第820話 捕食者


 深い霧のなか、コンテナの間に張りめぐらされた粘液が微かな光を反射する。思わず目を細めると、霧の向こうで黒い影が動くのが見えた。反射的にライフルの照準を合わせると、ヌラリと巨大な影があらわれた。それはコンテナとほぼ同じ三メートルほどの体高があるように見えたが、すぐに霧のなかに隠れてしまう。


「今の見たか?」

 テンタシオンは機体の動体検知機能を使い、敵の接近を探知しようとしていた。しかしセンサーは濃霧と胞子の影響で誤作動を起こしているのか、明確な反応を捉えることができていなかった。


 そして視界の端に影があらわれる。それは音もなく突如出現する。テンタシオンはすぐに反応し、レーザーを発射したが手応えはなく、大きな影はすぐに消えてしまう。赤い光線は霧のなかで散乱し、捕食者だと思われる生物に対して有効な攻撃にならなかった。


 心拍数が急上昇し、全身に冷や汗が滲むような感覚がしたが、それは錯覚でしかなかった。戦闘用に改良された〈コムラサキ〉の機体は、あらゆる場面に対応できるように、精密なソフトウェア構成によって機体が制御されている。しかし、その感覚が肉体に基づく錯覚だと分かっていても、どうすることもできなかった。


 緊張感が高まるなか、奇妙な色彩を帯びた霧の向こうからじわりじわりと敵が迫ってくるのを肌で感じた。


 テンタシオンのセンサーは依然として混乱していた。システムエラーの通知音が耳障りに響くなか、あの影がふたたび視界の端にあらわれた。反射的に引き金を引くと、影に向かって高出力のレーザーが撃ち込まれる。


 赤い光線が周囲を照らし出すと、霧のなかに潜む無数の影が浮かび上がる。が、すぐに敵の気配が消えてしまう。霧のなかで狩りを行うために、独自の進化を遂げてきた生物なのかもしれない。


『まだ近くにいるはず。気を抜かないで』

 カグヤの言葉にうなずくと、襲撃に備えて霧の向こうに銃口を向ける。


 大気が揺れ動いたかと思うと、霧の中から捕食者がノッソリと姿をあらわした。ソレは黒い外殻に包まれた異形の存在だった。ヒグマのように巨大な体躯と、ミズタコのように絡み合う無数の脚は、見る者に恐怖を刻みつけた。頭部では青色に発光する半透明の触手がうごめいていて、その触手の先からは粘液が滴り落ちていた。


 体液がコンテナの金属部分に触れると、瞬く間に腐食が進み、煙が立つのが見えた。その特性と頭部に生えた無数の触手から、監視カメラの記録映像で見た奇妙な昆虫の成体だと推測できたが、それはあまりにも大きく、そして気味の悪い生物だった。


「来るぞ!」

 声を張り上げる間もなく捕食者が猛然と襲い掛かってきた。咄嗟にレーザーを撃ち込むが、黒くヌメリのある外殻に直撃した熱線は、霧の所為でエネルギーが散逸しているのか、想定していたよりもずっと攻撃力が低かった。すぐに出力を調整するが、恐るべき捕食者は目の前まで迫っていた。


 テンタシオンは敵の接近に即座に反応する。背中に搭載していた小型ロケットコンテナを展開して、接近する生物に向けて無数のロケット弾を発射する。全速力で突進してきていた捕食者は避けることができず、そのまま攻撃を受けることになった。


 凄まじい爆発音が鳴り響き、眩い光によって周囲が照らし出される。衝撃波が霧を吹き飛ばし、視界が一時的に開けたが、立ち昇る黒煙と共に霧が戻ってくる。それでも着弾の瞬間、霧の向こうに潜む複数の捕食者の姿を確認することができた。敵は群れで狩りをする生物なのかもしれない。


 真正面から攻撃を受けた捕食者の身体は傷つき、外殻の表面に無数の傷が走り、青く光る血液が滲み出る。それでも異形の捕食者は怯むことなく、こちらに向かって駆けてくる。切断された触手が不気味に揺れ動き、その傷口から粘液が垂れ流されていく。


 テンタシオンが機銃を搭載したマニピュレーターを動かしたときだった。触手に覆われた捕食者の頭部がパックリと割れるように開くのが見えた。理由は分からなかったが、ふと〈データベース〉で見た〝クリオネ〟の捕食シーンを捉えたドキュメンタリー映像を見たときのことを思い出した。


