第279話 遺跡〈ヨツメ〉re


 糠雨ぬかあめが降る大樹の森を進むウェンディゴの周囲に、人の姿を象った木造の彫刻柱が姿をあらわすようになった。それらの彫刻柱は、森の民の伝承に登場する〈最初の人々〉をかたどったもので、大樹の枝を利用して作られたと言われている。


 それぞれの柱は四メートルほどの高さがあったが、そのほとんどは木が腐って朽ちているか、ツル植物におおわれていて原型を保っていなかった。遥か昔の人々が遺した彫刻柱は、石畳の敷かれた道の左右に並び、かつては〈最初の人々〉の街だった遺跡へと続いていた。


 網目状に繁茂はんもする雑草に覆われた石畳の先は、大樹に囲まれる開けた空間になっていて、そこには石造りの社や住居の跡が見られた。しかしそれらの遺跡も苔や雑草に覆われ、今は見るも無残な姿になっていた。


 我々が〈最初の人々〉の遺跡にやって来たのは、その場所が、大樹の森に存在する輸送機の着陸できる数少ない開けた場所になっていて、ミスズの操縦する輸送機がこの場所に我々を迎えに来る予定になっていたからだった。


 ちなみにミスズは、私がこの世界で心から信頼する数少ない人間のひとりで、カグヤ同様、頼りになる相棒だった。


 石造りの住居跡が多く残る広場でウェンディゴを止めると、搭乗員用ハッチから車外に出る。頬を撫でる風は冷たく、植物や土の匂いに満ちていたが、不快な臭いはしなかった。


「レイラ、どこへ行くんだ?」

 声がして振り向くと、テアが不思議そうな顔で私のことを見つめていた。


「輸送機が迎えに来るまで少し時間があるから、遺跡を見て回ろうと思っていたんだ」

 植物に埋もれた遺跡に目を向けながら言った。


「輸送機……たしか、あの空を飛ぶ不思議な鉄箱のことだな?」

「そうだ」

 彼女の言葉に思わず苦笑する。たしかに航空機の存在を知らないテアの目から見たら、輸送機は空を飛ぶ鉄箱でしかないのだろう。


「でも」と彼女は言う。

「この遺跡には何もないぞ」


「何かを探しているわけじゃないんだ。遺跡に興味があるだけだ」

「レイラは不思議な遺物をたくさん持っているのに、そんなものにまで興味を持つんだな……」


「自分でも驚くほど、過去の人々が残した遺跡や遺物に興味があるんだ」

「そうか……それなら、私も一緒に行くよ」


 そう言って彼女は旧式のアサルトライフルを肩にかけると、私のもとに小走りで駆け寄ってきた。先行して遺跡にやってきていたハクも、遺跡を一緒に探検するんだと言って、やる気満々で我々について来ることになった。


『いぶつ、みつける』

 ハクはその場で身体の向きを変えるようにくるりと回ると、住居跡に向かって歩き出した。テアはハクの背に乗っているマシロを複雑な顔で見つめていた。神聖で絶対的な存在である〈御使みつかい〉が、ハクと一緒に遊んでいる姿に驚いているのかもしれない。私はそんなテアに訊ねた。


「蟲使いたちを残して、ひとりで来てよかったのか?」


「うむ」テアは可愛らしくうなずく。

「皆はマシロさまがそばにいると緊張してしまうからな、今はコンテナでゆっくりしていてもらうよ」


「そうか。ところで、沼地の集落で暮らしていた人々は、もう〈スィダチ〉に引っ越したのか?」


「人数が少なかったからな、とくに大きな問題もなく引っ越しは終わったよ。集落に最後まで残っていたのは、戦士の私たちだけだ」


「生まれ育った集落を出るのは、寂しかったりするのか?」

「まさか」テアは黒髪を揺らす。

「あの不快な臭いをこれからは嗅がないで済むと思うと、それだけで気分がよくなるよ」


「それは良かった」

「だからレイラたちには感謝しているんだ」とテアは笑顔を見せる。

「部族の者たちが飢えで死ぬこともなくなる。赤子が死んでいくのは、見るに堪えないからな」


「……そうだな。部族の戦士たちは、森の奥にある混沌との境界線を監視する部隊に志願するのか?」


「そのつもりだ。私たちは貧しいし、何か商売をするための知識もない。恥ずかしいことだけど、お金の計算もまともにできないからな……だから、〈スィダチ〉の守備隊になれる権利が手にできる防壁の監視任務に志願するつもりだ」


