第50話 少女の絵

〈サリーヌ、サラ導師の指導を受けながら〉


「サリーヌ、お主の力は人を救うことができる」


 サラ導師にそう言われた時、私は久しぶりに取り乱していた。

 ……最初に取り乱したのは、魔障に倒れ記憶を失くした時だ。私は目覚めた孤児院でいるはずもない家族の幻影を見て泣いた。次は初めての訓練で魔力が暴走し、体が悲鳴を上げた時だ。


「魔力を制御できないというのは、祝福を受け入れ損なったのでしょう。そのような半端者はアヌーシャ隊にふさわしい」


 訓練の後、アサグ神官が私をアヌーシャ隊付きの神官に命じた。恐ろしい敵が迫ったとき、自爆覚悟で魔力を暴発させるのが役目らしい。でも盗賊を退治するときも、反逆者を討伐するときも、アヌーシャ隊のみんなが私をかばうように戦い、そして生き延びてきた。


「お嬢、無理をしてはいけませんぜ。その力はあっしらが倒れた時に使ってくだせぇ」

「……無理をしているのはあなた達でしょうに」

「戦ってやつは王様が負ければ終わりですが、負けなければ終わりじゃないでさ。だからお嬢だけはアヌーシャ隊でお守りしやす」


 団員たちはそううそぶいて、いつも私の代わりに傷を引き受け盾となる。……幼い頃から可愛がってくれた、嘘をつくのが下手な大切な仲間達。彼らに対して私は何もできなかったのだ。

 だが、この力があればみんなの役に立つことができる。本当の家族になり、そこに居場所を作ることができるのかもしれない。呪われた力に祝福が宿ったようで、私はとても嬉しかったのだ。

 そして私と同じくセトも取り乱していた。印の祝福の力に何か反動があったのだろうか。涙を流して呆然としている。サラ導師が平手打ちをしてようやく我に返った。


「あれれ、サラ婆ちゃん、何がどうなったの?」

「やれやれ、力を御すことができないのはサリーヌもセトも同じか」


 セトの印の祝福、赤光を帯びた魔力は憎むべき魔獣の力とも言われている。力の解明と監視の任を受けた時、私は彼に近しいものを勝手に感じていた。忌むべき力を持った少年はどれだけ悩み、嘆いているのだろうかと思っていたのだ。

 でもセトは赤光の力を持っているにもかかわらず、いつも笑顔で多くの友人に囲まれていた。自分と違う姿に失望はしたが、羨ましいと思ったことはない。……それは遠い世界の出来事のようだったから。彼は陽の当たる場所で、私は路地裏で生きているのだ。人は自分にとって現実的でないことは美しい絵画のように見てしまうのだろう。


「サリーヌ、その力は私に近いものがある。おそらく私ならその力の使い方を指導できるだろう」


 サラ導師にそう言われた時、私の何かが崩れたような気がした。力の使い方を覚えれば、私も陽の当たる場所で生きることができるのだろうか。アヌーシャ隊の仲間も引き連れて空を見上げて暮らすことができるのだろうか。


「……心は定まっております。ですが、神殿に仕える身として猊下の許しを得てからでもよろいしいでしょうか」

「構わぬ。ならばトゥグラトにこうも伝えよ、サラは後継者を見定めたとな」


 深く一礼をして、私は大神殿へと向かうために学び舎を後にした。未来が手に入る喜びに足取りはいつになく軽い。寄り道がてら、暖かな風に流されるように見晴らしのいい外壁に腰をかける。

 街には働きに出た人や子供達が帰宅を急いでいた。当たり前のその光景に、私や仲間もすぐに入っていけるような気がして、鼻歌を唄いながら足をばたつかせる。何の歌かは知らないが、幼い頃から自然に口ずさんでいたものだ。その時の記憶を思い出せないかと目を閉じていると、風が吹き、暗くなったことに気付いた。大きな雲でも流れているのだろうか。


  ……おや、子供のような声が聞こえる。

 どうやら私の鼻歌に合わせているようだ。


 愛しい我が子よ

 カルブ河のように穏やかに

 眠気をもよおした小鹿のようにその瞼を閉じていて――


 この辺りの子供だろうけど、この歌の名を知っているなら教えて欲しい。でも目を開けて声の方を振り返っても、そこには子供はいなかった。そのかわり家よりも大きい竜がいた。不思議なことに驚く気持ちはなく、自然に竜を受け入れてしまう。やがて竜が頭を下げ、続きを唄えと催促するように喉を鳴らした。


