第56話 魔獣の神官

〈サリーヌ、神殿にて〉


「サリーヌ、アサグ様の呼び出しを受け参上しました」

「楽にしてよい。さて、セトの力の解明はいかほど進みましたか」


 私は大神殿内のアサグ機関の部屋で間者としての情報を求められている。

 目の前にいるこの人は、話すときは口が動き、物を見るときは目が動く。これは当たり前のことだが、しかし、それぞれが別々に動くのだ。そして丁寧なその口調と合わさるとき、人ではない物に接しているかのようで恐ろしい。だが、私をこれまで育て、鍛え上げてくれた恩人でもある。この人がいなければ私はどこかの任務で命を落としていただろう。それがあればこそ付き従っていたのだが……。


「はい、サラ導師によれば彼の力をもって魔獣石の破壊、修復が可能です」


 私はセトが魔獣の魂を引き出したのを確かに見た。でもその力の本質を誤魔化して伝えてしまう。ひれ伏した顔に冷たい汗が流れる。そう、私は今、この人を裏切っているのだから。


「印の祝福はその程度ではない。存在そのものを消し去るような力は見せなかったのでしょうか」

「な、何を――」


 印の祝福は本質へと導き、戻していく力ではないのか。

 いや、それよりもこの口調だとアサグ様は私よりも深いところを知っているに違いない。印の祝福の解明をせよ、との命令は、セトがどの程度扱えるようになったかの確認だったのだ。この人は初めからこの力の何たるかを知っている――。


「どうしたのですか、体調が悪いように見受けられますが」


 私の狼狽を見抜いてか、アサグは艶然と微笑んだ。


「いえ、すこしばかり過労気味なだけでございます」

「そうか、そなたには無理ばかりをさせてすまぬな。兄上が特に目をかけておられるのもあるが、私もそなたには期待をしているのだ」

「……ありがとうございます」


 言葉だけを取れば部下思いの温かい声だ。だが表情を変えずに言い放たれれば背筋が凍る。蛇が後で食べようとする卵を大事に守るような、そんなおぞましさを感じてしまう。


「そういえばサラ導師がセトの力を制御すべく、薬草が使えるかどうか考えていました。よろしければ三十四層の薬師の神官に渡りをつけていただければ幸いです」

「よろしい、施薬院のシャドラパ神官に伝えておきましょう。三日の内には対応できるはずです」


 私は礼を述べ、そそくさとその場を離れようとする。だが、アサグはそんな私を引き留めた。


「サラ導師と接触した主な人物を挙げよ」

「……セトを除けば水の祝福者イグアル、太陽の祝福者タファト、飛竜騎士団のバルアダン、神官ダレト」

「おや、主な人物はそれだけですか」

「はい」

「おかしいですね、あなたの友人であるレビという少女の名前が出なかったのですが」

「……ご冗談を。外から見れば学友かもしれませぬが、まだ数日です。任務上は務めて笑顔を見せるようにしております」

「そう身構えるものではない。彼女は昨日の工房の魔獣騒ぎにおいて神殿の被害を最小限に抑えてくれました。礼をしたく思いますので、後日連れてくるのです」

「彼女はただの訓練生です。巻き込むのはやめてください!」

「おや、友人の振りをしているだけなのでしょう? それにヤム長老の遺児としてこちらとしても養育費を払っているのですから、会うのに不思議はないでしょう」

「……それで私を縛るおつもりか」


 まだ日は浅いとはいえ、友人を売るつもりはない。気づけば私は膝をついたままで柄に手をかけていた。育ててくれた恩人に対し、どう境界線を越えようかと俯いたまま葛藤する。


「なるほど、これがヒトの巣立ちというものですか。実に興味深い。ですが、それには力を示してもらいましょう」

「力を示すとは、何でございましょう?」


 アサグ様の目が緑に光り、権能杖が鉄の蛇のように蠢きだす。


「剣を取ることを許す。こちらを殺しても構いません」

「そ、そんなことできるわけが――」

「こちらはできるのですよ?」


 蛇が首をもたげたかと思うと、次の瞬間には私のみぞおちを穿っていた。息が詰まりながらも体は意識と無関係に後方へ飛んでいる。それは記憶を失ってより十年、この人によって培われた戦士としての習性だった。


