第523話 石像


「とにかく先に進むしかない」薄暗い通路に並べられた石像を見ながら私は言う。「これ以上、ここに留まることはできない」

『そうですね』と、探し続ける者が私の言葉に同意する。『この遺跡は我々が想像もできないような危険性を孕んでいます。すぐに脱出することを勧めます』

「カグヤ、通路の先を照らしてくれ」

『了解』


 カグヤの操作によってドローンは通路の先に照明を向ける。通路の壁や床は、艶のある烏羽色に染められていて、塵や埃が床に薄っすらと堆積しているのが見えた。我々が遺跡に侵入する際に通った亀裂に視線を向けると、倒れてバラバラになった石像の残骸が転がっているのが確認できた。

 壁に亀裂が生じたときに床に倒れてしまったのだろう。地震が発生した可能性も考えられたが、正確な理由は不明だ。


 薄暗い通路では、生物が活動していた痕跡は確認できなかった。恐らく数十年の間、インシの民すら遺跡には立ち入らなかったのだろう。コケアリが歩く際に立てる爪の音以外に、通路では生物の気配を感じることはできなかった。

 敵対的な生物の気配を感じ取れる瞳を使って、周囲に敵が潜んでいるのか確かめようとしたが、遺跡全体に赤紫色の淡い靄が漂っていて、何も分からなかった。ハクにも確認したが、亀裂の向こうに大量の甲虫がいるため、遺跡内に敵が潜んでいるのかハッキリと分からないみたいだった。


「仕方ないな……」瞳の能力を使用せずに、ハガネの動体センサーを使って周囲の動きを確認することにした。

 ハガネで形成された義手から液体金属が染み出して、皮膚の表面を滑るようにして足元に移動するのが感じられた。液体は私がイメージした通りに動いて、タクティカルブーツの表層を覆っていく。姿形に変化はないが、ハガネによってブーツに能力が付与されたことがインターフェースで確認できた。


 動体センサーを起動すると、ブーツの底で床を軽く叩いて動体センサーが機能するか確認した。

「ハガネのセンサーは問題なく動いているみたいだな」拡張現実によって視覚化されて、通路の先に広がっていく青色のレーダー波を見ながら言う。

『それに生物の反応も確認できなかったよ』とカグヤが言う。『亀裂の向こうには昆虫がうじゃうじゃしてるみたいだけどね』

 ちらりと亀裂を確認したあと、通路の先に向かって歩き出した兵隊アリのあとについていくことにした。すでに我々の目的はトンネル掘削機を見つけ出すことから、インシの民の遺跡から脱出することに変わっていたが、それに異を唱えるものはひとりもいなかった。


 通路の左右に立ち並ぶ石像に睨まれながら、我々は薄暗い通路を進む。それらの石像は六メートルほどの高さがあり、反対側に置かれた石像と向かい合うように等間隔に並べられていた。石像の正確な数は分からなかったが、百体を優に超えていただろう。

 真直ぐな道がどこまでも続くかと思われたが、やがて通路の先にインシの民の頭部を象った巨大な構造物が見えてくる。それはあまりにも大きく、片方の複眼だけでも人間の身長と変わらないほどの大きさがあった。


 精巧に彫られた石像の複眼に睨まれるようにして、我々は立ち止まった。

「恐ろしく不気味な場所だな」と、ワスダは落ち着きなく言った。

「……わかるよ」

 彼の言葉に同意しながら巨大な構造物に視線を向けた。どうやら通路はこの場所で行き止まりになっているようだ。

「来た道を戻るしかなさそうだな」

 ワスダは溜息をつくと、巨大な複眼の中央に嵌め込まれていた鉱石に照明を向ける。奇妙な鉱石は光を受けて紫紺色の輝きを放った。


「兄弟、あれが見えるか?」

「ああ、まるで宝石だな」

 スズメバチなら、そこには単眼と呼ばれる器官があるが、インシの民の頭部にも似たようなモノがあるのだろう。もしかしたら、その単眼を鉱石で再現しているのかもしれない。

『何か重要な意味があるのかも。ちょっと調べてみるよ』

 カグヤの偵察ドローンが巨大な構造物に接近したときだった。まるで地震のように遺跡全体が縦に揺れると、我々の背後から金属を擦り合わせたような嫌な鳴き声が聞こえてきた。


『しつこい奴らだ』

 闇を見つめる者はカチカチと大顎を鳴らすと、兵隊アリの一団を前に出して甲虫との戦闘に備えた。逃げ道のない最悪な状況で戦闘になろうとしていたが、コケアリたちは冷静だった。

