第527話 運命
傷痕のように廃墟の街に残る大地の裂け目の底で、インシの民の遺跡を発見してから数日、横浜の拠点に戻っていた私は砂漠地帯に赴くための準備を行っていた。
拠点では、我々の組織に新たに加わった『アシェラーの民』と呼ばれるリンダの一族のために、住居の建設が急ピッチで進んでいた。拠点周辺は都市を警備する機械人形たちによって守られていて、コケアリたちの坑道で見てきた地獄のような世界が嘘のように、穏やかな時間が流れていた。
地下深くに存在する資源回収場には、ミスズとナミが指揮するアルファ小隊が残り、集落の安全を確保するための作業を進めていた。具体的にどのような作業をしているかと言えば、危険な変異体の住処になっている坑道を捜索し、安全性を確保した上で爆薬を使った坑道の封鎖を行っていた。危険な作業ではあったが、迷路のように複雑に入り組んだ坑道で住人が安全に暮らしていくためには必要なことだった。
これまで資源回収場の警備を行っていたコケアリたちは、周辺一帯の環境を侵食し、徐々に世界の形を変化させながら広がっている遺跡を調査するため、兵隊アリの部隊を坑道深くに派遣することになって、今までのように集落に接近する危険な変異体を排除することができなくなっていた。そのため、ミスズの部隊に与えられた任務は重要性が高いモノになっていた。
そこでワスダの部隊にも協力を仰ぎ、コケアリの代りに資源回収場の警備を担当してもらうことになった。戦闘用機械人形ラプトルが派遣できるまでの一時的な処置だったが、ワスダは快く引き受けてくれた。
インシの民と会談を行う際、砂漠地帯に同行してくれると勝手に思い込んでいたので、集落の警備を担当すると聞いたときには、少しばかり拍子抜けした。そのときの私の表情に気づいたのか、ワスダは鼻を鳴らしながら言った。「奇妙な化け物が徘徊する遺跡の調査に、俺の部隊は向いていない」と。
すでに多くのことを経験して見てきたからなのか、混沌やら異形の化け物に対して、人間が抱く恐怖について無頓着になっていたのかもしれない。普通の人間は地獄のような世界では正気を保てないし、積極的に関わりたいとも思わないモノなのだろう。
インシの民との会談には、儀式めいた決闘でインシの民の戦士と戦い、見事勝利を収めた『アレナ・ヴィス』の部隊に同行してもらうことになった。場合によっては遺跡の調査も行うことになると思うので、心強い戦力になってくれるハクにも一緒に来てもらうことになる。
これからのことについて考えながら、拠点の最深部にある自室で装備の確認を行っていると、カグヤが操作する偵察ドローンがふわりと飛んでくる。
『砂漠地帯にある採掘基地に向かうの?』
「いや」と、私は頭を横に振った。「まずは大樹の森に行こうと考えているんだ」
『ブレインたちの様子を見に行くの?』
「そっちも気になるけど、ペパーミントが作業場として使っている洞窟に向かうよ」
『母なる貝の聖域に続く地下トンネルがある溶岩洞窟?』
「そうだ。攻撃型ヘリコプターについて話したいことがあるみたいなんだ」
『紅蓮が譲ってくれたヘリか……整備が終わったのかな?』
「分からないけど、そうだったらいいな」
『でも砂漠地帯から離れてるから、だいぶ遠回りになるね』
「ペパーミントの作業場には空間転移のためのゲートが設置されているから、それに関しては問題ないよ」
『そういえば、そんなこともできたね。すっかり忘れてたよ』
「使い勝手が悪いからな」と、私はカグヤの皮肉に肩をすくめた。
装備を保管していたウォークインクローゼットに入って、ガンラックから歩兵用ライフルと予備弾倉を手に取って自室に戻ると、銃と一緒に保管していた土人形がなくなっていることにふと気がついた。
「カグヤ、棚に置いていた土偶がなくなっているんだけど、何か知らないか?」
『ううん。知らないよ』
「奇妙だな……ジュリが動かしたのか?」
『装備の点検と補充を行うために、ジュリたちは定期的にこの部屋にやってくるけど、土偶はそのままだったよ』
部屋に設置されている監視カメラの映像が網膜に投射されると、ジュリと山田の姿が確認できた。二人は手元のタブレット端末を確認しながら物資の補充を行っていたが、棚に置かれた土偶には関心がなく触れることもなかった。
「なぁ、カグヤ。監視カメラの映像は全て保存されているのか?」