「おやめください、アサグ様も猊下にも、育てれくれた恩がございます。その方に向かって剣を向けることはできません」

「ならそのままここで死ぬのですか? いや示す力すらないというのであれば、そなたも違ったというだけです」


 私も違う? この人はいったい何を考えているのだろう。逡巡する間にも鉄蛇が私を叩きのめし、私は広間をのたうち回る。


「あの力……我と兄上の目と心を奪ったあの力を示すのです、サリーヌ!」

「何を……!」


 ここに至れば仕方ない。

 せっかく友人ができ、生き別れの兄と出会えたのだ。

 

 ……いや、兄と分かっていても記憶は戻ってこなかった。

 ただ、状況が示しているに過ぎない。

 それでも私はその縁に縋りたい。

 明るい未来を見ていたい。


 サラ導師から教わったことを再現し、剣に魔力を込める。あの蛇が魔力でできたものならば、干渉し、無効化することもできるはずだ。

 鉄蛇の口中に剣を突き刺し、干渉を始める。その瞬間、アサグ様の顔色が変わるが、蛇自体には何の変化もない。未熟なため失敗したのだろうか。


「ほう、魔力に干渉ができるようになったか。だがあの者はヒトそのものに干渉できたのだ。まだだ、まだ足りぬ」


 鉄蛇が四方から襲い掛かり、私は仕方なく剣を床に突き刺した。私の魔力をもって石床を弾き、牙から身を防ぐ。だがこの鉄蛇はまるで生き物のように潜り抜け、私に傷をつけるのだ。

 ……まるで生き物のように?


「まさか、この蛇は本物だとでも!」

「鱗が鉄の蛇は珍しいか? 手足もなく、ゆえに醜い蛇ではあるが、古より数多の獣を喰らいつくした我が眷属の力、見るがいい」


 鉄蛇が集まり、アサグ様の魔力で巨大な大蛇となった。人の数倍はある蛇の口を見て、足が震え、手が硬直する。ここまでかと思った瞬間、周りに人の熱を感じたのだ。


「アヌーシャ隊のみんな!」

「アサグ様、これはどうしたことで? なぜお嬢を殺そうとしているのです」

「命が惜しくば手を出すな。これは、巣立ち……いやヒトでいう成人の儀というものだ」

「成人の儀?」

「サリーヌが我と兄上から離れたがっているようなのでな。親代わりとしては世間に出せるか見極めなければならぬ」

「普通の親はここまでしないものです。本当に殺しかねませんぞ」

「そうかえ? しかしそれはヒトの親が考えることだ。力を示せないのなら死んでも仕方ないではないか」


 大蛇の尾がアヌーシャ隊のみんなを打ち払う。抗しきれる者は私も含めて誰もなく、地面に這いつくばって血を流していた。


「みんな、逃げて!」

「聞こえませんな、お嬢。何せこの隊に入ったのは耳がそがれちまったからですしね」

「……嘘、あなたは腕を失ったからでしょうに」


 みんながよろめきながら立ち上がり、私の周囲に集まった。円陣を組んで鉄蛇に対し、剣ではなく背を向ける。それは蛇を打ち倒すのではなく、私を守るためのものだった。蛇が体を打ち付け、そのたびに皆が支え合う。

 私なんかのために命を捨てないでと叫ぶと、彼らは笑って頭を撫でる。



「お嬢はほうっておくと、いつも絵を見て泣いていたからなぁ。いいかげん、笑って過ごすべきですぜ」

「そうそう、なのにあっしらには無理に笑顔で接してくれてさ」

「虐げられた俺達の隊ですら、明るく照らしてくれたんだ。陽の当たる世界に戻りゃ、一体どれだけの人を救ってくれることか」

「いい機会だ、親に反抗して家出をしてきなよ。それが普通の娘ってもんさ」


 一撃、二撃と蛇の巨体が陣を揺るがす。一人が倒れそうになると二人が支え、三人が肩を組む。


「やめて、私はもう家族を失いたくないの。それに私にここまでしてくれる価値なんてない!」

「それだ、こんなあっしらを家族と呼んでくださる。まったくお嬢のせいですよ、その声を聞くだけであなたを家族と思い込んでしまったのだから――」


 ついにみんなは床に倒れ、私だけが残っていた。

 守れなかったのは私のせいだ。

 みんなは分かっていた。

 アサグ様に遠慮をしていた私が、

 本気で立ち向かう事なんてできないと――。


 私は心のにある境界線を、自分がまたぐのを感じた。


「……アサグ様、お世話になりました。これよりサリーヌは神殿をでます」

「そうか」

「力を示すことはできません。ですが、私の家族や友を奪うなら、全力でお相手いたしましょう」


 私の言葉を聞いてアヌーシャ隊のみんなが立ち上がり始める。こんどは円陣ではなく、横列を作りアサグ様に剣を向けたのだ。全員の目に力が宿るのを見て、私は我儘を押し付ける。


