第471話 遺跡


 カグヤの操作する偵察ドローンによって、地中に存在する謎の空間の安全性が確かめられたあと、私は穴の縁にぶら下がるようにして六メートルほど下にある地面に飛び下りた。不自然な暗闇が立ち込める空間は、天井の穴から差し込む日の光が唯一の光源となっているようだった。その光の筋に浮かび上がる粉塵を眺めていると、ヌゥモ・ヴェイが颯爽と飛び下りてくる。


「奇妙な場所ですね」と、空間に立ち込める異質さを肌で感じ取ったヌゥモが周囲に視線を向けながら言う。

「ああ、嫌な雰囲気だ」私はそう答えると、天井に開いた穴からこちらを覗き込んでいたハクに言った。「すぐに戻るから、ハクはマシロたちと一緒に地上で待機していてくれ」

『わかったぁ』と、間延びした可愛らしい返事が聞こえた。


 ハクがそそくさといなくなってしまうと、私は天井から吊り下げられていたローブから視線を外して深い暗闇に目を向けた。

「カグヤ、照明を頼めるか」

『もちろん』

 偵察ドローンのカメラアイから扇状に青白い光が広がると、空間の奥に棺桶にも見える長方形の石棺が等間隔に並んでいる様子が見えた。それは表面が荒く、ザラザラとした石材で造られているようだった。幅が三メートルほどの何の特徴もない灰色の棺桶は、照明の光が届かない暗闇に向かって延々と続いているようだった。その数は数百を下らないだろう。馬鹿げた話かもしれないが、空間の途方もない広さを考慮すれば、数千は存在しているのかもしれない。


「ヌゥモ、あれが何か分かるか?」

 私の言葉にヌゥモは腕を組んでしばらく考える。

「残念ながら私には見当もつきません。しかしこの異常な空間は墳墓のようにも、何かの儀式を行うための神殿にも見えます」

「儀式に墳墓か……たしかにこの場所が持つ独特な雰囲気は墓場に似ているな」

「はい」

 ヌゥモはうなずくと、鬼を象った面頬のようなフェイスマスクを装着した。


 それがどんな生物だったのかは分からないが、地上で派手に暴れた化け物たちによって地下空間に続く穴が偶然に開いてしまったのだろう。崩落した天井からは飴色のサラサラとした砂が流れ落ち、灰色の床に堆積していた砂埃を舞い上がらせていた。

 私も粉塵を嫌い、すぐにフルフェイスマスクで頭部を覆うと、異常な空間に視線を向けた。天井や床は長方形の石材が隙間なく敷き詰められていて、この空間を建造した何者かの高い建築技術の一端を窺い知ることができた。けれど無機質な地下空間では、生物の痕跡を見つけることはできなかった。


『レイ、どうするつもりなの?』と、カグヤの声が内耳に聞こえた。

「この異常な空間を調査してみようと思う」

『地下に存在する遺跡の調査か……水源のすぐ近くにあるから放っておくこともできないのは分かるけど……』

「けど?」と私は周囲に視線を向けながら言う。

『急に気温が低下したことに気がついた?』


 スキンスーツをイメージして戦闘服の下に纏っていたハガネの薄い膜の所為で、周囲の環境が急激に変化したことに気がつかなかったのだろう。インターフェースに表示される数値を確かめると、たしかに暑苦しい砂漠の真只中にいるとは思えないほど気温が下がっていることが確認できた。


『それに』とカグヤは続ける。『この空間は、異界を探索したときに感じた雰囲気に何処となく似ている』

「異界?」

『ほら、エボシの研究施設に設置されていたゲートを越えて、イーサンたちと一緒に異界に向かったでしょ』

「ハクが不思議な能力を手に入れた場所だな」

『うん。ここでは通信を中継してくれる装置を設置しなくても、普通に私と会話できている。だからこの場所が異界だと断言することはできない。でもそもそも砂漠地帯は、地球に存在する異界の領域みたいな場所でしょ?』

「境界は曖昧だけど、東京湾に向かって広がっている砂漠地帯は異常だな」

『地球と異界の領域が混ざり合った異質な地域なだけでも異常なのに、私たちはその奇妙な空間に存在する遺跡を調査しようとしているんだよ』

「準備もなしに探索をするには危険すぎるか……」


「問題は他にもあります」と、ヌゥモは石棺が並ぶ空間を指差しながら言う。「この先は、ちょうどオアシスの下に位置しているはずです。しかし湧き水はおろか、水脈に続く空間そのものが何処にも存在しません」

 たしかにその広大な地下空間は不自然に存在していた。天井や床の存在はハッキリと確認できたが、壁の存在は今も確認できず、濃密な暗闇が我々の周囲に何処までも続いているだけだった。そして何よりも不思議だったのは、その広大な空間の天井を支える柱が存在しないにも拘わらず、天井は崩落せず、謎の地下空間が今も維持されていることだった。


『この空間に感じていた不自然さの正体が分かったような気がする』

 カグヤの言葉に私はうなずいて、それから言った。

「拡張された空間だな。この遺跡はウェンディゴのコンテナ内でつくりだされる拡張空間に似ているんだよ」

 地下空間は確かにオアシスの地下に存在している。けれど空間そのものが拡張され、地上の空間と完全に分断されているように見えた。しかしそれが旧文明期に使用されていた技術と同様のものなのか、あるいはまったく異なる技術によって具現化されているのか、それを確かめる術を我々は持たなかった。


 インターフェースに表示される鴉の視界で、地上にいるハクたちの様子を確認したあと私は言った。

「この遺跡の危険性については分かった。でも地上に向かう前に、せめてこの空間の広さだけでも確かめてみよう」

『了解』とカグヤは言う。『一応、迷子にならないようにこの場所に信号発信機を残していこう』

 視線の先に広がる不気味な暗闇を見つめたあと、私はベルトポーチから設置型のシグナルマーカーを取り出した。四角い装置のスイッチを入れると、ストロボライトが点滅するのを確認しながら灰色の床に設置する。地上から降ってきた砂が堆積していたので、砂に埋め込むようにして装置を固定することができた。


 偵察ドローンのあとについて歩きながら長方形の石棺に近づく。腰ほどの高さがある石棺には、その手の遺跡で見られるレリーフや豪華な装飾の類はなく、触れてみると見た目通りにザラザラとした質感をしていた。奇妙だったのはその冷たさだった。まるでドライアイスのように冷たく、また石棺の蓋はピタリと閉じられていて、少しの力ではビクともしないほど重たかった。

『レイ、軽率に過ぎるよ。むやみに触れないで』と、カグヤがピシャリと言う。

「悪かった」私は石棺から離れながら素直にそう言った。


 奥に進むほど遺跡の天井は低くなり、そして何処からか凍えるような冷たい風が吹くようになった。けれど目の前に広がる景色は相変わらずだ。見渡す限り長方形の石棺が暗闇に向かって延々と並んでいるだけだった。

 しばらく歩いていると、周囲の光源は偵察ドローンの照明と、遥か後方に設置してきたシグナルマーカーの弱々しい光だけになっていた。そろそろ地上に引き返すことを考えていると、視線の先にようやく壁のようなものが見えてくる。灰色の石材を隙間なく積み上げた壁には、人間が屈んでやっと通ることができそうな入り口があることが確認できた。どうやら扉の向こうは通路になっているようだ。


 中途半端に開いた状態で放置されていた石の扉の奥からは、巨大な獣の唸りのような風が吹きつけていたが、重たく厚い石扉はピクリとも動かなかった。偵察ドローンの照明によって暗闇に浮かび上がった通路は、階段へと続いているようだったが、天井がやけに低くなっていることが気になった。

 階段を含めて通路は灰色一色の岩盤を掘り抜いてつくられていて、石材の表面は鏡のように磨き上げられていた。それは周囲の景色が映り込むほどだった。


「カグヤ、通路の先に何か見えるか?」と、私は視線の先を拡大しながら言う。

 偵察ドローンはカメラアイの絞り羽根を操作して、扇状に広がっていた光を一点に集めて階段の先を照らした。しかし階段は地下深くに続いていて、その先がどうなっているのかを確認することは困難だった。

『ううん。でもこの先の調査は諦めた方がいいかも』

「どうしてそう思うんだ?」

『確認できる範囲のことだから確かなことは言えないけど、天井が徐々に低くなっているんだ。最終的にはしゃがんだ状態で先に進むことになると思う』

「そんな状態で敵対的な生物に襲われたら厄介なことになるな……それにしても、奇妙な場所だ。まるで小人のために用意された通路じゃないか」

『小人というより、地面を這うように移動する生物のための通路だよ』

「……ワニやトカゲみたいな匍匐動物?」

『それは分からない。でも本格的に遺跡の調査をするなら、探索に特化したドローンを用意しないとダメだと思う』


「そうだな……」そう言って扉に手をかけたときだった。私のすぐとなりに立っていたヌゥモが背後の暗闇を見つめながら剣の柄に手を添える。

「聞こえましたか?」

「いや」と、私はヌゥモの言葉に頭を振る。「何か見つけたのか?」

「僅かな物音と奇妙な気配を感じました」

 扉の先から吹く強風に気を取られていた所為なのかもしれないが、物音や気配に気づくことができなかった。けれど改めて暗闇に視線を向けると、闇そのものが人間に与える根本的な恐怖や不安のようなものが、その暗闇に充満していることに気がついた。


 名状しがたい恐怖を背筋に感じながら私は暗闇をじっと見つめる。

「ここで引き返した方がいいと思うか?」

 ヌゥモは暗闇に視線を向けたままうなずいた。

「それなら戻ろう。カグヤ、俺たちを先導してくれ」

 カグヤの操作でドローンが動き出したときだった。扉の向こうから吹き付けていた風に、恐ろしい憎悪と底知れない悪意に満ちた気配を感じて私は振り返った。そして無意識に自分自身に対する敵意を感じ取れる瞳の能力を使ってしまった。その瞬間、私の精神は耐え難い敵意と憤懣に晒されてしまう。そのあまりにも大きな感情の波を無防備に受けてしまったことで、私は激しい頭痛と吐き気に襲われてしまう。


 立ち眩みと強い吐き気を我慢しながら瞼を強く閉じると、意識して瞳の能力を遮断しようと努め、通路の先からやってくる気配を感じ取れないようにした。すると瞼を閉じていても視界に映り込んでいた濃霧のような赤紫色の靄が、徐々に薄れていくのが見えた。

『大丈夫、レイ?』と、カグヤの柔らかい声が聞こえる。

「ああ」と、私は吐き気を我慢しながら言う。「でもすぐに遺跡を離れた方がいい。この場所は侵入者に対する強い敵愾心で満ちている」

 それがなんであれ、遺跡の地下には深い憎しみを抱いたものが存在している。それは這い寄る恐怖と共に、今も暗闇の向こうに潜み、我々に襲いかかる隙を窺っている。


 先ほど感じた恐怖を隠すように、胸の中心に吊るしていたライフルに手を添え、周囲に警戒しながら早足で出口に向かう。すると騒がしい通知音と共に鴉の眼が捉えた俯瞰映像が視界に表示される。

『レイ、敵の襲撃だ!』カグヤの声に反応して私とヌゥモは駆け出す。

 地上ではサソリに似た昆虫型の変異体が樹々の間から次々と現れて、ハクたちに襲いかかっているところだった。黒光りする体表を持つサソリ型生物はニメートルほどの体長を持ち、尾のように見える細長い腹部の先には、毒液を滴らせるグロテスクな毒針があるのが確認できた。


 地上に戻るために設置していたロープを掴み、ふと背後の石棺に視線を向けると、等間隔に設置された石棺の間を歩く異形のものたちの姿が見えた。しかしそれはホログラムで投影される映像のように淡い光を帯びていて、背後の景色が僅かに透け、そして幻影のように曖昧としたものだった。

 石棺の間を歩く行列の先には、純白のドレスに身を包んだ美しい女性がいて、コモドオオトカゲそっくりの頭部を持つ二足歩行する大きな生物と並んで歩いている様子が見えた。美しい女性は今にも泣きだしそうな、憂いを帯びた表情をしていたが、トカゲのような化け物は奇妙な模様が金糸で刺繍された豪華なローブを身につけ、厳格な態度で歩いていた。女性のあとに続いて歩く不気味な集団が作りだす行列は、物悲しい花嫁行列にも、葬列にも見えた。


『レイ、急いで!』

 カグヤの声で不思議な行列から視線を外して、ロープを登っていたヌゥモの姿を確認し、すぐに石棺に視線を戻した。けれどそこには先ほどの行列は何処にもなかった。やはりこの異質な空間が見せた幻影だったのかもしれない。私は頭を振ると、ロープを掴んで地上に向かった。

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