第245話 キメラ〈塵の子〉re


 みにくい化け物の頭部が次々にはじけて、周囲に気色悪い体液を撒き散らすと、破裂音を聞きつけた他の巨人たちが一斉にこちらに顔を向けた。巨人の虚ろな表情のなかに、意思のようなものは一切感じられない。


 ナミが言ったように、邪神とも呼ばれた異界の巨人たちはすでに死んでいるのかもしれない。それなら、何が彼らを動かしているのだろうか?


『レイ!』カグヤの声が内耳に響いた。

 弾薬を〈小型擲弾〉に切り替えると、のっそりと接近してきていた巨人の下腹部に擲弾てきだんを撃ち込んだ。赤色の薄い皮膚を突き破って体内に侵入した擲弾が炸裂すると、大きく膨らんだ腹部に寄生していた蠅の化け物がグロテスクな肉片に変わる。


 蠅の化け物が死んでしまうのと同時に、巨人も力を失ってゆっくりと肉の地面に向かって倒れていった。その巨人は他の化け物よりも一回り小さな個体だったが、それでも全高が十三メートルほどあったので、倒れたさいの衝撃は凄まじく、その振動は私の立っていた場所まで伝わってきた。


 下腹部に詰まっていた蠅の化け物が死んだことで、巨人も元のしかばねに戻ったのだと目星をつけたが、ゾンビのように立ち尽くしていた巨人が死んだ本当の理由は分からない。けれど腐敗した巨人の肉体が人擬きのように動いていることと、あのおぞましい蠅には何か密接な関係があるのかもしれない。


 重低音な羽音が聞こえてきたかと思うと、すぐ近くまで接近していた蠅の化け物が大量の銃弾を受けて、奇妙な手足を振り回しながら肉の襞に衝突するのが見えた。


「大丈夫ですか」ヌゥモ・ヴェイがライフルを構えながらやってくる。

「すまない、少し考えごとをしていたみたいだ」


 飛び回る蠅の化け物に対して、冷静に射撃を行っていたイーサンが苦笑する。

「こんな状況なのに、ずいぶん余裕じゃないか」


 弾薬を〈自動追尾弾〉に切り替えながら言う。

「余裕はないさ。けど、あいつらの体表は見た目ほど硬くない。弾薬の消費を気にしなければ危なげなく対処できるはずだ」


「そうだな……それにしても、この場所はひどい臭いがする」

 フルオートで銃弾をばら撒きながら返事をする。

「気がつかなかったよ」


「レイたちが使っているマスクのおかげだな。俺が使っている奴はダメだ。一週間は腐臭が鼻の奥から離れないだろうな」


 彼の言葉に眉を寄せたあと、身につけている戦闘服にちらりと視線を落とし、化け物の赤黒い返り血を見てうんざりした気分になった。この戦闘服の臭いもひどいことになっているのだろう。


「レイ」イーサンが言う。

「マシロを境界線のこちら側に呼んでくれ、あそこで戦うのは危険すぎる」


 霧の向こうに視線を向けると、蠅の化け物の攻撃を器用にかわしながら、逆に蠅を蹴り飛ばしているマシロの姿が見えた。彼女は気がついていないようだったが、地面にある肉のひだがマシロに向かって伸びていた。


 彼女を掩護えんごするため全速力で駆け出すと、境界線の向こう側に入った。そのさい、薄い膜を突き抜けるような、僅かな抵抗を感じた。


 マシロのそばまで行くと、肉の襞を火炎放射で焼き払う。まるであわびの踊り焼きのように、うねうねと動く肉の襞を横目に見ながら、マシロの手を取って後方に下がる。


『ここは危ない』マシロが言う。

「そうだな、だから助けに来たんだ。すぐに戻るぞ」


 そう言って振り向いたあと、私は唖然として立ち尽くした。ニメートル先の景色すらハッキリと視認することのできない、そんな濃霧の中に我々は立っていたのだ。


「考えなしに飛び込んだ所為せいだな」思わず舌打ちをする。

「ここが混沌に侵食された領域だってことを忘れていたよ。カグヤ、帰り道を教えてくれ」


 けれどカグヤからの返事はなかった。インターフェースで地図を確認しようとしたが、もちろん地図は表示されなかった。


『どうしたの?』

 マシロが首をかしげる。

「帰れないんだ」


『どうして?』

 冷たい汗を掻きながら言う。

「帰り道が分からなくなった」


『大丈夫』マシロは言う。

『こっち、森に帰れる』


 彼女は霧の向こうを指差したが、私には何も見えなかった。頭を捻っていると、マシロは私の手を取って、そのまま霧のなかに入っていく。すると霧の向こうにぼんやりとイーサンとヌゥモの姿が見えた。


