第629話 除染作業


 汚染地帯で付着した汚染物質の除染作業を行うため、設備が整った紅蓮ホンリェンに向かうことになった。買い物客や商人で混雑する市場から遠く離れた場所にある警備隊の基地までやってくると、黄色い防護服を身にまとった作業員たちが専用の高圧洗浄機を手にして待機している様子が見えた。


 すでにカグヤから連絡を受けていたからなのか、彼らは汚染物質を洗い流し、除染作業を行うための準備を整えてくれていた。それは我々のためだけに特別に編成された作業員というわけではなく、その作業を専門とする経験豊富な除染作業員だった。汚染地帯が身近に存在する紅蓮では、彼らのようなスペシャリストが必要だったのだろう。


 輸送機が無事に着陸してエンジンを止めると、作業員たちはルォシーの指示を聞きながら接近してくる。が、兵員輸送用コンテナに乗った黒い大蜘蛛を見て、金縛りにあったように身体からだを硬直させ動きを止める。〈深淵の娘〉がその身にまとっている邪悪な気配、あるいは殺気と呼ばれるようなモノを本能的に感じ取って恐怖しているのだろう。


 ヨルに作業員たちが味方であり、敵対的な存在ではないと伝えると、彼女は存在感そのものをフッと消してみせた。それは奇妙な感覚だった。目の前に恐ろしい大蜘蛛がいると知っていたが、さながら亡霊のように存在が曖昧になり、直視しなければ恐怖に身がすくむこともなくなる。


 とは言っても、彼女が輸送機に乗っていては作業にならないだろう。ヨルに声を掛けると、輸送機から距離を取るようにして歩いていく。彼女はこれから行われることに興味津々といった様子だったが、大人しくついてきてくれた。


 すると作業員たちは高圧洗浄機のノズルを輸送機に向ける。勢いよく水が噴き出し、輸送機の表面に付着した汚染物質が洗い流されていく。数名の作業員は持参した梯子はしごを使いコンテナに乗ると、高圧放水で汚染された箇所を徹底的に洗い流していく。作業員たちは丁寧に細部まで洗浄し、すぐに輸送機を使えるように最善を尽くしてくれる。


 もちろん、コンテナ内部の除染作業も行われる。それは手間のかかる作業だったが、手を抜くことはできない。


 高圧放水による洗浄作業が終わると、防護服を身につけた作業員がコンテナに入っていき、モップやウエスを使い丁寧に内壁や床面、そして台車に残っていた水を拭き取っていく。少量の水滴さえ残さないようにするため、彼らはひとつひとつの動作に集中し、手際よく作業を進めていく。


 ちなみに除染作業で出る汚染水は、専用の排水管を通って地下にある浄水装置に送られることになっていた。そこでは旧文明の技術を用いて放射性物質が取り除かれ、水が再利用可能な状態になるまで完璧に処理される。紅蓮の人々が汚染された砂漠で生きてこられたのは、このような処理システムを確立していたからなのだろう。


 その作業が進められている横で、ハクの体毛に付着していた放射性物質も洗い流されていく。ハクは水浴びが苦手だったが、高圧洗浄機で綺麗になっていく輸送機を見て興味を持ったのか、自ら水浴びをするようになっていた。長いホースを手にした作業員たちが水で遊んでいると勘違いしたのかもしれない。


 ヨルの体毛に付着していた汚染物質を洗い流す作業は、紅蓮の人々には荷が重いので、私が行うことになった。放射性物質を洗い流す必要があると告げると、彼女はいくつかの単語と気持ちの揺らぎを使い、どうしてそんなことをするのかたずねてきた。


「それは毒を含んだ瘴気のようなモノなんだ。人間の目には見えないけど、大気中に漂っていることもあれば、ひどく汚染された物体から放射され続けることもある。いずれにしろ、それはありとあらゆる生物の身体からだむしばんで、生きながら腐らせていくんだ。〈深淵の娘〉たちは耐性を持っているみたいだけど人間は違う。だから仲間たちと合流する前に、ここで除染しないといけないんだ」