「テアが志願してくれるのは心強いよ」

「そうか?」彼女は照れくさそうな笑顔を見せてくれる。


 生い茂る草を避けながら住居跡に近づいていく。とうの昔に崩れた石造りの建物には、見慣れない人参色の昆虫が、床も見えないほどビッシリと集まっていた。それらの十五センチほどの丸みのある甲虫は、我々の気配を感じ取ると、身体からだを小刻みに震わせて一斉に地中に潜った。その建物から素早く離れたあと、テアに訊ねた。


「でもテアは族長だったんだから、他にも選択肢があったんじゃないのか?」

「そうだな。〈スィダチ〉を管理していた幹部たちの再編成が行われるみたいなんだ。その組織に私も参加してほしいって申し出があった」


「もしかして、断ったのか?」

「私は物心ついたときから、生きるために血を流して戦ってきた戦士だからな」と彼女は得意げに微笑む。「今さら、その生き方を変えるようなことはできないんだ。それに、私は仲間を守って生きる戦士としての誇りを失いたくないんだ」


「テアは高潔なんだな」

「こうけつ?」


「気高い心を持っている」

「そうか……」テアは真剣な表情を見せた。

「いつまでもその心を持ち続けたいものだな」


『レイ』カグヤの声が内耳に聞こえた。

『こっちに向かってくる集団をウェンディゴのセンサーが捉えた』


「敵か?」

 すぐに拡張現実で表示されていた簡易地図ミニマップを確認する。


「どうした?」テアも緊張した表情を浮かべる。

「何かは分からないけど、遺跡に接近する生物を確認した」

「数は多いのか?」


 地図を確認すると、接近してくる赤い点が徐々に増えていく様子が確認できた。

「数は数え切れないほどだ」


「それなら」とテアはホッとした表情で言う。

「それはきっと〈ヨツメ〉の群れだな。この辺りで群れになって行動しているのは彼らだけだ」


「よつめ?」

「小さくて大人しいサルだ。人間に危害を加えることは無いから安心して大丈夫だ」


 天井のない石造りの住居の壁に、灰色の体毛を持った小型のサルが姿を見せる。それは首をかしげたあと、黒い体毛に覆われた顔を私に向ける。ヨツメと呼ばれる猿は異様に長い手足を持っていて、まるでズボンを穿いているように、脚の体毛だけが黒くなっていた。尾が長く、キツネザルにも見えたが、そのサルには瞳が上下に四つ存在していた。


『四つの瞳を持っているから、ヨツメって呼んでるんだね』カグヤが感心しながら言う。

「そのようだな……それに気がついたか? あのサルは俺たちのすぐ近くにいるのに、ハクに怯えた様子を見せない」


『本当だ……それなら、このサルたちも異界からやってきた生物なのかもしれないね』

 ヨツメと呼ばれるサルは我々のことを注意深く観察したあと、仲間たちのもとに跳んでいった。


「本当に危険性はないのか?」とテアに訊ねる。


「ないな」と、テアは金の髪飾りを揺らす。

「ヨツメが食べるのは果実や植物の葉、それに樹皮だけなんだよ」


「人間の肉には興味がないのか」


「そうだ」とテアは深くうなずく。

「ヨツメたちから人間を攻撃することもないし、人から攻撃されないことも分かっている。だから人間に対する警戒心もない」


『森の民はサルを捕まえて食べたりしないのかな?』

 カグヤの疑問をそのままテアに質問した。


「まさか」テアは慌てながら言う。

「ヨツメの肉はとても臭くて、まともに食えたものじゃないんだ。それに毒があるから、誰も食べようとはしない」


「毒?」

「ヨツメは大樹の樹液を舐めているから、私たちはそれが原因だと思っている」


『そういえば』とカグヤが言う。『大樹から流れ出る樹液には、大樹が浄化しきれなかった汚染物質が含まれているってハカセが話していたね』


「そういうことか」と納得する。


『レイ』

 半壊した社に入っていたハクが、泥に汚れた鉄の棒を持って我々のそばにやってくる。

『みて、みつけた』


 物干し竿に似た鉄の棒を受け取りながら、ハクに訊ねる。

「どこでこれを見つけてきたんだ?」


『そこ』

 ハクはそう言って、横倒しになった塔を脚で指し示した。


『その鉄の棒、どこかで見た気がするんだけど』

 カグヤの言葉のあと、どこからかドローンが飛んできて鉄の棒をスキャンする。


 石造りの塔は内部に侵入できる入り口が数か所あったが、そのほとんどが倒壊した塔の瓦礫がれきで埋もれていた。しかし、そのうちのひとつから塔の内部を確認することができた。不思議なことに薄暗い塔の内部に雑草は生えておらず、ひび割れたタイルの床には、無数の鉄の棒が無雑作に転がっていた。