「……もしかして、異界の生物であるマシロには、ちゃんと異界の出口が見えているのか?」

 彼女は黒い複眼を私に向けると、そっと微笑んでみせた。

「助かった」ホッとして息を吐き出した。「このまま誘導してくれるか?」

『わかった』


 マシロに手を引かれながら、ぶよぶよとした気味の悪い感触のする肉の絨毯を歩いた。その間も、蠅の化け物が立てる重低音な羽音があちこちから聞こえていた。霧の向こうから姿を見せる蠅に対して、片手でライフルを扱いながら射撃を続けた。


 カグヤの支援なしで照準を合わせるのは大変だったが、これだけ近くにいれば狙いをつける必要はない。化け物に銃身を向けて引き金を引くだけで良かった。


 透明な薄い膜を通り抜けるような不思議な抵抗を感じたあと、急にカグヤの声が頭に響いた。

『レイ、大丈夫?』


「ああ、マシロのおかげで助かった」

 すぐに〈戦術データ・リンク〉を使って、先ほど経験したことを仲間たちに手早く説明し、絶対に境界線を越えてはいけないと忠告した。


「境界線を越えたとき、俺はどうなった?」

「消えたよ」と、巨人に擲弾を撃ち込んでいたイーサンが言う。

「ふっと消えて、気がついたらまた目の前にあらわれた」


「不思議だな……」

『うん、それに危なかった』カグヤが言う。

『マシロがいてくれなかったら、また何日も異界を彷徨さまようことになっていたのかも……』


 蠅の化け物を殴り倒しているマシロを見ながら言う。

「カグヤもマシロの能力のおかげだと思うか?」


『そうだと思う、巨人たちも真直ぐこっちに向かって来ている。それってつまり、こちら側の世界がちゃんと見えているってことだから』


 その巨人がのっそりとこちらに向かってきているのが見えた。動きが遅く、あまり攻撃的には見えなかったが、その巨体だけでも威圧感があり、引き金にかけた指がかすかに震えるのが分かった。


 弾薬をライフル弾の炸裂弾頭に切り替えると、巨人の足首を破壊し、下腹部を守るようにして倒れる巨人に焼夷手榴弾を投げ込む。そうして蠅の化け物が腹部から出てくる前に殺していく。


『巨人の身体からだが腐っていて良かったね』カグヤが言う。

『生きていたら、こんなに簡単に対処できなかったはずだよ』


「そうだな。あれでも神さまとして扱われている種族だからな……」

『蠅の化け物もそうだよ。腹部から出てきた直後は羽化したばかりの昆虫と同じで、体表がすごく柔らかい。だから簡単に倒せている』


「分かってる」

 銃弾を撃ち込みながらうなずく。

『それに……邪神として恐れられている巨人を殺して、尚且つその屍を操ることのできる恐ろしい何かが、〈混沌の領域〉にいることが分かった』


「油断はしないさ」

 そんなことを言ったそばから蠅の化け物に接近され、恐ろしい造形をしたハサミで攻撃される。横に飛び退いて蠅の攻撃をかわそうとするが、追撃は避けられそうになかった。身体からだを守るように腕を交差させたが、化け物の攻撃が届くことはなかった。


 ヌゥモが恐ろしい速度で我々の間に割って入り、蠅の化け物の腕を剣の一振りで切り落とし、返す刀で化け物の胴体を両断してみせた。


「また助けられたな」

「いえ」ヌゥモは鬼をかたどった黒いフルフェイスマスクを振る。

「それより森の奥に何かいます。気をつけてください」


 彼の言葉に反応して大樹の間に視線を走らせた。

「さっきの昆虫か?」

「いえ、もっと巨大で恐ろしいものです」


 簡易地図ミニマップを開いてペパーミントを警護していたミスズたちの状況を確認し、問題がないことが分かると、昆虫たちと戦闘を続けていたアルファ小隊の状態を確認した。するとウミの凛とした声が聞こえてくる。


