第824話 駆除


 施設の防壁が見える場所までたどり着けたが、そこにはアルファが従える捕食者の群れが徘徊していた。拡張現実で表示される地図を確認すると、施設のセキュリティゲートに近づくには、やはり群れを掃討する必要があるようだ。


 テンタシオンの位置を確認したあと、〈環境追従型迷彩〉を起動し、アルファを攻撃できる位置まで慎重に移動する。できるだけ音を立てないように、足元の植物に注意しながらゆっくり接近していく。周囲は不気味な静寂に包まれていたが、徘徊する捕食者の低い唸り声が霧の向こうから聞こえていて緊張感を高めていた。


 しばらく移動するとアルファの姿が見えてきた。破壊されたコンテナに横たわり、空を見上げるように頭部を持ち上げ、無数の触手をゆらゆらと揺らしていた。眼球らしき器官は見当たらないが、その生物は優れた視覚と聴覚、それに振動を感知する能力を使い獲物を探し出しているようだった。


 コンテナに絡みつくツル植物をつかむと、何度か引っ張って強度を確認し、よじ登るようにしてコンテナの上まで移動する。うごめく植物がスーツに巻き付き、装甲の隙間から侵入してくるのを感じて嫌な汗をかいたが、落ち着いて植物を引き剥がしていく。食虫植物の類なのかもしれない。それからコンテナの上から周囲を見回し、群れの動きを観察していく。


 アルファの周囲には、捕食者の幼体だと思われる三葉虫にも似た気色悪い生物が群がっていた。数え切れないほどの幼体は地面をい回り、アルファの巨大な足に踏み潰されていたが、それを気にする素振りも見せずに這い回っていた。


 アルファの指揮下にある捕食者たちの身体にも無数の幼体が群がっていた。しかし、かれらもその小さな存在を気にしている様子はなかった。むしろ、そのおぞましい触手で幼体を捕まえ、捕食している姿すら見られた。


 短い通知音のあと、視線の先に地図が表示される。そこには赤い点で示された捕食者の位置がリアルタイムで表示されていた。しかし、いつの間にかその赤い点の数が増えていることに気づいた。


『アルファが別の群れを呼び寄せているのかも……』

 ペパーミントが言うように、アルファを失った別の群れが統率者を求めてこの場所に集まってきているようだった。気のせいじゃなければ、捕食者たちの動きはますます組織的になってきている。霧の向こうから次々と姿をあらわす個体は、触手を赤色に明滅させながら獲物を探している。


「ここで悠長に構えていられないな」

 焦りを感じつつも、冷静に攻撃の機会をうかがう。徘徊する捕食者の群れを無力化するためにも、確実にアルファを仕留めなければいけない。


『囮を使って群れの注意を引きつける』

 ペパーミントの言葉のあと、どこからともなく無数の偵察ドローンが飛んでくるのが見えた。それらの小型機体は、重力場を利用して飛行する機体ではなく、旧式の回転翼機ドローンだった。プロペラが回転する音で敵の注意を引きつけるつもりなのだろう。


 ドローンは故意に大きな音を立てながら低空で旋回を続けていた。アルファの周囲にいた捕食者たちは、その異常な音に反応して一斉に動き始めた。アルファ自身ものっそりと立ち上がり、その巨体を揺らしながら触角めいた器官を小刻みに振動させた。


『あれが合図なの!?』

 彼女が疑問を口にしたときだった。空気を震わせる咆哮が轟いた。獣めいた低い咆哮のあと、アルファの触手が極彩色に明滅するのが見えた。それが合図になったのか、無数の捕食者が一斉にドローンに襲い掛かる。


『レイ、今だよ!』

 ペパーミントの言葉にうなずくようにして立ち上がると、迷彩を起動したままコンテナの上を移動してアルファに接近していく。捕食者の群れがドローンに夢中になっている隙にアルファの背後に回り込む。


 小型ミサイルの有効射程まで近づくと、フェイスシールドにヘッドアップディスプレイを表示する。システムを戦闘モードに切り替えると、すべての兵装を起動して攻撃の準備を整えていく。緊張しているのか、じっとりと汗をかくのが分かった。何度か深く息を吸い込んだあと、背中のミサイルコンテナを展開して、アルファをロックオンしていく。


