第59話 箱庭の紅茶

〈施薬院にて〉


 三十四層、神殿管理の施薬院は、神殿の慈善事業としてその大きな面積を薬草栽培や治療施設に割り当てている。奥の区画は立ち入り禁止区域となっており、取り扱いが難しい薬草や、末期感染症患者を収容する施設があるとされるが確認した者はいない。入り口には小神殿があり、クルケアンの市民は薬師の神官の処置を受けることができる。

 その小神殿の裏通りを奥に進んでいくと小さな薬草園がある。その人知れない箱庭は、長らく誰も手入れをしていなかったのか、草は枯れ、整備されていない魔道具の暗い光がとぎれとぎれに照らしていた。


 一人の男が薬草園の端にある小屋からよろよろと出てきた。彼は鍬を持ち、畝を作り始める。顔はやつれ、手や足に力が入っていないものの、体に染みついた動作でゆっくりと鍬を振るうのであった。外見からは分からないが、男は魔力により見えない足枷が嵌められており、また大きな声が出せないように喉を潰されていた。この箱庭は男にとって安らぎの場であり、また牢獄でもあるのだ。死の苦しみを何度となく与えられ、その度にこの思い出の場所で痛みを和らげ生を実感する。もし地獄というものが存在するのであればこの美しい箱庭がそうなのであろう。


 同じ頃、一人の少年が持病の進行を少しでも抑えるべく三十四層の小神殿を訪ねていた。以前に処方された薬の薬効はまだ一年あるとはいえ、仲間達との活動のために魔獣の瘴気に侵された肺を少しでも良くしたかったのだ。あいにく神官は不在であり、少年は神官が戻ってくるまで通りをぶらぶらと歩いて時間を潰すことにした。一つには広大な薬草園へ水を供給するための水道施設に興味を示したのもあったのだろう。


 そこは清流が流れ、青々とした薬草が香りを放つ、一種の花園であった。

 少年はこんなに美しい場所であるなら、幼馴染を連れてくればよかったと後悔した。彼女ならばこの人工的な美しさを詩や物語でどう表現してくれるのか聞きたく思ったのだ。

 やがて小神殿に戻ろうとした時、少年は道に迷ったことに気付いた。それもまた面白いと考え、どうせなら行きつくところまで行ってみようとわざと暗い方向へ歩いていく。入り口が小神殿しかない薬草園では物盗りに出会うとは考えにくく、ちょっとした冒険気分で歩いていくのだった。


 歩きながら少年が心配になったのは、奥へ行くほど荒廃した薬草園が多くなったからだ。薬師の神官が不在だったこともあり、神殿全体で施薬院の担当者が不足しているのではないかと考える。ギルドの薬草園や治療院もあるが当然割高であり、庶民がいつも利用するわけではない。人手を増やし、薬草の大量生産をして安価に供給しなければ、と生真面目な少年は考える。


 少年は足を止めた。小さな薬草園で、緩慢な動作で鍬を振るっている男を見たためだ。よろけ、倒れかける男を慌てて支え、大丈夫ですか、と声をかける。男は頭巾を取り、お礼をいった。


 少年は驚いた。支えた男は自分の恩人であったのだ。男も気づき、嬉しそうに改めて礼を言う。そして少年に何かを言おうとして、やがて諦めたように首を振った。それは少年を何かに巻き込むことを恐れたのかもしれない。出会えたことが神の奇跡であるならば、最後の時間を少年と共有したく思った男は自家製の紅茶を飲むよう勧めるのだった。


 二人は薬草園に放置されていた古い長椅子に座り、欠けた陶器の碗で紅茶を飲む。この紅茶は精神を落ち着かせる効能があるんだよ、と自慢げに男はいった。その紅茶は砂糖や蜜が入っていないのにも関わらず、甘く良い香りをしていた。


 少年はなぜここにいるのですか、と質問をする。高位の神職である男がみすぼらしい恰好で鍬を振るっていることに驚いたのだ。


 男は体調を崩し、ここで少し療養をせねばならないのだと語る。少年は驚き、そして、ここにいてもいいのですか、と心配げに問うた。


 男は俯いて答える。神殿に慈悲を願い、ここにいても良いと許可をもらったのだと言う。ここは男が若い頃に管理をしていた薬草園であり、とても懐かしい場所であったこと、あまりにも懐かしすぎて、つい鍬を振るってしまったことを、はにかみながら少年に語った。


 男は少年が病を得ていたことを思い出す。小屋の中に、前に少年に与えた薬がまだあるのだが、保存状態が悪いため人に渡せないのだと謝罪する。しかし時間をおいてまたここに来て欲しいと伝えるのだった。


「この薬草園に、私の魔力を注いでおいた。今は枯れているけどね、きっといつか薬草は生えてくる。何か困ったことがあったら、ここの薬草を使ってごらん」


 自慢の薬草園を君が使ってくれると嬉しい、と男は話した。


 その時、薬草園に他の神官が入ってきて、少年を邪険に睨みつける。

 男は迷子の少年だと説明し、気を付けて帰るんだよ、と言って手を握った。

 急な別れに戸惑っている少年であったが、男の手を握り返し、別れの挨拶をする。


「ありがとう。あなたのおかげで僕は夢を持てたんです。このクルケアンで困っているたくさんの人を助けたい、幸せにしたいんです。体調がよくなったら、僕の夢の続きを聞いてもらえますか?」


 少年は去り、男は涙を薬草園に落とした。


 魔障に体を侵されていた少年は、今や民のために動いているのだ。

 蔑まされ、何もなしえなかった自分の人生で、

 あの少年を救うことができたことこそが神の導きではないのか。

  

 少年と共にこの階段都市の民と暮らしていけるのなら、

 未来を共有できるのなら、

 どんなに素晴らしい人生であったろう。

 しかし、自分はもう、別の人間になってしまうのだ。

 あぁ、手に入らなかった未来はこんなにも美しい。


「さようなら、エラム。君の創る美しいクルケアンに私も生きたかった」


 薬草園の土を握りしめて泣く男を、神官達は乱暴に掴んで薬草園の小屋に連れて行った。

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