第475話 態度


 多くの民間人を収容するために建造された核防護施設には、ほかの地域で見られる旧文明期の施設跡同様に、人間の共同体がつくりあげた鳥籠と呼ばれる『小さな町』が地上に存在した。我々は愚連隊に案内されながら、岩山内部に築かれた警備隊の基地を移動して、その小さな町に繋がる通路を歩いていた。

 金属板で覆われた通路の道幅は狭く、ハクがかろうじて移動できるものだった。短い通路の先には重厚な隔壁があり、我々が接近すると隔壁はゆっくりと開放されていった。通路内に熱風と共に日の光が差し込むと、多くの人間で賑わう町の通りが見えてくる。


 通りには紅蓮の地下施設から発掘される旧文明の遺物と、広大な貯水池で入手できる新鮮な水を求めてやってきた行商人、そして鳥籠にやってくる人間を相手に商売している人間で溢れていた。

 日に焼けた健康的な肌を露出して人々を誘惑する娼婦や、砂漠に点在する旧文明の建物から出土するハイテク機器を販売する商人、そして通行人同士の喧嘩を仲裁する警備隊の人間で通りは混雑していた。けれど愚連隊が我が物顔で通りに出ると、人々は迷惑そうな顔をしながらも、愚連隊が悠々と歩けるだけの空間をつくった。


 愚連隊が垣間見せるいきがりと乱暴な振る舞いが、周囲の人間を困らせているのかもしれない。しかしそれでも人々が愚連隊に向ける態度は奇妙なものだと思った。愚連隊はチンピラの集団で組織されていたが、それでも砂漠の脅威から『紅蓮を守っている』という認識をもっていたからだ。あるいは、青年が率いている部隊だけが特別で、ほかの部隊は無法者の集団と変わらないのかもしれない。


 愚連隊に続いてハクが現れると、周囲の状況は一変する。廃墟の街で目撃される危険な変異体に酷似した白蜘蛛を目にした人々は、息をするのも忘れてハクを凝視する。そして何処からともなく悲鳴が聞こえると、人々は集団パニックにでもなったかのように、悲鳴をあげながら逃げていった。

 ある者は腰を抜かしてその場に座り込み、またある者は露店に身を隠して武器を構えた。すべての者が逃げ出したわけではないが、遠くからこちらの様子を窺っている者たちの表情にも絶望的な恐怖が浮かんでいるのが見て取れた。


 ハクを見たときに鳥籠の住人が見せるであろう態度は、なんとなく予想出来ていたので、ハクが嫌な思いをしないように事前に伝えていた。それでも、これほどあからさまな態度で不満や恐怖が示されると、それが仕方ないことだと分かっていても、ひどく不愉快な気分になった。そしてその嫌な気分はハクも感じているのだろう。ハクとの精神的な繋がりを持っているからなのか、ハクの悲しみを含んだ怒りの感情によって胸を締め付けられる思いがした。


 ハクを励まそうとして、口を開いたときだった。

「どうなってんだよ」と、青年が通りを睨みながら舌打ちする。「レイラたちを連れてくることはさっき報告していただろ。なんでこんな騒ぎになるんだ」

 青年の言葉に反応したのは、逃げずにその場に残っていた警備隊員だった。

「す、すみません!」と隊員は頭を下げた。「まさか大蜘蛛を連れて、通りに出てくるとは思っていなかったので」

「すみませんじゃねぇよ」と青年は隊員の襟首を掴んだ。「どうやってこの事態を収めるつもりなんだ? 客が戻ってこなかったら、お前たちが責任をとってくれるのか?」

「しかし段取りと言うものがあります!」と、別の隊員が青年に目を合わせずに言う。「急にこちらに来られても、すぐに対応することはできません!」

「お前らは不測の事態に備えて、鳥籠の警備をしているんだろう? ならこれくらいのことやってみせろよ」


 警備隊員は言い返そうとしたが、青年に睨まれると怖気づいてしまう。

「すぐに人を呼びます!」

「ならさっさと呼べ。それからお前!」青年は隊員を押し退けると、露店の陰に隠れていた男に近寄る。「死にたくなければ、さっさとそのライフルをしまえ」

「は?」と、溶接マスクを被った男が首をかしげる。

「は? じゃねぇよ。俺の仲間に銃口を向けてんじゃねぇ!」

 青年は急に男の顔面を蹴り上げると、倒れた男の手からライフルを奪って、そのライフルのストックで容赦なく何度も男を殴りつけた。


「それはさすがにマズいですよ!」と、警備隊員が慌てて青年の腕を掴む。

「お前な!」と青年は声を荒げる。「マズいじゃねぇんだよ。鳥籠に引き籠ってるだけの奴らが、与えられた仕事もまともにできねぇからこうなってんだろ? 俺さまに意見したいんだったらな、砂漠に出て盗賊や化け物を相手にてめえの命を張ってみろよ!」

