第579話 死骸


 カグヤから受信する情報を網膜に投影しながら、蠅の化け物を詳しく調べていく。


 鉄黒色の奇妙な体表が干からびている所為せいで萎縮しているが、それでも人間よりも大きな身体からだを持つ生物だった。複数ある長い腕と脚は硬い殻に覆われていて、その腕には――干からびて細くなっているが、人間の指にも似た器官が生えていることが確認できた。


 頭部の大部分を占める複眼にも砂が堆積していたが、原形をとどめているからなのか、はえじみた化け物をさらに異様な存在にしている。細かい毛に覆われた口元にはかまにも似た大顎がついていて、口腔内は鋭い牙でおおい尽くされていた。っすらと砂が堆積した外骨格のすぐそばには、半透明の長いはねが埋まっているのが確認できた。


 砂に埋もれていたからなのか、あるいは硬くて厚みがあるからなのかは分からないが、はねについた砂を払うと、金を流し込んだような綺麗な翅模様を見ることができた。


 干からびてしわくちゃになっていた腹部には、硬くて鋭い毛がびっしりと生えていて、脇腹にある外骨格の開口部からは、折りたたまれていた腕のようなモノが飛び出しているのが見えた。その腕の先には、甲殻類のハサミに似た器官が完全な状態で残されていた。下半身に向かって視線を動かすと、棘のような毛に覆われた尾が生えているのが分かった。


「間違いないな」

 思わず溜息をつく。

「こいつは研究施設で俺たちを襲った化け物と同種の生き物だ」


『異界からやってきた化け物だね……でも、どうしてこんなところにいるんだろう』

 偵察ドローンを使って化け物の死骸をスキャンしていたカグヤの疑問に肩をすくめる。

「要人を誘拐しに来ていた……とか?」

『どういうこと?』


「以前、この建物を探索しているときに、妙に現実めいた白日夢を見たって話したと思うけど、おぼえているか?」


『もちろん。人間の女性の姿をしたウミと一緒に企業に所属する研究者を……あっ、そういうことか』カグヤも気がついたのか、推測を口にする。『このハイパービルディングで要人を拉致しようとしていたように、あの蠅の化け物が〈大樹の森〉の地下にある研究施設にやって来ていたのは、軍事企業〝エボシ〟の研究者を拉致するためだった可能性があるんだね』


「あの施設は〈混沌の領域〉の影響で空間の時間軸が乱れていて、旧文明が崩壊に向かって突き進んでいた混乱期で時間が止まっていた」


『この化け物も同じ時期に地球にやってきていて、研究者や要人を拉致――実際には彼らから摘出した脳を確保しようとしていた……でも、どうしてそんなことを?』


「わからない。けど、あの白日夢でウミは戦闘部隊が派遣されていると言っていたんだ」

『それだけ重要な任務だったってことだね。……ってことはさ、砂に埋もれているこの死骸も異界からやってきた化け物の戦闘員ってことだよね』


「あるいは、戦闘艦で確認された異星生物が派遣した〈生体兵器〉なのかもしれない……。いずれにせよ、過去の俺はこの超構造体メガストラクチャーで何か重要な任務を遂行していた」

 建物内で確認された〈混沌の領域〉につながる転移門は閉じることはできたのだろうか?


『ねぇ、レイ』

「どうしたんだ?」

『これを見て』


 偵察ドローンがスキャンのためのレーザーを照射していた場所まで歩いてしゃがみ込むと、ゴツゴツした鉱石にも見える三角形の黒い物体が落ちているのが見えた。

「蠅の化け物が使う武器だな」


『武器?』球体型の小さなドローンが首をかしげるように動く。

「ああ、あの奇妙な白日夢を見ていたときに、こいつで攻撃されたのをおぼえている」

『異星生物の武器か……調査する必要があるみたいだね。ねぇ、ペパーミント!』


 カグヤに呼ばれたペパーミントは、彼女専用のガスマスクを装着していて表情が見えなかったが、フェイスプレートが複雑な開閉機構によって開くと、シールドの薄膜で保護された彼女の綺麗な顔が見えた。