『考えがあります。少し時間を稼いでください』

 探し続ける者の言葉に反応して我々もライフルを構えると、薄闇の先に視線を向けた。ショルダーライトに照らされた通路は、黒光りする外骨格を持つ甲虫で埋め尽くされていた。正直、それは全身の鳥肌が立つほど気色悪い光景だった。


 その甲虫の群れに向かって、ハクは網のように広がる糸を次々と吐き出して、甲虫の進行を止めようとする。が、甲虫の群れは騒がしい鳴き声をあげながら強靭な糸を噛み切ろうとしていた。それを阻止するため、イレブンが高出力のレーザーを撃ち込むと、我々もフルオートで一斉射撃を行う。

 銃弾を受けた甲虫は金属的な響きを持つ鳴き声を発しながら死んでいくが、すぐに別の個体が死骸を乗り越えて糸に噛み付く。そうやってハクの糸は瞬く間に切断されてしまうが、ハクが諦めることはなかった。糸を吐き出して通路を塞いでいく。


 その間も我々は射撃を続けていた。小型擲弾が糸の間を通って群れの中心で爆ぜると、無数の甲虫が体液を撒き散らしながら吹き飛び、簡易型貫通弾が甲虫の外骨格を捩じ切るように引き裂いていく。しかしそれでも甲虫の勢いは止められない。

 後がない状態で厳しい戦闘を強いられていた我々には、遺跡に被害が及ばないように戦闘を行うという選択肢はなく、利用できる全ての弾薬を使って戦闘を行っていた。唯一例外だったのは、重力子弾と反重力弾だった。さすがに落盤を引き起こして、生き埋めになるような行為はできなかった。


 弾幕を掻い潜って接近してきた甲虫の群れは、隊列を組んでいた兵隊アリたちによって撲殺されていったが、敵の数は圧倒的に多く、現状を維持することも困難になっていた。

『見て、レイ!』

 カグヤのドローンから受信した映像が視界の隅に表示される。その映像には、探し続ける者の手から放出された鮮やかな青い光に反応して、構造物に嵌め込まれていた鉱石が輝いている光景が映し出されていた。


「あれも魔術なのか?」と、私は射撃を続けながら言う。

『そうだと思う……それに、あれを見て』

 インシの民はスズメバチの大顎に似た器官を持っていたが、巨大な構造物もインシの民の大顎を忠実に再現していた。鉱石が紫紺色の光を放って通路を昼間のように明るく照らし出すと、その巨大な大顎は左右に大きく開いていき、その奥に通路が出現するのが見えた。


「隠し扉になっていたのか?」

 困惑する私を余所に、闇を見つめる者は兵隊アリに指示を出して通路の先に部隊を移動させる。

『レイラたちも遅れるな!』

 彼女の言葉にうなずくと、射撃を続けながら構造物に近づく。ハクも天井から床に飛び降りてきて、巨大な大顎の間を通って通路に向かう。最後まで残っていた私とイレブンが大顎を通過すると、それはゆっくりと閉じていった。甲虫も侵入してきたが、コケアリたちによってすぐに叩き潰されて息絶えた。


 不思議なことに大顎がピタリと閉じると、騒がしかった甲虫の鳴き声はまったく聞こえなくなった。それに、構造物の表面は黒くザラリとした質感だったが、大顎の内側を通ったときに見えたのは、赤黒くて脈打つブヨブヨとしたモノだった。

 けれど反対側にも同様の構造物が置かれていて、大顎が閉じてしまっていたので、それがなんだったのかを確認する術はなかった。


「なんとかなったみたいだな」と、ワスダは周囲を見渡しながら言う。

 我々が立っていたのは、先程の通路とほとんど様子が変わらない場所だったが、艶のある烏羽色の壁は異様に高く、天井付近には光が通らない奇妙な靄が立ち込めていた。また壁には鎖でインシの民の外骨格が無秩序に、そして数え切れないほど吊るされているのが見えた。中身のない殻だけだったが、壁に吊るされている光景は異様だった。


「遺跡というよりは、地下墓所だな……」

 私のつぶやきのあと、探し続ける者が壁に近づく。

『死してもなお、この聖域を守り続けるという意思表示なのかもしれませんね』

「聖域の守護者か……」

『ええ。ですが、本物の守護者がいるかもしれません。注意して先に進んだほうがいいでしょう』

 戦闘で負傷者が出ていないことを確認すると、我々は通路の先に向かって歩き出した。通路は真直ぐ続いていて、道に迷うような心配をする必要はなかったが、それが却って不安な気持ちにさせた。遺跡の奥に誘い込む罠のようにも感じられたが、先に進むよりほかない状況だった。


