第229話 高い代償 re


 得体の知れない生物からの襲撃を受けている蟲使いたちが混乱し、騒がしい銃声や手榴弾の炸裂音が聞こえてきていたが、私とその美しい生物の間には奇妙な静けさが漂っていた。


 女性の姿をした生物は大きな翅を震わせると、ハクに甘い微笑みを浮かべ、すらりとした長い足で近づいてきた。それから彼女は挨拶をするように、ゆっくり手を差し出す。


 均等のとれた綺麗な肢体は、歩いているだけでも様になる。彼女が差し出した手は、指の先までフサフサした毛に覆われていたが、手のひらには毛がなく、人間の肌のようにすべすべしていた。


 困惑しながらも彼女の手を取り優しく握ったあと、大きな複眼に視線を向けた。彼女は微笑んで、それから不思議そうに首をかしげた。


 突然、我々のすぐ近くに手榴弾が転がってきて破裂する。ハクは私を抱き寄せると後方に飛び退いたが、人の姿をした変異体は周囲にバラ撒かれた金属片をもろに受けてしまう。けれどそれでもなお、彼女の身体からだには傷ひとつ付かなかった。爆発の衝撃で彼女の体毛から鱗粉のようなものが空中に舞い、日の光を受けてキラキラと輝くのが見えた。


 彼女は真っ黒だった複眼を赤色に発光させると、まるでタコやイカのように、周囲の環境に合わせて体色を変化させ、瞬く間に姿を消してしまう。


『レイ、大丈夫?』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、ハクの脚を撫でながら言う。

「ああ、大丈夫だよ。ハクもありがとう」


『ん。あぶない、だった』

 ハクは幼い声でそう言うと、私を地面にそっと下ろし、それからミスズたちを攻撃していた蟲使いの集団に向かって飛んで行った。そこに銃弾が飛んでくるようになると、すぐに地面に埋まっていた機械人形の陰に身を隠し、こちらを攻撃していた蟲使いたちに応戦する。


 フルオート射撃で銃弾を撃ち込みながら、気になっていたことをカグヤに質問する。

「さっきの生物は俺たちと敵対していないように見えた」


『そうだね……でも蟲使いたちのことは容赦なく攻撃してる』

「ミスズたちは攻撃されているか?」


『ううん。よく分からないけど、蟲使いたちだけが一方的に攻撃されてるみたい』

 その蟲使いたちから一斉に銃弾を撃ち込まれると、機械人形の背に隠れる。


「とりあえず、厄介な蟲使いたちに攻撃を集中して――」

 そこまで言うと、何者かに腕を掴まれたような感覚がして、気がついたときには、空中に放り投げられていた。派手に地面を転がり、近くに埋まっていたもう一体の機械人形に背中からぶつかってようやく止まる。


「何なんだ一体……何が起きている?」

 痛みに顔をしかめながら視線を上げると、先ほどまで私が隠れていた場所に、五十センチほどの黒蟻がいて、こちらに頭部を向けながら大顎をカチカチ鳴らしていた。


『あの黒蟻に投げ飛ばされたんだ』

 カグヤの言葉を聞いて無意識に戦闘服の袖口に視線を移す。たしかに黒蟻の大顎によって噛み切られた跡が残っていた。


「あの黒蟻も変異体だったことを忘れていたよ」

『小さくても力持ち』


 こちらに向かってくる黒蟻に対して、うつ伏せになったまま射撃を行う。最初に命中した銃弾は硬い体表に傷をつけ、次に命中した弾丸が体内に食い込み、身体の内側に致命的な破壊をもたらした。黒蟻が動かなくなったこと確認して立ち上がるとシールドの薄膜が展開して銃弾の軌道を逸らしていくのが見えた。


 攻撃に反応すると、苔生した機械人形の背中に隠れる。腰に挿した〈シールド生成装置〉から赤熱する〈小型核融合電池〉を素早く取り出し、未使用の電池と交換したあと、すぐに簡易地図ミニマップを確認する。


 森に潜んでいた襲撃者たちとの戦闘は至るところで発生していた。ヤトの部隊を使って敵を包囲したつもりでいたが、森に潜んでいた蟲使いたちによって逆に我々が包囲される状態になっていた。


