第355話 研究報告 re


 ミスズが操縦する輸送機は、専用の制御ソフトを持つ作業用ドロイドからの誘導を受けて、百メートルを優に超える木々の間でゆっくり高度を下げていった。


 リリーを無事に拠点に送り届けてから一週間ほどの時が経っていた。我々は現在、〈大樹の森〉にある旧文明の研究施設にやってきていた。目的は〈ブレイン〉に頼んでいた研究の報告を受けることだった。


 研究に必要としていた装置を製造するための資材は、すでに各地にある鳥籠で入手していて、〈ブレイン〉たちと共同で研究を進めていたペパーミントに届けられていた。


 その装置も完成し、暇を持てあます〈ブレイン〉たちの底無しの探求心によって研究は順調に進められていた。ちなみに彼らが研究し分析していたのは、〈混沌の領域〉からやってきた異形の生物が魔法のような不可思議な力で使用していた輝く輪だった。


 混沌の生物は、その輪を〈混沌の領域〉に続く〈神の門〉を発生させるために使用していた。しかし天使の輪のように輝いていた物体は、混沌の生物の死と共に石に似た謎の物質で形作られた輪に変化していた。我々は完全な状態の輪をふたつ、そして欠けた状態のモノをひとつ回収していた。


 欠けた状態で発見し回収していた輪は、人造人間の〈ハカセ〉が独自に研究を進めていたが、何か重要な成果を得られたのかは分からなかった。その遺物の正体を知らない我々と異なり、ハカセは輪に関して何かしらの情報を持っている節があった。けれど旧文明の情報と同様、ハカセは多くを語らなかった。


 完全な状態で回収していた輪のひとつを、ペパーミントと一緒に研究していた〈ブレイン〉たちは、輪に関する何かとても重要な発見をしたみたいだった。その報告を受けるために我々は〈大樹の森〉にやってきていた。


 作業用ドロイドたちが整備した離着陸場に、ミスズの操縦する輸送機は無事に着陸した。その離着陸場は、普段は〈環境追従型迷彩〉の機能を備えたシートで覆われ、人間の目から隠れるように周囲の景色に溶け込んでいる。離着陸場の存在を隠蔽するのは、研究施設の存在を外部の人間に知られないための措置だった。


 しかし離着陸場は利用頻度が高く、何度も離着陸場のシートを捲って覆う作業は機械人形の貴重な時間を奪い負担になっていた。いずれ警備用の機械人形を多数配備し、広範囲にわたって研究施が監視できるようになるので、それまでの措置として今はその作業を続ける必要があった。


 装備の最終確認を終わらせてから後部ハッチを開くと、森に漂う空気の冷たさに驚く。

「どうしたんだ?」と、もこもこした動物の毛皮に身を包んだ美女が言う。


 彼女はかつて〈大樹の森〉に存在した部族を率いていたテアと言う名の女性で、森にある〈混沌の領域〉を監視するために新設された部隊の隊長でもあった。


「寒さに驚いていたんだ」とテアに言う。

「廃墟の街よりもずっと気温が低いと思って」


「ああ、そういうことか」彼女はうなずいて、紅葉している一部の大樹に視線を向ける。

「冬になると、森の奥から冷たい風が吹き込むんだ。きっとその所為せいだ」


『森の奥から……?』カグヤの声が内耳に聞こえた。

『〈混沌の領域〉から、異界の風が吹いてくるのかもしれないね』


「単純に標高が高いからじゃないのか?」冷たい空気を吸いながら言う。

『その可能性もあるね。この辺りの地形は文明崩壊時の影響で様変わりしたみたいだし』


「高層建築物が地中に埋まっているほどだからな」

 私はそう言うと、足元を確かめるように苔に覆われた地面をコンバットブーツの先で叩いた。


 研究施設に向かうのは私ひとりだった。テアは彼女の部隊と共に周囲の警備を行う。そして〈大樹の森〉まで我々を送り届けてくれたミスズとナミは、森の民の鳥籠〈スィダチ〉に支援物資を届けに行く予定になっていた。


 鳥籠には現在、多くの避難民が押し寄せていた。難民の多くは森の異変で集落を失くした人々だったが、それ以外にも〈不死の導き手〉と呼ばれる宗教団体の謀略によって勃発した部族間の紛争に巻き込まれ、生活基盤や親を亡くした子どもたちも含まれていた。