『探し続ける者は魔術を使って、あの構造物を動かしたの?』

 カグヤが訊ねると、探し続ける者は長い首の先にある小さな頭部を動かして、それから返事をした。

『以前、インシの民について研究したことがありました。その経験が役に立ったのです』

 不思議なことに、会話に参加していなかった私にも彼女の声が聞こえた。

『インシの民も、イアーラ族やコケアリみたいに鉱石を使って、情報を保存したり奇跡のような現象を起こしたりするのかな?』

『インシの民は鉱石を使用しますが、人間のように機械も使いこなしますよ』


『機械?』と、カグヤは疑問を抱く。『インシの民が暮らす都市を遠くから見たことがあるけど、高度な機械文明を持っているようには見えなかったよ』

『それはインシの民が、普段の生活に重点を置かない種族だからなのかもしれませんね』

『生活に……つまり、大好きな戦闘では機械が使われている?』

『ええ。インシの民は戦闘を好む種族ですから、人間のように危険な兵器をたくさん所有しています』

『それはそれで厄介な生物だね……』


「砂漠の民か……」と、ワスダも話に参加する。「賢い種族には見えなかったが、やつらの何が特別なんだ?」

『種族の特性が関係しているのかもしれませんね』

『特性って、戦争によって支配した種族との間で異種交配して、自分たちの複製を造り出すこと?』

 カグヤの問いに、探し続ける者はコクリとうなずいた。

『次代の戦士を生み出す傍ら、征服した民族の技術も奪います。そうやって手にしてきた技術を使用するのです。ですが先ほども言ったように、インシの民は機械に囲まれた生活を送りません。贅沢に興味が無ければ、私たちのように嗜好品を必要としません』

「そいつらは何が楽しくて生きてるんだ?」と、ワスダは呆れながら訊ねた。

『戦い……でしょうか?』

 探し続ける者はそう言うと、苔生した複眼を天井に向けた。


 しばらく進むと、左右の壁に円形状の横穴が開いている箇所があることに気がついた。穴の大きさは決まっていないのか、ハクが余裕で通れる横幅のある穴もあれば、子供でも屈まないと進めない穴も確認できた。それらが不規則に存在していて、そのうちのいくつかは、まるで下水から汚物が垂れ流されるように、白濁した液体を垂れ流していた。

 次第に通路の壁と床はねばつく液体に覆われていって、歩くたびに足元からベチャベチャと嫌な音が聞こえるようになった。


『きもちわるい』

 ハクが脚を持ち上げると、粘度の高い液体が脚の裏に張り付いて、糸を引いているのが見えた。

「拠点に戻ったら、すぐに脚を綺麗にしないとダメだな……」

 落ち込んでいたハクの体毛を撫でていると、通路のあちこちから不気味な羽音が聞こえてきた。どうやらその重低音は、壁の至る所に開いている横穴から聞こえてきているようだった。


『戦闘の準備を――』闇を見つめる者が大顎を鳴らしたときだった。

 黄金色と茜色の縞模様があるでっぷりとした腹部を持つハチに似た生物が、横穴から突然現れて、壁のすぐ近くにいた兵隊アリに襲い掛かった。奇妙なことに、その生物は痛々しい縫い目が残る人間の頭部を持っていて、それは今にも破裂しそうな風船のように肥大化していた。


 床に倒れた兵隊アリは、自身に組みついていたハチを退かそうと必死に抵抗してみせたが、コケアリの身体を押さえつけるほど巨大なハチは、腹部の先についた毒針をコケアリの身体に突き刺した。

 それはコケアリの硬い外骨格を簡単に貫通するほど強力な一撃だった。針が突き刺さったコケアリは身体を激しく痙攣させると、瞬く間に息絶えてしまう。


 驚いて固まっていた我々とは対照的に、闇を見つめる者は凄まじい速度で駆けると、兵隊アリが取り落としていた金属の棒を拾い上げ、その棒でハチ型の奇妙な生物を攻撃した。あまりにも速い攻撃だったので、目で追うことはできなかったが、攻撃を受けたハチは破裂するように乾いた音を立てて、バラバラになって飛び散っていった。

 隊長アリの戦闘能力には驚かされたが、ハチに似た気色悪い生物が羽音を響かせながら次々と現れると、驚きよりも恐怖に心が支配されていった。

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