第763話 墜落〈バイオジェル〉


 自走地雷と化した〈コムラサキ〉と戦闘ヘリの襲撃を逃れ、薄暗い通路に入り、開放されていた隔壁を通って薄暗い部屋に足を踏み入れる。この局面を打開するような状況の変化を求めていたが、目の前に広がっていたのは出入口のない四角い部屋だった。


 周囲を見回しながら部屋の中央に向かって歩いていく。やわらかな光が足元の絨毯を照らし、快適そうなソファが並べられている。どこからか落ち着いた雰囲気の音楽が聞こえてきて、壁には絵画や彫刻が飾られ、部屋全体が芸術的な魅力に包まれている。が、やはり他に出入口がないので、〈コムラサキ〉が侵入してきたら大変なことになるだろう。


「待ってて、すぐに動かすから!」

 アイはそう言うと、バーカウンターに設置されていたコンソールパネルからケーブルを伸ばし、側頭部に埋め込まれたソケットに接続する。どうやらこの部屋はエレベーターとしても機能していて、このまま地下に向かうことができるようだ。


 アイが操作を完了するまでの間、バーラウンジにしか見えない奇妙な部屋に〈コムラサキ〉が侵入してこないように対処する必要がある。


 テラフォーミングシステムや大量破壊兵器に関する多数の広告が投影されているのを横目に見ながら、扉の前で応戦していたミスズたちと合流すると、薄暗い通路からやってくる機械人形にフルオートで銃弾を叩き込んでいく。そこに自律戦車の〈ツチグモ〉も姿をあらわすが、ハクが吐き出す糸に足を取られてその場から進めなくなる。


 敵は〈シールド生成装置〉を装備していて銃弾は無効化されていたが、さすがに一斉に撃ち込まれる数百発の弾丸を防ぐほどのバッテリーは積んでいないのか、やがてシールドが維持できなくなり銃弾が直撃するようになる。


 ハクの糸で身動きが取れなくなったことも相まって次々と破壊されていく〈ツチグモ〉の横を通って、数体の〈コムラサキ〉が駆けてくるが、容赦のない一斉射撃を受けて自爆し、その場で爆散していく。そして鋭い警告音のあと、部屋の扉が閉じられる。アイが操作を完了したのだろう。


 安全性について警告を発する合成音声が室内に響き渡ると、無数のホログラム警告が投影されていく。その多くが急な揺れに対する注意事項だったが、足元からは震動や揺れの類は一切感じられなかった。そもそもエレベーターとして機能する部屋が動いていたのかも分からなかった。それほど動きは滑らで、動作音も聞こえてこなかった。


 この部屋を利用する人間の多くが有力者だったことも関係しているのかもしれない。バーラウンジを思わせる落ち着いた空間になっていて、利用者に快適に過ごしてもらうための工夫が随所に凝らされていた。


 けれど、そこでのんびり突っ立っている余裕はなかった。先ほどの戦闘で負傷した仲間の手当てを行う必要があった。〈コムラサキ〉の自爆は広範囲に鋭利な鉄片を撒き散らすだけでなく、その衝撃波だけで負傷するほどの破壊力があった。


 それに加えて、ヤトの戦士たちの多くは狙撃手の自爆に巻き込まれて怪我をしていたので、すぐに治療を行う必要があった。


 ミスズと手分けして負傷していた仲間たちの状態を確認したあと、腰に提げていたユーティリティポーチから〈バイオジェル〉の金属容器を取り出す。容器は冷たく、手に持った瞬間に金属の冷たさが手のひら全体に伝わるほどだった。


 すでにバーカウンターで手を洗っていたが、消毒液を手にかけ、清潔な布で拭いたあと容器を開く。つめたく滑らかなジェル状の治療薬が容器から流れ出し、指先に広がっていく。半透明のジェルは微かな燐光を帯びていて、ぼんやりと周囲を照らすが、放射性物質は含まれていないので危険性はない。


 戦士たちは金属繊維の戦闘服に装甲まで身につけていたが、それでも手足に裂傷を負っていて、まず体内に侵入した破片を取り除く必要があった。が、ここでは大掛かりな治療はできなかったので、旧文明の驚異的な医療品に頼るほかなかった。


 慎重に傷口を確認したあと、負傷した部位に〈バイオジェル〉を塗っていく。ジェルはヘビの鱗を思わせる戦士の肌に触れると、つめたく柔らかな感触と共に微かな光を放ちながら傷口に沁み込んでいく。それは、まるで生命そのものが傷口を包み込むかのような奇妙な光景だった。


