第228話 翅 re
旧世代の角張ったデザインの作業用ドロイドの機体が、地面に半ば埋まったままの状態で放置されているのが見えた。装甲は苔生していて、ひび割れて破壊された装甲からは花と共に小さな昆虫が出入りしている。
周辺一帯に散らばる作業用ドロイドの機体は数百体を越えていて、それらの機体は花を散りばめた草地に、お地蔵さんのようにひっそりと佇んでいる。
その平坦な草地は見晴らしが良く、ずっと先まで大樹の森が続いているのが見えた。鳥籠〈スィダチ〉を出て以来、久々に大きく見える空と日の光を浴びながら、刈り揃えられた芝生の絨毯を歩くように、ライフルを手に森の中を進んでいた。
背後を振り返ると、ウェンディゴを前後から挟み込むように蟲使いたちの部隊が展開しているのが見えた。蟲使いの傭兵たちが何かを画策していることは薄々気がついていたが、聖地に向かうにはこの道を使うしかないと言い張り、どうしても我々を案内すると言って聞かなかった。
蟲使いからの襲撃の兆候があるのに、みすみす彼らの条件を受け入れるようなことをしたのは、予想以上に広大な区域を早く通過するためだった。我々はこれ以上時間を無駄にすることはできない、だから彼らの要求を呑むしかなかった。
かれらの背後に視線を向ける。すると大樹の幹を移動している白蜘蛛の姿が見えた。ハクはどこかに遊びに行かず、ちゃんとウェンディゴのあとをついてきているようだった。正面に視線を戻すとき、ニヤケ顔の蟲使いと目が合った。彼は顎を突き出すようにして挨拶してきた。
『相変わらず、いやらしい顔をする男だね』
カグヤの声が内耳に聞こえると、男から視線を逸らした。
「そうだな。ところで、ヌゥモたちはどうしている?」
『私たちから距離をとって、ちゃんとついてきてるよ』
「蟲使いたちには気がつかれていないか?」
『うん、それは大丈夫』
蟲使いたちの要求を呑むことになったが、彼らが襲撃してくることは誰の目にも明らかだ。だから攻撃に備えて、ヤトの戦士で編成されたアルファ小隊を先に出発させていた。ヌゥモ・ヴェイに率いられた部隊は、〈環境追従型迷彩〉を備えた外套に身を包み、蟲使いたちに気づかれることなく
「カグヤ、ヤトの部隊に同行しているミスズと話せるか?」
『大丈夫みたい、すぐにつなげるよ』
一瞬の間のあと、ミスズの声が聞こえてくる。
『レイラ、どうしました?』
「そっちの様子が知りたい、問題はないか?」
『少し静かすぎると感じますが、それ以外に変わった様子はありません』
「蟲使いたちの動きも気になるけど、危険な生物が近くまで来ているかもしれない、だから充分に注意をしてくれ」
『了解です』彼女はしっかりした声で答えてくれた。
ミスズと通信を終えたときだった。視界の隅で何かが光を反射し、その
ウェンディゴの車体を挟むようにして反対側を歩いていたイーサンに声をかけて、それから苔生した列車を調べるため歩き出した。
『どうしたの、レイ?』
カグヤのドローンが姿を見せる。
「何か光るものが見えたんだ」
『光るもの? 金属片が光を反射しただけじゃないのかな』
「わからない。だから調べに行くんだ』
乱暴に破壊された両開きの扉から車内を覗き見る。車内は広く造られていて、乗客が座るためのシートが
『待って!』
カグヤの声が聞こえると、列車内に踏み入れようとしていた足を引っ込めて、
『何か見つけたのか?』声に出さずにカグヤに
『敵が車両内に潜んでる』
『敵?』
『映像を確認して』
面頬のように口元を
乗客用シートの間に入り込んでいる何者かが、外に立っている私に向かって小銃を構えているのが見えた。男は草や小枝を戦闘服に被せ、周囲の環境に姿を溶け込ませていた。ドローンが移動して視点を変更すると、男の泥まみれの顔に刺青が彫られているのが見えた。
『森の民か……』
『うん、おそらく蟲使いたちの仲間だね。どうする?』
『射撃位置を指示してくれ』
『殺しちゃうの?』
『銃口を向けられているんだ。殺さなければ俺がやられる』
ベルトに挿していた長方形の装置に触れて、シールドの薄膜を周囲に発生させる。
『蟲使いの昆虫はどうするの?』