 ガイノイドの繊細な指がトリガーにかかる瞬間、周囲に一瞬だけ静寂が訪れる。まるで世界が息を止めたかのようだ。しかし、その瞬間の静寂は長くは続かなかった。


 突然、周囲の植物や菌類から輝く胞子が放出され、視界が虹色に染まった。胞子は生き物のように空中を漂い、〈コムラサキ〉の視界を歪ませた。それはひどく奇妙な体験だった。ガイノイドの機体を通して幻覚を見せられているかのようだった。視界がぼやけ、すべての色と形が混ざり合い、現実が歪んでいく。


 そのときだった。アルファの巨体がこちらに振り返るのが見えた。巨体がゆっくりと動き、その異様な触手がこちらに向けられる。心臓が締め付けられるような恐怖に襲われた。


「マズい」

 思わず声が漏れたが、すぐにトリガーを引く。次の瞬間、すべての兵装が一斉に火を吹いた。機銃の轟音とミサイルの発射音が混ざり合い、一気に静寂を破る。そして白い煙の尾を引きながら追尾ミサイルがアルファに向かって飛び、次々と着弾し爆発音が響き渡った。


 衝撃波で霧が晴れ、一瞬だけ視界がクリアになると、爆心から黒煙が立ち昇るのが見えた。けれどアルファを仕留めきれなかったようだ。黒煙の中からアルファの巨体がのっそりと出てくるのが見えた。どうやら狙いが外れたようだ。何が起きたのかは分からないが、あの奇妙な胞子がセンサーを狂わせたのかもしれない。


 すぐに背中のミサイルコンテナを切り離すと、空になった機銃の弾薬を自動装填させる。警告音が騒がしく鳴り響くなか、アルファが猛然と突進してくる姿が見えた。咄嗟に身体を庇うように腕を交差させ、全出力でエネルギーシールドを展開する。


 けれどその巨体が生み出す衝撃は想像を超えていた。アルファの突進は巨大な海上コンテナすらも容易に吹き飛ばす。ガイノイドが身につけた軽量のアシストスーツは、その凄まじい衝撃に耐えきれず、空中を舞う枯葉のように吹き飛ばされる。


 いくつかのコンテナを破壊しながら地面を転がり胞子まみれになる。視界がぐるぐると回るなか、ガイノイドの身体が濡れていることに気がつく。どうやら衝撃緩衝剤として機能するゲルが衝撃に耐えきれずに漏れ出してしまったようだ。真っ白な戦闘服を牡丹色ぼたんいろに染める液体は、アシストスーツが流す血液にも見えた。


「クソったれ……!」

 動かなくなったスーツの装甲を展開して生身だけになって逃げようとするが、衝撃でアームの装甲が歪んでいて腕が外れない。視界には警告メッセージが次々と表示され、機体の異常を訴えていた。


『レイ、すぐに逃げて!』

 ペパーミントの声に反応して顔を上げると、アルファがこちらに向かって突進してくるのが見えた。無数の触手が激しく振動し、極彩色の明滅が霧に乱反射している。まるで悪夢にうなされているような光景だ。


 そして、ほとんど無防備な状態で突進を受けてしまう。悪あがきにシールドを展開したが、それでも衝撃は凄まじく、ガイノイドの身体は空中を舞い、なんども地面に叩きつけられることになった。


 アルファがアシストスーツを狙ってくれたおかげで致命傷は避けられたが、それでも装甲に引っかかっていた腕は引き千切れてしまっていた。よろよろと立ち上がると、視界を赤く染めていた無数の警告表示を消し、突進してくるアルファの姿を見つめた。


 巨体が迫り来るのを見て、どうしようもない絶望感に襲われる。これで終わりだ。また別のガイノイドで最初からやり直さなければいけない。


 カグヤの声が内耳に聞こえたのは、悲壮感に打ちひしがれていたときだった。

『なんとか間に合ったみたい!』


 どうやらセキュリティの一部を起動することに成功したようだ。外来生物を防除、あるいは駆除するためのシステムが作動し、昆虫ほどの小さなドローンが姿をあらわした。数百を優に超えるドローンは小型ながらも、人間の手足くらいなら簡単に吹き飛ばせる可塑性爆薬を積んでいた。そのドローンが次々とアルファの身体に張り付いていくのが見えた。


 浮遊島は厳重に管理された旧文明の施設なのだ。外来生物が侵入することなんて、はじめから想定していたのだろう。どういうわけか、そのシステムは機能していなかったが、カグヤの操作で目覚めたようだ。


 アルファは唸り声を上げながら触角と触手をムチのように振り回すが、昆虫めいた小さなドローンはピタリと張り付いていて離れない。次の瞬間、アルファの巨体が震えるほどの爆発音が立て続けに鳴り響く。そして無数の肉片が雨のように降りそそぐことになった。

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