 青年が警備隊員を殴ろうとしたときだった。

「いい加減にして!」と、愚連隊に所属している女性が二人の間に割って入る。「あの人は白蜘蛛が怖かったから武器を抜いただけでしょ? どうしてそこまでする必要があるの!」

 青年は女性を見つめて、それからライフルのストックにべっとりと付着した血液に視線を落とす。そして興ざめしたのか、適当にライフルを放り捨てる。


「そいつの面倒はお前が見ろ」

 青年は警備隊員に対して理不尽な物言いをすると、女性の手首を掴んでハクのもとにやってくる。

「いいか、ハク。奴らの態度を気にする必要はない。あんな臆病な奴らを相手にするだけ時間の無駄なんだよ」

『むだ?』と、ハクはパッチリとした眼を青年に向ける。

「こう見えても俺は老大の甥っ子だからな、何となくハクの気持ちが分かるんだよ。タメの奴らに避けられて、怖がられるのにはうんざりしていたんだ」

『きもち、わかる?』

「ああ。遠巻きに陰口をたたかれるのは不快だからな。そうだろ?」

『うん。わるいやつ、きらい』


「よし」と青年はうなずく。「ならさっさと姉さんに会いに行こう」

「待ってください!」と、警備隊員が土下座する勢いで青年の足に抱きついた。「姉さんがこっちに来ます。だからそれまでここで大人しく待っていてください!」

 青年は腕を組んで何かを考えたあと、自身の足に抱きついている隊員を見つめた。

「それなら市場に設置されているスピーカーを使って、ハクのことを知らせておけ」

「知らせる……ですか?」

「ああ。俺たちと一緒に行動している白い深淵の娘は無害だから、いちいち怖がる必要はないってな」

「深淵の娘!」と、隊員は大袈裟に驚いて尻餅をついた。

「だからよ、その態度だよ。警備隊の人間がそんな態度だから客がビビっちまうんだろ?」

「しかし、あの深淵の娘ですよ」

「しかしもクソもねぇんだよ。さっさと言うとおりにしろ」


「部下をいじめるのは、そこまでにしてくれないか」と、女性の声が聞こえる。

 通りに視線を向けると、見知った女性が数人の隊員を従えてこちらに歩いてくるのが見えた。彼女は紅蓮の警備隊長を務める『イリン』で、これから会いに行こうとしていた人物でもあった。イリンは警備隊の人間と揃いの戦闘服を着ていて、長い黒髪をひとつにまとめて背中に流していた。


「久しぶり、レイ」彼女は笑顔でそう言うと、ヌゥモに狐色の瞳を向けて簡単な挨拶をした。それから両手を腰に手を当ててハクを見つめた。「それで、この子がレイの相棒ね」

「ああ、レイラの相棒のハクだ」青年がそう言うと、イリンは彼の頬を叩いた。

「レイラじゃないでしょ? あんたはいつから恩人にそんな口を利けるようになったんだ?」

 すると青年の側に立っていた女性が、彼を庇うように前に出る。

「すみません、姉さん」

 イリンは溜息をついて、それから言った。

「リーファには何度も言っているけど、こいつを甘やかしてもいいことなんてひとつもないんだ」

「ですが――」


 イリンは彼女を無視して私に言った。

「すまないね、レイ。ハクのことは警備隊に知らせてあるけど、紅蓮に来ている客に伝わるまで少し時間がかかるんだ。それまでここで待っていてもらえないか」

「問題ないよ」と私は申し訳なさそうに言う。「それより面倒をかけたみたいだな。ハクを連れてくるって、ちゃんと連絡をしておくべきだった」

「気にしないで、どうせこいつが強引にレイたちを連れてきたんでしょ?」

 イリンに睨まれると、青年は素早く目を伏せた。

「悪いな」と私は言う。

「ほんとうに気にしないで、それにね、レイに見てもらいたいものがあるの。だからどのみち、市場に来ている客は混乱していたと思う」


「俺に?」と私は首をかしげる。「地下でなにか問題が起きたのか?」

「実は」と、イリンは言う。「地上の貯水池で利用している浄水装置で問題が起きてるの。データベースに接続する高い権限を持っているレイなら、装置にアクセスして故障原因が分かるかもしれないと思っているの。もし良かったら装置を調べてもらえない? もちろんタダとは言わない」

