第305話 対策 re


「警備は任せてくれ」と灰色の毛皮をまとうテアが言う。

「レイラたちが戻ってくるまで、この辺りには何も近づけない」


「助かるよ。ドローンたちにも周辺一帯を警備させるから大丈夫だと思うけど、何かあったときには迷わず情報端末を使ってすぐに連絡してくれ」


「わかってる」

 彼女はそう言って笑顔を見せたあと、〈蟲使い〉たちに指示を出して、近くに待機していた黒蟻を集める。五十センチほどの体長を持つ黒蟻たちは、周囲で作業していた機械人形たちの仕事を邪魔にならないように大樹のうろに入っていく。


 黒蟻たちの行進を見届けたあと、〈ウェンディゴ〉のそばで待機していた機械人形に声をかける。その機体は女性的な丸みのあるフォルムを持ち、白菫色の滑らかな装甲におおわれていた。頭部には感情表現のためのモニターがついていて、アニメ調にデフォルメされた女性の顔が表示されていた。


「ウミ、出発の準備はできたか?」

 機械人形の頭部に表示されていた女性は笑みを浮かべたあとビープ音を鳴らし、それからテキストメッセージが送られてくる。


〈戦いの準備はできています〉

 インターフェースに表示されるテキストを読んで、それから質問する。

「ペパーミントが改良してくれた機体の調子は?」


 ウミは手を握り締めたり開いたりしながら答える。

〈駆動系の改良に加え、システムに侵入され機体の制御を奪われることがないように、回路基板を特殊なシールド板でおおってくれました〉


「〈ブレイン〉からの攻撃に対する備えは完璧というわけか?」

〈はい。〈接触接続〉か、有線接続を行わない限り、敵から侵入されることはありません〉

 ビープ音のあと、機械人形の頭部モニターに表示されていた女性が笑顔を見せる。


 ウミは旧文明の技術で製造された特殊な人工知能のコアに宿る生命体で、かつては兵器として軍に所属していた不思議な種族だった。しかしウミは自分自身の出自に関して多くを知らず、南極海の底から回収されたということしか覚えていないようだった。


 彼女は長い間、冬眠する熊のように海底で過ごしてきた。だからなのか、旧文明期についての知識もなく、それまでの記憶も失われていた。


 ウミとの出会いが決定づけられた運命だったのかは分からないが、海岸線を探索中していたとき、巨大な軟体生物と一緒に海岸に漂着していた軍艦の残骸で厳重に梱包された人工知能のコアを見つけた。


 現在、ウミのコアは〈ウェンディゴ〉に直接接続されていたが、彼女は特定の機械人形にいつでも自由に意思を転送できるため、その存在はつねに曖昧だった。


 例えば横浜の拠点にいるときには、旧式の〈家政婦ドロイド〉を好んで使用していたし、最近では、多脚戦車に意識を転送して戦闘を行うこともあった。しかし今回の任務は建物内での探索を想定していたので、大型の戦車ではなく、一般家庭に普及していた人型の給仕ロボットに意識を転送していた。おそらく〈マンドロイド〉と呼ばれる機体だろう。


 それは旧文明初期に、介護や家事を手助けするために製造されていた機体で、ペパーミントが兵器工場の〈データベース〉から設計図をダウンロードし、ウミの意識が転送できるように改良を加えながら拠点で製造した機体だった。


 そのウミは〈ウェンディゴ〉のコンテナから、物干し竿に似た銀色の鉄棒をいくつか手に取って肩に担いだ。鉄棒は組み合わせて使うことで〈シールド発生装置〉として機能する旧文明の遺物だった。


 彼女はその鉄棒を担いだまま大樹の洞を隠すように張り巡らされていた〈擬装シート〉のなかに入り、探索予定の研究施設に向かう。〈擬装シート〉には〈環境追従型迷彩〉の機能が備わっているので、つねに周囲の環境をスキャンし、色相や質感を表面に再現していた。その再現度は高く、隠された施設の入り口を見つけることは困難だった。


 それから周囲に林立する大樹に視線を向けると、マシロと一緒にいたハクに呼び掛ける。声に出してハクの名前を叫ぶ必要はない。ただハクに気持ちを伝えたいと強く思うだけで充分だった。


