第35話① イグアルの誓い

〈イグアル、百層の大廊下にて〉


 子供達を止めようと百層に赴いた私とタファトだったが、運悪く巡回の騎士らしい人物に見咎められた。こちらは悪いことをしているつもりはないが、神殿の許可なく百層に向かっている子供達が見つかれば厄介だ。どう言い訳をしようか考えていた時、騎士が飛竜騎士団を名乗っていた事に気付く。それなら友であり、騎士団で出世しているフェルネスの名を出せば悪いようにならないだろう。


「飛竜騎士団の者か。私はフェルネスの友人で、イグアルという。すまないが訳あってここにいる理由は言えないんだ。後で奴に聞いてくれ」


 友人の立場を利用するようで悪いが、いつも私の家から酒瓶をくすねている報いだと思ってもらおう。我ながら完璧な対応だと思ったのだが、タファトは少し呆れたようにこちらを見ている。何か受け答えを間違えたのだろうかと考えていると、騎士がさらに詰め寄ってきた。


「貴方がフェルネス隊長と友人である証拠はありますか? また友人であったとしても事情を説明しない理由にはなりませんぞ」

「あ……いや、それは……」

「それにフェルネス隊長の名を出したのです。それが虚言だと分かればどうなるか……覚悟があってのことですな?」

「わ、私は本当に友人なんだ。小さい頃からの付き合いで、そう、あいつが飛竜騎士団に入る前からの――」


 騎士の目が険しくなり、やっと自分のうかつさに気付く。考えてみれば友である証拠など自分の記憶しかないではないか。精神の内にある魂、そこに刻まれた記憶を差し出さない限り嘘で誤魔化すしかない。さて、目の前の騎士は融通の利かなそうな印象だが、職務に忠実な見習い騎士といったところだろう。世慣れぬ若者の一人くらい何とでもなるはずだ。


「実は迷子の子供達を探しているんだ」

「なぜ迷子なのに百層に来ると知っておられるので? 行き先がわかっているのなら迷子ではないでしょう」

「……」


 エルシャ達のことはあまり大きな問題にしたくない。許可なく百層に忍び込んで観測し、あまつさえそれが巡視の兵に咎められれば牢屋で反省するだけでなく、星祭りの参加資格も失ってしまうのだ。どうにかしてこの場を切り抜けられないかと考え、最後に縋るようにタファトの方を振り返る。そしてようやく彼女の後ろに目つきの鋭い男が立っていることに気付く。権能杖を持っている黒ずくめの男と騎士を名乗る男……嘘をついていたのは彼らの方だったのか。


「タファト、離れるんだ!」

「ま、待て、ここで騒ぎを起こすな」

「君は本当に飛竜騎士団か? 恐らくアサグの機関あたりの刺客だろう。この評議員であるこのイグアルの命を狙うとは、とうとうたがが外れたと見える!」

「評議員のイグアル?」


 私は自分とタファトを守るために権能の腕輪に魔力を込める。水刃で切り抜けるか、相手の顔に魔力を付与した水を張り付かせて逃げようか、と思った矢先、神官の権能杖でしたたかに腕を打たれた。込めていた祝福の力がはじけ飛び、全員水をかぶったようにびしょ濡れになってしまう。そしてそれまで事態を見守っていたタファトが腰に手を当てて全員を一喝した。


「みなさん、ちょうど水をかぶったことだし、頭を冷やして落ち着きましょう。力に訴える前に話し合う余地はもっとあったはずです。……それにイグアル、あなたも悪いのよ」

「わ、私かい?」

「最初から評議員を名乗って祝福の力を見せれば立場の証明ができたでしょう? フェルネスに面倒ごとを押し付けようとしたり、中途半端な嘘をついたりするから疑われるのよ」


 そういえば、騎士との問答が進むごとにタファトが厳しい目つきになっていたことを思いだす。はぁ……なんで私は彼女の前で恰好をつけられないのか。これではまたフェルネスに笑われる。


「みなさん、失礼しました。私は導師のタファト。せめてものお詫びに服を乾かすことぐらいは致しましょう」


 そう言ってタファトは祝福の力を掌に取り出し、熱がこもったその光を拡散させた。彼女の祝福に包まれ、あっという間に服の水分が蒸発する。


「……改めて名を名乗ろう。私は評議員のイグアル。こちらにも事情があるが、君達も同じようだ。少し遅くなったが、よければ話し合わないか?」


 双方の事情や立場が相反するときには戦いとなるだろう。目の前の騎士はともかく、殺気を隠そうとしない神官はその覚悟を持っているはずだ。その時には子供達が巻き添えになる前に打ち倒すしかない。なぜならここへ来る前、タファトの家を訪ねた時に彼女に共に子供達を守ろうと誓ったばかりなのだから。