「それくらいのことならすぐにできるけど、俺がアクセス権限を持っていることは何処で知ったんだ?」

「レイは誰も近づけなかった兵器工場に侵入して、オートドクターを回収したじゃない? それはデータベースにアクセスできたからだと思っていたけど……」

「そう言えばそうだったな」と、私はオートドクターを紅蓮の責任者であるジョンシンに譲ったことを思い出しながら言う。


 我々が話をしている間、鳥籠のあちこちに設置されていたスピーカーを介して白蜘蛛の情報が連絡事項として伝えられていた。しかしその際、ハクが深淵の娘だという情報は完全に伏せていた。もちろんそれは人々が混乱しないための配慮だ。廃墟の町では蜘蛛型の変異体は多く目撃されるが、深淵の娘たちは、それらの変異体と一線を画す存在だ。隊商を率いて廃墟の街を移動する商人は、その姿を知らなくても、深淵の娘の噂は知っている。だから客が混乱しないように、ハクが深淵の娘だということは公表されなかった。


「それで、浄水装置の問題っていうのは?」

 私が訊ねると、イリンはこまったような顔を見せた。

「五十二区の鳥籠との争いが本格的な戦闘行動に発展していくと、砂漠を行き交う行商人たちにも被害が出るようになったの。でも商人たちは砂漠で生きる私たちの生命線でもある。だから彼らを保護するようになった。戦闘に巻き込まれた際に生じた損失の一部を補填してあげたり、怪我をしていれば無償で治療を行ったり」

「商人が離れていかないように、働きかけていたのか」

「そう。でも結果的に紅蓮の負担が増えることになった」

「水の供給量が増えたことで、浄水装置が故障したのか?」

「ええ。水はまだ入手できるけれど……」


 警備隊の人間と愚連隊を引き連れながら、我々は人通りが少なくなった道を歩いた。すると通りの先に貯水池が見えてくる。以前は水を求める多くの人間で長蛇の列ができていたが、先ほどの騒動の影響もあって今は人の姿がまばらだった。警備隊の手によって専用の容器に注がれている水を確認すると、それは確かに薄茶色に濁っていた。


「問題の浄水装置は何処にあるんだ?」

 私が訊ねると、イリンは貯水池を囲む壁の向こうを指差した。

「浄水装置は地上と地下の二箇所にある。地下にある水源から汲み上げられた水を綺麗にするものと、地上の貯水池に蓄えられた水を常に綺麗な状態にしている装置がある」

「故障しているのは両方か?」

「ええ、恐らく。地下施設で普段利用している水にも異常は起きているから」


『故障したのは今回が初めてじゃないと思うんだけど、今まではどうしていたんだろう?』

 カグヤの疑問についてイリンに訊ねると、彼女は頭を横に振る。

「今までは問題が起きても、フィルターの交換をするだけで良かったの」

『今回はそれでもダメだったんだね』とカグヤが言う。『……それにしても、数世紀も故障せずに稼働し続ける装置って、なんなんだろうね』

 人類が宇宙に進出した時代において、人間の活動にとって必要不可欠な資源を管理する装置に惜しみなく技術が導入され、製造に細心の注意が払われたことは理解できるが、それでも数世紀もの間、何の問題もなく稼働し続けた装置には驚愕させられる。


 しばらくして通りに客足が戻ってくると、警備隊に連れられた集団が見えてくる。十数人の男女はボロ布を着ていて、手足は鎖で繋がれていた。

 私の視線に気がついたのだろう、イリンが集団について教えてくれた。

「あれは罪人たちだよ。紅蓮と『砂漠の民』との古い盟約によって、罪人は砂漠の民に引き渡すことになっているんだ」

「砂漠の民っていうのは、人型の昆虫種族のことか?」

「そうだ。紅蓮はこの砂漠で彼らと共存している」

「罪人がどうなるのか知っているのか?」

「知ってるけど、何かあるのか?」

「いや」と私は頭を振る。「確認したかっただけだ。それより装置まで案内してくれるか?」

「こっちだ。ついてきてくれ」イリンはそう言って歩きだしたが、すぐに立ち止まる。「リーファたちも解散してくれ。レイラたちのことは私に任せてくれ」


「待ってくれ」と青年が慌てながら言う。「俺はハクと約束があるんだ」

 イリンは溜息をついて、それから言った。

「それならあなたは残りなさい。他のものは自由にしてちょうだい」

 愚連隊に所属しているものたちは青年と言葉を交わすと、人が増え始めた通りに消えていった。残ったのは短髪の青年とリーファと呼ばれる女性だけだった。二人の関係は分からなかったが、気性の激しい青年の側に彼女が残ってくれるのは助かる。

「それじゃ行きましょう」イリンはそう言うと、貯水池に向かって歩き出した。

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