第493話 侵入


 姿なきものたちと交戦していたハクは、動きに精彩さを欠いていて、どことなく苛立っているように見えた。そしてそれは、ハクが化け物に向かって放っていた光線が命中しないからだけではないのだろう。

 私は化け物の動きに合わせてワイヤーを撃ち込むと、化け物の胴体にワイヤロープを絡ませて、翼の動きを阻害した。するとハクは建物の壁面を蹴って高く跳びあがり、化け物のぶよぶよとした腹部に鉤爪を突き刺し、真横に一気に引き裂いてみせた。悲鳴にも似た奇妙な叫びが化け物の内側から聞こえると、裂けた腹部からどろどろとした体液がこぼれ、消化しきれていない人間の手足やグロテスクな肉片の一部が飛び出すのが見えた。


 その姿なきものたちの死骸が地面に落下して、凄まじい勢いで叩きつけられるのを見届けていると、私が立っていた建物屋上にハクがやってくる。

「大丈夫か、ハク?」私は白蜘蛛が怪我をしていないか確認しながら言う。「あの奇跡を使い過ぎて、疲れているんじゃないのか?」

『きせき?』と、ハクはパッチリした大きな眼で私を見つめる。

「敵を凍りつかせる光線だよ。ダメって言ったのに、ずっと使っていただろ?」

『すこし、つかれたかもしれない』と、ハクはしょんぼりしながら言う。

 激しい戦闘が続いている入場ゲートの方角に視線を向けて、それから私は言った。

「もうすこしだけ頑張れるか?」

『うん。がんばれるよ』と、ハクは脚で地面を叩いた。

「でも無茶をするのはダメだ」

『むちゃ?』

「奇跡を使うのは禁止だ」

『どうして、きんし?』

「ハクが元気じゃないときに使うのは禁止なんだ」

『そういうことか』と、ハクは納得してくれる。


 私はハクの体毛を撫でながら、これからのことについて考える。その間、ハクは私のとなりでじっとしていてくれたが、道路を徘徊している人擬きを見つけると、唾をペッと吐き出すように糸の塊を遠くに飛ばして、哀れな人擬きを行動不能にしていた。


『……まずは』と、カグヤが言う。『前線の支援に向かったミスズの部隊に代って、防壁内に侵入してくる人擬きに対処しよう』

「対処って言っても、俺たちだけで相手するには数が多すぎる」と、私は思わず顔をしかめる。

『それなら、侵入した人擬きはトゥエルブの部隊に所属してるラプトルに相手をしてもらうよ』

「俺とハクは機械人形が取り逃した人擬きの相手をすればいいのか?」

『ううん。レイとハクには、空爆で破壊された防壁を塞いでもらう。人擬きと昆虫型変異体の主な侵入経路になっているのは、爆撃された監視所跡だからね』

「ハクの糸で簡易的なバリケードを築くのか?」

『うん。それにね、レイの装備なら弾薬を切り替えるだけで、強靭な金属ネットを発射できるようになるから、それほど手間のかかる作業にはならないと思うんだ』

 網膜に投射していた地図に目的の場所が表示されていくと、私は移動経路を確かめながらハクに状況を説明した。

「ばりけーど」と、ハクは触肢を擦り合わせながら無邪気に笑った。


 監視所跡に向かう際に遭遇した人擬きには全て対処した。推測でしかないが、徘徊している人擬きの多くは、汚染地帯の探索に向かって、そのまま人擬きウィルスに感染、そして化け物に変異した傭兵の成れの果てだったので、それほど脅威になる相手ではなかった。なかには巨人型と呼ばれる大型の人擬きもいたが、単体で行動していることが多く、貫通弾で手早く処理することができた。