 鉄の棒のスキャンを終えたカグヤが言う。

『やっぱり、〈シールド生成装置〉だったよ』


「大量に放置されているけど……」と困惑しながら言う。

『でも間違いないよ。元々この遺跡で使用されていた装置なのかも』


「何を驚いているんだ?」

 テアも塔の内部を覗き込みながら言う。


「ハクが見つけてきた鉄の棒が、旧文明の貴重な遺物だったんだ」

「その鉄の棒が?」


 テアは塔に入っていくと、ひょいと鉄の棒を持ち上げる。

「たしかに錆びてはいないけど、そんなに貴重なものなのか? 私にはただの鉄棒にしか見えないけど……」


「シールドを生成できる遺物なんだ」


「シールド……? あぁ、あの半透明な膜のことか」

 テアは手に持っていた〈シールド生成装置〉をしげしげと眺めた。

「それなら、ここにあるものは全部回収したほうがいいな」


 ハクが偶然見つけた〈シールド生成装置〉を回収していると、ミスズの操縦する輸送機が我々の上空に姿を見せた。


 それは遺跡の上空をゆっくりと旋回すると、広場に着陸するための最適経路に入る。ミスズの操縦する輸送機は、全長が二十メートルほどあり、紺色の機体の先端から突き出したコクピット部分には、窓らしきものが一切ついていなかった。代わりに五センチほどの厚みのある白い装甲で機体が補強されていた。


 旧文明期には多く使用されたと言われている輸送機は、特殊な形態をしていて、水平尾翼と垂直尾翼が二つの胴体の後端に取り付けられている双ブーム形式の機体になっていた。


 機体の中央には切り離し可能な専用コンテナが搭載されていて、搭乗員や物資の輸送が可能になっている。主翼は短く、エンジンを回転させて垂直離着陸が可能な機体でもあった。その輸送機を静かに着陸させると、ミスズはナミと一緒に我々のもとにやってくる。


 ミスズは端麗な顔立ちをしている。長い睫毛が琥珀色の瞳を縁取り、傷ひとつない白い肌は日の光を受けて輝く。彼女は軽装だったが、身体機能を向上するスキンスーツをきっちりと装備していた。ミスズはそのスーツの上に、デジタル迷彩の施された戦闘服を重ね着している。


 ナミはミスズの護衛を引き受けてくれている〈ヤトの一族〉の戦士で、つねにミスズと行動を共にしてくれている女性だ。ヤトの一族は、私がハクと一緒に〈混沌の領域〉を旅したときに出会った〈混沌の追跡者〉と呼ばれていた種族のことだ。


 彼らは〈混沌の領域〉に侵入した者たちを執拗に追い、集団で狩ることを運命づけられた醜い種族だった。けれど何の因果か、彼らは私を追っている最中に最果ての地と呼ばれる領域にたどり着き、そこで〝混沌の意思〟の呪縛から逃れることができた。


 混沌の意思と呼ばれるものがどのようなものなのかは、正直、私には分からない。けれどソレから解放された彼らは、〈ヤト〉と呼ばれる〝異界の神〟の加護を得て、私を追ってこの世界にやってきた。それ以来、彼らは私を中心にした組織を作り上げ、私と共に行動するようになっていた。


『スズ!』

 ハクはミスズのもとに駆け寄ると、そっと彼女のことを抱きしめる。ハクの体毛は遺跡で付着した蜘蛛の巣や泥で汚れていたので、ミスズもすぐに残念な格好になってしまう。


「お疲れさまです、レイラ」

 それから彼女はテアと視線を合わせる。

「テアさんもお疲れさまです」


 ハクに抱きしめられていたミスズの言葉にうなずく。

「ああ、ミスズも迎えに来てくれてありがとう。輸送機の操縦には慣れたか?」


「はい」とミスズは笑みを見せた。

「といっても、システムが優秀なので、ほとんど座ってるだけですけど……」


「それでもすごいよ」

「なぁ、レイ」

 ナミが私に撫子色の瞳を向ける。

「手に持ってるその棒は何だ?」


「貴重な遺物だよ。この遺跡で見つけたんだ」

「それはすごい。他にも何かあるか、探してきてもいいか?」


「日が落ちる前には出発したいから、あまり遠くには行かないでくれよ」

『ん、わかった』

 なぜかハクが返事をして、ナミたちと一緒に探検に向かう。


 私は時の彼方へと去ろうとしている遺跡を一瞥したあと、冷たい風が吹いてくる大樹の森に視線を向けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る