第244話 修理〈シールド生成装置〉re


 シールド生成装置内部の制御盤に張り付いた修理装置は、六本の脚を使って器用にチップセットの上を移動して回路基板の裏側に入っていった。ペパーミントは手元の端末で修理装置が問題なく動作していることを確認すると、ベルトポーチから工具を取り出して制御盤の修理作業を開始した。


 私は巨大な柱のそばに立ち、外套の内側でライフルに手を添えながら、境界線の向こうに立っている巨人を見つめていた。化け物に対して環境追従型迷彩が有効なのかは分からないが、何もせずにこの危険な場所に立っているのはひどく落ち着かなかった。


 ちなみにマスクのフェイスプレートを通して見えていた巨人の姿は、解像度の低い動画を見ているように、ジャギーが目立ちハッキリとしなかった。化け物を見続けることで精神に影響をきたすことがないように、あの化け物に対してのみ、マスクが自動的にフィルターをかけて対策してくれていた。


『レイ』

 二十メートルほど後方で待機していたナミの声が内耳に聞こえる。

『気をつけてくれ、あの巨人は異界で見た邪神に似ている』


『邪神?』

 彼女の言葉に思わず首をかしげる。

『あの巨人は神さまみたいな存在なのか?』


『〈白金山脈〉を徘徊している古の種族で、盲目の信者たちの伝承によれば、その巨人は風を自由に操り、空を歩むことのできる神のような存在だとされている』


『空を歩む……? あの巨人は空を飛ぶのか』

『詳しいことは分からない。それに、そいつは私が知っている巨人と違って見える』


 境界線の向こうに立っていた巨人に視線を向ける。邪神と呼ばれるその化け物の身体からだは傷つき腐敗し、眼球のない虚ろな表情で、肉のひだに侵食されている大樹に身体を向けてじっと佇んでいた。


『ナミ、教えてくれ。奴らの何が違うんだ?』

『まるで〈食屍鬼グール〉を見ているようだ』


『異界には食屍鬼までいるのか?』

『ああ……でも、あのただれた皮膚や白骨化した身体は、むしろ死体に見える』


『生きた屍か、まるで人擬きみたいだな』

『それに……』と、ナミは続ける。

『膨らんだ腹は奇妙だ。薄い皮膚を透かして見えている蠅の化け物は、本来は〈白金山脈〉には近づくことのできない混沌の化け物だ』


『白金山脈って何のこと?』カグヤの声が聞こえた。

 ハクと一緒に異界を旅しているとき、赤色に染まる大草原の向こうに、雪をたたえる山々が連なっていたことを思い出す。


『異界の何処かにある綺麗な山脈のことだ。俺も一度だけ目にしたことがある』

『その異界の山にいる生物が、どうしてこんな場所に?』


『それは分からない』

 そう言うと、ぼうっと立ち尽くしている巨人に視線を向ける。蠅の化け物が薄い皮膚の向こうでもぞもぞと動いて、頭部をおおう大きな複眼をこちらに向ける。すると蠅の姿を認識したマスクが、そのおぞましい姿を隠すように、視界にフィルターをかける。


 通信を知らせる短い通知音が鳴ると、視界にイーサンの名前が表示される。

『こいつを見てくれ、レイ』


 イーサンから受信した映像には、牛の頭骨に似た巨大な物体が映っていた。それはあまりにも大きく、頭骨のとなりに立っていたヤトの戦士とほぼ同じ高さがあった。


『内臓を喰われて放置されていた死骸の一部だ』イーサンは言う。

『俺たちが見つけたときには、奇妙な昆虫が舐めまわすように生物の全身に群がっていた』


『その巨大な動物を殺した何かが、この辺りをうろついているんだな?』

『そういうことだ』

 彼はそう言うと映像の視点を変えた。

『森の悪魔に関する警告もすぐ近くで見つけた』


 大樹の幹に刻まれた〝逆さの鳥居〟が映し出された。

『地下トンネルに続く洞窟の外でも見た警告だな……』


『ひどく危険な場所にいるようだ。ところで、シールド生成装置の修理は順調か?』


 ペパーミントに視線を向けると、彼女の輪郭線が青色で表示される。外套の迷彩をつかっているので、幽霊のように朧気おぼろげな姿だった。


『どうだろう、順調であることを願うよ』

『巨人の化け物はどうだ?』


『今のところ、動きに変化は見られない』

 イーサンから受信していたリアルタイム映像の視点が動いて、露草色の茂みが映し出される。

『どうやら客がやってきたようだ』


『どんな奴だ?』

 イーサンがいる場所にカラス型偵察ドローンを向かわせる。

『大きな虫だが、どうも様子がおかしい』


 受信する映像には、体長二メートルほどある黒緑色の甲虫の変異体が映し出されていた。しかし甲虫の外骨格の間からは、肉の襞が飛び出ていて、開いた状態のまま固定された鞘翅しょうしからは、千切れた翅が見えていた。また甲虫の胸部には、フジツボに似たグロテスクな寄生生物が付着していて、黄緑色の体液を垂れ流していた。