 拠点の仲間たちと相談して、避難民の為の支援物資を追加で提供することに決めた。もちろんそれは無償で行われる支援だった。我々の支援の代りに彼らが差し出せるものは何もなかった。彼らは冬を越すこともできずに、ただ死を待つことしかできない存在だった。


 しかし森の民は無償の支援や援助というものを信用しない。裏に何かあるような気がする、と鳥籠の幹部たちは我々のことを疑ってしまう。教団に騙され苦境に立たされた今では、〝異邦人〟に対する彼らの警戒心はさらに増していた。


 だから彼らを支援する代わりに、森の奥にある〈混沌の領域〉の監視所に、〈スィダチ〉が信頼する〈蟲使い〉の戦士たちを派遣する約束を交わした。この約束事に意味はほとんどない。


 森の管理を〈スィダチ〉の人間が手伝うことはすでに決定していたことであり、監視所ではイーサンの指導のもと、〈混沌の領域〉に対する監視体制が構築され始めていたからだ。しかし鳥籠の幹部を納得させる言いわけが必要だった。面倒なことだが、それは必要なやり取りでもあった。


 大量の支援物資を購入するのに使用した資金は、ワスダから送金された賭け試合の賞金によって賄われた。リリーが無事に拠点に到着したことを確認すると、ワスダは約束通りすぐに賞金を送金してくれた。


 あれほど裏切りを警戒していたが、ことが終わってみれば、ワスダは信用できる人間だと証明された。それは同時に、彼にとってリリーがいかに大切な存在なのかも改めて認識させられる出来事でもあった。


 鳥籠に向かうミスズには、〈スィダチ〉の族長イロハと〈御使みつかい〉について重要な相談をしてもらうことになっていた。〈御使い〉は〈母なる貝〉の聖域を守護しているカイコの変異体で、マシロの姉妹たちでもあった。


 その〈御使い〉は族長会議が行われたさいに、神話上の生物ではなく、実在する生物だと森の民に知られてしまった。そのことで彼女たちを捕えようとする奴隷商人があらわれるかもしれない。そのため、〈御使い〉たちを保護すると共に、〈母なる貝〉の聖域を保護する活動が必要になると考えた。


 ミスズにはイロハとそのことを話し合ってもらうつもりだ。聖域は我々にとっても重要な場所であり、協力して守っていかなければいけない場所だと考えていたからだ。


 テアが指揮する女性で編成された〈蟲使い〉の部隊は、輸送機のコンテナから降りてくると、無駄のない動きで周囲に散っていく。地上のことをテアに任せると、私は研究施設に続く大樹のうろに向かう。


 迷彩を展開していたシートを捲って薄暗い洞に入って行くと、地中に埋もれた建造物から突き出した施設の一部が見えた。かつて建物屋上だった場所には、苔と枯れたツル植物が絡みつく何かの抽象彫刻が立っていて、同様に枯れたツタに覆われた航空機の離着陸場も目にすることができた。


 施設の入り口に立つと、隔壁が開放されているのが見えた。その入り口には〈シールド生成装置〉によって青白い薄膜が張られていたが、すでに生体情報がシステムに登録されているので、問題なくシールドを通過することができた。


 施設内は相変わらず奇妙な静けさに支配されている。我々の脅威になる存在は排除されていて、施設内の安全は確保されていた。しかしそれにもかかわらず、ゾッとする寒気を感じてしまう。誰もいないはずの廊下の向こうから、恐ろしい何かが今にもあらわれるような恐怖。そういった得体の知れない感覚がつねに頭の隅に付きまとう。


 嫌な考えを振り払いながら廊下を進んでいくと、突き当りにエレベーターが見えてくる。エレベーターホールには四基のエレベーターが設置されていて、その間には座り心地の良さそうなソファーが置かれている。


 壁には綺麗に磨かれた大きな鏡も取り付けられていた。ソファーのそばには低いテーブルが置かれていて、ガラス製のどっしりとした灰皿が載せられていた。不自然に整えられたそれらの調度品は、施設の掃除ロボットが管理しているからこそ、綺麗に保たれているのかもしれない。


 カグヤの遠隔操作でエレベーターがやってくる僅かな間、何とはなしにソファーに腰を下ろした。利用する人間がいないことを残念に思うほど、座り心地の良いソファーだった。そのソファーに座りながら、壁際に置かれていた観葉植物の鉢を意味もなく眺めた。


