第216話 守備隊 re


 シオンとシュナをウェンディゴに連れ帰った翌日、我々は〈森の民〉が暮らす鳥籠に向けて鬱蒼とした森のなかを移動していた。


 立ち並ぶ木々の間に風が吹くと、緑深い森から生気に満ちた濃い匂いが漂ってくる。むせ返るような匂いに顔をしかめたあと、フルフェイスマスクを装着した。


「植物の匂いは嫌い?」と、ペパーミントの声が聞こえる。

「いや」と、森に目を向けながら言う。

「花の匂いは好きだよ。青臭いのが苦手なんだ」


「意外ね」

「何が?」


「レイは花の匂いなんて気にしない人だと思ってた」

「人並みに花くらい愛でるさ」


「人並みに……」ペパーミントは小声でつぶやく。

 苔生した大樹から視線を外すと、ワヒーラの整備をしていたペパーミントに視線を向けた。彼女は低反発クッションのついた寝板を使って、ワヒーラの下に入り込んで機体の整備を行っていた。ちなみに、ワヒーラのレーダーで周囲の索敵が継続できるように、移動するウェンディゴの屋根で作業をしていた。


 そこに何処からともなくカグヤの操作する偵察ドローンがあらわれると、ワヒーラの周囲をぐるりと飛行した。


『もうすぐサクラの鳥籠に到着するね』

 カグヤの声が内耳に聞こえた。

「ああ、想像していたよりも、ずっと森の深い場所にある鳥籠だった」


『だね、でもこの森はまだ続いてる』

「山の麓にはどんな世界が広がっているんだろうな……」


『興味あるの?』

「未知との遭遇が趣味だからな」と鼻を鳴らす。


『未知との遭遇か、レイの生活に欠かせないものだね』カグヤが笑う。

「でも――何かを期待しなければ、何かを得ることはできない。そうだろ?」


『そうだね。豹人が暮らす山もあるみたいだし、そこには見たことも聞いたこともないような凄い遺物が眠ってるかも』


 私は肩をすくめて、それから言った。

「それにしても、ひとりでこれだけの旅ができるなんて〈森の民〉はすごいんだな」


『サクラのこと?』と、球体型のドローンが目の前に飛んでくる。

「ああ。カブトムシの変異体が一緒だとしても、きつい旅だったと思う」


『サクラは近道が使えたから、もう少し楽だったんじゃないのかな。ほら、私たちはウェンディゴが通れる道を探しながら移動してるから、余計に時間がかかってるんだよ』


「それでも大変だったと思うけどな」

 ワヒーラの下で作業を続けていたペパーミントが言う。

「危険な昆虫が徘徊する森を移動することに変わりないんだから」


『そうなのかもしれないね……。そう言えばさ』と、カグヤのドローンはワヒーラの下に入っていく。『ペパーミントは〈守護者〉たちの許可がないのに、どうして横浜から出られたの?』