『なぁに?』すぐに幼い女の子の声が聞こえる。

「今から研究施設の探索を開始するけど、ハクも一緒に来るか?」


『ん、いく。そこ、まってて』

「分かった。でも急いでいるから、長く待てないよ」


 揶揄からかい気味に言うと、ハクは慌てながら答えた。

『すぐ、いく!』


 しばらくその場に立ってハクのことを待っていると、大樹の間を優雅に飛ぶ白蜘蛛の姿が見えてくる。ハクは大樹の幹を蹴って空中に飛び出すと、脚を広げてゆっくり滑空しながら近づいてくる。そして音も立てずに地面に着地した。


『まった?』

 ハクは得意げにたずねてくる。

「いや。少し待っただけだよ」


『すこし、だいじょうぶ』

 ハクはそう言うと、長い脚で私を引き寄せるようにして抱きしめる。

『たくさんは、ヤバい』


「ヤバいか……それは大変だな、これからは遅刻しないようにしなくちゃいけない。ところで、それはどのくらいヤバいんだ?」


『このくらい』

 脚を大きく広げたハクから解放されると、適当に相槌をして、それからフサフサの白い体毛に絡まる枯れ葉や土を手で払う。


「マシロは一緒じゃないのか?」

『いっしょ、いる』


 ハクが長い脚で森の奥をす。すると大樹の枝に座ってぼんやりしていたマシロの姿がハッキリと見えるようになる。


 彼女は我々の視線に気がつくと、ふわりと滑空しながらやってくる。

「マシロも一緒に探索に行くか?」

 彼女が首をかしげると、櫛状の長い触覚が揺れる。


『一緒に行く』

 マシロは唇を動かすことなく返事をすると、ふわりと浮き上がってハクの背にちょこんと座る。


『マシロ、ヤバいな』

 ハクが意味不明なことを言う。おそらく『ヤバい』という単語が使いたいだけなのだろう。あまり気にしないことにした。


 ハクと並んで歩きながら大樹の洞に向かう。そのさい、上空を飛行していた〈カラス型偵察ドローン〉から届く映像を見ながら、脅威になるような生物が近くにいないか注意深く確認する。


 研究施設の近くにあった〈小鬼〉の巣は、すでにミスズとナミが率いる戦闘部隊によって制圧されていたので気にする必要がなかったが、我々は危険な森にいるので、つねに用心する必要があった。とくに変異して大型化した昆虫の襲撃には注意しなければいけなかった。


 偵察に出ていたカグヤのドローンが茂みの中から飛び出すと、我々の周囲をぐるりと飛行する。


「それで――」と彼女は訊ねた。

「小鬼たちの棲み処はどうだった?」


『全滅してたよ。〈小鬼〉たちの死骸も一箇所に集めて燃やしたみたいだから、死肉を漁る昆虫や動物が寄り付くこともない』


「群れが潰せて良かったよ。あのサルの変異体は〈森の民〉の子どもをさらって食べるような危険な生物だからな」


『そうだね……』

「何か気になることでもあったのか?」


『連中の棲み処には人骨が散乱していたんだ。だから、今までそれなりの数の人間が小鬼たちによって喰い殺されていた』


「それは残念だ」

 大樹の周囲に張られていたシートをめくって洞に入ると、ハクたちと一緒に研究施設に向かう。あちこちに設置されていた投光器を眺めていると、ペパーミントの姿が目に入る。彼女はツル植物におおわれた航空機の離着陸場に寄りかかるようにして我々のことを待っていた。


「さっきはごめん」彼女は目を伏せたまま言う。

「少し感情的になっていたみたい」


「気にしてないよ」私はそう言うと、ハクとマシロを先に行かせた。

「それに、ペパーミントが誰よりも感受性が豊かなのは知っている」


「何それ」

 笑みを浮かべる彼女を見ながら言う。

「他者に好意を向けられることには慣れていないけど、悪い気はしない」


「そこはもっと素直になって欲しいかな……」

「それで、一緒に来るのか?」


「行く」

 彼女の返事に肩をすくめると、施設に向かって歩き出す。


 入り口のそばにはミスズとナミがいて、ウミの装備を整えていた。〈マンドロイド〉は戦闘用の機体ではないので、念のためにボディアーマーを装備していて、レーザーライフルも持たされていた。ベルトポケットには救急ポーチと、予備の〈小型核融合電池〉が挿し込まれていて、いつでも戦闘ができるようになっていた。