『レイ』

 カグヤの声で立ち上がると、何の変哲もない四角い箱に乗り込んで目的の階まで移動した。


 展示室の壁に、紫色の布に金糸で文字が刺繍された遺物が飾られているのが目に入った。思わず足を止めると、戦旗にも見える謎の遺物を観察していた。すると通路の先から五十センチほどの円盤型ドローンが飛んでくるのが見えた。そのドローンは機体下部に小さな金属製の箱をぶら下げながら、天井近くを飛行していた。


 研究員の作業を手伝っていたドローンが、今ではペパーミントの作業を手伝うようになっていた。展示室を離れると、〈サーバルーム〉に続く通路に入って行く。施設の入り口同様、様々な設備が備えられていた隔壁の前には、〈ヤトの戦士〉がライフル片手に警備を行っている姿が見えた。


「お疲れさま」

 ヤトの若者に挨拶すると、彼は胸の前で両拳を合わせる一族独特の挨拶を行う。彼に向かって同じように拳を合わせて挨拶をしたあと、ペパーミントについてたずねた。どうやら彼女は廊下の先にある研究室にいるようだった。彼に感謝したあと、研究室に向かうことにした。


 ペパーミントは数日前から研究施設にやって来ていて、私の権限を使用して〈サーバルーム〉で手に入れられる可能性のある情報についての処理を行っていた。それと同時に〈ブレイン〉たちとの共同研究も進めていたので、彼女の安全性を考慮して〈ヤトの一族〉で編成された精鋭部隊を彼女に同行させていた。


 その部隊を率いていたのは、ヤトの族長レオウ・ベェリの息子であるヌゥモ・ヴェイだった。彼はヤトの使う古い言葉で〈赤い雲〉の名を持っていて、ヤトの一族で最も頼りになる戦士のひとりだった。


 そのヌゥモ・ヴェイは研究室の前に座っていた。

「お疲れさま」

 彼に声を掛けると、ヌゥモはいつも持ち歩いている両刃の剣を杖のようにしてゆっくり立ちあがる。


「レイラ殿」ヌゥモは握った両拳を胸の前で合わせた。

 私も同様の挨拶をしてから、軽く頭を下げる。


「ペパーミントは中に?」

「はい」


「施設の様子は?」

 施設で何も問題が起きなかったことは、今朝の報告で聞かされていたが、念のためにもう一度訊ねる。


「異常はありません。しかし、この場所は我々にとって余り良い環境だと言えません」


 ふと頭に浮かんだ考えが正しいのかを確認するように、廊下の先に見えていた展示室に視線を向けて、それからヌゥモに質問する。

「もしかして、展示室にある遺物が関係しているのか?」


「はい」ヌゥモは私に緋色の瞳を向ける。

「混沌の遺物は我々の心を強く惹きつけます」


「それは、ヌゥモたちが異界の住人だったことが関係しているのか?」

「いえ、我々がかつて〝混沌〟に隷属していた生物だからだと思います」


「……すまない、それは俺の思慮不足だった」

 するとヌゥモは鈍色の髪を揺らした。

「いえ、事前に伝えなかった我々の責任でもあります。だから気にしないでください」


『ねえ、ヌゥモ』カグヤが質問する。

『その混沌の遺物で、ヤトの一族はどんな影響を受けるの?』


 イヤーカフ型のイヤホンでカグヤの声を聞いたヌゥモは、天井付近を飛行するドローンを眺めて、それから言った。


「集中力が失われます。遺物を強く欲する所為せいで、怒りの感情と共に強い苛立ちに心が支配されます。大したことのないように思えますが、戦闘中であれば命取りになります。そしてもっとも厄介なのは、強い嫉妬心を持つことです」


『嫉妬心?』

「遺物を自分自身の物にしたくなります。たとえ遺物の所有者を殺そうとも、遺物を手に入れたいという執着に囚われます」


『それはたしかに厄介だね……その誘惑に抗うことはできないの?』

「今は可能です。我々はヤトさまの眷属になりましたから……しかし若者の間では、遺物に魅了され、誘惑に抵抗することのできない者も出てくる可能性があります」


『そっか。やっぱり研究施設の管理と監視は、機械人形に任せたほうがいいのかもしれないね』


「そうだな。〈神の門〉の向こうにある世界に関して、俺たちはほとんど何も知らない……」

 私はそう言うと、ヌゥモに視線を向ける。

「時間があるときで構わない、〝あちら側〟の世界についてヌゥモたちが知っていることを、俺たちに教えてくれるか?」


「はい」ヌゥモ渋い声で答えた。

「そのときには、我々が知ることをすべて教えましょう」

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