第864話 治安部隊


 カグヤのドローンがエレベーターの操作パネルに接続すると、独特の浮遊感に包み込まれていく。すぐにその感覚は消えていったが、従来の方式で動いているのではなく、〈重力リフト〉の技術が使用されていることが分かった。


 それはあまりにも速く、そして不自然なほど滑らかな動作で――まるで空間そのものがひとつの塊になって移動しているかのような感覚だった。目的の階層に到達したときも、ただ短い電子音が聞こえて扉が左右に開いていく。


 扉の向こうには殺風景で無機質な廊下が真直ぐ伸びている。布地が使われた壁面パネルはほとんど装飾がなく、広告を垂れ流すホログラム投影機も見当たらない。廊下の左右には一定の間隔で扉が設置されていて、青色のホログラムで部屋番号が浮かび上がっている。


 人工島の騒がしいカジノホテルと比較すると、無駄がなく洗練されているが、暖かみや生活感がほとんど感じられない。まるで監獄のように冷たい。けれど施設で働く技術者たちにとっては理想的な環境だったのかもしれない。静かで、余計なものがなく、疲れた頭と身体を癒すのに最適の場所だ。


 拡張現実で視界の先に浮かんでいた地図で部屋番号を確認すると、目的地まで誘導する青いラインが足元に表示される。それに従って進んでいく。廊下は静まり返っていて、機械人形の動作音しか聞こえてこない。背後に視線を向けると、廊下の照明が消えていくのが見えた。管理システムによって徹底的に無駄の排除が行われているのだろう。


 テンタシオンが機械人形に指示を出すと、警備用の〈アサルトロイド〉は短いビープ音を鳴らしながら先行し、部屋の周囲に脅威が潜んでいないか確認する。


 青白い照明に浮かび上がる閉塞的な空間を機械人形が進む光景は、まるで兵隊が規則的な歩調で行進するのを見ているようだった。機械的で冷徹な動きの中に、たしかな威圧感が潜んでいる。この空間に漂っている奇妙な雰囲気と相まって、空気が張り詰めていく。


 警戒しながら進むが、脅威になる存在は確認できなかった。先行していた機械人形たちのセンサーでも異常は見つけられず、すんなりと目的の部屋にたどり着くことができた。これまでの道のりが困難だったということもあって、肩透かしを食らったような感覚になるが、本来ソレが理想的な状況だった。


 金属質の紺色の扉の前に立つ。どうやら生体認証で扉が開くようだ。カグヤのドローンに操作してもらい扉を開放することにした。短い電子音のあと、部屋番号を表示していたホログラムが〈おかえりなさい〉に変わり、無音で扉が開くのが見えた。


 室内の淀んだ空気と廊下の冷たい空気が混じり合い、わずかにこもったようなホコリの臭いが漂う。その中には、微かなカビの臭いも感じられた。


 テンタシオンはすぐに機械人形に指示を出すと、数体の〈アサルトロイド〉を連れて室内のクリアリングを行う。手早く安全確認を済ませると、廊下に残りの機械人形を待機させ、いよいよ室内の探索を行う。


 薄暗い玄関の先に、間接照明でぼんやりと照らされた細長い廊下が見えた。その廊下の左右には扉が並んでいるが、いずれも空っぽの部屋だった。廊下の壁や天井は白いパネルに覆われていて、灰色の石目調のタイルが敷かれた床には汚れひとつない。


 廊下を進んでいくと、リビングと思われる広い空間に出る。まず目に入ったのは、部屋の中央に設置されたテーブルと、その上にポツンと置かれたコーヒーカップだった。カップには薄っすらとホコリが積もっていて、ずっと放置されていたことが分かる。急いで出て行ったのだろう。


 いくつかの家電製品が確認できるが、ここでも生活感はほとんど感じられなかった。ほとんど眠るためだけに使われていた部屋だったのだろう。


 その部屋のどこにも窓が見当たらず不自然だったが、その理由はすぐに明らかになった。情報端末を探しながら歩き回っていると、素通しのガラスのように壁の表面が透けて、外の景色が見えるようになった。もっとも、街は霧に包まれていて何も見えなかった。すぐとなりに立つ高層建築物の輪郭が、かろうじて認識できる程度だった。