「カグヤ、敵の正確な数が分かるか?」

 偵察ドローンが姿を見せると、カメラアイをチカチカと発光させる。

『蟲使いたちは巧妙に姿を隠していて、正確な数を把握することは難しい。だけど〈ワヒーラ〉の索敵能力なら、襲撃者たちの僅かな動きも見逃さない』


 カグヤが言うように、拡張現実で投影されていた簡易地図に敵の位置情報が赤い点で表示されていくのが見えた。ワヒーラから受信する情報をもとに狙撃手たちが潜んでいる場所を確認すると、彼らに対して射撃を行っていく。


「イーサンの考えは正しかった。連中ははなから俺たちを襲撃するつもりだったんだ」

『そうだね、台風で川が氾濫していなくても、私たちをこの場に連れてくるつもりだった。多数の襲撃者をこの場所に前もって潜ませていたのが、その証拠だね』


 数発の銃弾が飛んでくると、すぐに機械人形の背に隠れる。

「なぁ、カグヤ」

『どうしたの?』


「この機械人形を攻撃に使えないか?」

 そう言うと、苔生した作業用ドロイドの装甲をコンコンと叩いた。


『機械人形を使うの?』

 カグヤは驚いているようだったが、すぐに機体をスキャンする。

『壊れていない機体があれば、システムをハックして起動できるかもしれないけど……』


「けど?」

『少し時間が必要だよ』


「それは問題ない。やってみてくれ、今は少しでも戦力が必要だ」

 複数の黒蟻が接近してくると、機械人形の背から身を乗り出して射撃を行い排除する。狙撃手だけではなく、多数の黒蟻とつながった蟲使いもいるようだ。慎重に攻撃を続けながらミスズとナミの様子を確認する。


 彼女たちは地面に埋まったまま機械人形を遮蔽物として上手く使いながら、蟲使いたちとの戦闘を続けていた。地面に埋まる機械人形は旧式だったが、それでも一部に旧文明の鋼材が装甲に使われているため、蟲使いたちが使う火器では装甲を貫通することができなかった。


 慎重に交戦するミスズたちとは対照的に、ハクは蟲使いたちからの銃撃を少しも気にしていなかった。軽やかに飛び上がり集団のそばに着地すると、長い脚の先についた鉤爪で次々と蟲使いや昆虫を排除していく。やはり〈深淵の娘〉が持つ独特な気配の所為せいなのか、ハクの存在そのものが蟲使いたちを恐慌状態にしているようだった。


 ウェンディゴに対する狙撃が落ち着いたからなのか、イーサンとエレノアも車両のそばを離れ、ミスズたちの支援に向かっていた。ウェンディゴの後方に展開していた蟲使いの数はそれほど多くはなかったが、ツノのようにも見える〈感覚共有装置〉によってつながっている昆虫の数は多く、とくに黒蟻の集団は厄介な存在になっていた。


 一斉射撃を受けると、一旦機械人形の背に隠れて、それから機体の反対側から顔を出す。ウェンディゴの前方で、人の姿をした変異体と交戦していた蟲使いたちの多くはすでに殺されていた。


 けれど蟲使いたちの隊長を中心にした部隊の姿が何処にも見当たらなかった。彼らは昆虫から取れる素材を加工して作った装備を身に付けていたので、何かと目立つ存在だったので、彼らがいないことは一目瞭然だった。さっそく簡易地図を開いて蟲使いたちの姿を探すことにした。


『見つけたよ』カグヤが言う。

『逃げているみたいだね』


「情けない奴らだ」

『どうするの?』


「敗走する連中に何かできるとは思えないけど、生きて俺たちの情報を持ち帰らせるのも癪に障る」

『そうだね。彼らは知り過ぎた』


 遮蔽物として利用していた機械人形がもぞもぞと動き出すと、周辺一帯に散らばるように放置されていた作業用ドロイドが一斉に土の中から這い出すのが見えた。まともに動ける機体の数はそれほど多くない。しかし機械人形が動いてくれるだけでも、蟲使いたちに対して精神的な圧力になるはずだ。