 もちろん相手は人擬きだけではなかった。空爆を生き延びた処刑隊の残存部隊も徘徊していたので、突発的な戦闘を繰り返しながら目的地に向かうことになった。


「人間の相手は俺がする。ハクは壁と壁の間に糸を張って人擬きの侵入経路を塞いでくれ」

 監視所跡に到着するなり、私とハクは処刑隊の一斉射撃に遭った。私はハガネを操作すると、隠密性を重視した忍者のような黒装束を変化させて、赤を基調とした侍の甲冑にも似た鎧をまとって敵の注意を引きつけることにした。

 関節の動きを邪魔しないように絶妙な位置に配置された装甲のおかげで、防御力を維持したまま素早く移動して、処刑隊に接近することができた。彼らはハクの登場に驚いているようだったが、すぐに私を標的に定めた。


 処刑隊は倒壊した監視所の瓦礫に隠れながら攻撃してきていたが、弾薬を節約しているのか射撃の間隔が長かった。私はその隙をついて彼らに接近すると、ショルダーキャノンから撃ち出す自動追尾弾で容赦なく射殺していった。戦闘慣れした傭兵だろうと、戦うための物資がなければ、それほど脅威にはならないのだろう。


 監視所跡を占拠していた処刑隊を殲滅すると、瓦礫の間から立ち昇る黒煙を眺めながら足元の瓦礫を足先でトントンと叩いて、ハガネの動体センサーを起動した。すると瓦礫の間に潜んでいる人間の反応を複数検知することができた。どうやら警備隊の生き残りがいるようだ。警戒しながら反応があった場所に接近したが、彼らは我々との戦闘を望まなかった。身体のあちこちから血を流していた隊員は疲れた顔をしていて、武器を所持していなかった。


「俺たちは降伏する!」そう言って次々と姿を見せる隊員を一箇所に集めて、彼らの処遇について考えていると、倒壊した建物の陰から物音が聞こえた。私は素早くライフルを向けた。

「待ってくれ!」と、地面に座り込んでいた男が銃口の前に立った。「ただの犬だ。見逃してくれ」

 男の背後に視線を向けると、三頭の大型犬が尻尾を振りながら近づいてくるのが見えた。私はすぐにライフルの銃口を地面に向けると、近づいてきた犬を撫でながら、ベルトポーチから国民栄養食を取り出して食べさせた。それから抵抗する素振りを見せない警備隊を待機させて、ハクと協力して簡単なバリケードを築いていった。


『ねぇ、レイ』と、カグヤの声が聞こえた。『あの人たちのこと、どうするつもりなの?』

 疲れた表情で地面に座り込んでいる警備隊にちらりと視線を向ける。

「彼らは鳥籠の警備隊に所属している人間だ。教団に雇われた殺し屋じゃない。降伏して敵対する意思がないのなら、彼らを殺す必要はない」

『そうだけど、このまま放置することもできないでしょ?』

 カグヤの言うように、人擬きが徘徊する危険な場所に彼らを置き去りにすることはできなかった。

「前哨基地に向かってもらうよ。あそこにはアーキ・ガライの狙撃部隊がいて、常に周囲に目を光らせているから、よほどのことがない限り彼らの安全は保障される」

『なら味方用の識別信号を貼り付けるけど、本当にいいの?』

「戦闘後のことも考えないといけない。ここで警備隊全員が死んでしまったら、鳥籠を守る人間がいなくなる」


 アーキ・ガライに捕虜のことを伝えたあと、私はハクと共に残りの監視所跡に向かうことにした。他の場所でも処刑隊の残存勢力と戦闘になったが、満身創痍だった彼らを相手にするのはそれほど難しいことではなかった。それよりも問題になったのは、降伏する警備隊員の数が増えていったことだ。あの空爆で相当な数の死者が出ていたが、生き延びた者も多くいた。そして彼らは鳥籠に対して行われた空爆を目にして、完全に戦意を喪失していて、我々に攻撃する気力すらなかった。