 じっと外の様子を眺めていると、何か異様な――世界から隔絶されたような雰囲気が漂い、都市全体が現実とは少しずれた場所に存在しているかのように感じられた。


 そのまま探索を続け、いくつかの情報端末を発見した寝室を調べているときだった。廊下に待機していた機械人形から警告を受信する。内耳に短い通知音が聞こえると、拡張現実で脅威の接近を知らせる複数の警告が浮かび上がる。


 データパッドを素早く回収し、静寂をかき分けるように廊下に向かう。薄暗い廊下の先に姿を見せたのは、都市の治安維持を目的とした組織に所属している数名の隊員だった。といより、その成れの果てだった。不自然な歩き方で人形のようにぎこちない。目的は感じられず、フラフラと足を引きずりながら、ただあてどなく徘徊している。


 白を基調とした戦闘服に、黒のボディアーマーを装着しているが、顔の皮膚は垂れ下がり、半ば腐敗し黄土色に変色した肉が露出していた。眼球は白濁していて視線は空虚で、自意識が完全に失われていることが分かる。


 レーザーライフルを手にしていたが、ほとんど関心がないのか、銃口を引き摺るようにして歩いている。その動作に生命らしさは見られず、今や本能によってのみ突き動かされていることは明白だった。ライフルの銃口がカチャカチャと床に当たり、微かな金属音が響き渡る。


 その隊員のひとりが金属質のバックパックを背負っているのが見えた。攻撃支援用のドローンを運んでいるのだろう。


『人擬きだけど、戦闘用のサイバネティクスで身体改造してると思うから、ちょっと厄介な相手になるかも……』カグヤはそう言うと、接近してくる個体をタグ付けしていく。


 かつて浮遊島の治安を守ってきた部隊は、今や都市に新たな恐怖をもたらす存在に成り果てていた。〈アサルトロイド〉は脅威の接近に素早く反応し配置につくと、人擬きとの戦闘を開始する。


 すぐさま暴徒鎮圧用の装備を起動し、〈ゴム弾〉と低出力のレーザーによる攻撃が行われる。短いビープ音のあと、ゴム弾が発射され、レーザーの光線が赤色の閃光を描きながら敵に向かって一直線に飛んでいく。


 低出力のレーザーは敵の動きを制限し無力化する目的で使われる。しかしそれらの攻撃は、薄い膜に阻まれるようにして無効化されてしまう。ゴム弾は直撃する寸前ではじかれ、レーザーはハニカム構造の膜の表面を滑るようにしてれてしまう。


『シールド発生装置だ!』

 カグヤの言葉に反応して視線を動かすと、ベルトに長方形の装置を挿しているのが見えた。おそらく携行式の〈シールド生成装置〉を装備しているのだろう。どうやらソレは故障せずに今も機能しているようだ。機械人形の攻撃は完全に無効化されてしまう。


「たしかに厄介な相手だ……」

 技術解析の最前線でもあった浮遊島には、研究段階の多くの技術が流入していたのだろう。そのなかには〈異星生物〉の技術も含まれていて、〈デジマ〉の住民や治安部隊はその恩恵を受け、高度な装備を手にしていたのだろう。


 我々の目の前に立ちはだかる隊員も例外ではなかった。彼らが身につけていた装備は当時の技術を利用した高品質な代物で、実際に携行可能なサイズのバッテリーさえ搭載されていた。それは〈廃墟の街〉では手に入らない類の装備でもあった。そしてそうであるなら、隊員のひとりが背負っているバックパックにも何かしらの仕掛けがあるのだろう。


 すぐに機械人形を後退させると、テンタシオンと一緒に前に出る。人擬きの装備を無傷で入手できれば、今後の探索に役立てることができるかもしれない。

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