『うん。拠点の警備室で管理権限を取得した日から今日まで、監視カメラが記録した全ての映像は拠点のデータベースに保存されてる』
「それはすごいな……」
『膨大な情報を劣化させずに保存できる記憶媒体があるからね』
「旧文明期の記憶は都合よく消えているけどな」
『消えてないよ。閲覧権限がないだけ」と、カグヤはキッパリと言う。
私は顔をしかめて、それから言った。
「それなら、土偶の様子が確認できる映像を見せてくれ」
『了解』
視線の先に拡張現実でディスプレイが浮かび上がると、ウォークインクローゼット内の映像が表示される。その映像を倍速再生させながら、土偶の動きに変化がないか確認する。
「それにしても、なんで遮光器土偶なんだ?」
『うん?』と、部屋に設置されたスピーカーを通してカグヤの疑問の声が聞こえる。
「この土人形は、軍事企業『エボシ』が管理していた研究施設に設置されていたゲートを使って、この世界に持ち込まれた異界の遺物なんだろ?」
『そうだけど……それが?』
「どうして東北地方で出土する土偶なんだ?」
『ただの偶然じゃない? 泥で作った人形なんだから、同じような雰囲気の人形が作られていてもおかしくない』
「そうか?」
『そうだよ』と、カグヤは何故か頑なに認めようとしない。
映像に動きがあると、すぐに映像を戻してもらい目的の箇所を確認する。
「そこだ。映像を止めてくれ」
『とくに変化はないみたいだけど?』
「土偶を拡大してくれ」
金属製のガンラックに向かって映像が拡大表示されると、土偶が画面に大きく映り込む。
『それで?』
「人形の土が剥がれている……?」
赤茶色の乾燥した土で覆われていた人形から土が落下して、人形表面の質感が変化したように見えた。すぐに人形が保管されていたガンラックを確認すると、僅かだが土が残されていることに気がついた。
「もう一度、今の映像を見せてくれ」
『さっきと同じ時間から?』と、カグヤが映像を操作しながら言う。
「ああ。早送りで頼む」
映像が倍速再生されると、また変化のない画面がしばらく続いた。
「止めてくれ」
『土偶が消えた?』
カグヤが驚くのも無理はない。土人形はなんの前触れもなく突然画面から消えたのだ。すぐに映像を戻してもらい、土偶の動きを確認する。
「確かに動いているな……」
拡大表示していた映像を元に戻して、クローゼット内が見渡せる映像に切り替えてもらう。
「そこだ。拡大してくれ」
床に敷かれた絨毯の上に立っていた土偶の姿がハッキリと確認できた。
『何かの衝撃で落ちたようには見えないね』
カグヤの言葉にうなずくと、映像を進めながら土偶の動きを確認することにした。土人形には短い足がついていたが、とても短く関節がないため、土偶は身体を大きく傾けながら足を前に出しながら進んでいた。ちらりと足元の絨毯を確認したが、土偶が残した土は確認できなかった。恐らく掃除ロボットが綺麗にしたのだろう。
『クローゼットを出たみたい』
カグヤはすぐに部屋の様子が分かる映像に切り替えた。すると、部屋の隅に置かれたソファーに近づく土偶の姿が確認できた。
「何をするつもりなんだ?」
映像から目を離して、ソファーに視線を向けたときだった。突然照明の一部が消えて部屋が暗くなると、灰色の壁が徐々に変化して素通しのガラスに変わるのが見えた。ガラスの向こうに薄暗い海底洞窟が見えるようになったが、私はソファーに座っているモノの存在に気がついて、全身に鳥肌が立つのが分かった。
「あれが見えるか、カグヤ」
『深海魚のこと?』
「違う」私は長い黒髪を見つめながら言う。「ソファーに座っている女性のことだ」
『なにも見えないけどな……』カグヤはそう言うと、ドローンをソファーの側に向かわせて、そこに座っていた女性に向かってレーザーを照射する。
『女の人なんていないけどな――』
そこまで言うと、カグヤが操作していたドローンは驚いたようにビクリと後方に飛んで、素通しの壁にゴツンと衝突する。
『これで見えるようになった?』
女性の声が聞こえると、私は反射的に太腿のホルスターから素早くハンドガンを引き抜いた。
「何者だ?」
『あれ?』女性はソファーからゆっくり立ち上がって、こちらに振り向いた。『以前に会ったときには、この声じゃなかった?』