 ぎこちなく立ちあがった機械人形の背に隠れながら質問する。

「いけるのか、カグヤ?」


『装備は暴徒鎮圧用のテーザー銃だけだけど、小さな昆虫たちの相手なら問題なくできる』

 土から這い出した機械人形の関節から煙が出て、次の瞬間には爆発するのが見えた。


「本当に大丈夫なのか?」

『何とかなる』


 次々と作業用ドロイドが起動して、ミスズたちの支援を開始すると、逃走した蟲使いたちのあとを追うことにした。動きの邪魔になるバックパックをその場に残すと、森の奥に向かって駆け出した。


「カグヤ、イーサンたちに報告しておいてくれ。連中を片付けてすぐに戻ってくるって」

『了解』


 蟲使いたちを追って走っていると、大樹の枝に潜んでいた襲撃者たちから何度か狙撃される。しかしマツバラのトンボが重低音な羽音を響かせながらあらわれると、襲撃者たちの関心はトンボに移る。走っているだけの私と異なり、トンボは彼らを喰い殺す脅威だからなのだろう。


 トンボの大顎によって噛み千切られた手足や内臓が降る森のなかを、ひたすら走った。

『見えた!』


 敵の発見とほぼ同時に、前方にいた蟲使いたちから射撃が行われ、シールドの薄膜が銃弾の軌道をそらすのが見えた。滑り込むようにして地面に埋まっていた機械人形の背に隠れると、前方に向かってライフルを構える。


 銃弾を〈小型擲弾〉に切り替えると、集団の中心に撃ち込む。ポンと軽い音を立てて撃ち出された擲弾は、蟲使いたちの足元で爆ぜ、彼らを空中に吹き飛ばす。


 蟲使いの隊長を中心に編成された部隊の足が止まったことを確認すると、彼らに向かって駆け出し、一気に距離を詰めた。そのさい、数十発の銃弾を撃ち込まれると、シールド生成装置からの警告が視界に表示される。


 ユーティリティポーチから紺藍色の小さな装置を取り出す。手のひらに収まる小さな球体には、縦に緑色のラインが引かれていた。その球体を強く握り、緑色のラインが赤くなったことを確認すると、進行方向に向かって放り投げる。すると球体は地面で割れて、半球状のシールドを生成していく。


 シールド内に駆け込むと、銃弾を防いでくれている僅かな時間を利用して、シールド生成装置の電池を素早く交換する。


 装置に触れてシールドを再び展開させると、射撃を行いながら前進する。最初に向かってきたムカデや黒蟻をフルオート射撃の掃射で処理すると、蟲使いたちからの射撃を避けるために大樹の根元に身を隠した。


 息をしっかり整えて、それから身を乗り出して射撃を行う。ライフルの性能に助けられていたが、おかげで蟲使いたちの部隊を短時間に制圧することができた。敵に止めを刺そうとして大樹の根元から離れた瞬間だった。


 羽音が聞こえたかと思うと五十センチほどのハチが襲いかかってきた。黒と黄色の特徴的な体色を持ったハチは、異様に長い脚の間から腹部を突き出し、鋭い針を突き刺そうとする。後方に飛び退きながらハチの攻撃をかわすと、銃弾を炸裂弾頭に変更し、それを立て続けにハチに撃ち込む。銃弾を受けたハチの身体は、破裂するように周囲に飛び散った。


 先ほど攻撃してきたハチとつながっていた者だろう、蟲使いの女性が頭を抱えて地面にうずくまるのが見えた。彼女は私に何かを言おうとして口を開いたが、口からはよだれしか出てこなかった。その女の頭部に銃弾を撃ち込むと、蟲使いの隊長と対峙する。


「また高い代償を支払うことになったな」

 蟲使いの隊長は相変わらず奇妙な外套を身にまとっていて、複眼のついたゴーグルでこちらを睨むだけで、何も言おうとしなかった。


「無口なんだな」

 私がそう言うと、蟲使いは駆けてきた。彼に何かをさせる気はこれっぽっちもなかった。素早くライフルを構えると、数発の銃弾を撃ち込む。しかし銃弾は蟲使いの奇妙な外套を貫通できず、それどころか衝撃すらも吸収しているように見えた。蟲使いは銃撃に構うことなく突撃してくる。


