第252話 紛争〈スィダチ〉re
遥か頭上の枝から落下してきた
「小鬼の集団はどうなった?」
マシロは胸元が苦しいのか、ボディアーマーを窮屈そうに引っ張って、それから口を動かさずに言葉を伝える。
『全部、殺した』
拡張現実で表示される
「ハクはまだ戦っているみたいだな……マシロ、お願いがあるんだけど、聞いてくれるか?」
彼女は首をかしげると、櫛状の長い触角を揺らした。
『なぁに?』
「これからハクの支援に行くけど、マシロにも一緒に来てもらいたいんだ」
彼女は黒い複眼で私のことをじっと見つめたあと、コクリとうなずいてみせた。
「ただ、無理はしないでほしい。危ないと感じたら、遠くに避難してくれて構わない」
『わかった』
マシロが綺麗な
「ハカセ、さっきは助かったよ」
旧文明の特殊な兵器を杖のようにして立てて、その先端に両手を置いて何かを考えるように木箱に座っていたハカセが顔を上げる。
「気にすることはありません」
ハカセは紺色の頭蓋骨を動かして微笑んでみせた。
「不死の子よ、質問をしても?」
すぐにハクの
「構わないよ。何が知りたいんだ?」
横倒しになった木箱の中から未開封の〈国民栄養食〉を拾い上げて、まだ食べられるか確認したあと、密閉されていたパッケージを開いた。
「先ほどの人造人間について、お尋ねしたいのです」
ハカセの青く発光していた瞳がぎゅっと細くなるのが見えた。私は手元の〈国民栄養食〉を見つめながら質問に答える。
「じつは俺もよく知らないんだ。〈不死の導き手〉と呼ばれる教団が関わっていることと、彼らが精神の転送を可能にする旧文明の装置を所持していることくらいしか分からない。それも噂程度の話だから、どこまで信じていいのか分からない」
「精神の転送ですか……」
「教団は守護者を崇めていて、肉体を捨て去ることが神に近づく唯一の道だと信じているみたいなんだ。そのために彼らは自らの肉体を神に捧げて、〈守護者〉に昇華するための儀式を行っているとか何とか」
「それは奇妙な儀式ですね」
「俺もそう思うよ。なんでも、特殊な装置に脳波パターンやら何やらを記憶させて、情報を増幅させながら機械人形の身体に転送しているみたいだ」
「機械人形に精神の転送ですか」
ハカセは金属製の頭蓋骨を
「ずいぶんと危険なことをしているみたいですね」
「ああ、危険でイカれた行為だ。だから教団が〈守護者〉の身体を使って、転送の儀式を行っていたことは俺も知らなかったんだ」
ハカセは枯茶色の兵器を杖代わりして立ち上がると、何かを考えながら大樹を見上げた。私は手に持っていたブロック状の栄養食を口に近づける。マスクの操作に慣れたからなのか、無意識に形状を変化させて口元を露出させることができた。
「精神の転送に使用される装置のことはご存じですか?」
モールベルトに吊るしていた水筒を手に取ると、水を飲んで栄養食を喉の奥に流し込んで、それからハカセの質問に答える。
「教団が所持していると噂される装置については、残念だけど何も分からない。装置の所在も判明していないし、その存在も今日まで疑わしかった」
「そうですか……」
残念そうな表情を見せるハカセに言う。
「けど、イーサンなら何かを知っているのかもしれない。教団についての噂話もエレノアに教えてもらったんだ」
「そうでしたか……それらな、のちほどイーサンに
かれの言葉にうなずいたあと、栄養食を咀嚼しながら考える。ハカセが宣教師と名乗る化け物を簡単に倒してみせたことや、液体金属に変化していた敵の身体を吸収したことの意味について聞きたかった。けれどハカセは他の考え事に集中していた。
だからそれについて訊ねるのは、また今度の機会にすることにした。何より、今はハクの掩護に向かうことを優先しなければいけない。輸送機を操縦しているペパーミントと連絡を取って状況を確かめたあと、何か問題が発生したときに彼女の支援が得られるように、引き続き鳥籠の上空で待機してもらうことにした。
『レイ』
カグヤの声が内耳に聞こえた。
『通信を妨害してた装置を完全に停止させることができたよ』
「さすがだな、カグヤ。鳥籠との連絡も取れるようになったのか?」
『うん、すでにマーシーが鳥籠のシステムを操作して、入場ゲートも適切に稼働するようにしてくれた。だから生体情報が登録されていない他部族が鳥籠に侵入することはできなくなった』
簡易地図を開いて鳥籠の様子を確認すると、敵を示す無数の赤色の点が入場ゲート付近にいるウェンディゴから逃げるようにして遠ざかっていくのが見えた。どうやら蟲使いたちは形勢が不利になったと気がつくやいなや、鳥籠から退却を始めたようだ。