 ナノマシンの働きによって傷は浄化され、そして失われた組織を再生する能力を持った特殊な細胞をつくり出すため、同時に遺伝情報も調べられる。そのさい、破片は体外に排出される。治癒が始まると傷口の周囲に新たな皮膚が形成され、肌の下で新しい組織が形成されていく様子が見てとれた。


 新しい細胞を生み出すための自己修復機能も活性化され、その過程で患部に違和感や刺激が生じることがあった。それは微かな痒みのような感覚で、治療が行われている証拠でもあったが、私を含め、仲間たちはその感覚が苦手だった。


 戦士たちの応急処置を終えると、ミスズとナミの状態も確認する。その間、ジュジュは興味深そうに治療する様子を眺めていた。ぼんやりと発光する〈バイオジェル〉のことが気になっているようだったが、治療が行われていることを理解しているのか、手を出したり悪戯をしたりするようなことはなかった。


 ちなみにハクとジュジュは、あの戦闘で負傷していなかった。さすがに砂煙や煤で体毛が汚れていたが、ハクの類まれな戦闘能力のおかげで傷ひとつ負っていなかった。


 腕を負傷していたナミを治療したあと、ワスダたちの状態も確認するが、かれらも戦闘で上手く立ち回ったのか負傷している様子はなかった。一通り仲間たちの状態を確認したあと、アイの状態も見ることにした。彼女の身体は〈コムラサキ〉をベースにした軍用規格の機械人形だったが、だからといって怪我をしないというわけではなかった。


 相変わらずコンソールパネルを弄っていた彼女の頬を確認すると、爆発のさいに負っていた擦り傷が修復されていて、すでに傷口の周りに自己再生した人工生体皮膚が形成されているのが見えた。彼女の身体には自己再生機能を持つ生体素材バイオマテリアルが使用されていたことは知っていたが、短時間で修復できるほど優れたモノだとは知らなかった。


 アイの治療が必要なくなったことに安堵しつつも、その高度な技術に驚かされる。

「わたしなら大丈夫」と、彼女はコンソールパネルを見ながら言う。

「それより、仲間のことは残念だったね」


「残念?」

「ほら、ヘリが墜落したみたい」


 彼女の言葉のあと、ホロスクリーンに投影されていた広告が消えて、無人の街に設置されていた監視カメラの映像に切り替わる。そこには墜落した戦闘ヘリの姿が映し出されていた。


「カグヤ、トゥエルブの状況を確認できるか?」

『大丈夫みたいだよ。いつものように調子に乗ってたら対空砲火を浴びて、そのさいに操作を誤って、そのまま人工島で生活する人々が自由に出入りできる区画に墜落した』


「撃墜されたんじゃなくて、事故か……トゥエルブらしいな」

『うん。比較的警備も少ない区画だから、住人たちの集落に逃げ込むように指示した』


「あのヘリは動きそうか?」

『それほど損傷していないみたいだから、回収できれば何とかなるかも』


「ペパーミントは怒るだろうな……」

『トゥエルブなら、もう怒られてるよ』


 それなら、今は彼女のことをそっとしておいたほうがいいのかもしれない。

『触らぬ神に祟りなしってやつだよ』

 カグヤの言葉にうなずいたあと、アイに目的地をたずねると、やはり地下にある金庫室に向かっているようだ。そこにワスダがやってくる。


「それで――」と、彼は墜落したヘリを見て眉を寄せる。

「さっきの自爆野郎は、やっぱりソクジンの部下だったのか?」


「ああ、間違いない。どうやらあの場所でアイを始末したかったみたいだ」

 記録していた画像を転送すると、人工血液にまみれたサイボーグの姿が映し出される。

「そいつが〈軍用AI〉のコピーを始末したかったのは、その人形が持ち出した〈マスターキー〉を手に入れるためか?」


「それ以外に彼女が標的にされる理由はない……と思う」

「なら、またソクジンから攻撃されるかもしれないな」


「ソクジンがシステムを掌握しているのなら、そうなるかもしれない」

「クソ厄介なことになったな」


 ワスダの言葉にうなずくと、真剣な面持ちで我々の話を聞いていたアイに視線を向ける。彼女はワザとらしい微笑みを浮かべてみせたが、すぐに無表情になった。

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