第862話 技術者〈データパッド〉


 大型多脚車両ウェンディゴは、白く濃密な霧に包まれた道路を静かに進んでいた。霧は辺り一面に広がり、視界はほんの数メートル先がぼんやりと見えるだけだった。人工知能が視覚情報を補完してくれなければ、周囲の状況を把握することさえ難しかったのかもしれない。


 時折、ホログラムが投影されているのが見えたが、その多くは避難指示と、都市のロックダウンに関係する警告表示だった。それらの警告の中には、行方不明者に関連する情報提供の案内も表示されていた。


 興味深いことに、楔形文字にも似た異種族の言語でも警告が表示されていた。〈データベース〉によって瞬時に翻訳されるため、それらの警告に違和感を覚えることはなかったが、それは〈廃墟の街〉では見られない光景だった。


 やがて深緑色の外壁を持つ建造物群が見えてくる。それらの建物は、まるで洞窟の中で自然に形成された岩壁のように不規則な形状をしていながら、どこか有機的な質感も併せ持っていた。生物の肌を思わせるような、ヌラヌラと濡れた外壁からは無数の管が突き出し、低い音を立てながら蒸気を噴き出している。


 その蒸気が霧となってこの浮遊島全体を覆っているのだろう。大通りを進むと、建物の形状はさらに異質さを増していく。それぞれが異なる形状でじれたりゆがんだりしていて、統一感があるのに不協和音を生み出していた。


 壁面を拡大表示すると、複雑に絡み合った半透明の管が張り巡らされていて、その管の内部を緑色に淡く光る不気味な液体が流れているのが確認できた。それらの管が振動すると、どこからともなく船の汽笛を思わせる重低音が聞こえてくるが、その音の正体は分からない。


 霧が深まり、異質な建物が密集する通りに入っていく。道路に面した建物には大小さまざまな窓があり、それらはまるで蜂の巣のように配置され、暗闇の向こうから〝何か〟が、じっとこちらを見つめているような錯覚におちいる。浮遊島に取り残された異星生物が、今もこの街を彷徨い続けているような錯覚が、薄暗い霧の中に独特な恐怖をもたらしていた。


 そのなかをウェンディゴはゆっくりと進んでいく。建物が不自然に並び、通りは次第に曲がりくねり、進むにつれてその不気味な雰囲気が増していく。


 居住区画までは、まだそれなりの距離があったので、その時間を利用して手持ちの情報端末を調べることにした。車両の操縦をAIエージェントに任せると、座席が並ぶ後部乗員室に向かう。重厚な金属パネルに覆われているが、壁が透けるようにして周囲の風景をリアルタイムで表示してくれていたので、狭く感じることはなかった。


 そこには座席だけでなく、簡易的な作業台も設置されている。ガラスを思わせる半透明な天板を持つこの作業台には、無数の装置が埋め込まれていて、端末のデータを瞬時に解析する機能を備えていた。


 そこに端末を並べていくと、作業台の天板が青い光を帯びていく。端末は作業台の磁場に引かれるように固定され、〈接触接続〉が自動的に開始される。


 天板に光の線が浮かび上がり、データの解析が行われていることを示すアニメーションが表示される。やがて端末に保存されていたファイルのリストが次々に表示され、そのうちのいくつかは〈閲覧可能〉のタグが付いていた。


 そのリストの中に〈自律思考金属体ナノメタルに関する研究〉というファイルがあるのを見つける。データの概要が表示され、ある程度理解が進むにつれて、ソレがただの金属ではなく、生命のような性質を持っていることが分かってくる。


 しかしファイルの内容は複雑で、分子レベルの働きに関する情報や、金属がどのようにして思考と判断を行うかについて詳細なデータが学術的な観点から因果関係が論じられるようになると、まったく理解が追いつかなくなる。


 作業台から投影されるホログラムで、ナノメタルがさまざまな形に変形している過程のシミュレーションが表示された。金属の表面に小さな粒子が寄り集まり、まるで生物が筋肉を動かすように、有機的な曲線を描いて動いていく。


 そこでこの金属が、〈異星生物〉の超技術によって開発されたものであり、極めて高い柔軟性と回復力を持ち、ある種の知能――あるいは、自我を備えていることが分かってきた。


 作業台のホロパネルに映し出されたファイルのリストから〈兵器技術〉に関する項目を選択すると、画面上に研究員によって記されたレポートが表示された。それは定期的に記録されたモノで、読み進めるごとに技術の進捗や、研究員の内面が垣間見えるような文体で綴られていた。



〈自律思考金属体の軍事応用について〉

>記録時期――Jun.15, ■■37/標準日時


 この金属――我々は〝ナノメタル〟と呼称している――は、従来の素材と異なり、自律的に形状を変化させる能力を備えている。ナノメタルは極小単位での再構成が可能であり、その特性を利用してスキンスーツの保護膜、さらには装甲板の改良に役立てられる見込みがある。


 初期のテストでは、ナノメタルを複合素材と組み合わせることで、強度を従来の十倍以上にまで強化できることが確認された。この数値は理論上のものであるが、実際の戦場においては充分な防御性能を発揮できるだろう。


 だが現状では製造コストが莫大であり、量産体制に入るには難しい。我々の計算によれば、仮に軍がナノメタルを正式に採用し、量産フェーズに移行したとしても、コストが劇的に下がることは期待できない。金属を構成するナノユニット自体が非常に希少であり、素材の精製に高度な技術を要するため、製造工程を見直す必要がある。


 もっとも、この素材の応用範囲は広く、今後の軍事技術に多大な影響を及ぼすことは間違いないだろう。理想的には、ナノメタルを使用したスーツを兵士の個人装備に採用することで、防御力を飛躍的に向上させることを期待している。また〈人工筋肉〉として利用することで、従来の義肢や有機素材よりも高い運動性を実現できると考えている。


 軍が我々の要求をすべて通すとは限らないが、この技術の発展を止めるわけにはいかない。日本の企業にツテのある研究員が何人かいることは知っている。彼らの協力が得られれば、研究がより効率的に進められる可能性がある。


 企業側と連携することでコスト面の問題を解消し、より多くの試験データを集めることができれば、ナノメタルは今後の軍事技術において革新的な変革をもたらすに違いない。


 しかしナノメタルには依然として未知の要素が多く、試作品において予想外の動きを見せることもある。自律的な変形は、場合によっては制御不能に陥るリスクもはらんでいて、安全性を確保するためには慎重な検証が必要だ。



 短い警告音が聞こえると、座席に設置されていたモニターに周辺一帯の汚染状況を知らせる通知が表示されていくのが見えた。環境センサーが自動的に侵入可能なエリアや汚染に関する警戒レベルをリアルタイムで更新してくれていた。どうやら高濃度の毒素が含まれる区画に侵入したようだ。


『レイ、そろそろ目的地に到着するよ』

 ペパーミントの声が聞こえると、探索の準備を進めることにした。必要最小限の装備に加え、建物の管理システムに対応するためカグヤのドローンにも同行してもらう。ペパーミントはウェンディゴに残り、遠隔操作での支援に専念してもらう。


「行こう、テンタシオン」

 充電装置に繋がれていたテンタシオンに声を掛けたあと、〈ハガネ〉の防護服を身につけながら搭乗ハッチを開放する。


『気をつけてね、ここは普通の廃墟じゃないから』

 ペパーミントの言葉にうなずくと、気を引き締めながら車外に出る。

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