『その虫との戦闘は避けられそうか?』

 イーサンは周囲の映像を見せながら答えた。

『地中に潜んで俺たちが近づくのを待っていたみたいだ。すでに複数の虫に囲まれているようだから、戦闘は避けられないな』


『やれそうか?』

『このライフルなら問題なく対処できるはずだ』


 イーサンは指輪型端末を介して戦闘開始の合図を皆に送信した。ちなみに指輪を所持していないマツバラは、ツノ型の感覚共有装置を介して、〈戦術データ・リンク〉とつながっていたので、連携に支障をきたすことはなかった。


 乾いた銃声が聞こえると、甲虫の外骨格に複数の穴が開いて黄緑色の体液が噴き出すのが見えた。銃弾が甲虫の堅い外骨格に通用することを確認したあと、ウミに通信を行い、彼女の操作する複数の攻撃型ドローンをイーサンたちの支援に向かわせる。できるだけ戦闘を早く終わらせて、境界線の監視に戻ってもらうための対応だった。


 それから境界線の向こう側に立っている巨人に視線を向けた。

『巨人の動きに変化は見られないよ』カグヤが言う。

『昆虫との戦闘は影響していないみたい』


「ライフルの特殊な消音器のおかげで、銃声が奴の耳に入らないんだろう」

 上空を飛んでいたカラスに周囲の監視を頼んだ。シールド生成装置が停止したことで〈混沌の領域〉が広がり始めていて、すでにこちら側の世界も侵食されていた。


 そして侵食された領域を含め、そのすべてをカグヤの操作するドローンと戦闘中の仲間たちだけで監視することは不可能に近かった。だからカラスを境界線の監視に向かわせて、せめて巨人たちの動きだけでも警戒することにした。


 カラスは大樹の間を器用に飛行して、恐ろしい速度でこちら側の世界を侵食している〈混沌の領域〉の映像を送信する。肉の襞が重なるように紫色のサンゴに似た植物を呑み込んでいき、血管のような赤黒い管が地面に根を張るように伸びている光景が確認できた。


『巨人たちに目立った動きは見られないな……』

 ホッとして息をつく。するとカグヤの声が聞こえる。

『このまま何も起きなければいいんだけどね』


『そうだな……』

 カラスとカグヤのドローンを使って作成した簡単な地形図で、イーサンとアルファ小隊の周囲の状況を確かめる。指輪型端末を介して、インターフェースにはミスズたちの現在の状態も常時表示されている。


 指輪は所有者の体内情報をモニターしていて、損傷を負った場合や身体に異常が出れば、すぐに警告が出て確認できるようになっていた。今のところ、戦闘で負傷した者はひとりもいなかった。


『レイ』とカグヤが言う。

『数匹の昆虫がこっちに来るみたい』


『私が対処します』後方で待機していたミスズが言う。

『レイラはそのまま、この場で待機していてください』


 ミスズとナミの位置を示す青い点が移動したのを確認すると、エレノアと連絡を取る。

『どうしたの?』すぐに彼女の声が聞こえた。


 環境追従型迷彩を起動し、幽霊のように姿を隠していたエレノアの輪郭線が近づいてくるのを見ながら言う。


『巨人が一体、ゆっくり歩き出したのを確認した。境界線をまたいでこちら側にやってくるかもしれない』

『分かりました。ペパーミントの護衛は私に任せてください』


 彼女の言葉にうなずいたあと、素早くライフルの点検を行う。

「カグヤ、巨人のもとまで案内してくれ」

『了解』


 カグヤのドローンが境界線に沿って森の奥に飛んでいくと、その後を追って駆け出した。

『レイ』ハクの幼い声が頭の中に響いた。


「どうしたんだ、ハク?」

『レイ、どこいく?』


「あまり遠くには行かないよ。だからハクはそのまま大樹の上で待機していてくれるか? もしもペパーミントたちが襲われそうになったら、すぐに彼女たちを助けてほしいんだ」


『ん、たすける』

「マシロもハクと一緒にいるのか?」


『シロ、いない』

「どこに行ったか分かるか?」


『レイ』

「俺のところに来たのか?」

『ん、ひまだった』


 白い翅を使ってふわりと浮かんでいるマシロの姿が見えてくると足を止めて、外套から手だけ出してマシロに手招きをした。マシロは櫛状の触角を揺らすと、笑顔で近付いてきた。私はハクに気持ちを伝えるときのように、声を出さずにマシロに言葉を伝える。


『マシロも大樹の上から敵の動きを監視してくれるか?』

『敵?』と、彼女は首をかしげる。


『危険な生物と、俺たちに敵意を持っている存在だ』

 彼女はうなずくと、三十メートルほどの高さにある枝に向かって飛んでいく。問題がないことを確認すると、肉の襞が押し寄せてきている場所に向かう。すると境界線の奥から、白骨化して頭蓋骨が剥き出しになった巨人が、のっそりとこちら側に歩いてくるのが見えた。


