第69話 どこまでも一緒に

 アサグは人の群れを前にして考える。

 弱い獣は強者に対し逃げるか、その命を従容として差し出すしかない。しかし比較もできないくらい弱いこのヒト共は、恐れる様子もなく槍を突き出し、剣を振るってくるのだ。その力はどこから来るのだろう。


「これがヒトの力なのだろうか」


 しかしアサグは否定する。現象としては正しいが、自分が知りたいのはその現象を生み出す衝動なのである。無から有は生まれず、また力も生まれはしないのだ。


「まだだ、まだヒトには隠された力があるはずだ」


 バルアダンが傷ついた兵を励まし、また庇いながら叫び声をあげる。そして兵達はそれに応えて前進を続けていく。そして祝福者達がその魔術で動きを止め、倒れた昆虫に蟻が群がるように兵がアサグの体を蝕んでいった。仮初の人体と魔力を基にした真体化では全盛期の力を出すことはできず、少しずつアサグはその力を奪われていった。


「盾を持っている者は他の武器を捨てガドの指揮下に入れ! 二人組を作り巨蛇の攻撃を受け止めるのだ。槍を持っている兵はダレトの指揮で北壁側から蛇を追い落とす。残る兵達は私に続け!」


 急造の隊を編成し、剣兵をバルアダンが、槍兵をダレトが指揮し巨蛇を追い詰める。だがバルアダンはいかに兵の士気が高くともこの巨蛇を倒すには犠牲が大きくなりすぎると判断し、北壁の通路から最下層へ墜落させようと考える。ただ北壁の下の貧民街に被害を出すわけにはいかず、広い空き地の直上に誘導する必要があった。

 バルアダンの意を受けたエルシャが、三十五層で戦況を見守っているエラムとトゥイに大きく手を振る。視線が合うと、片方の手を大蛇に、もう片方の手を兵と見立てて追いかけ、突き落とす様子を示した。そして下層の貧民街を数か所を指さして場所を選ぶように身振りで示す。


「エラム、あれって追いかけっこをするよってこと?」

「あぁ、そして最後は突き落とすらしい。でもエルシャが関わっていると、規模の大きい悪戯みたいに思えてくるな」

「場所を選んでってことは、落しても大丈夫な場所を教えてってことか。エラム、街の配置は分かっていて?」

「もちろん。ただ強風が吹き荒れているから、トゥイは気圧と風向きの観測をお願い。僕は目測で巨蛇の大きさを計算する」

「了解!」


 エラムは小型の望遠鏡を取り出し、巨蛇を観測しながら携帯していた蝋板に尖筆で計算を始める。トゥイは観測機アストレベに仕込まれた椀状の風杯を引き出し風速を計算し、また同時に気圧の数値をエラムに報告する。


「よし、ごみ捨て場が一番近くて、場所も広い」

「ごみ捨て場?」

「貴族が上層からごみを放り捨てている場所だよ。貴族の数は少ないけれど、それでもここ数十年は放置されたままだから、相当に広い範囲で人は住んでいない」


 貴族もたまには役に立つことをする、とエラムは肩を竦める。そして追い落とす座標をタファトの魔力で繋がっているエルシャの観測機アストレベに示したのだった。


「場所が分かったわ、このまま北へ二十アスク(約百四十四メートル)押し切った場所で落としちゃえ!」


 エルシャの言葉に兵達は互いに顔を見合わせる。先ほどまで命をかけて戦っていたはずなのに、今度はエルシャの共犯となって悪戯をするような気分になったのだ。やれやれ、これでは次に悪戯をされても怒れないではないか、と苦笑する。


「子供の時はせいぜい首が出るくらいの落とし穴だったが、大人になれば七十アスク(約五百メートル)か。成長したもんだ」

「おい、何を楽しそうな顔をしているんだ。相手は巨蛇だぞ?」

「これでいいんだよ。まともに戦って勝てないのは俺自身がよく知ってるさ。でも悪戯ならどんな騎士様にだって負けないぜ。おまえだってそうだろう?」

「……違いないな。よし、エルちゃんはここで待っていろ。おじさん達が見事に悪戯を成功させてくるからよ」

「ううん、わたしも行くわ。だって危険な目に巻き込んでしまったもの」

「帰る場所を確保するのも大将の役目だ。それにエルちゃんが抱えている色男をちゃんと守ってやらないとな」


 エルシャは膝の上で昏睡したままのセトを眺め、そして頷いた。


「絶対、帰ってきてね。約束だからね!」

「あぁ、家で親に怒られるまでが悪戯だからな。まかせておけ」


 兵達は五アスク、十アスクと巨蛇を追い詰めていく。ダレトが率いる槍隊がアサグの側面に突出し強い横撃を与えると、巨蛇は体そのものを鞭として北壁に叩きつける。だがダレトは北壁を土台として兵の槍を固定し、巨蛇の力をも利用してその鉄鱗を貫いたのだ。そして正面にいたバルアダンと剣兵は、巨蛇が槍兵に向かったために側面を突く格好となった。喊声を上げ突撃し、鱗の割れ間に剣を突き刺し、出血を強いる。兵が体力の限界点に来たところでガドの指揮する盾隊が割って入り、味方の後退を支援していった。

 アサグは自分に不利な現状を苛立たしく思いながら、ヒトというものを不思議に思う。


「個でも弱く、群れでも弱い。だが時折、何かのはずみでその群れが強者を凌駕する。何だ、何がそうさせるのだ。指揮官か、それとも――」


 盾兵が引き、僅かに生まれた空白の時間と場所を、レビの治療を終えたサラ導師ら祝福者達による魔力の攻撃で埋めていく。石槍と炎と水刃が巨蛇を苛み、続くダレト、サリーヌ、バルアダンがその三つの魔力の攻撃を割るようにして飛び掛かった。


「アサグよ、元部下として貴様に引導を渡してくれる!」

「アサグ様、ご容赦を!」


 兄と妹がそれぞれの想いを口にしながら巨蛇の顎を砕き、牙を斬り捨てる。そしてタニンに乗ったバルアダンが突撃槍をその口中に突きつけたのである。そしてついに断末魔の声をあげて北壁を滑り落ちたのだった。兵達の歓声が上がり、次々にバルアダンの名を連呼する。自分一人の力ではないと手をかざしたバルアダンだったが、ダレトがその手を押し留めた。


「応えてやれ、バルアダン。民には英雄が必要だ。そういう役回りだと諦めろ」

「……不公平じゃないか」

「何だって?」

「これじゃ、私だけが自由を失くす。窮屈な英雄なんてまっぴらだ」


 子供のように拗ねるバルアダンを見てサリーヌ、そしてダレトと彼が支える青い顔をしたレビが笑いだす。そしてダレトはバルアダンの手を掴み、高く空に向けて引き上げた。兵達の歓声が一層高まる中、ダレトはバルアダンに向けて慰めにもならない約束をする。


「お前が自由を失くす分、俺が隣にいて半分は肩代わりしてやる」

「半分?」

「あぁ、面倒くさいことはお前が、面倒くさくないことは俺が引き受けよう。良かったな、これで人生の重荷が減って軽くなるというものだ」

「重荷は私に偏っているように思えるが?」

「我儘な奴め。分かった、分かった。隣でその重荷を半分引き受けてやるさ。一生感謝しろよ」

「……前にも言ったが、逃げようとすればセトとエルをけしかけるぞ」


 レビが聞きつけ、興味深げにバルアダンに尋ねた。


「ねぇ、バル様、何の話?」

「ダレトが仕事をさぼって一人で逃げないように、みんなで監視をしようって話さ」

「それ、あたいも参加する。サリーヌもいいよね」

「え、あぁ、逃げるのを防ぐなら、頭を締め付ける魔道具がありまして――」


 生真面目なサリーヌの返答に一同が笑った時、崩壊の危険のある通路から皆を避難させていたガドが叫び声を出す。


「後ろだ、アサグがいるぞ!」


 その声にレビ以外の全員が抜剣して振り返るも巨蛇はいない。だがその代わりに神官のアサグが蛇を巻き付けて立っていた。追い詰められ、落ちる寸前に真体からヒトの姿に戻り、眷属の蛇達がその牙を通路の割れ目に刺し込んで這い上がってきたのである。

 アサグはよろめきながらも、魂を代価に爆風を放つ。タニンがセトとエルシャをかばい、バルアダンとダレトがサリーヌとレビをかばうが、兵や導師もろとも吹き飛ばされてしまう。


「……獣王モレクの名と誇りにかけてヒトごときには負けぬ。所詮は蛇よと、謗られて兄上の顔に泥を塗るわけにはいかないのだ」


 アサグは怒りで真名を呟いた。竜や獅子の王が互いに覇を競い合った獣の時代、モレクも王を名乗り眷属を引き連れて闘いの日々を送っていた。だがモレクの誇りを踏みにじるように、爪や脚のないその体を他の獣から悪しざまに言われ続けてきたのである。だがあの獅子の王だけが、戦いに特化した美しい体と認めてくれたのであった。そしてヒトの体に宿りアサグと名乗るようになってもその恩義を忘れることはなかったのである。