女性は衣類を身につけておらず、彼女の傷ひとつない、透き通るような白い肌は海底洞窟から反射する光によって紺青色の揺らぎに染められていた。その女性の濃紅色の瞳には見覚えがあった。
『異界の女神さま……?』
カグヤの声が聞こえると、女性は妖艶な微笑みを見せた。
『そう。やっと思い出してくれたのね』
彼女はソファーに座ると、となりに置いてあったクッションを手でトントンと叩いた。
『こっちに座りなさい、レイラ』
私はどうするか一瞬迷ったが、彼女が異界の女神なら抵抗しても無駄なのだろうと考え、ハンドガンをホルスターに収めた。そしてひどく緊張しながら、ぞっとするほど美しい女性のとなりに座った。
彼女は嬉しそうな顔で私をじっと見つめて、それから言った。
『力を取り戻すのに時間が掛かってしまったの。だからすぐに会いにくることができなかった』
「力を失っていた?」
私が眉を寄せると、彼女はコクリとうなずいた。
『世界を改変し、運命に抗うためには、女神と呼ばれた私の力を以てしても、大きな代償を払う必要があった。ただそれだけのこと』
「つまり、あなたは不可能を可能にした……?」
『そう』
彼女がうなずいてソファーに背中を預けると、綺麗な乳房が揺れるのが見えた。私の視線に気づいたのか、女性は乳房を両腕で抱くように寄せた。
『これが気になる?』
どうしようもなく気になったが、質問を続けることにした。
「どうしてこの世界に?」
彼女は面白くなさそうな表情を見せて、それから言った。
『レイラに会いにくるって言ったでしょう?』
『そうだったっけ?』カグヤの声が聞こえると、彼女は目に見えない速度でドローンを捕まえて胸に抱いた。
『会いに来る運命だったのよ、きっと』
『運命に抗ったんじゃないの?』
『あれ?』と、彼女は私の顔をまじまじと見つめて、それから微笑んだ。『冗談よ。本当は二人を助けるために来たの』
『助ける? 女神の助けが必要になるほどの脅威に晒されているってこと?』
『ええ。あなたたちはこれから遺跡の調査をするんでしょ?』
『どうして知ってるの?』
『どうしてかしら』
「遺跡には何があるのでしょうか?」
『恐ろしい敵が潜んでいる』
「敵……?」と、彼女の瞳から視線を外さないようにして訊ねる。「それは誰の敵ですか?」
『鋭いのね』
「遺跡でトカゲに似た生物の幻視を見ました。あの生物はあなたの世界で見た『古代種』と呼ばれる生物に似ていました。あなたが姿を見せたのは、偶然なんかじゃない」
『そこまで気がついているのなら、隠しても無駄ね』と、彼女は肩をすくめる。『あの遺跡は私の世界と深い関わりがあるの』
『あそこはインシの民の遺跡だと思ってたよ』
カグヤの言葉に彼女はうなずいた。
『あの辺りの空間は、とても複雑で込み入った状況に陥っていて、多くの世界が区別できないほどに混じり合っているの』
『そのひとつに、女神さまの世界が含まれている?』
『ええ。キッカケはインシの民の遺物だと思うけど……』
『女神さまはそこで何をしようとしているの?』
『力を取り戻すために、必要なことをするのよ』
「必要なことですか?」
私の問いに彼女は微笑んで、自身の柔らかい身体を私の腕に押し付ける。
『秘密を持っている女性のほうが、ずっと魅力的だとは思わない?』
「いい秘密と、悪い秘密が存在します」
『安心して、二人を裏切ったり、騙したりするようなことは絶対にしないから』
「そうならないことを願っています」
『意地悪なのね』
「あなたは現実を改変するような異常な能力を持った神に等しい存在だ。その気になれば、世界をあなたの思い通りに変化させることができる」
『だから信じられない?』
私がうなずくと、彼女は寂しそうな表情を見せた。
『でも言ったでしょ? 私は力を失っている。今でさえ、泥人形を依り代にして姿をみせるので精一杯なの。あなたたちを騙すようなことができる訳ないでしょ』
「あの土偶が依り代?」
『そう』彼女の綺麗な身体が半透明になると、ソファーにポツンと置かれた土偶が見えた。
『そろそろ限界かな……まぁ、そういうことだから、遺跡に行くときには、私のことも連れて行ってね』
「私って、その土偶のことですか?」
『もちろん』彼女が笑顔を見せると、その姿は徐々にぼんやりとした曖昧なモノに変化して、やがて完全に姿が見えなくなった。
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