数百人の蟲使いたちと彼らの昆虫が撤退したことは良い傾向だったが、彼らの向かう先にはサルの変異体と戦闘を続けていたハクとマシロがいた。このままだと蟲使いたちも巻き込んだ混戦状態になってしまう。すぐにハクの支援に向かったほうがいいだろう。栄養食の空のパッケージを潰してポケットに入れると、ハカセに声をかけた。
「ハカセ、ひとつ頼みがあるんだけどいいかな?」
腕を組んで大樹を見つめ、何かを一生懸命考えていたハカセが言葉に遅れて反応する。
「何でしょうか、不死の子よ?」
「この場を少し離れることになるけど、その間、襲撃者に捕らえられていた女性たちを守ってやってくれないか?」
そう言って一箇所に集まって休んでいた女性たちのことを指差すと、ハカセは快く応じてくれた。
「ご心配なく。ここは私がしっかりと引き受けましょう」
「ありがとう、ハカセ」
素直に感謝したあと、鳥籠に向かって駆けながらイーサンと連絡を取り、現在の状況を簡単に説明する。
『妨害装置を見つけたのか?』イーサンが驚く。
「ああ、鳥籠のすぐ近くに連中の前哨基地が築かれていたんだ」
『鳥籠の守備隊はそれを見逃していたのか?』
「幹部に裏切り者がいたんだ」
『……そう言うことか』
「そっちの状況は?」
『ゲンイチロウが率いる守備隊と合流した。今は彼らと一緒に〈スィダチ〉の居住区画を守備している。堅牢な〈カスクアラ〉が破壊されることはないと思うが、まだ避難できていない住人がいるからな』
「そう言えば住民の多くは、あの巨大な外骨格に避難していたんだったな」
『ああ、そうだ。だからここを突破されるわけにはいかない』
上空を飛んでいたカラス型偵察ドローンに頼んで、鳥籠内の状況を確認することにした。蟲使いたちによって断続的に行われた砲撃によって、通りはひどい状態になっていた。石畳は破壊され、地面は陥没し、大樹の切り株を利用して建てられた家々は炎上していた。想定していたよりも、ずっと悪い状況になっているようだ。
「サクラは無事か?」
『サクラは族長と一緒に〈聖堂〉にいるから心配ない。連中が〈スィダチ〉の中心にある〈カスクアラ〉を破壊できるような兵器を持っているとは思えない』
カラスの眼で通りを確認すると、甲虫の殻を鎧に加工して身につけている守備隊が戦列を整え、蟲使いの集団と対峙している様子が見られた。その守備隊の中にミスズやヤトの戦士たちもいるのだろう。
「人擬きはどうなった?」気になっていたことを訊ねる。
『カグヤの操作する攻撃型ドローンと協力して、真っ先に処理したよ。〈スィダチ〉の昆虫が何匹かやられたが、人間に被害は出ていない。だから新たな感染者も出ないだろう』
「分かった。俺もこっちの問題が片づけたら、すぐに鳥籠に向かうよ。それまで何とか耐えてくれ」
『レイ、俺たちは大丈夫だ。鳥籠のゲートが機能してくれたおかげで、敵さんは増援を期待できなくなって士気も落ちた。侵入した連中を掃討するのも時間の問題だ。それより、外にいる連中に気をつけてくれ、撤退すると決めた奴らは死に物狂いで襲ってくるだろうからな』
「ああ、分かってる。油断はしないさ」
大樹の間を駆け抜けて鳥籠に続く草原に出ると、ハクを取り囲んでいる
仲間の頭部が吹き飛ばされるのを見ていた数体の小鬼が激昂し、私の姿を見つけると咆哮しながら駆けてくるのが見えた。しかし彼らはマシロによって行く手を阻まれ、容赦なく撲殺されていった。
マシロの戦い方は単純だ。敵を見つけたら殴るか蹴り飛ばす。単純だが有効的な手段だ。彼女の驚異的な身体能力で殴られた小鬼たちは、頭を割られ、腹を裂かれ、
ライフルの残弾が底を突くと、所持していた最後の弾倉をライフルに装填し射撃を継続した。小鬼たちの死体が周辺一帯に積み上がっていくのが見えたが、いいことばかりではなかった。
小鬼たちは仲間の死体を近くに引き寄せると、それを盾にしながらこちらに接近して来ていた。そして銃弾から逃げ出す小鬼もあらわれるようになり、不運なことに鳥籠から逃げてきた蟲使いたちと交戦し始めた。おかげで周囲には蟲使いたちの悲鳴と小鬼たちの咆哮、そして銃弾が飛び交う音や手榴弾の破裂音で一気に騒がしくなった。
ハクの周囲にいた小鬼の集団を
「大丈夫か、ハク。怪我はしていないか?」
『けが、ない』
そう言ってハクは腹部をカサカサと振る。
「良かった」安心して息をついた。
思っていたよりも小鬼の数が多いので、もっと早くハクの支援に来れば良かったと後悔していた。小鬼たちが何処から集まってきたのかは分からなかったが、地図で確認したときよりも、ずっと数が増えているように感じられた。