『レイラさま、こちらでの戦闘はすべて終了しました。私たちもすぐに支援に向かいます』


「そうだな……」と、押し寄せてきた肉の襞を燃やしながら言う。

「ウミとアルファ小隊は引き続き森の監視を続けてくれ。化け物が境界を越えて侵入してきたら、その処理も頼む」


『承知しました』

 肉の襞がぷすぷすとガスを噴き出し、萎れていくのを見ながら言う。

「マツバラも引き続きアルファ小隊と共に境界線の監視を行ってくれ。マツバラのトンボは森の中で役に立つ」


『任せておけ』マツバラのぶっきらぼうな声が聞こえる。

『ところで、壁の修復はどうなっている?』


「もうすぐ終わるはずだ」

『頼んだぞ』


 通信が切れると、最後の銃弾を蠅の化け物に撃ち込んで、ベルトポケットからライフル専用の重たい弾倉を取り出す。すると視界の隅に弾倉の装填方法がアニメーションで表示される。


 ライフルの精密な機関を保護する白い装甲がスライドするように開くと、そこに長方形の弾倉を押し込んだ。インターフェースに表示される残弾数のカウンターが復活したことを確認すると、化け物たちに対して射撃を継続した。


『レイ!』

 突然、ペパーミントの声が頭に響いた。


 私は飛びかかってきた化け物の頭部をライフルのストックで殴り、衝撃でたじろいだ化け物の胸部に擲弾を撃ち込んで、すぐに化け物を蹴り飛ばした。擲弾が身体に食い込んだ化け物は、巨人の腹部を突き破って出てこようとしていた蠅たちのそばまで転がるようにして吹き飛び、そして爆発した。


 複数の蠅が死んだことを確認したあと、ペパーミントに訊ねる。

「どうしたんだ?」


『修理が完了して、今からシールドを再起動する。境界線のそばにいるのなら、危険だからすぐに離れて』


 蠅の化け物を殺していたイーサンとヌゥモの位置、それからミスズたちの位置を素早く確認したあと、目の前に迫っていた巨人に視線を向けた。


「すぐに起動できるか?」

『そのつもり』

「はじめてくれ」


 カーテン状のシールドの膜が円柱の両脇から出現し、境界線に沿って展開すると、展開経路上にあったすべてのものが切断されていくのが見えた。肉の襞や、我々に向かって飛んできていた蠅の化け物も、薄い膜状のシールドにまとめて切断された。


 すぐ目の前に迫っていた巨人に視線を向ける。どうやらシールドの膜に身体を綺麗に切断させられていたようだ。


 わずかの間を置いて、こちら側に向かって身体の前面部分がずるりと倒れてきた。シールドの向こうには立ったままの巨人の半身が残り、切断面からは巨人の内臓や骨格の様子が細部まで確認できるようになっていた。しかしその身体の一部も、シールドに血痕を残すようにしてずり落ちた。


 イーサンは巨人に近づくと、切断面で溺れていた蠅の化け物たちに火炎放射を浴びせ、徹底的に焼き尽くしていった。


「終わったのか?」

 シールドで隔てられた〈混沌の領域〉は濃い霧におおわれていき、やがて向こう側の景色を見ることができなくなった。


 ヌゥモ・ヴェイは羽音を立てて騒がしく飛行していた蠅の生き残りを撃ち落とすと、金属をこすり合わせるような威嚇音を発していた化け物の頭部に剣を突き刺した。それでも尚、蠅の化け物は手足をバタバタと動かしていたが、しばらくすると動かなくなった。


 一瞬の静寂が森を支配すると、次の瞬間には大樹の枝が擦れ合う音と、その枝が割れる音が聞こえてきた。林立する木々に視線を向けると、藍鉄色のただれた皮膚を持つ巨人が大樹の間から姿を見せた。


「まだ生き残りがいたのか」

 イーサンはライフルを構えるが、すぐに照準器から視線を外す。

「……あれは何だ?」


 巨人の背後にある青い茂みから、ヘラジカに似た体長十メートルを優に超える生物が姿を見せた。


 その生物は巨人の横を優雅に歩き、そして立ち止まる。ヘラジカじみた化け物の太い首が持ち上がると、灰色の羽毛をまとった女性の上半身があらわれる。まるで静寂そのものを運んできたかのような生物の登場に、森のあらゆる生命が息を潜めた。


