三十層の高さにあり、三十四層で用いるためには高さが足りません。大塔の一つを移動用ではなく、水の高所への貯蔵用として使わせてください。あそこには水の祝福を受けた導師達がいます。彼らとその施設の利用権をいただければ水の循環は可能です」

「却下だ。神殿が欲しいのは祝福や魔力を使わない都市計画だ」


 教皇がそう言い放った瞬間、教皇とフェルネス評議員以外の参加者からどよめきが起こった。


「神の祝福を、魂の力である魔力を使わないとは猊下の言葉とは思われませぬ」


 ギルドの有力者であるコンスさんは教皇に皮肉な言葉を投げかけた。彼とは反対に技術者のカムディさんは喜色を浮かべている。


「いや、神殿からそう言っていただけるのは技術者として嬉しいことだ。猊下、我ら車輪のギルドは先の貴方の発言を全面的に支持いたしますぞ」

「下らぬ、批判も支持も必要ない。どうなのだエラムとやら。祝福や魔力を使わずして水を三十四層まで引き上げられるか?」


 正直、神殿が自らの教義の一つを放棄するとは思わなかった。神の祝福を不要とする、その目的は何だろうか? しかしこの状況は利用させてもらおう。


「可能です。三十層に水力機関を取り付け、揚水の動力とします。また余った動力も薬草園の管理に回せましょう。……ただし、三十層西南外縁部にその施設を建設します。既存の施設の買収が必要となりますのがよろしいでしょうか」

「構わぬ。それで、三十四層内部の機構をどうするか説明せよ」

「はい、現在の三十四層の土を撤去し、そこに栽培用のといを数段設置します。そこに肥料を塗布した粗い布を重ね、種子の固定用として設置します。三十四層の給水施設で浄化された水は傾斜をつけて樋に流れ、最後は下水へ流れる様にします。また収穫後は布を洗い、天日に干した後、再使用します」

「よろしい。さて、ギルドの長達よ、評議員よ。神殿は彼らの提案に賛成する。お主らの考えは如何」

「車輪のギルド、カムディ、賛成だ」

「薬師のギルド、コンス、異存はありませぬ」

「評議員イグアル、賛成です」


「評議員フェルネス、反対だ」


 その言葉を受けて会議室にざわめきが起こった。


「フェルネス、評議員として反対する理由が何処にある!」

「イグアル殿、お主こそ評議員らしく落ち着きなされよ」


 フェルネス評議員は感情のない声でイグアルさんを窘めた。その様子をタファト先生が辛そうに見守っている。


「エラム殿、先程の演説見事であった。成程、それで薬草の栽培は増産が見込まれるであろう。しかし前提となる水道橋の修復が大工事となる。そこまでの予算は評議会、神殿共にないぞ。その費用を薬草代に充てたとしても高額になれば民に恩恵がない。それをどうするのだ」


 正論にイグアルさんも沈黙する。僕は皆に目配せをした。ここからは技術ではない、改善でもない。前提条件をひっくり返す勝負なのだ。エルが再び前に立って一同を見渡して提案する。


「今回、わたし達は薬草園のみの工事を考えておりません。また経費をここにいる団体以外からも集めるつもりです」

「何だと?」

「水力を動力にした工場を最下層から三十五層にかけての各層に建設する予定です。脱穀、皮革なめし、麻糸、高炉、水力時計クレシドラなどです。費用は関係のギルドから集め、金額に応じて一定期間その動力を無料で分配する予定です。期間が過ぎれば使用料金を取ることになるでしょう。これで資金の確保と、薬価への影響力を小さくし、また経費負担を分散することで神殿、評議会の負担を減らすことになります」

「しかし、分散するということは、多くの支持を君たちが得られなければならない。できるのかね」


 セトが一歩を踏み出した。


「できます! 僕たちは多くの支持をすでに集めました」

「星祭りの日の件は見事だったが、それが実際の業務とは別だ。結果を見せてくれないか?」

「トゥイ、資料を皆に」


 トゥイが配った資料は今回の事業に出資者として、また、共同参加したい人達の名簿だ。出資金の数字も記載済みなのはソディさんたちの手腕である。一同はその資料をみて、記載された名前、団体を指でなぞっていく。そして、その指の動きはしばらく止まることがなかった。

 その間、セトの声が会議室に響き渡る。


「この二日間、僕たちは三十二層のギルド支部を訪ねて出資者を募りました。勿論僕たちに実績はありません。だから出資額を少なくして、より多くの人達に声を掛けたんです。掲示板にもすでに依頼を張り出して協力を呼び掛けています。結果、星祭りの日に競った多くの友人が手伝ってくれました。そしてその人達と共に、パン屋さんや製粉業者さん、お風呂屋さん、区長、そして貧民街の市民にも声を掛けたんです」

「貧民街にも声をかけたのか」


 少しだけフェルネス評議員の声に熱がこもった。騎士として、守るものとして弱い立場の人に共感を持っているのだろうか?


「はい。あそこは特に綺麗な水を必要としています。下水もないんです。劣悪な集合住宅インスラや不衛生な診療所ばかり。でも、だからこそ、少しだけだけどお金を出したい、一緒に手伝いたい、と言ってくれました」


 会場の雰囲気が、一人を除いて明るいものとなった。只一人、教皇のみが冷たい顔で沈黙を守り、進行を見守っている。


 そしてエルが最後に僕たちアスタルトの家の提案を行う。


「わたし達はクルケアンに利益をもたらせましょう。しかしその為に大儲けをしようとは考えていません。皆が幸せになり、少しばかりのお金が入ればいいのです。わたし達の計画で、一体誰が不幸となるのでしょう。誰が損をするのでしょう。どうか、御採択をお願いします」


「よろしい、ならば私、フェルネスも賛成するとしよう。しかしその水力を握るものが長期間クルケアンを経済面で支配することになろう。お主たちは皆が幸せにというが、結局そうはならんのだ。……幼いゆえに社会の裏というものをまだ知らぬ。工事は賛成するが、評議員として完成後の管理・責任方法について発議する。君たちを評議会に召集し、そこで決めるとしようではないか」


 ここにおいて全員の賛成を得られたのだ。教皇がシャドラパさんを一瞥して、決議をするように促す。


「で、では薬草園に関する車輪のギルド及びアスタルトの家の提案を認め、工事決定とします。工事の予算、期間と実施責任者はカムディ氏より後日提出がありますので実施できる水準に関係者で調整を図りましょう。また完成後の管理方法は評議会で決めるものとします。今日はこれで解散……」


 ほっとしたようにシャドラパさんが言い終えようとすると、教皇がその言葉を制止した。


「印の祝福を受けたセトよ。そしてアスタルトの家の若者たちよ。お主たちはここへ残れ。確認したいことがある」


 そして、今回の最大の出資者として相談したいのだ、と始めて教皇は笑顔を見せたのだ。

 それは以前のシャヘルさんが僕に見せた困ったような笑顔ではなく、捕食者が獲物を嬲るかのような笑顔だった。

 僕のやりたいことのもう一つ、シャヘルさんと直接話したい、その機会は思ったより早く訪れた。震える僕に、強くありなさいと、と、タファト先生が肩に手を置いてその熱を伝えてくれた。

 そうだ、怖がってはいけない。逃げてはいけない。だってあの人は最後まであきらめなかったに違いないのだから。だから何処かに彼はまだ居るはずだ。探し出すのは慣れている。


 僕は彼の魂の欠片を見つけに行くのだ。

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