「君が唄っていたの? まさか、そんなはずはないよね」


 竜の頭を撫でると甘えるように摺り寄せてくる。そして竜が這いつくばると、その背には騎士が手綱を握ったまま困った顔をしていた。


「バルアダン殿! もしや私の唄を聞いていたのですか!」

「……すまない、聞くつもりはなかった。このタニンの調教をしていたら、手綱を無視してここまで連れてこられたんだ」


 恥ずかしさで真っ赤になる私に、生真面目な騎士は心底すまなそうな顔で頭を下げた。抗議をしたいのはやまやまだが、調子に乗って唄っていた私が悪いのであって、何も彼が盗み聞きをしたわけではない。彼は彼で、沈黙する私を怒っていると思ったのか、しどろもどろに何か謝罪の言葉を口にしている。それっきり無言となった私達であったが、竜が呆れたように首をもたげ、そして私の襟を噛んで背中に引っ張り上げた。

 すとん、と落ちた先は鞍で、騎士に背中を支えられるような態勢だ。先ほどとは別の意味で顔を赤らめる私に、騎士はやはり生真面目に竜の行動の意味を教えてくれる。


「どうやらタニンは君を乗せて飛びたいようだ。先の謝罪もかねてクルケアンを一周させてくれ」

「い、いえ、私は謝罪なんて結構です」

「すまない」

「だから謝罪は不要だと……」

「いや、今度はタニンのわがままに対してだ。この竜はどうしても君と飛びたいらしい。さぁ、手綱を握って、振り落とされないように――」


 バルアダン殿が言い終わる前にタニンは空に舞い上がり、ものすごい速さでクルケアンを一周し始める。肺が押しつぶされるように感じ、息苦しくなる。


「体重は私に預けて、口ではなく鼻で少しずつ息を入れるんだ。……そう、吸うのではなく通す感じで」


 呼吸が楽になり、ようやく落ち着いて目を開ける。そこには夕暮れの階段都市が広がっていた。


「なんて綺麗……」


 タニンがちらりとこちらを見て私の様子を確認すると、街の上をゆっくり旋回し始めた。眼下には多くの人がこちらに手を振ってくれている様子が見て取れる。


「みんながあなたに手を振っていますね」

「私じゃないだろう。大きい飛竜が珍しいだけさ」

「魔獣を倒した若い英雄の噂は神殿にまで伝わっています。民の期待に応えるのも騎士の役目でしょう? ほら、手を振って応えてあげてください」

「こ、こうかな」


 バルアダン殿は固い笑顔を作り、ぎこちなく手を振っている。街の大人は笑顔で、そして子供達は憧れの目で大きく手を振り返していた。やがてタニンが大きく羽ばたき、一気に高度を上げると大きな歓声が上がる。

 タニンはクルケアンを一周し、上層の手前の百九十層に降り立った。ここは飛竜騎士団の本拠地でもあり、私としてはいささか居心地が悪い場所だ。タニンの首を叩き、最下層まで降りてもらおうとするが、この竜は悪戯気に笑って、そのまま寝始めたのだ。だが、ちらりちらりとこちらを見る限り、明らかに狸寝入りだ。


「タ、タニン? なんでわざわざここに降ろしたの。ちょっと、寝たふりなんかしないで――」


 タニンの首を必死に叩き続けていると、騒ぎを聞きつけた一人の騎士が駆け付けた。視線が私とバルアダン殿の顔にいったりきたりしている。やがて、その騎士は大きな声で仲間を呼んだのだ。


「大変だ、みんな来てくれ!」


 しまった、やはり来るべきではなかったのだ。いつでも剣を抜けるように身構える。


「バルアダンの奴が、訓練をさぼって逢引きをしてやがった! しかもとびきりかわいい子だ!」

「えっ?」


 たちまち大勢の騎士に取り囲まれ、口々に囃し立てられる。無礼で野卑な物言いだが、怒る気にはなれない。なぜなら隣のバルアダン殿が私の名誉を守ろうと、弁護をしてくれているからだ。その必死な、意外と幼さを残す顔を見ていると、市民の英雄が急に身近な存在になったような気がして、つい笑ってしまうのだ。騎士達もつられて笑い出し、バルアダン殿一人が憮然として立っている。

 やがて騎士の中で一番存在感のある男が手を叩き、馬鹿騒ぎを鎮静させる。そしてバルアダン殿の肩を叩き、私を大塔まで案内するように命じた。


「タニンとの調教がうまくいかないのは、このための言い訳か。だが次はばれないようにうまくやれよ? 逢引きと言うのは暗くなってからするものだしな」

「フェルネス隊長、冗談はやめてください!」

「やれやれ、この甲斐性なしめ。これは剣だけでなくそっちの道も教えないといけないな」


 追い払われた騎士達が、隊長こそ教わらないと、とか、片想いは辛いですね、とか口々にからかいはじめる。本気で拳骨を握った隊長が彼らを追いかけていき、私とバルアダン殿だけがそこに残った。


