第242話 侵食 re


 洞窟内に大量発生していた昆虫との戦闘を終えると、偵察を行うために洞窟の外に出ることにした。景色に大きな変化はなかったが、それでも大樹の間に〝防壁〟として機能する円柱が立っているのが見えた。


 フルフェイスマスクの視覚を調整して、ずっと遠くに見えていた紺色の円柱に焦点を合わせる。大樹の枝が邪魔をしていたので、その円柱の正確な高さは分からなかったが、少なくとも百五十メートルほどの高さがあり、直径は五メートルほどあるようだ。


 周囲の大樹よりも高くそびえ、滑らかな材質で造られた円柱からは青白い半透明のシールドの膜が壁のように伸びていて、隣接するように等間隔に設置された円柱とつながっていることが確認できた。


 カグヤのドローンは光学迷彩を起動すると、露草色の植物が生い茂る奇妙な森に向かって飛んでいく。近くの岩陰に身を隠すと、ドローンから受信する映像を視線の先に表示する。〈混沌の領域〉が〝こちら側〟の世界を侵食している影響なのか、海底のサンゴにも、あるいは脳のようにも見えるグロテスクな造形をした植物が周辺一帯に群生している。


 ドローンはそれらの奇妙な植物と大樹の間を通って、侵食された領域をゆっくり進んでいく。大樹の葉を透かして地面に届く淡い緑色の光が、露草色の植物を幻想的に浮かび上がらせていた。しかしその異様な光景はとても地球上のものとは思えず、どこかの惑星に迷い込んだような、そんな不思議な気分にさせられた。


 受信していた映像の視点が変わると、洞窟に向かって伸びる赤紅色の太い根が見えた。それがどのような種類の植物なのかは分からなかったが、それがシールドの膜の向こうから伸びてきていることが確認できた。


 森の管理を行っていたマーシーからの情報で、富士山をぐるりと囲むように建つ円柱が全部で百数十本ほどあることが分かっていた。それぞれの円柱の間隔は一キロほどあり、停止していることが確認できている円柱は洞窟から数百メートルほどの位置にあることも分かっていた。


 洞窟に向かって伸びている奇妙な根は――とても奇妙なことだったが、〈混沌の領域〉から機能停止したシールドを越えて真直ぐ洞窟に伸びていた。まるで洞窟の先に人間の建造物があると分かっているかのような植物の動きには、どこか奇妙で、寒気すら感じる恐ろしさがあった。


 目的の場所までドローンが近づくと、〈混沌の領域〉と森の境目をハッキリと確認することができるようになった。〝あちら側〟の領域には、幾重にも重なる肉の絨毯にも見えるグロテスクな物体が地面をおおっていて、それが心臓の鼓動のように脈打つのが見えた。


 そのヌメリのある肉の間からも太い根が伸びているのが確認できた。円柱のこちら側にある青い葉を持つ奇妙な植物と、〈混沌の領域〉に広がる赤い肉の絨毯で、防壁の境界線は不自然なコントラストをなしていた。


 シールドの薄膜の向こうに見える〈混沌の領域〉にも大樹が立っているのが確認できた。しかし大樹を侵食するように、その幹には肉が張り付いていて、ヌメリのある赤黒い内臓や黄色い脂肪の塊、そして腸にも似た奇妙な物体がツル植物のように垂れ下がっていた。


 それらの大樹の根元には吹き出物のような植物が群生し、空気の抜ける間抜けな音と共に黄緑色の液体が噴き出しているのが見えた。


『気持ち悪いね』

 カグヤがぽつりとそんなことを言う。

「たしかに気色悪い光景だ……それにしても、ひどく静かな場所だ」


『うん。生物の気配がまったくしない』

「修理が必要な円柱がどうなっているか分かるか?」


『すぐに向かうから、少し待って』

 ドローンが赤色の線で縁取られた円柱に近づいていくのが見える。

「そいつで間違いないんだな?」


『うん。各円柱を管理するシステムでエラーが検出されたのは、この円柱だけだった。実際にシールドの膜も展開されていないみたいだし、この柱で間違いないよ』


 カグヤのドローンが円柱に向かってレーザーを照射すると、円柱の下部、ちょうど人間の胸のあたりの高さにある場所に縦のつなぎ目があらわれて、左右にスライドしながら展開していくのが確認できた。


 内部には制御盤があって、見たことのないカード型のチップセットや、束ねられたケーブル、それに冷却水のようなものが流れている半透明の筒が見えた。


『残念だけど』カグヤが言う。

『どこが故障しているのか、私にはさっぱり分からない』


「そうだな。修理に関してはペパーミントに任せよう」

 岩陰から身を乗り出すと、露草色の草が繁茂する森に目を向ける。

「それより、周囲に危険な生物がいるか確認できたか?」


『ううん、生物の反応は――』

「どうしたんだ?」途中まで言いかけたカグヤにたずねる。


『大きな蜘蛛がいる』

 ドローンの視線の先に、脚が異様に長い蜘蛛がのっそりとあらわれるのが見えた。蜘蛛の身体からだは異様に膨らんだ腹部を合わせても一メートルほどだったが、竹に似た細長い脚はそれぞれが三メートルほどの長さだった。薄茶色の体色を持ち、体表の所々に針金のような黒い毛が生えているのも確認できた。


 大樹の間をゆっくり進んでいる蜘蛛を見ながらカグヤに言う。

「ドローンの存在には気がついていないみたいだな」

『そうだね……見て、レイ』


 ドローンの視点が肉の絨毯に向けられると、折り重なる肉の襞から植物の根がゆっくり伸びてくるのが確認できた。それはのっそりと移動していた蜘蛛に近づくと、カメレオンが舌を伸ばして昆虫を捕らえるように、蜘蛛に向かって一気に伸びた。


 蜘蛛は脚に絡みついた植物の根に抵抗することもできず、グロテスクな肉の襞に引っ込んでいく植物の根と共に肉の間に消えていった。


『レイ、今の見えた?』カグヤが困惑しながら言う。

「ああ。どうやらあの円柱に近付くのは、相当に危険な行為みたいだな」


『どうするの?』

「分からない」思わず溜息をついて、それから空を仰ぎ見る。


 大樹の枝や葉の間から僅かに青い空が見えた。

「ウェンディゴに爆撃を頼めないか?」と、思いつきを口にする。


『難しいかも。膜状のシールドは、富士山の山肌に沿って建てられた高層建築物に向かって伸びるように展開していて、上空の広い範囲もカバーしているみたいなんだ。だから空爆はシールドに阻止されるかもしれない。それにもしもシールドを貫通できたとしても、爆発の衝撃で円柱に大きな被害が出るかもしれない、そうなったら元も子もない』


 カグヤが作成してくれた爆発のさいに発生する衝撃波の影響範囲をシミュレーションした映像を見ながら、次にどうするべきなのかを考える。森は驚くほど静かで、鳥の鳴き声や昆虫が移動するさいに立てる草の擦れる音も今は聞こえてこなかった。


「ひとまず戻ってきてくれるか、カグヤ?」

 ドローンの視線が動いて、森の奥を映し出す。

『レイ、さっきまであんなものいなかったけど、あれが何だか分かる?』


 カグヤの困惑する声に驚いて、すぐに映像を確認する。


 大樹のそばに人型の生物が立っているのが見えた。それは二十メートルほどの背丈のある巨人で、身体は半ば白骨化していた。茶色く薄汚れた体毛に覆われていて、藍鉄色の皮膚が禿げ上がった場所から見えていた。


 体毛のない下腹部は、まるで妊婦のように大きく膨れていた。注意深く観察すると、赤色の半透明の皮膜を通して、その中でうごめく蠅にも似たおぞましい生物の姿が見えた。


 その巨人と、巨人の腹の中で蠢く蠅に見覚えがあった。ハクと一緒に旅をした異界の地で、それらの生物と遭遇していて、蠅に似た生物に限っていえば戦闘も経験していた。


 そして恐ろしいことに、円柱の先に広がる領域に立っていた巨人は、その一体だけではなかった。無数の巨人が大樹に身体からだを向けるようにして、森の中でぼうっと立ち尽くしていたのだ。


 その巨人を凝視し続けたからだろうか、言葉で言い表せない恐怖と共に、何者かの視線を感じるようになっていた。それは重く粘り気のある薄闇の中から、我々の様子を観察しているようでもあった。


「レイ」すぐそばに来ていたイーサンが言う。

「そいつらをあまり見るな。それは俺たちの世界の生物じゃない。連中に魅入られたら正気を失うぞ」


 ドローンから受信する映像を消してからイーサンに訊ねた。

「奴らのことを知っているのか?」


「いや、はじめて見るタイプの化け物だな」端末に受信していた映像をちらりと確認しながら彼は言う。「けど混沌からい出た化け物の中には人を魅了し、恐怖で支配しようとする連中がいる。だから異界の生物と対峙するとき、俺たちは常に注意しないといけない」