 その耐性を持ってないのかかれたが、もちろんそんなモノはなかった。遺伝情報が操作された特別な肉体だといっても、さすがに限度はあるのだろう。


 もっとも、今では無限に自己増殖する〈ハガネ〉を体内に取り込んでいて、そのハガネによって形成された防護服は、ある意味では自分自身の肉体の一部でもあった。であるなら、放射能耐性を獲得したとも言えなくはない。最早人間ですらないのかもしれない。


 とにかく、ヨルの体毛に付着した汚染物質を洗い流していく。彼女は大人しくしてくれていたので、長い脚の間も丁寧に除染することができた。恐ろしい大顎に水をかけるときには緊張してしまったが、問題なく作業を終わらせることができた。


 それからガイガー・カウンターにも似た装置を使って、安全性に問題がないか確認していく。作業のさいに旧文明の道具を使っていたからなのか、ある程度の除染効果を確認することができた。これで少なくとも、内部被爆ひばくを恐れる必要はなくなった。


 除染作業のあと、ルォシーに支払いついてたずねたが、代金は必要ないと言われた。それは日常的に行っている業務のひとつであり、ジョンシンから直接指示されたことでもあったので、報酬を受け取るわけにはいかないと。しかし苦労を掛けたことに変わりなかったので、心付けではないが、作業員たちに幾らか報酬を渡すことにした。


 つねに心掛けていたことだったが、〝親しき中にも礼儀あり〟という言葉があるように、どんな関係であっても礼を欠くわけにはいかなかった。


 人間はひとりでは生きていけない、なんてありふれた言葉は口にしたくはなかったが、この荒廃した世界で生きていくには、我々はあまりにも無力であり、信頼し助け合える仲間が必要だった。紅蓮の厚意をないがしろにして、その信用を失うようなことは避けなければいけなかった。


 そのあと、〈ヴィードルの墓場〉で取得していた地形図や汚染状況に関する情報をルォシーと共有することにした。彼女はウェイグァンの〈愚連隊〉で、情報を収集し分析するチームに所属しているので、実態把握が困難な汚染地帯と、そこに生息する〈深淵の娘〉たちに関する情報は何かと役に立つだろう。


 基地にある食堂で一緒に昼食を取らないかと誘われたが、ヨルを残していくことができなかったので、ハクたちの姿が見える場所で軽食を取ることになった。


 ちなみにハクは大量の胡椒餅こしょうもち――合成肉やら何やらをモチモチした生地で包んだオヤツ――をご馳走してもらい一心不乱に食べていたが、ヨルは何も口にしなかった。人間がつくる料理は口に合わないのかもしれない。


 そのさい、気のいい作業員たちと話をすることができた。愚連隊が使う車両の除染も行っていることや、車両に付着した肉片や死体の処理もしていることが分かった。機械人形の戦闘部隊が交易路を警備するようになってから、死傷者の数は減ったが、以前は砂漠の巡回警備も命懸けの仕事だったという。


 除染作業に使用される防護服や道具は鳥籠にある〈リサイクルボックス〉に放り込まれて、また再利用されるとのことだった。旧文明の技術は素晴らしいが、本来なら汚染物として処理される道具が繰り返し利用されるのは、資材が慢性的に不足しているという理由もあるのだろう。


 〈第七区画・資源回収所〉で手に入る資材の取引ができれば、紅蓮の生活環境を改善することができるかもしれないが、残念ながら我々も人手に余裕がなかった。いずれ何か協力することができるかもしれないが、今は目の前の問題に集中することにした。


 ルォシーたちに感謝したあと、輸送機に乗り込んで発掘現場に向かう。ヨルがコンテナの屋根に飛び乗ったことを確認すると、カグヤの遠隔操作で機体は徐々に高度を上げていった。

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