『さすがにこれだけの人数になると、間者が入り込む可能性が出てくるよ』

「……そうだな」カグヤの言葉に同意したあと、秘密の通路を探していた機械人形の部隊に前哨基地の警備をまかせることにした。もしも不審な動きをみせるものがいれば、問答無用で攻撃するように指示を出すことも忘れなかった。

『すこし厳しいと思うけど、背に腹は変えられないか……』と、カグヤはつぶやく。

「この戦闘をさっさと終わらせられたらいいんだけどな」

『でも入場ゲートの制圧にはまだ時間が掛かるかもしれない』

「空爆であれだけの破壊を見せられても、処刑隊の連中は諦めないのか?」

『うん。まだ抵抗を続けてるよ』

「重力子弾で一気に片を付けるのは?」

『旧文明の貴重な防壁を破壊する訳にはいかないからね。ヌゥモの部隊が制圧するのを待つしかないよ』


「イーサンの諜報部隊は――」そう言いかけたときだった。

『レイ、すこし困ったことになった』と、イーサンの声が内耳に聞こえた。

 ハンドガンから撃ち出された金属ネットが防壁に食い込むのを眺めながら、私は応答した。

「どうしたんだ?」

『激しい抵抗にあったが、なんとか鳥籠の中枢を占拠して教団の幹部を捕らえることができたよ。けど想定していた通りの問題が発生した』

『問題?』と、カグヤが割り込む。『部隊に負傷者が出たの?』

「いや、俺たちは無傷だよ。問題は幹部の連中を何人か逃したことだ」

「もしかして……」と私は言う。「連中が逃げ込んだのは秘密の通路か?」

『そうだ。奴らが使いそうな隠し通路の位置を予測したデータがあるから送信する。そっちで確認してくれないか』


 通路の出入り口が設置されている予測区画が地図に表示されると、カグヤは機械人形に探索させていた秘密通路の位置を地図に重ね合わせる。幾つかの通路はすでに封鎖して、通路が使えない状態になっていたが、まだ探索していない区画が一箇所残っていた。

「まだこの辺りにいるとしたら、その場所が怪しいな……」

『レイ、逃げ出した幹部の捜索を頼めるか?』

 イーサンの疲れた声が聞こえると、私はうなずいた。

「まかせてくれ。それより、そっちは大丈夫なのか?」

『この場に残った連中は抵抗する気がないのか、素直に指示に従ってくれているよ』

「なら作戦は順調だな」

『実は厄介な問題がもうひとつあるんだ』

『教団に関わると問題ばかり起きる』と、カグヤが悪態をついた。


 人擬きの侵入経路がハクの糸で完全に塞がれたことを確認したあと、私はイーサンに訊ねた。

「その問題っていうのは?」

『処刑隊に命令を出せるだけの権限をもった人間が、この場に残っていないってことだ』

「権限? 処刑隊は機械人形じゃないんだろ?」

『ある意味では機械みたいな連中だ。奴らは権限をもった幹部の命令にのみ従う』

「つまり、そこにいるのは幹部とは名ばかりの下っ端連中だったってことか?」

『そうだ。教団の本部から鳥籠に派遣されているから、ここではそれなりの地位についているみたいだが、正直、お前さんが戦っていた信徒たちのほうが、よほど上位の存在だったんだろう』

「だからまだ停戦命令は出せないのか……」

『あの人は?』と、カグヤが言う。『娼館が大好きなラムズとかいう幹部がいたでしょ? 報告書では処刑隊との関りも示唆されていたし、彼を使えばなんとかなるんじゃない』

『残念だけど、逃げた幹部のなかにそのラムズがいるんだよ』

「最悪だな……」と、私は溜息をついた。


 イーサンとの通信のあと、私とハクは目的の場所に向かって移動を開始した。相変わらずハクは元気がなかったが、人擬きや傭兵相手に苦労する様子は見られなかった。ただ時折、何かの気配を感じているかのような素振りをみせて、防壁の向こうに広がる汚染地帯を見つめていた。