『どこにいるのか分かるか』
『車両の屋根にいる』
車両の入り口からゆっくり
その毛虫は一メートルほどの体長を持ち、石のように動こうとしなかった。車内の蟲使い同様、動かずにじっとしていたので、ワヒーラの動体センサーに引っかからなかったのかもしれない。敵意を意識すると、車内にいる男の姿が車両を透かして見ることができた。
苔生した車両の壁に射撃のための最適な位置が表示されると、ライフルから手を離し、ハンドガンを素早く引き抜いた。銃声はほとんど聞こえない。壁の向こうで男が取り落としたライフルの立てる音の方が大きかったくらいだ。
ドローンから受信している映像を見て蟲使いが死んだことを確認すると、車両の屋根に潜んでいた昆虫に視線を向ける。毛虫は痙攣するように
インターフェースに表示されていた警戒レベルを示す文字色は、安全を意味する青色のままだった。ウェンディゴの周囲に展開している蟲使いたちの動きを瞬時に診断し、状況に変化のないことを確認したウミが異常なしと判断した。
『蟲使いたちにおかしい動きを見せる者はいないみたいだね』
カグヤが状況を再確認しながら言う。
『大丈夫、その蟲使いを殺したことは、まだ誰にも気づかれてないよ』
ホッとして息をついたあと、周囲を見回しながら言う。
「蟲使いたちは、こんな風に身動きしないで森に潜んでいるかもしれない」
『そうだね……一応、みんなに知らせておくよ』
個人に対する明確な敵意を持っていないからなのか、瞳の能力を使っても敵の姿は見つけられなかった。
「嫌な感じだ。そこら中に蟲使いが潜んでいるみたいだ」
突然、ウェンディゴの前方を進んでいた蟲使いたちから銃声が聞こえたかと思うと、すぐ目の前にシールドの薄膜が展開して、数発の銃弾を防ぐのが見えた。すかさず列車内に飛び込み銃弾をやり過ごす。
「カグヤ」窓際に移動しながら
「どこから攻撃されたか分かるか?」
『わからない。蟲使いたちの集団が何かと交戦してるみたいだけど……』
我々の上空を旋回していた〈カラス型偵察ドローン〉の映像を確認する。ウェンディゴの周囲にもシールドの薄膜が展開しているのが見えた。どうやら我々は狙撃されているようだ。イーサンとエレノアは遮蔽物のない場所に立っていたが、ウェンディゴを中心にして発生する半球状のシールド内にいたので、狙撃による被害は出ていないようだった。
上空を飛んでいたカラスに頼んで、先頭にいた蟲使いたちの様子を確認してもらう。彼らは目に見えない何かに対して射撃を行っていて、すでに数人の蟲使いが致命傷になるような攻撃を受けているのが見えた。手足を失くし、身体をふたつに裂かれた状態で地面に横たわっている蟲使いの姿も確認できた。
「何が起きているんだ?」
『蟲使いたちが交戦している相手の正体は分からない』カグヤは言う。『けど周囲に潜んでいた蟲使いたちが、銃声を襲撃開始の合図だと勘違いしたことは分かる」
「だから俺たちは狙撃されているのか?」
『そうみたい』
「馬鹿げてる」不満を口にする。
「ヌゥモたちは?」
『狙撃手たちを見つけ出して、優先的に攻撃してる』
「ミスズとナミは?」
『ふたりはハクと合流して蟲使いたちを攻撃してる』
「ハクと一緒に?」
驚いて車両の窓から顔を出しウェンディゴの後方に視線を向ける。しかしすぐに狙撃されてしまい、シールドの青色の膜が発生したため、ハクたちの姿は一瞬しか確認できなかった。けれど確かにハクが蟲使いの集団に飛び掛かっている様子がハッキリと確認できた。
「カグヤ」車両に身を隠しながら言う。
「どこから狙撃されたか確認できたか?」
『シールドに着弾した銃弾の角度を計算して――』
カグヤが小声でつぶやくのが聞こえる。
『位置が分かったよ! 今から指示するから攻撃して』
狙撃手との距離を考慮して弾薬を通常弾からライフル弾に切り替えると、カグヤの指示を待つ。
『あれ?』とカグヤが言う。
『攻撃は必要ないみたいだね』
上空を旋回していたカラスから受信する映像を確認すると、巨大なトンボが大樹の枝に潜んでいた蟲使いの狙撃手を喰い殺している映像が拡大表示される。蟲使いはまだ息があるようだったが、トンボの黒い脚にがっちりと捕まっていて、巨大な大顎によって裂かれた腹からは腸が飛び出していた。