 開いた頭部の奥に無数の鋭い牙がビッシリと生えているのが見えると、すぐに熱線を撃ち込もうとするが、その瞬間、捕食者の牙が一斉に発射されるのが見えた。牙が弾丸のように撃ち込まれるとは予想していなかったからなのか、一瞬、反応が遅れてしまう。


『避けて!』

 ペパーミントの声に反応して咄嗟に身を捻るが、二十センチほどの長さの鋭い牙が防刃性に優れた戦闘服を貫通し、ガイノイドの身体に突き刺さるのが分かった。痛みは感じないが、視界に無数の警告が次々と表示されて機体の異常を知らせる。


 身動きが取れなくなり敵の攻撃に無防備になってしまうが、そこで捕食者の勢いはなくなり、ついに地面に倒れてしまう。ロケット弾の直撃と機関銃の掃射によって相当なダメージが蓄積していたのだろう。それは確かに異形の存在だったが、生物である以上、死からは逃れられなかった。


 だが敵を無力化したからといって安心している余裕はなかった。すぐに自己診断プログラムを走らせ、機体の異常を検出し、動けるようにしなければいけなかった。無数の警告が表示されるなか、システムの再起動と緊急修復が行われる。無理矢理に頭部を動かすと、無数の牙が身体中に突き刺さっているのが見えた。


 そこに別の個体が凄まじい勢いで突進してくるのが見えた。テンタシオンは機銃の掃射とロケット弾を撃ち込んで対処するが、恐ろしい巨体を持つ捕食者が次から次に霧の中からあらわれて襲い掛かってくる。


 システムエラーで硬直していた腕が動かせるようになると、眼前に迫る捕食者に最大出力で熱線を撃ち込む。リミッターを解除していた所為なのか、発射のさいに発生した熱波で人工皮膚リアルスキンが焼けただれていくのがみえたが、構うことなく射撃を続ける。至近距離での攻撃だったことも幸いして、熱線は捕食者の頭部に食い込み、貫通するほどの威力が出る。


 が、横手からあらわれた捕食者の突進をうけて吹き飛ぶ。壊れた人形のように手足を振乱しながらあちこちに身体を打ちつけ、無様に地面を転がる。痛みは感じないが、手足が完全に破壊されてしまったのか、起き上がることもできなくなってしまう。


 炸裂音が周囲に響き渡るなか、視界に敵の接近を知らせる警告が浮かび上がる。すぐ近くに捕食者の影が迫ってくるのが見えたが、どうすることもできなかった。テンタシオンも圧倒的な数に追い詰められていて、もはや機銃やロケット弾では対処できなくなっているようだった。


 そして発光する触手が見えたかと思うと、突然、視界が暗転する。激しい衝撃と共に機体が破壊され、意識だけが〈電脳空間サイバースペース〉に戻されたのだろう。朦朧とする意識が慣れるまで、じっと真っ暗な空間に佇む。状況を把握するまでの一瞬が、永遠にも感じられる。


「カグヤ……聞こえるか?」

 意識を集中させ、〈電脳空間〉につながっているカグヤと連絡を取ろうとするが、ひどいノイズで彼女の声は聞こえなかった。それでもかろうじて聞こえてくる声に耳を澄ませる。


『見つけた!』

 ペパーミントの声が聞こえると、ホッと息をついてみせた。実際には意識だけの存在で呼吸すらしていなかったが、この空間では自意識の心象が優先されるので、あたかも呼吸しているように感じられた。肉体が存在しないのに、そこに自分が存在していると感じる感覚と同様の現象なのかもしれない。


「ペパーミント、現在の状況について教えてくれるか?」

『ちょっと待ってね……』


 言葉が途切れ途切れで意味を成さなかったが、やがて通信が安定していき、普通に話せるようになった。彼女の声がハッキリ聞こえるようになると、さっそく状況を確認する。


『戦闘用の高性能なガイノイドだったから、もっと戦えると思っていたんだけど、今回は相手が悪かったみたい。それに移動経路をコンテナターミナルに設定した私のミスでもあるけど、捕食者の縄張りに侵入して、かれらのことを無駄に刺激してしまったのも悪手だった。あの直後、テンタシオンの機体も破壊されてしまった……』


 状況を把握するために彼女の声に集中する。ペパーミントの説明によれば、捕食者は環境に適応しながらコンテナヤードで繁殖を繰り返していたようだ。生命がまったく存在しない島だと思っていたが、それは我々の大きな勘違いだった。

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