「みんな、力を貸してくれる?」

「もちろんでさ!」


 そしてアサグ様は――何もしなかった。背を向け広間をゆっくりと離れていく。驚く私達に声だけが響く。


「よろしい、未熟ではあるが力を認めましょう。だが我は間違いなくそなたの友と家族を殺すでしょう。次に会う時は殺し合いだと覚悟しておきなさい」


 こうして私は陽の当たる世界に帰ってきたのだ。

 ただ、アヌーシャ隊のみんなも連れて行こうとすると彼らは首を横に振った。


「お嬢も知っているように、病に爛れ、体を欠損したあっしらに生きる場所を与えてくれたのはアサグ様だ。それにお嬢を手放すことになった以上、あっしらはもう少しあの方の許にいて見極めたいんです」


 アサグ様が我らを駒としか見ていないのか、それとも憐れみをもって居場所を作ってくれたのか――そうみんなは口にした。

 そういえばアサグ様は言っていた、手足がなく醜い蛇が眷属なのだと。それに巣立ちと言ってくれたのは、もしかすると私達を家族として見ていてくれたのかもしれない。もっとも、殺すつもりは本気だったとしてもだ。きっと、あの方は常人は違う思考で動いているのだろう。


「分かった。でも必ずみんなを迎えにいきます。私の力が成長してみんなを癒せるようになるまで待っていて下さい」


 私は少ない荷物を行李にいれて、アヌーシャ隊の宿舎を出る。クルケアンに包まれているような暗い大神殿から陽の当たる下層に出る時、そこに猊下が立っておられた。


「サリーヌ、アサグによればお主の力は未熟ということだ。だが、近しいものを感じたらしい」

「……アサグ様もそうでしたが私を誰かと重ねていませんか? それに未熟と言われましてもいったいどこまで成長すればよいのでしょう」


 家出をする娘としてはおかしな質問だったかもしれない。親に向かってどこへ行けばいいと聞いたのと同じなのだから。


「そうだな、国を率いるほどに成長せよ」


 私はちょっと、いやかなりびっくりした。あの恐ろしい猊下がこんな冗談を言う方だったなんて。だが、その真剣な目を見て私は姿勢を正し、頭を下げてこう言うのだ。いや、これも家出娘としてはおかしいのだろうけど。


「お世話になりました。サリーヌ、行ってきます」


 これが下層の家であれば行ってらっしゃいと返されるのだろうか。それとも出て行け、と怒鳴りつけられるのだろうか。

 猊下は珍しく少し考えこみ、その後に少しだけ笑ったような気がした。それは私の勘違いだったのかもしれない。


 さて、行先は決まっている。レビやセトがいるあの学び舎だ。しばらくは内弟子と称してサラ導師の家に潜り込めばいい。少し図々しくなっている自分を、私は案外と気に入っていた。



〈トゥグラト、教皇の間で〉


 トゥグラトは目を瞑り過去を思い出す。

 絶望的な状況下で人心を失わず、民を率いてこのクルケアンの城壁に立ち向かったヒトのことを。


「サリーヌ、お前があの者と同じ存在であることを願おう。なれば、我はあの力を我がものとし、広寒宮に攻め上ることができる」


 トゥグラトは思う。

 サリーヌは自分を恨むだろうが、果たして自分を殺すことができるのかと。

 なぜならば、あの者も命が尽きる前にこう言ったのだ。

 あなたも誰かを愛しなさい、と。

 

「獣の力、ヒトの力。どちらが勝つか。王妃よ、お主に見せてやろう――」


 そういってトゥグラトは豪華な椅子に座ったまま眠りに落ちていった。

 それは、往時の夢を見たかったのかもしれない。

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