 地下施設に繋がる秘密経路を見つけるまで、それほど時間を必要としなかった。と言うのも、防壁の側に倒壊した建物があって、そこに積み上げられた瓦礫の一部が不自然に片付けられていたのだ。瓦礫が退かされていた床をカグヤのドローンで調べてもらうと、床の一部が地下に繋がるハッチになっていることが判明した。

『この通路はすでに使用されたあとだよ』と、堆積した砂に残る足跡をスキャンしながらカグヤが言う。

「あとを追えるか?」

『カラスとワヒーラを使って探してるけど、まだ反応はつかめてない』

「ワヒーラでもダメってことは、索敵範囲外に出たのか?」

『あるいは、どこかに隠れているのかも』

「動いていないと動体反応を捉えるのは難しいか……」それから私は思い出したように言う。「ハクは生物の気配を感じないか?」


 ハクは私をじっと見つめる。

『けはい、みつけたよ。でも、あぶないかもしれない』

「危ない?」ぼんやりと紅色に染まっていくハクの眼を見ながら訊ねた。

『うん。いっぱいきてるから』

「いっぱい? 何が来ているんだ?」

『いっしょにいく』ハクはそう言うと、長い脚で私を抱き寄せて、そのまま建物の壁面に向かって跳躍した。

 しばらく移動すると、空爆で破壊された監視所跡が見えてきた。が、そこには見慣れない大蜘蛛の姿があって、その触肢には人間の死骸が挟まっていた。


 六階建ての集合住宅の屋上に立った私は、ハクと共に眼下に見える大蜘蛛の動きを注意深く観察する。その蜘蛛はハクより一回り大きな身体をもっていて、ハエトリグモにも似た可愛らしさがあるハクと違って、スズメバチのような攻撃的で恐ろしい眼をしていた。その黒い眼は、光の角度で鉄紺色に染まることもあれば、紫紺色に輝くこともあった。それは鋏角をもぞもぞと動かし、その先から伸びた牙を人間の腹部に食い込ませていた。その姿を見ているだけで、大蜘蛛がどれほど恐ろしい存在なのか理解できるような気がした。


『深淵の娘だ』と、カグヤが意味もなく小声で言う。『空爆の音を聞いて、汚染地帯からやってきたのかも』

 フサフサとした真っ黒な体毛に覆われた大蜘蛛は、噛みついていた死骸を捨てると、赤い斑模様のある腹部をカサカサと揺らし、長い脚をのっそりと動かして近くに倒れている人間の側に向かう。

「あれは……」と、私は視界の先を拡大しながら言う。「ラムズだな」

『助けに行く?』

「いや」と、私は頭を振る。「ハクが感じている気配のことが気になる。もしも他の深淵の娘も近くまできているなら、助けに行った俺が餌にされるかもしれない」

 ハクがそうであるように、深淵の娘は索敵に特化したワヒーラでも姿を捉えることはできない。であるなら、大蜘蛛相手に無茶をすることは避けたほうがいい。


 大蜘蛛の攻撃で身体が痺れているのか、倒れていたラムズはぎこちない動きで大蜘蛛に拳銃を向けた。すると大蜘蛛は鋏角を広げ、触肢と脚を高く上げてラムズを威嚇する。その恐ろしい姿に怖気づいたのか、ラムズは小さな拳銃を取り落とした。

 それから大蜘蛛はラムズの手足を切断すると、彼の悲痛な叫び声を聞きながら腹部を裂いて、柔らかい内臓を食べていった。やはり何かしらの神経毒が使われているのか、哀れなラムズは痛みで気絶することもなく、また血圧の低下や意識障害等でショック死することもなく、自身の内臓が喰われていく光景を見ながら、ゆっくり死ぬことになった。

 やがて大蜘蛛は食べることに飽きたのか、ラムズの死骸を捨て、防壁の向こうに広がる汚染地帯に帰っていった。その間、ハクは姉妹の姿をただじっと見つめていた。

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