「ここまで醜態をさらしてしまった以上、もはやヒトの力なぞどうでもいい。バルアダンよ、サリーヌよ、仲間もろとも死ぬがいい」


 鉄槍と化した蛇がバルアダンの腹を穿ち、サリーヌの肩を貫いた。そして二人の首を食い破ろうとした時、アサグは自分が囲まれていることを知る。


「……アサグ様、もう十分でしょう。大神殿へお戻りくだせぇ。さもなくばあっしらが相手をしやす」

「アヌーシャ隊か。お主らもサリーヌのように巣を出ていくのか?」


 それは殺害の予告でもあった。いかに精強なアヌーシャ隊であってもアサグには敵わない。だが彼らはサリーヌを守るために主人へ向けて剣を振りかざしたのである。一人は首を跳ね飛ばされ、もう一人は心臓を蛇に喰われて絶命する。だが続く隊員は怯むことなくその体をアサグの前に晒すのだ。


「何を馬鹿なことを! 今さら時間を稼いで何になるというのだ!」

「お嬢が少しでも長く生きていれば、あっしらの勝ちなんでさ。……アサグ様には分からないでしょうがね」


 盾となり死に続ける部下達を見ながら、アサグはついに王妃を思い出す。四百年前、同じように多くの民と戦士が王妃のためにその命を捧げたのである。そして王妃も民のためにその命を落としたのだ。他人のためになぜ貴重な自分の命を差し出すのか、当時には分からなかった。そしてそれは今でも分からない。未知という恐怖を思い出したアサグは叫び声をあげながら再び魂を削って全員を吹き飛ばした。

 

 理性が飛び、獣の衝動によって獲物を殺そうとするアサグに立ち向かう男が一人いた。その男はよろめきながらアサグに近づき、片腕でアサグを羽交い絞めにする。その胸元にはセトの祝福を込めた赤石が光っており、その輝きを増していった。獣となったアサグはまとわりつく蠅を追い払うようにその体をよじるが、男の体は離れない。

 腹部に鉄槍が刺さったままのバルアダンが、歪む視界でその姿を認めて叫ぶ。


「ダレト、馬鹿なことを考えるな!」

「……バルアダン、レビとサリーヌを頼む」


 ダレトは友に向かって気難しい表情をした。それはどう言い訳をすれば許されるかと考える少年の顔だった。


「それはお前がすべきことだろう、お前が背負うべきだろう! それに私と共に戦ってくれる約束を守らないつもりか!」

「なぁ、バルアダン。俺は最初お前が妬ましかった。元気な弟妹がいて、両親がいて、それでいて誰よりも強い。性格は生真面目に過ぎるがな。利用してやるつもりで近づいたのに、それがいつの間にか隣で笑い合えるものだから、困ったもんだ」

「何を言う、そんなことはこの戦いが終わればゆっくりと聞いてやる。だから、その赤光を止めてくれ!」

「お前はそのまま正道をゆけ、バルアダン。悔しいが俺にはできなかったことだ。……肩を並べて戦えたこと、意外と悪くなかったぞ」


 バルアダンの制止の叫びが、近くにいたサリーヌを呼び覚ます。


「ダレト、一体何を――」

「ニーナ、いや、サリーヌ。友人と共に新しい人生を送るんだよ。……生きていてくれて兄さんは本当に嬉しかった。どうか幸せになってくれ」

「兄さん? ――兄さん!」


 その時、ダレト以外にもう一人動ける人物がいた。その人物はサリーヌに何か耳打ちをし、ダレトに倒れ込むようにして縋りついたのだ。すでに赤光は弾ける寸前であり、引きはがしたとしても間に合わないとダレトは悟る。


「言ったでしょ? あんたの行くところならどこへでもついていくって」

「……仕方のない奴だ。こんな頼りない男のどこがいいのやら」

「ふふっ、その頼りないところかな。責任取ってよ、ダメ男」

「すまない。……いや、ありがとうな、レビ」


 ダレトは光の中で困ったように笑っていた。そしてレビもやっと帰宅できた迷子のように安心しきった笑顔を向けたのである。



 その日、クルケアンの市民は二つの夕日を見た。

 階段都市の東側に住む貧民街の人々は、血のように赤い光が広がり、轟音と共に瓦礫などが降り注いだのだと噂する。やがてそのことは、バルアダンが北壁にて魔獣を打ち倒したことと関連付けられ、市民は英雄の新しい武勲に喝采を送ったのだった。

 だが気がかりに思う事には、その若い英雄がいつも向けてくれる笑顔を見せてくれないことであった。心配した市民が遠巻きに見守っていた時、彼の隣で美しい女性が涙ながらに歌を口ずさんでいることを知る。子供を寝かしつけるはずのその歌は、もう会えない大事な人にゆっくりと眠るようにとの祈りにも聞こえ、市民は彼らが失ったものの大きさを推し量るのだった。

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