 あの時、少し気負い立って戸を叩いた私を、タファトはからかうような目をして迎え入れてくれた。


「イグアル、何かいいことがあったの?」


 彼女はそう問うが、私の方が彼女に対してそう思っていた。エルシャ達が彼女に師事するようになってから彼女はとたんに明るくなったのだ。飾り気のない彼女の私室に案内され、出された香草入りの茶を飲む。彼女の机の上には子供達の学習計画や、宿題の一覧などが置かれている。もう大丈夫だ、と私は感じた。


「十年前に君と約束したことがあったね。それをもう一度相談しに来たんだ」


 茶杯を取った手が固まり、彼女は静かに私の顔を見つめてくる。


「前と同じく、私としては神殿と対立してほしくない」

「……あなたの想いは分かっている。でもあなたの犠牲の上に私の生活が成り立つのは嫌なの」


 彼女の顔が少し曇る。この十年、サラ導師と共に神殿の暗部を調査してきた。アサグ機関らしき者に尾行されたり、評議会で無関係な醜聞で批判されたりもしてきた。襲撃を受けていないのは、ひとえにクルケアン最強の導師であるサラ殿が睨みを利かせているからだ。こちらに手を出せば実力でクルケアンを潰す、との彼女の言葉は脅しではなく実現可能な予告である。だが、いつかは時勢の均衡が崩れるからこそ、これまでタファトを巻き込めなかったのだ。


「……イグアル、姉さんは最後までダルダさんと一緒に行動していた。私にはそれがうらやましいの。私だってあなたを手伝える、一緒に歩くことができるはずよ」


 少し目を伏せて、だが、十年前より落ち着いた声で彼女はそう告げる。取り乱していた過去と違うのは、守るべきものができたからだろう。教え子のためにも彼女は過去ではなく未来を見ながら戦うことができるはずだ。


「あぁ、私と一緒に戦ってくれ、タファト。ただし、一緒に誓いをしてくれないか」

「……誓い。ええ、もちろんよ、イグアル」


 タファトが上気した顔で私をじっと見つめる。美しいその顔は十年前に一目惚れした時の彼女に重なっていく。


「私は君に誓おう。私達の教え子を、二人で何があっても守り切ると」

「もちろんよ、ええ、もちろんだわ、イグアル。でも他に誓いはないの?」


 はて、何か言葉が足りなかったのだろうか。タファトは戸惑った後、少し不機嫌になる。そして私が他に言葉をかけてくれるのを待っているようなのだ。


「ええと、他には……そうだ、荒事はしないでくれ」

「それだけ?」

「な、なら、互いの危険が分かるように君の祝福を込めた道具を共に持っておこう。それなら何かあっても駆け付けることができる」


 思いつく限りの言葉を並べてタファトの様子を探る。彼女は、あなたらしいわ、と呟いて私の手を取った。

 

「私も誓うわ、イグアル。何があっても子供達とあなたを守ること。荒事はできるだけしないこと、そしてあなたに祝福を込めたこの指輪を渡すから、危険な目にあえばすぐに駆けつけてあげることをね」


 何だか誓いの内容が少し変わっているような気がするが、タファトの機嫌が直ったので良しとしよう。そして彼女は恐らくダルダさんの遺品だろう、古い指輪を手に取り私の指に嵌めてくれる。左の薬指に嵌めたのは、この指が心臓につながる太い血管を持っているためだろう。魔力は魂の力であり、その魔力が肉体をめぐるために血が存在する。互いの魔力を把握するためにはこの指が最適な場所なのだ。