「そうだな」

 深呼吸して気持ちを落ち着かせる。

「今度からは気をつけるよ」


「それで」イーサンは森に視線を向けながら言う。

「偵察して何か収穫はあったか?」


 カグヤのドローンが記録した映像をイーサンに見せながら、森の奥で何が起きているのかを説明した。イーサンは腕を組んでしばらく何かを考えて、それから口を開いた。


「その植物の根をどうにかしなければ、円柱のそばにペパーミントを連れて行くことはできそうにないな」


「焼き払うのはどうだ? 焼夷手榴弾と火炎放射が使える」

「ダメだな」イーサンは頭を振る。「炎と煙が巨人の注意を引くかもしれない」


「それなら」太腿の秘匿兵器ハンドガンを引き抜いた。

「こいつで植物の根と巨人をまとめて処理するのは?」


 イーサンは眉を寄せたあと、お気に入りのスキットルを取り出してウィスキーを口に含んだ。


「あれを使えば化け物だけじゃなく森の一部も破壊されるだろうな。そうなったら〈混沌の領域〉にいる危険な化け物も近くに呼び寄せることになるかもしれない」

「ならどうする?」


 イーサンはウィスキーを飲んで、それから頭を横に振った。彼にも解決できない問題があるようだ。


 マシロが洞窟の奥からやってくるのが見えた。彼女は私とイーサンに黒い複眼を向けたあと、岩に寄りかかっていた私のすぐとなりに立った。マシロは大きな翅の邪魔にならないように、特別に調整された黒いボディアーマーを身につけていて、下半身には鼠色のボクサーショーツを穿いていた。


 それにハクお手製のボールを胸に抱いていた。それは空気の抜けたバスケットボールにハクが糸を巻き付けて作ったものだったが、なぜかマシロはそれをずっと抱いていた。


「どうしたんだ?」

 マシロに訊ねたが、黒い複眼を向けるだけで何も言わなかった。


『レイ』

 ハクの幼い声が聞こえて洞窟の天井に視線を向けると、逆さになっている白蜘蛛の姿が見えた

『これ、あたらしい、ウミ』


 ハクの触肢しょくしに抱えられていたのは、先ほどの戦闘でも活躍した攻撃型ドローンだった。

「それはウミが操作しているだけで、ウミの本体じゃないんだよ」


『ウミ、ちがう?』

 ハクはそう言ってじっとドローンを見つめたあと、哀れなドローンを解放した。地面に落下していくドローンは、ゴツゴツした岩に接触する寸前で空中に静止すると、いそいそと洞窟の中に戻っていった。


 洞窟の天井から下りて来たハクは、私のとなりに立っていたマシロを抱きかかえると、すこし離れた場所にマシロを置いてきた。それから身体を押し付けるようにして、私にくっ付いてきた。それを見ていたマシロは首をかしげて櫛状の触角を揺らすと、白い翅をふわりとばたかせてハクの背に座る。


 ハクとマシロがすぐ近くにいて、正直すごく暑苦しかったが、それに構わずにイーサンに訊ねる。

「迷彩として機能する外套を羽織って、あの円柱に近づくのはどうだ?」


「あの巨人の眼が悪ければ、それで誤魔化せるかもしれないが、身体が発する熱を察知して植物の根が攻撃してくるかもしれない」

「足音や振動だけじゃなくて、食虫植物みたいに反応して攻撃してくる可能性があるのか……」


『まとめて枯らせることができればいいんだけどね』とカグヤが言う。

『その根は全部つながっているみたいだし』


 洞窟に向かって伸びていく太い根を見ていると、切断された根が瞬く間に枯れていくのを思い出した。


「強力な毒で枯らすことはできないか?」

 イーサンは首をかしげる。

「除草剤か何かを使う気か?」


「いや、除草剤はない。だからこいつを使う」

 右手のタクティカルグローブを外すと、戦闘服の袖を捲って右手首から刀を出現させる。イーサンは刺青が液体に変化して、その液体が瞬時に刀に変わるのを見ると飲んでいたウィスキーで激しくむせた。


 彼はしばらく咳をしていたが、やがて頭を横に振った。

「なぁ、レイ。その手品みたいなことは、旧文明の遺物を使ってやっているんだよな?」


 私は握っていた刀を見つめたあと、イーサンにうなずいてみせた。

「……そう言うことにしておいてくれ」


「そう言うことって……まぁいい」イーサンは溜息をつく。

「それで、その日本刀で何をする気なんだ」


「刀のことも知っているんだな」

「高価な武器だけど、ジャンクタウンの施設でも買えるからな」


「あぁ、そういうことか」

 刀を両手で握ると、日の光を受けた刀身に蛇の鱗のように、青緑色と赤色の毒々しい模様が浮かび上がるのが見えた。


「この刀には猛毒が仕込まれているんだ」

「猛毒?」イーサンが顔をしかめる。「どれくらい強力な毒なんだ」


「突き刺した刀を引き抜くときには、すでに身体が腐り始めるほどに強力だ」

「めちゃくちゃだな」


「ああ、たしかにめちゃくちゃだ。だからこの刀で植物を枯らせる」

「お前さんがその結論にいたった理由も、その毒が植物に有効なのかも分からないが、やってみて損はないだろう」


 混沌の化け物すら忌避する〝秩序の守護者〟を封印することのできる毒だ。植物を枯らせることくらい簡単にできるだろう。逆手に刀を握ると、植物の根に刃を突き刺した。すると奇妙な根は生き物のようにのたうち始めた。


「効果があったみたいだな」イーサンは岩の上に退避する。

 ハクも私を抱えると、洞窟の壁に張り付いた。マシロはふわりと空中に飛び上がると、見る見るうちに枯れていく植物の根を不思議そうな表情で見つめていた。

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