 ふと侵食された領域から濃い霧がこちら側に流れ込んでくるのが分かった。その冷たい霧は地面をうように広がり、巨人たちの姿を静かに覆っていく。


『どうするの、レイ?』

 カグヤが不安そうな声で言う。

『あの化け物を殺せるか分からないから、とりあえず足を潰して動けないようにして時間を稼ぐ』


『ハクの糸で巨人の足を地面に縫い付けてもらえば?』

『あの奇妙な肉の襞が巨人の力に耐えられるとは思えない。糸ごと肉が剥がれたら意味がない』


『痛みで叫ばれたらどうするの、すぐに他の巨人が集まってくるかもしれない』

『それなら最初に喉を潰す、支援を頼めるか?』


『もちろん』

 地面に片膝をつけると、ライフルのストックを肩に押し付けた。弾薬は貫通力に優れたライフル弾を選択した。ただれたゴムのような皮膚に銃弾が通用するのかは分からなかったが、ハンドガンの〈貫通弾〉よりも銃声は抑えられるはずだ。


 撃ち込んだ数発の銃弾は巨人の喉に大きな損傷を与え、喉を含めて首の大部分を抉り取った。その所為せいなのか、巨人が歩くたびに頭部が首振り人形のように大きく揺れた。その巨人が何の反応も示さなかったことを不思議に思いながらも、両足首に立て続けに銃弾を撃ち込んだ。


 足首を欠損した巨人が前かがみになって地面に倒れる。そのさい、地面に敷かれた肉の表面に溜まっていた気味の悪い液体が周囲に飛び散る。しかし巨人は尚も立ち上がろうとする。すぐに照準を合わせると、巨人の手首を素早く撃ち抜く。それでも化け物は腕の欠損部分をブヨブヨとした肉に押し付けて、無理やり立ち上がろうとする。


『まるで人擬きだ』

 カグヤがつぶやくのを聞きながら、巨人の様子を注意深く眺めていた。

『時間は稼げたけど、失敗だった』


 巨人が苦しみもがくように身体を動かし、仰向けになると、膨らんでいた下腹部の薄い皮膚を突き破るように、蠅の化け物の醜い頭部が飛び出すのが見えた。その化け物は、頭部のほとんどを占める巨大な複眼をこちらに向けると、気色悪い粘液をまといながら巨人の腹部から這い出てきた。


 その化け物は見る角度によって色の変わる構造色の体表を持ち、半透明な翅の奥に見える大きな腹部には鋭い突起物のような毛がびっしり生えていた。しかしそれは厳密に言えば蠅ではなかった。


 その化け物は二メートルを超える体高があり、複数ある長い脚の先には人間の指にも似た黒い器官が十数本生えていた。口元には強靭な大顎があって、それが開いたり閉じたりするたびに鋭い牙が生えているのが確認できた。そしてその化け物には尾が生えていた。長く太い尾の先には棘のような長い毛が生えていた。


 蠅の化け物の脇腹が粘り気のある糸を引きながら開くと、折り畳まれていた腕のようなものが姿を見せた。その腕の先には、甲殻類のハサミに似た器官があって、蠅の化け物はハサミの感触を確かめるように、それを何度か打ち合わせた。


『レイ』

 カグヤの言葉にうなずく。

『ああ、分かってる』


 化け物の姿がハッキリ見えないようにフィルターを掛けるが、戦闘に支障が出ないように、化け物の輪郭線を強調するようにした。それから化け物の頭部に照準を合わせて、引き金を引いた。


 銃弾を受けた化け物は地面に仰向けに倒れ、脚や奇妙な翅をバタバタと地面に打ち付けて、やがて動かなくなった。それはあっという間の出来事だった。しかし化け物を完全に殺すのに、強力なライフル弾を数十発も必要とした。


 倒れた巨人の身体が痙攣すると、膨らんだ腹部から体液が噴き出し、蠅の化け物が次々と姿をあらわした。弾薬を〈自動追尾弾〉に切り替えながらカグヤにたずねる。


『イーサンたちの状況は?』

『昆虫の処理をアルファ小隊に任せて、ヌゥモと一緒にこっちに向かって来てる』


 蠅の化け物に照準を合わせてタグを貼り付けていくと、標的を示す赤色の線で輪郭が縁取られていく。


『ペパーミントは?』

『もうすぐ作業が終わる』と、彼女の声が聞こえた。

『レイの状況は?』


『最悪だ』

『撤退する?』


『しない、この場に敵の注意を引き付ける』

『無茶よ』


『そうだな』思わず苦笑する。

『いつものことだ』


『でも、今回も切り抜けられるとは限らない』

『大丈夫だ。今回は仲間がついている』


『そうね……すぐに修理を終わらせる。だからあまり無理はしないでね』

 彼女の言葉にうなずいたあと、ライフルの引き金に指をかける。


『ミスズ、昆虫はどうなった?』

『すべて処理しました』


『それならペパーミントの護衛に向かってくれるか?』

『了解、ナミと一緒に向かいます』


『ハクもそっちにいるから、蠅の化け物が接近してきたら協力して対処してくれ。これから相手する化け物には、銃声を気にする余裕なんてないからな』


『わかりました』ミスズは言う。

『……幸運を祈ります』

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