「君の姉さんの指輪はあるかい?」

「ええ、もちろんよ。ただ、これは二人の大切なものだから、平和になったら外さないとね」


 そしてタファトは指輪を私に預け、そっと薬指を差し出した。私は彼女の手を取り、祝福を込めた指輪を彼女に嵌める。そして心の中で彼女の姉夫婦に別のことを誓う。


 今はこの指輪をお借りします。

 いつの日か目的を果たし、

 違う指輪を彼女に送るまで彼女を守り切ると誓います。


「その日が来るまでタファトを見守っていてください――」

「イグアル、誰に話しているの?」

「え、いや、何でもないんだ。考え事をしていてうっかり口に出してしまっただけさ。……ところで私の独り言、どこからどこまで聞いたんだい?」


 タファトは動揺する私に向けて、さぁ、どうかしらね、と言って笑うのだった。私は冷や汗をかきながら追及をしようとした時、突然タファトが立ち上がった。


「大変、ガド達がどんどん上の層へ行っているわ!」

「どうして分かった?」

「学び舎の古い角灯ランプにこっそり私の祝福を込めておいたの。最近、エラムという子が不自然な様子で観測機の構造を調べていたから。……隠れて行動したということは下層を抜け出すつもりかしら」

「資格がない者が許可なく百層を越えればしばらくは牢屋行きだ。彼らは今、どのあたりまで登っている?」

「今、南の大塔で六十層あたりね。上へ上へと移動しているのは観測のためでしょうけど」

「その大塔なら俺の管理じゃないか。……しまった、調子に乗ってエル嬢ちゃんに教えすぎたか。こいつは私の責任でもあるし、捕まえて説教をしてやろう」


 私が大塔でエルシャの魔力の流れを確認すると九十層で降り、小塔に乗り換えていることが分かった。あの小塔で行けるのは九十九層までだ。しかし、九十九層は大廊下の真下のため、外縁部は崖のようになっており、観測には適さない。


「……タファト、彼らは外壁沿いに百層へ登るつもりだ。中層に行く許可が出ないのを知っていて九十九層から忍び込むつもりだろう」



 ……そして私たちは浮遊床で直接百層に先回りをした後、兵士の誰何を受けたのである。落ち着いて話してみれば何のことはない、セトの兄代わりの騎士と神学の先生であった。バルアダンとダレトという名を聞けば、私やタファトにも思い至るところはある。騎士になって早々に魔獣を二体も屠ったバルアダンの名はもちろん知っていた。だがもう一人のダレト……彼の名はセトの指導役である以外に、どこか耳にしたことがあるのだ。


「ダレト、君はもしかしてサラ導師の弟子ではなかったか?」

「……三月みつきほど魔力の指導を受けただけです。才能もなく早々に逃げ出しましたよ。珍しい名でもないし、きっと他の神官とお間違いになったのでしょう」


 十年前、サラ導師が指導をつけていた少年がいた。家族を亡くし、神殿に対する恨みを隠そうともせず訓練に励んでいた様子を見たことがある。ニーナの仇を討つんだ、と叫ぶ少年の姿と神官が重なり、更に問い質そうとした時、タファトがその祝福の力で子供達がすぐ下にいることを告げる。


 さて、まずは子供達を守るという誓いから果たしていこう。最初は説教から始める誓いも悪くない。願わくば、これであの子達がおとなしくなってくれますように。



〈後日譚〉

 あの百層の騒動から少し経ったとき、友人であるフェルネスと観測官のアバカスが駆け込んで来た。どうやらタファトが指輪をしているのを見て勘違いをしたらしい。私が嵌めた指輪を見て、彼らは大いに頷いて高そうな酒を食卓に置き始める。彼らの誤解を解いて、さて美酒を楽しもうとすると、頭に拳骨を二つ喰らったのだ。抗議する私をしり目にフェルネスが酒瓶を奪い取って言う。


「平和な時代を待つだって? 白髪になってからタファトに求婚するつもりか?」

「おいおい、さすがにそこまで待たすつもりはないぞ」

「あのなぁ、俺らはお前の求婚が成功するか、失敗するか十年も賭け続けているんだ。はやく結論を出してくれ」

「……失敗に賭けている奴はどっちだ?」


 フェルネスはアバカスを指さし、アバカスはフェルネスを指さす。いつから友情の言葉の意味が変わったのだろうか。それとも彼らの友情感こそがクルケアンの常識とはかけ離れているのだろうか。

 痛む頭を押さえる私にアバカスが、賭けに負ければ祝い金とし、負ければお前の金でやけ酒に付き合うのだ、と笑う。そして二人は家にあった私の酒瓶まで手に取り、家を出ていこうとした。追い払うように見送る私だが、フェルネスが帰り際に言った言葉が気にかかった。


「想定より早いんだ、イグアル」

「何だって?」

「恐らく二月ふたつきとはかからないかもしれない。動乱の時代が始まる前に求婚をしておいてくれ」


 そういって友人達は二月ふたつき後の結果をどちらに賭けるか話し合いながら去っていくのだった。



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