ウェンディゴがやってきて小鬼や蟲使いたちに対して重機関銃の弾丸を浴びせ始めると、彼らはなす術もなくバタバタと倒れていった。
「マシロはどうだ? どこか痛むか?」
するとなぜか彼女は私に手の甲を見せてくれた。フサフサとした白い毛で
旧文明の〈バイオジェル〉があれば、もっと的確な治療ができるが、無い物ねだりをしても仕方がない。状況が落ち着いたら〈オートドクター〉を使って治療しよう。
我々の周囲からは、小鬼の悲鳴に近い金切り声や重機関銃の立てる騒がしい音が聞こえてきていたが、ハクがすぐそばにいて守ってくれていたので、周囲の動きに気を取られることなくマシロの治療に専念できた。
「足も見せてくれ」
そう言ってマシロの足の甲や、足の裏が傷ついていないか確認する。
「ペパーミントに迎えに来てもらうから、マシロは輸送機で大人しくしていてくれ」
『どうして?』
彼女の声が内耳に聞こえる。
「怪我をしているからだ」
『怪我?』
マシロは包帯の巻かれた自身の手を見て、それからコクリとうなずいた。
輸送機を戦闘区域から離れた場所に着陸したのを確認すると、マシロを兵員輸送用のコンテナで休ませることにした。
『レイ、森から何か来るみたい』
ペパーミントの声に視線を上げると、体長十メートルを優に超えるイノシシの変異体が大樹の間から姿を見せた。オオイノシシの身体は傷つき、腹は裂けていて、零れ出した内臓を引き摺るようにして歩いていた。しかし痛みを感じていないのか、その状態でもこちらに向かってのっそりと歩き続けていた。
『レイ、変異体の背中を見て』
カグヤの言葉に反応して視線を向けると、赤黒い血液に染まったイノシシの毛皮に、〈混沌の領域〉が由来だと思われるフジツボに似たグロテスクな寄生生物が大量に付着しているのが見えた。その生物は気色悪い黄緑色の体液をイノシシの背中に垂れ流していた。
「〈混沌の領域〉からやってきた化け物なのか?」
ハンドガンを抜きながら質問した。
『壁の近くで感染した個体なのかもしれない』
その言葉に思わず顔をしかめる。
「あんなに遠い場所から鳥籠を目指してやってきたのか?」
『たまたま近くに来ていて、戦闘音に引き付けられたのかも』
「音?」
『だってあのイノシシ、目がないし、鼻も削ぎ落されている』
本来、イノシシの目がついていなければいけない場所には、うねうねと動く奇妙な寄生生物が付着していて、イノシシはまっすぐ歩くことさえできていなかった。
「あのイノシシも混沌の被害者か……」
『何だか、とてもかわいそうだね』
ハンドガンの銃口をイノシシに向ける。ホログラムの照準器が浮かび上がると、銃身が縦に開いて形状が変化していく。銃口の先の空間が歪み、日の光が届かない
腕が僅かに持ち上がる軽い反動のあと、紫色に発光する光弾が撃ち出されるのが見えた。銃声はほとんどしなかった。発射された球体状の小さなプラズマは、イノシシに向かってゆっくり進み、徐々に弾速があがっていった。やがて発光体は、ふらふらと鳥籠に接近していたイノシシの前方でピタリと静止した。
何が起きているのか状況を理解していない哀れなイノシシは前進し、そして発光体に触れる。ソレはイノシシの身体にゆっくり食い込んでいく。
そして変異体の体内で、金属を打ち合わせたような甲高い音が響いた。その瞬間、巨大なイノシシの身体が宙に浮きあがる。イノシシは空中を歩くように、バタバタと足を動かし続けていた。
そして空気を切り裂くような甲高い音が周囲に響くと、イノシシの身体は自らの体内に向かって吸い込まれ、そして圧縮されていった。女性の腰よりも太い骨が折れる嫌な音が響き渡り、血液が噴き出したかと思うと、すぐに身体の中心に向かって吸い込まれていく。
そうして瞬く間にイノシシは圧殺され、拳大ほどの灰色の物体に変わっていく。高密度に圧縮された球体状の物体はしばらく空中に浮かんでいたが、やがて地面に落下して鈍い音を立てた。
気がつくと重機関銃が発していた重々しい射撃音も、小鬼たちの咆哮も聞こえなくなっていた。どうやら鳥籠の周囲で起きていた戦闘はひと段落したようだ。
「カグヤ、他に危険な生物の存在は確認できるか?」
『ううん、今は何も確認できないよ』
「そうか……それなら、俺たちも鳥籠に向かおう」
黒煙が立ち昇る鳥籠に視線を向けると、ハクと一緒に入場ゲートに向かって歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます