第450話 講義室


 それからしばらくして、雛に餌を与えていた化け物がいなくなると、私は潜んでいた物陰から離れて屋上に向かうための階段を探すことにした。ミミズクの化け物が甲高い鳴き声を発しながら建物内に侵入してきて以降、産毛に覆われた醜い雛がそこかしこに姿を見せていて移動を困難にしていた。

 平均的な雛は体高が一メートルを超えていて、ぎょろりとした真っ黒い瞳を私に向けていた。環境追従型迷彩を使用して慎重に動いていたが、雛は招かれざる客である私の気配を感じ取っているのかもしれない。


『カグヤ、そっちは順調か?』と、私は声に出さずに言った。

『少し問題があって、手を焼いてる』

『ミミズクの化け物が現れたのか?』

『ううん。汚染地帯を避けながら移動してるから、思っていたよりも脱出に時間が掛かってるんだ』

 偵察ドローンの視界映像が網膜に投射される。表示された映像には、通行の邪魔になっている瓦礫を撤去しているトゥエルブの姿が映し出されていた。

『そう言えば、助け出した女性たちはガスマスクを所持していなかったな』

『それだけじゃないよ。身につけてる衣類もそこら辺の森の民と変わらない。だから汚染地帯に近づくことは避けなきゃいけない』

『そのことを完全に失念していたよ……彼女たちの装備を調達しないとダメだな』

 巣から転がり落ちてきた雛に見つからないように、私は動きを完全に止めて、雛が通り過ぎていくのを我慢強く待った。


『それはそうと』とカグヤが言う。『ペパーミントと一緒に基地に残っていたアルファ小隊と、黒蟻を操る数人の守り人をこっちに派遣してもらおうと考えているんだけど、問題ないよね』

 醜い雛がいなくなると、私は歩きながら訊ねた。

『部隊を使って救出した女性たちを基地まで護送してもらうのか?』

『うん。ここはもうすぐ激戦地になるでしょ? 負傷してる彼女たちを近くに置いておくことはできない』

『それなら構わないよ。ペパーミントに頼んで部隊を派遣してもらってくれ』

『うん。そうする』

『アルファ小隊が基地を離れたら、ペパーミントは無防備になる。だから絶対にハクとマシロの側を離れないように彼女に言い聞かせてくれ』

『基地に残ってる蟲使いたちが信用できないから?』

『そうだ。彼女の近くにハクとマシロがいれば、奴らだって馬鹿な真似はしないはずだ』

『分かった。ちゃんと忠告しておく』


 凍える吹雪に耐えながら佇むコウテイペンギンのように、私にじっと視線を向けていた雛たちの側を離れると、日の光が届かない薄暗い通路に出る。暗闇の中で階段を見つけると、周囲に警戒しながら上階に向かう。そこまでいくと腐った動物の死骸を見ることは無くなったが、黄ばんだ骨はそこかしこに転がっていて、蹴飛ばして乾いた音を立てないように、神経を使いながら移動する必要があった。


 上階では建物内を徘徊する化け物の姿を多く見ることになった。監視の役割をもった個体なのか、それともただ単に仕事を放棄して怠けている個体なのかは分からなかったが、それらの化け物を避けながら移動していく。少し進んで、そしてまた止まる。移動には多くの時間を必要としたが、遭遇した全ての化け物には攻撃対象であることを示すタグを貼り付けたので、戦闘の際には助けになるだろう。


 屋上に出られる非常口がある通路には、周囲のものを手当たり次第に積み重ねて築いた不格好なバリケードがあって、その先に見えていた扉は錆びついた鎖と錠前でしっかりと施錠されていた。

 埃が堆積していたバリケードを乗り越えて通路の反対側に出ると、私の動きに反応して非常口が近くにあることを示すホログラムが投影される。緑色に発光して周囲を照らしていたホログラムの前を通り過ぎて、非常口に近づく。扉を完全に封鎖するための隔壁は使用されていないようだった。


『レイ』とカグヤの声が内耳に聞こえる。『テアたちと無事に脱出できたよ』

「そうか……救出した女性たちの容態は?」

『オートドクターのおかげで安定してるけど、本格的な治療をしたいから、アルファ小隊との合流を急ぐよ』

「わかった」

『そっちのほうは順調みたいだね』

「ああ、あとは誘導装置を屋上に設置して帰るだけだよ」

『そろそろ日が暮れるから気をつけてね』

 カグヤの言葉にうなずくと、私は左手で錠前に触れる。すると指先が溶けるように液体金属に変化して、そのまま錠前を覆っていく。液体金属の作用によって、金属製の錠前がハガネに取り込まれて跡形も無くなると、左手を元に戻して、それから音を立てないように注意して錆びついた鎖を外していった。


 高層建築物の屋上では、生命力に満ちた大樹が根を張り、空に向かって太い幹を伸ばしているのが見えた。ちなみに屋上の大部分が大樹の陰にあるからなのか、周囲に積雪は確認できなかった。しかし床は苔と枯茶色の雑草に覆われていたので、足元に注意して歩く必要がありそうだった。


 枯草の間にしゃがみ込んで上空を飛んでいたミミズクの化け物をやり過ごしていると、イノシシに似た大型動物を捕らえた化け物が大樹の間から真直ぐ飛んでくるのが見えた。化け物の鋭い鉤爪によって捕らえられていたイノシシは、屋上の上空を通過する際、騒がしい鳴き声を上げて暴れると、背中から大量の血液を噴き出しながら屋上に落下してきた。


 落下の衝撃音と共に枯草の間に潜んでいた昆虫がガサガサと音を立てて跳びあがるのが見えた。私はハガネの鎧に纏わりつく昆虫に慌てないように、平常心を保つ努力をしながら、落下してきたイノシシの動きを注意深く観察する。

 獲物を失ったミミズクの化け物は大樹の周りをゆっくり旋回すると、甲高い鳴き声をあげながら翼を折りたたみ、屋上に向かって急降下してきた。三メートルを超える体長を持っていたイノシシは白い息を吐き出し、よろよろしながら立ち上がると、向かってきた化け物に頭部を向けた。


 ミミズクの化け物が急降下しながら姿勢を変えて、イノシシに向かって素早く両脚を突き出すのが見えた。しかしイノシシはその瞬間を狙っていたかのように駆け出すと、ミミズクに対して猛烈な体当たりを行った。想定していなかった反撃を受けたミミズクは後方に跳ね飛ばされると、枯草のうえを派手に転がっていった。けれどそれでイノシシの攻撃が緩むことは無かった。イノシシは顔を伏せると、恐ろしい牙を突き出すようにしてミミズクに突進した。


 さすがの化け物も巨体から繰り出される体当たりには耐えられなかったのか、羽毛の間から血液を噴き出し、屋上から突き落とされてしまう。イノシシの変異体は運命に抗おうと必死に抵抗して見せた。でもだからと言って死の運命から逃れられる訳では無かった。上空に集まっていたミミズクの化け物が次々と急降下してくると、鋭い鉤爪でイノシシの毛皮を裂いていった。そしてイノシシが大量の血液を流し、弱っていることを確認すると、集団で囲んで鉤爪やらくちばしを使って哀れなイノシシを解体していった。


 大樹の森が冬茜に染まる頃には、イノシシの骨だけが残されることになった。屋上からミミズクの化け物がいなくなったことを確認すると、私はフルフェイスマスクの暗視装置を活用して目的の場所まで向かう。

「誘導装置の設置が完了した」と私は小声で言う。「信号は受信できているか?」

『確認するから、少し待ってて』とカグヤが言う。

 周囲に視線を向けると、構造物の周りを騒がしく飛行していた化け物の姿が減っていることに気がついた。暗くなったので建物内にある巣に戻ったのかもしれない。

『……うん、信号を確認した。問題なく受信できてるよ』

「取り敢えず任務完了だな……」と私は息をつく。「これからそっちに向かう」

『屋上から飛び下りるの?』

「重力場を生成するグレネードの手持ちは無いから、素直に階段を使って帰るよ」

『それなら偵察ドローンをそっちに向かわせるよ』

「分かった。あとで合流しよう」


 建物内に戻ると、フルフェイスマスクの視界を頼りに真っ暗な室内を移動する。視界の先には敵の位置を示すタグが拡張現実で大量に表示されていて、建物の壁を透かして化け物の輪郭が赤色の線でハッキリと確認できるようになっていた。しかし表示されるタグの数が多く、視界の邪魔になっていた。


 化け物の数にうんざりしていると、暗がりから急に変異体が現れる。タグを貼り付けた化け物にばかり注意を向けていて、暗闇に潜んでいた未確認の化け物に気がつかなかったのだ。二メートルほどの体高を持つ化け物が威嚇するように翼を広げると、私は腕を伸ばして化け物のくちばしを掴んだ。化け物に騒がれないために咄嗟にくちばしを掴んだが、その考えは間違ってはいなかった。