「私たちは留守番だから、しっかりレイたちのことを守ってくれよ」

 ナミの言葉にウミはうなずいた。


「本当に一緒に行かなくてもいいのですか?」

 ミスズの質問にうなずく。

「相手にするのは未知の異星生物だからな。今回は〈ブレイン〉たちに付け入る隙を与えたくない、だからできるだけ少ない人数で施設の探索を行いたいんだ」


「そうですか……」

「それにミスズとナミは〈小鬼〉たちと戦闘をしたばかりだ。ウェンディゴでゆっくり休んでいてくれ」


「わかりました。でも休むのは申し訳ないので、テアさんたちと協力しながら周囲の警備をします」


「了解、無理だけはしないでくれ」そう言うと、研究施設から出てくるドローンの姿を見ながら言葉を付け加える。「それから、ドローンたちの操作権限はミスズに移しておいたから、あいつらも上手く活用してくれ」

「了解です」


 ペパーミントは〈テックスキャナー〉を使いながら、施設の探索を切り上げて地上に戻ってきたドローンを丁寧に走査し、システムが不正に操作されていないか確かめていった。六機のドローンすべてに異常がないと分かると、封鎖を解除して開いたままになっていた施設の入り口に向かう。


「ウミ、これを地面に設置してくれる?」

 彼女はショルダーバッグから、一メートルほどの細長い金属製の杭を取り出してウミに手渡した。ウミはコクリとうなずいて、その杭を施設の入り口近くの地面に突き刺していく。


「ありがとう、ウミ」

 ペパーミントは杭の側面にある接続口に太いケーブルを挿し込み、手元の長方形の端末に何かを入力する。それからケーブルを伸ばしながら施設に入っていき、廊下の壁にその端末を近づける。すると長方形の端末は壁面パネルに引き寄せられるように吸着し、溶け合うようにして融合していく。


「それはなんだ?」

 施設から出てきたペパーミントにナミが質問すると、彼女は丁寧に装置の説明をした。


「つまり」と、説明を聞いたナミが顔をしかめながら言う。

「端末を使った通信が切断されないように、その杭には通信を中継する役割があるのか?」


「ええ、それで大体合ってる」ペパーミントは笑みを見せた。

「旧文明の電波塔から受信する特殊な電波をこの鉄の棒で受信して、それを有線で施設内に届くようにしたの。これでもしも〈ブレイン〉たちの策略で施設内での通信を制限されたとしても、私たちは壁に埋め込まれた端末を介して、今まで通り外部との通信を行うことができる」


「それも脳みその化け物に対抗するための準備なのか?」

「そう。それにね、〈ブレイン〉たちの水槽がある部屋は、〈空間拡張〉された特殊な環境になっている。だから部屋に入る前に同じような装置を設置して、通信の切断に対する備えにする」


「そこまでしないとダメな相手なのか……」

「明確に敵対しているわけでもないのに、私たちが一方的に水槽を破壊して、それでお終い、なんてことはできないの。だから少し面倒でも、〈ブレイン〉たちよりも有利になれる環境を作っておかないといけない」


「それはやっぱり面倒だな」

「そうね。でも理解し合うことが難しくて、価値観もまったく異なる生物を相手にするときには、慎重さが求められる」


 黒と黄色のケーブルが折り重なるようにして束ねられているのを見ながら、ペパーミントに訊ねた。


「入り口の隔壁は開いたままにしておくのか?」

「隔壁を閉じたら、当然だけどケーブルは切断されてしまう。だから隔壁は開いたままにしておきたい。でも安心して、隔壁の代りもちゃんと用意したから」


 ウミの操作する機械人形が鉄棒を肩に担いでやってくると、入り口の左右に一本ずつ鉄棒を設置していく。


「生体認証によって許可された者だけが通ることのできるシールドを施設の入り口に展開する。これならケーブルを切断する心配はないし、ケーブルを切断しようとする何かが施設の奥からやってきた場合も、すぐに対処できる」


「色々と考えているんだな」と感心しながらつぶやいた。


 すでに施設の管理システムに登録されていたハクとマシロは、足元のケーブルに注意しながら施設に入って行く。もちろん警告が表示されるようなことはない。それはペパーミントとウミも同様だ。カグヤの操作によって施設の入場制限に引っかからないようになっていた。


「準備はできたか、ペパーミント?」

 そこでようやく彼女は青い瞳で私を見つめてくれた。

「大丈夫、行きましょう」

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