 巨人は虚ろな表情のまま生物のそばで身体を折り、土下座をするように頭を下げた。ヘラジカの下半身を持った奇妙な生物は、巨人の禿げ上がった頭にそっと腕を伸ばす。細い腕が巨人に近づくと、巨人の下腹部にいた蠅たちが暴れ、土下座していた巨人の身体を喰い破って外に出てこようとする。しかし遅かった。


 女性の細腕が巨人の頭部に触れると、その箇所から巨人の身体が徐々に干からびて、そして塵に変わっていく。巨人の身体から出てこようとしていた蠅の化け物も金切り声を上げながら塵に変わっていった。


 ヘラジカと女性のキメラは、地面に広がった塵を踏みしめるようにしてゆっくり歩いた。綺麗な形の乳房を揺らし、極彩色の羽毛が生えた尾を揺らしながら優雅に歩く。まるで世界が彼女のためだけに存在している、そんな錯覚をさせる振る舞いだった。


 それから彼女は私に眼を向ける。美しい瞳だった。瞳孔がなく、まるで空に浮かぶ天の川銀河を見ているような、深く果てのない、吸い込まれそうな瞳をしていた。音もなくハクが私のとなりに着地すると、白い体毛を逆立て眼を真っ赤にする。しかし塵を踏み歩く生物は、ハクの様子を気にすることなく、塵の上をくるりと優雅に歩く。


 今や森を支配していたのは〝死〟そのものだった。

 大樹は巨大な墓石に変わり、風は死者を慰める聖者の歌声に変わる。


 我々は死の中心に立っていた。

 塵を踏みしめる生物はふと動きを止めると、私を見つめる。


 そして生物の身体はゆっくり〝塵〟に変わっていく。

 地面に塵が積もっていくと、その塵の中から泣き声が聞こえてくる。


 それは苦しそうに泣く赤ん坊の声だ。

 塵の山が崩れると、タール状の粘り気のある液体に濡れた生物が姿を見せる。それは胎盤の中でまるくなっている人間の胎児を思い起こさせた。


 胎児は泣きながら地面を這った。

 ずるずると地面を這う。


 塵に塗れながら、ずるずると這う。

 そして時折、無垢な笑い声をあげた。


 それは私の足元に掴まると、ゆっくり登ってきた。

『あぁ』

 胎児は女性の声で、甘く切ない吐息を零す。

『やっと見つけた』


『あぁ、愛しい我が子よ。どれほどお前を待ち焦がれていたことか……』

『あぁ』胎児は私の首に腕を回そうとして動きを止める。


『哀れな子よ、深淵に見初められてしまったのね』

 胎児は抱擁するように、私の首に小さな腕を回した。


『我が愛しい子よ、何も心配することはありません』

『それでもお前はいつまでも私の、私だけの愛しい子なのだから』


『いつまでも』

『いつまでも』


 ひどい眩暈めまいがして膝をつくと、フルフェイスマスクの中でタール状の液体を吐き出した。自分自身の吐瀉物に溺れ、必死に息を吸い込みながら顔を上げると、塵になったはずのヘラジカの身体を持った女性と目が合う。


 おぞましいキメラは微笑みを浮かべると、茂みの向こうに消えていった。私は激しく咳込み、粘り気のある液体に喉を詰まらせる。マスクが吐き出した液体を排出していたので、何とか呼吸は続けられていたが、喉の違和感は中々なくならなかった。


「大丈夫か、レイ」イーサンが私のそばにしゃがむ。

「あの化け物は? 胎児は何処に行った?」


 イーサンは困ったような表情を見せて、それから頭を横に振った。

「胎児なんていなかった。レイは森の悪魔に幻覚でも見せられていたんだろう」


「幻覚……でも確かに……」

 視線を上げると、我々を守るように立っているハクとヌゥモの後ろ姿が見えた。


『大丈夫、レイ?』

 心配するカグヤの声が聞こえた。

「ああ、大丈夫だ」


『キャプテン!』マーシーの声が急に内耳に聞こえた。

「どうした?」息を深く吸い込みながら言う。


『切断されていた〈スィダチ〉の施設との接続がつながった!』

「そうか」深呼吸しながら言う。「そもそも〈母なる貝〉のシステムが、鳥籠の施設とつながっていたことも知らなかったよ」


『シールド生成装置のシステムが修復されたことで、機能が復活したんだよ』

「……それで、どうして慌てていたんだ?」


『〈スィダチ〉は今、戦場になってる』

「はい?」と、思わず間抜けな声を発した。

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