 左手を粘度の高い液体金属に変化させて、化け物のくちばしが開かないように完全に塞ぐと、右手前腕の装甲を刃に変形させて化け物の胸部に何度も突き刺した。鋭い刃がゴリゴリと骨を削る感触を感じながら何度も刃を突き刺すと、化け物は暴れ、その度に傷口から大量の血液が噴き出した。私は化け物の血液に濡れるが、ハガネは化け物の血液すらも瞬く間に取り込んで、己の力に変換しているようだった。


 私に組みついた状態で暴れ、壁に何度も身体を打ち付けていた化け物が急にぐったりとして、身体の力を完全に抜いた状態で倒れると、その衝撃で床が抜けてしまう。私は飛び退いて崩落から逃れようとするが、間に合わずに化け物と共に階下に落下してしまう。経年劣化と植物の侵食によって脆くなっていた床は、それからも衝撃によって次々と抜けていき、気がつくと私は数階下に落下してしまっていた。


『レイ、大丈夫?』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。

「ああ、ハガネの鎧が衝撃を緩和してくれた」

 私の下敷きになっていた化け物は、大きな瓦礫で頭部を潰されていて、完全に息絶えていた。

『すぐにそっちに向かうから、その場を動かないで』

「そうさせてもらうよ」

 上方に視線を向けると、暗視装置を通して天井にポッカリと開いた穴が見えた。けれど建物内で床が崩れるのは日常的に起きている現象なのか、化け物たちが崩落の音に反応して集まってくることは無かった。


『レイ、まだそこにいる?』

 カグヤの声がすると、扇状に広がる照明が室内を照らしながら近づいてくる。

「まだここにいるよ」

『災難だったね』

「いつものことだよ」

『そうだね……それにしても、ここは真っ暗だね』

「仕方ないよ。数世紀もの間、ずっと放置されてきた廃墟なんだ」

『電源が生きてるか確認してみるよ』

「そんなことをしたら、化け物の注目を集めるんじゃないのか?」

『大丈夫だよ。この階に動体反応は確認できなかった』


<――軍所属、――レイラ――の接続要求を確認しました。安全な――を確立しています>

 女性が発する事務的な声が途切れ途切れに聞こえると、室内の照明が次々と灯っていく。

<――な接続が確認さ――した。ようこそ、レイラ――>

 内耳に聞こえていた声が消えると私は周囲を見渡す。どうやら私が化け物と共に落下してきたのは、後方に向かうほど座席が高くなっていく階段教室と呼ばれる構造をもった講義室だった。

「この建物は教育機関として使われていたのか?」

『そうみたいだね』

 カグヤはそう答えると、偵察ドローンを教壇に向かって飛ばした。私もドローンのあとを追って、埃の舞い上がる机の間を通って階段教室の一番低い位置に設置されていた教壇の側に向かう。


『見て、レイ。面白いものを見つけた』

 カグヤの言葉のあと、人間のホログラムが教壇の近くに投影される。身長の高い身形のいい男で、旧文明期の人間だと一目でわかった。しかしホログラムの投影機が故障しているからなのか、ホログラムは現れては消え、瞬きを何度も繰り返していた。

「音声は無いのか?」と、男の動いている口を見ながら言った。

『私たちだけに聞こえるように調整する』

 しばらくすると男の声が聞こえてくるが、先ほどの女性の声と同じで、途切れ途切れで話している内容の全ては理解できなかった。

『音声データが破損してるみたい、復元できないか試してみるよ』


 教壇の先に巨大な生物のシルエットが投影されると、男の声が聞こえてきた。

<――このようにして、ライブラリアンと呼ばれる未知の生物は――として、その――が証明されてはいないが、多くの――機関では、――が認められ、――で名高いシャル・ラの著書でも、――についての――記載があり、我々は……>


 私は途切れ途切れに聞こえる男の声に耳を澄ませながら、生物のシルエットを眺めた。それは下半身に太い触手を持った巨大な生物で、その巨体に不釣り合いの小さな頭部には、猫の耳にも見える特徴的な突起物がついていた。

「なぁ、カグヤ」と私は言う。「これってキティに似てないか?」

『六本の触手に猫耳か……確かにレイが記録していたキティの姿に似てるね』

「それなら、その男が話しているライブラリアンっていうのは、キティのことなのか?」

『その可能性はあるね』

 私はシルエットから視線を外すと、教卓に備え付けられていた端末に触れた。

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