「銃弾が無理なら」

 火炎放射に切り替えると、容赦なく蟲使いを焼き払う。さすがに炎を防ぐことはできなかったのか、蟲使いは溶けだした外套を乱暴に脱ぎ捨てると、腰に差した大ぶりの鉈で攻撃してきた。的確に狙われる急所に攻撃が当たらないように、集中して攻撃を躱していく。


 隊長は手練れだったが、さすがに至近距離からの銃弾を避けることはできなかったようだ。しかし、それでも蟲使いは倒れない。男の腹部に視線を向けると、人の腕を交差させたような、不思議な見た目のボディアーマーを装着しているのが見えた。


『レイ、その蟲使いは人体改造してるみたい。おそらく痛みは感じていない』

 蟲使いの腹で何かが動いたかと思うと、自分自身を抱きしめるようにして腰に回されていた二本の腕が、ゆっくり左右に広げるのが見えた。


「不思議な形をしたボディアーマーだと思っていたけど、あれは義手だったんだな」

『これで腕が四本になった』と、カグヤが溜息をつく。


 蟲使いはそれぞれの義手を動かして腰のベルトからナイフを抜くと、腰を落として構えて見せた。私は肩をすくめて、それから男に言う。


「腕が何本あっても、銃弾は防げない」

 蟲使いに向かってフルオートで銃弾を浴びせる。相手と同じ土俵の上で戦う必要はない。それでも男は眉ひとつ動かさずに私に斬りかかってきた。


 けれど蟲使いの刃が私に届くことはなかった。ライフルから手を離し、ハンドガンをホルスターから抜くと男に銃口を向ける。ホログラムサイトが浮かび上がると、甲高い金属音と共に〈貫通弾〉が撃ちだされる。


 ハンドガンから撃ちだされた質量のある銃弾は、蟲使いの身体を容赦なく破壊した。その威力は凄まじく、貫通した弾丸を追うように男の身体は奇妙な角度でじれ、彼の自慢の腕は引き千切れ何処かに飛んでいった。痛みを感じなくても、動けなくすれば問題ない。人擬きとの戦いで学んだことだ。


『レイラさま』

 ウミの声が内耳に聞こえると、他に敵がいないか確認しながら答える。

「どうした?」


『周辺一帯に潜んでいる敵の位置が確認できました。敵を殲滅するための攻撃を行ってもよろしいでしょうか?』

「その敵の中に、人の姿をした奇妙な変異体は含まれているのか?」


『含まれていません。蟲使いたちと、彼らが操る昆虫だけです』

「分かった。攻撃してくれ」


『承知しました』

 通信が切れると、上空のカラスから受信していた映像を確認した。


 するとウェンディゴの車体上部から、多数の超小型ミサイルが発射されるのが見えた。ミサイルは白い煙の尾を引きながら飛び、茂みや大樹の枝に潜んでいた襲撃者たちに向かっていく。そして彼らの身体をことごとく爆散させていった。ミサイルが大樹の森に飛び交う間、肉片や血液の雨がしばし降ることになった。


『終わりました』

 しばらくしてウミの声が聞こえる。


「さすがだよ」と、思わず苦笑する。

「あんなに苦労していたのに、ウミのおかげであっという間に片付いた。ありがとう」


『どういたしまして』

 彼女との通信が切れると、ワヒーラから受信する地図を確認しながらウェンディゴのもとに戻ることにした。


『ねぇ、レイ』

 カグヤの言葉に反応して視線を遮る立体的な地図を消すと、目の前に人の姿をした変異体が立っているのが見えた。白い翅を広げた美しい生物は一体だけではなかった。


『囲まれたみたい』

 カグヤが呑気に言う。


 私は溜息をついて、それから何かを口にしようとした。彼女たちが奇妙な反応をみせたのは、ちょうどそのときだった。近くに立っていた変異体が森の奥に眼を向けると、まるで猫のように白い体毛を逆立て、すぐに姿を消していなくなってしまう。


「カグヤ?」

『森の奥に何かいる』


「何かってなんだ?」

『それは分からないけど……シオンとシュナの集落にいた何かに似た反応を検知した』

 木々が林立する森に目を向けるが、私には何も見えなかった

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