「すまなかった。騎士達は訓練ばかりで娯楽がないものだから、何かあるとさぼるために騒ぎ始めるんだ」

「……それではクルケアンの平和も危ういですね」

「ともかく大塔に送ろう。そのまま大神殿に行けるはずだ」


 バルアダン殿の丁重な案内を受け、私は百九十層を後にする。猊下に報告する前にアヌーシャ隊の宿舎に戻り儀礼服に着替えた時、仲間がからかうように話しかけてきた。


「お嬢、街中で噂になっていますぜ」

「噂って?」

「あの英雄バルアダンが、お嬢を竜に乗せて飛び回ったって」

「……」

「背中にゃ気を付けてくださいよ。バルアダンに恋する若い娘は多いんです。いや、若い子から老婆まで、みんなあの男を目にすると惚れちまう。きっと明日には嫉妬で街は溢れているに違いない」


 どうやらクルケアンは娯楽に飢えた男と嫉妬で盛り上がる女で溢れているらしい。すでに平和は失われていたのだと実感し、悟り顔でその場を離れようとする。


「何もそんなに急がなくても。あぁ、その赤い顔を隠しちまいたいんですね」

「からかうのはやめてくださいっ!」

「……ではからかいではなく、皆の想いを伝えましょうか」

「どうしたの?」

「お嬢、陽の当たる世界に帰りなさい。あっしらに気兼ねしてこんなところに残る必要はないんでさ。……お嬢が幸せになることがみんなの願いなんです」

「もう、何を言うのかと思えばそんなこと」

「そんなことじゃないんです、これは――」


 私が魔力を制御できるようになったら、仲間を癒して全員で陽の当たる場所へいけばいい。だから心配をしないで、と伝えようとした時、別の仲間が息せき切って走ってきた。


「お嬢、牢屋にぶち込んだ、シャヘル神殿長が一大事です!」

「まさか、また裁判もなしに殺されたというの?」

「……牢屋は空になっていたんです。そしてアサグ神官に奴の持ち物を処分するように言われて、神殿長の部屋に行ってきたんですが――」


 仲間は薬草の束とぼろぼろになった絵を持っていた。


「この絵、幼い時のお嬢にそっくりだ。それに部屋中にあった薬草……お嬢が言っていた、記憶に残っている世話になった薬師の神官って神殿長のことなんじゃぁ――」


 私はその絵を奪うように手に取った。だけど、怖くてそれを正視できない。もし神殿長があの時の薬師様ならば、私は恩人を牢に入れてしまったことになるからだ。そんなはずはないと思いつつ、震える手で絵を目の前に持っていく。


 寝台から身を起こして笑う幼子が描かれていた。

 笑む絵を描いたのは、おそらく病床のその子の側にいた人だろう。

 その人は魔障で苦しむ私に、薬草を煎じてひと時の安らぎをくれた人。

 

 私の恩人である薬師様だった。



 絵を握りしめ、私は駆け出していった。アサグ神官や猊下の許ではない。今、私が一番頼りにしたいサラ導師の許へ向かったのだ。

 三十三層の学び舎に着き、露台バルコニーからサラ導師の部屋を訪ねようとした時、ダレト神官の部屋の扉が開いていることに気付く。風が吹き、手にしていた絵が隙間から部屋に入り込んでしまう。慌てて部屋に入ると、私はそこで見てしまったのだ。


 そこには幼子の肖像画があった。

 薬師様が描いたのだろう、私が持っていた絵の幼子と同じ顔だった。

 

 その時、心に落雷が落ちて来たような衝撃を受け、精神の泥海に深く沈んだ記憶が浮かび上がる。


「……苦しいかい? もう少し頑張るんだよ。この薬湯を飲めば、少しだけだけど痛みを抑えられるからね」


 薬師様の言葉が頭をよぎる。


「寝ているばかりではつまらないって? 何処かへ行くにも君は寝台から動けないからなぁ。……よし、絵を教えてあげよう。それならどこへでも行けるし、誰とでも会えるから」


 薬師様は幼子に絵の描き方を教えていた。


「家族の絵かい? 会ったことはないけど、きっとお兄さんかな」


 幼子は頷いて、少年の絵を薬師様に得意げに掲げた。


「よし、なら私は君の絵を描いてあげる。次にそのお兄さんが来た時に渡してあげなさい。そうすれば君も、お兄さんも寂しさを紛らわすことができるだろう」


 描きあがった絵を見て幼子は喜び、胸に抱きしめていた――。


 記憶の回廊で、私は浮かび上がった光景を眺めながら呆然と立ち尽くす。


 やがて雨音が聞こえだした。

 きっと外では雨が降り始めたのだろう。

 私はその音で泣き声をごまかすかのように泣き続けた。

 

 その涙は上層から爆発音が響くまで止まなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る