グロテスクな光景に困惑して、思わず眉を寄せる。
「あれはマツバラのトンボだよな?」
『うん、ウェンディゴの車内からトンボに指示を出しているみたい』
窓から顔を出してみたが、狙撃されることはなかった。しかしウェンディゴの周囲では、今も青色の薄膜が展開していて、狙撃されていることが分かった。
「狙撃手たちが装備しているライフルから銃声が聞こえない」
『本当だ、銃声は小銃を手にした蟲使いたちからしか聞こえないね。気がつかなかったよ』
「おかしいと思わないか?」
『たしかに変だね。族長たちが襲撃を受けたときに状況が似てる』
「〈スィダチ〉の内紛を望んでいるのは、どうやら他の部族だけじゃないみたいだ」
『それに、他の部族とも内通しているみたいだね』
手榴弾の破裂音が立て続けに響くと、何ものかと交戦していた蟲使いたちの集団に目を向ける。砂煙の向こうから下半身を失くした蟲使いが這って出てくるのが見えた。彼の伸びた腸の先に血に濡れた何者かの足が一瞬見えたが、直ぐに消えて見えなくなった。
「カグヤ、敵の姿が確認できたか?」
『レイ、マスクの視界を切り替えて』
カグヤの指示通りにサーマルビジョンを起動する。
「あれは……」
視界の先には、蛾に似た翅を持つ人型の生物が数体いて、凄まじい速度で飛行しながら蟲使いの集団を殴り殺していた。その生物は人間の平均的な身長しかなかったが、桁違いの腕力を持っているようだった。
顔面を殴られた蟲使いたちの頭部は、まるで水風船が割れるように簡単に破裂していた。不思議なことに、蟲使いたちの昆虫はその奇妙な生物に対して攻撃をすることはなかった。ただぼんやりと蟲使いたちが殺されていく様子を眺めていた。
「カグヤ、あれが何か分かるか?」
口を開いた瞬間だった。衝撃音が聞こえて、列車の屋根が凹むのが見えた。
『屋根にいるみたい……』なぜかカグヤは小声で言う。
『何がいるか見てきてくれ』凹んだ天井を見つめながら、声に出さずに言う。
カグヤのドローンは光学迷彩を起動して、車両の窓から外に出ていった。すぐに人型の生物が立っているのが見えた。こちらの存在に気がついていないのか、列車の上に立ったままウェンディゴを見つめていた。
ドローンの映像を切り替えると生物の輪郭がぼんやりと確認できた。やはり自由に姿を消すことができるのか、サーモグラフィーでしか、その姿を確認することができなかった。
『レイ、なにしてる』
幼い声がして窓の外に視線を向けると、白蜘蛛が列車の前にいるのが見えた。
「ハク! ここは危険だ!」
思わず言葉を口にしたときだった。
列車の上にいた人型の生物が私の存在に気がついて、屋根を踏み抜いて車内に侵入してきた。屋根を破壊したときの衝撃で立った砂煙を利用して、私は窓から車外に飛び出した。そのまま転がるようにハクのそばまで行くと、ライフルを構えて列車に銃口を向けた。
『レイ?』ハクが私の様子を不思議がる。
「ハク、どうしたんだ。敵の姿が見えないのか?」
『てき、ちがう』
「でもあれは――」
『レイ!』
カグヤが私の言葉を遮る。
列車に視線を向けると、砂煙の中から生物が姿を見せた。反射的に射撃しようとすると、ハクが前に出る。すると不思議なことが起こる。まるで透明人間のように、今まで姿を隠していた人型の生物が姿をあらわした。
それは女性の肉体を持つ不思議な生き物だった。長い手足は付け根からふさふさとした白い体毛に覆われていたが、上半身と下腹部には何も身に付けておらず、その
薄桜色の皮膚を持つ女性型の生物は美しい顔立ちをしていたが、眼には瞼がなく、ぱっちりとした黒い複眼があるだけだった。そして絹のように滑らかで
その女性型の生物はゆっくりと我々に近づいてきて、そして立ち止まった。すると生物の背中にある白い翅が日の光を遮り、我々の間に大きな影を落とした。
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