「どうしたの?」と、彼女は怪訝そうに眉を寄せる。

『化け物の武器を見つけたんだ。戦艦に設置された装置で解析したいから回収して』


 彼女はしゃがみ込むと、黒い物体をまじまじと見つめる。

「これは触っても大丈夫なモノなの?」

『汚染されてないし、毒も確認できなかったよ』

「そう」


 カグヤの言葉が信じられないのか、彼女は荷物の中から厚いゴム手袋を取り出して装着してから、慎重に物体を拾いあげる。


『武器だから扱いには注意してね』

「どうして先に教えてくれなかったの?」


 彼女は溜息をついたあと、完全に密閉できるビニール袋に謎の遺物を入れて、それから〈空間拡張〉の機能を備えたショルダーバッグに放り込む。

「これでよし……ほかにも何か見つけた?」


「いや、まだソレしか見つかっていない。他の場所も調べてみよう」

 そう言って立ち上がると、遠くのほうに見えていた照明に向かって歩いていく。

「なぁ、カグヤ。あの化け物はどうしてこの場所で死んでいたと思う?」


『大昔にレイとウミに倒されたんじゃないのかな?』

 すぐとなりを飛行していたドローンが、カメラアイをチカチカと発光させているのを見ながら、思わず首をかしげる。

「〈統治局〉が絡んでいる可能性は考えられないか」


『統治局って、地球を管理していたっていう謎多き組織のこと?』

「そうだ軍隊とも関りがあるだろうし、この建物に兵士を派遣していた可能性がある」

『地球防衛軍か……兵士の死体や、かれらが残した遺物が見つかれば、組織の手掛かりが手に入るかもしれないけど、ここで見つけるのは難しそう』


 暗闇に視線を向けると、砂に沈み込む空間が何処どこまでも広がっているのが見えた。確かに砂の中から兵士の遺体や情報端末を見つけるのは困難だろう。でも、それを手に入れることができたら、この異常な世界の謎を解明する手助けになるだろう。


 別の化け物の死骸のそばにしゃがみ込むと、胸部の外骨格が砕けているのが確認できた。

「強力な火器で射殺されたみたいだな」

『うん、さっきの化け物よりも死因がハッキリしてるね』

「ここで何者かと交戦したことは間違いないな」

『やっぱり、あのミイラみたいな死体が関係してるのかな?』


 人間にも人擬きにも見える干からびた死体のことを言っているのだろう。

「たしかにそれも気になるけど、そもそもカグヤにはあれが人間の死体に見えるのか?」

『それはうたがいようがないでしょ?』

「どうして?」


『このハイパービルディングは居住型施設だよ。ペパーミントの話では数万人、場所によっては十万もの人間が暮らしていたんだよ。干からびている理由は分からないけど、戦闘の騒ぎに巻き込まれて死んだ人間の遺体が残されていても不思議じゃないでしょ』


「そういえば、そうだったな」

 砂に埋もれた異常な光景の所為せいで、この場所にかつて大勢の人間が暮らしていたことを失念していた。


「レイ、見せたいモノがあるから来て!」

 ペパーミントに呼ばれて死骸のそばを離れる。


 彼女とジャンナの目の前には半ば破壊された隔壁かくへきがあるのが見えた。手前の隔壁は熱によって溶解ようかいしたあとがあり、隔壁の一部が不自然な形で凝固しているのが確認できた。

「厳重に封鎖されているみたいだな……この先の調査は?」


 質問にジャンナは首を振る。どうやら調査員すら立ち入ることのできなかった区画のようだ。化け物の発見で作業が止まっていたことも関係しているが、彼女たちの装備では隔壁を開くことができなかったのだろう。


「カグヤ、この隔壁を操作することはできるか?」

『できるかも、ちょっと待っててね』

 カグヤのドローンが操作盤に向かって飛んで行くのを見ながらたずねる。

「建物の管理システムに接続できるのか?」


『以前はできなかったけど、ほら、今は艦長権限を手に入れたでしょ?』

「それが?」と、首をかしげる。

 あくまでも戦闘艦の指揮権限であり、地球の組織と関係のない権限だと思っていた。


『〈惑星防衛艦隊〉に所属する戦闘艦の指揮権限っていうのは、統治局や地球防衛軍の要人に匹敵する権限を持つことでもあるのかも』


「宇宙軍に所属している一般兵士のほうが、地球軍の上級士官よりも立場が上だったってやつか?」


『少なくとも、建物の管理を任されていた組織よりも立場は上だったみたいだね。隔壁が開くから注意して』

 カグヤの言葉のあと、巨大な隔壁がゆっくり開いていくのが見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る