「守護者って、人造人間のこと?」ペパーミントはドローンを押しやりながら言う。

「私はレイと一緒にいるから、とくに許可を取る必要はない」


『どうして?』

「私とレイはパートナーでしょ? 彼がいる場所なら、私は何処にでも一緒に行けるの」


『ハカセも特別な許可がなくても、自由に県外に移動できるんだよね』

「ええ、ハカセは私よりもずっと高い権限を持ってる。だから自由に行きたい場所にいける。誰かに許可を貰う必要なんてないの」


『ペパーミントの権限が低いのは、第三世代の人造人間だからなのかな? それとも、世代は関係ない?』

「知らない」


 ペパーミントは人造人間の話題を嫌う。カグヤもそのことを知っているはずなのに、ワザとその話題を持ち出す。


「カグヤ」

『なに、レイ?』彼女は惚ける。


「先行して偵察に出ているイーサンたちの支援をしてきたらどうだ?」

『あっちにはカラスがいるから、わざわざ私のドローンを使わなくても大丈夫だよ』


 私はふと〈鴉型偵察ドローン〉のことを思い出す。

「こんな表現を使うのはおかしいと思うけど。カラスはイーサンに懐いているみたいだな」

『うん、最近はイーサンの肩に止まっているのがお気に入りみたい』


「人間だけが感情を持って産まれてくる訳じゃない」

 ペパーミントがボソリとつぶやく。

「旧文明に創造された命にも感情はある」


『そうだね、それには同意するよ』

「この世界に産まれて、自分自身の〝意思〟で呼吸をしたときから、人造人間たちは感情を持って生きることを選んだ」


「ペパーミント、大丈夫か?」

 私の問いに彼女は早口で答える。

「平気よ、問題なんて何もない。大切なのはどんな風に始めるかじゃなくて、どうやって終わらせるか……そんなことくらい、昔から知ってるもの」


「大丈夫には見えないけど……」

 カグヤのドローンを睨みながら言う。

「ところで、整備は順調か」


「もうすぐ終わる」

『ウェンディゴの屋根でワヒーラを整備しないで、安全な場所でやればいいのに』


 カグヤの言葉にペパーミントは溜息をつく。

「コンテナ内の特殊な空間では、ワヒーラのレーダーは機能しないでしょ?」

『そうだけど、こんな危ない場所で整備しなくてもいいんじゃない。ウェンディゴにだって、高機能な動体センサーはついてるし』


「そうじゃない――」ペパーミントはワヒーラの下から出てくる。

「ワヒーラのレーダーと比べたら、索敵範囲は狭いし、得られる情報にだって限りがある」


『でも――』

「それに」ペパーミントはカグヤの言葉を遮る。

「私はあの怪物に遭遇したくないの」


『森の悪魔のこと?』

「ハクが怖がる怪物よ、そこら辺にいる変異体とは訳が違う。だからウェンディゴの周囲をいつでも警戒できるように、ワヒーラの状態は万全にしておきたいの」


『怖いのに、こんな場所に出てくるのはおかしい』

「レイが守ってくれているから安心でしょ?」


『レイはそこまで万能じゃないよ』

 彼女の青い瞳で見つめられると、思わず肩をすくめた。それを見てペパーミントは溜息をつく。


 整備が終わると、ワヒーラの環境追従型迷彩を起動する。ペパーミントはウエスで手を拭いたあと、そのウエスをフード付きツナギのポケットに押し込み、私に向かって手を伸ばした。私はペパーミントの手を取らずに、そのまま彼女の背中と太腿に手をまわして抱きかかえる。


「待って」

 ペパーミントは慌てて整備に使用していた寝台と工具箱を手に取る。


 ウミがウェンディゴの後部コンテナのハッチを開くと、屋根から飛び下りて足場になっていたハッチに着地した。


「ありがとう、レイ」

「どういたしまして」


 ペパーミントがコンテナ内に入っていくと、カグヤの声が聞こえる。

『どうしてお姫様抱っこなんてしたの?』

「屋根から下りないといけなかったからな」


『そうなんだ』

「それより、ペパーミントと喧嘩するようなことはしないでくれ」


『別に喧嘩してないよ』

「ああ、ペパーミントが聞き流していたからな」


『少し彼女を揶揄からかっただけで、とくに意味はないよ』

「ほどほどにしてくれ、内輪揉めしているような余裕なんてないんだから」


『わかってるよ』

「わかってない」


『でも彼女は昨日も人造人間だったし、明日も人造人間のままだよ。何も変わらない。それを受け入れなくちゃいけないんだ』


「カグヤにだって受け入れたくない真実くらいあるだろ」

『そうだけど……』


 嫌な沈黙が漂うと、イーサンから連絡が入る

「どうした、イーサン?」


 網膜に投射されていたインターフェースに、ワヒーラから受信していた簡易地図ミニマップを表示すると、すぐにイーサンたちの現在位置を確認した。


『〈バグ〉の大群に遭遇した。戦闘になりそうだから、こっちの支援に来てくれないか?』

「変異体の化け物か……ウェンディゴの進行経路を変更して、バグとの戦闘を避けることはできないのか?」


『無理だ』イーサンがきっぱりと言う。

『連中の進む先には、俺たちが向かう予定の鳥籠がある』


「ここでバグを殲滅しなければ、森の民にも被害が出るのか……」

『そういうことだ』


「了解、すぐに支援に向かう。バグの正確な数は分かるか?」

『五十までは数えた』


 通信を終えると装備の確認をして、それから白蜘蛛の姿を探した。

『ハクならコンテナ内で子どもたちと遊んでたよ』

「それなら、今回は俺たちだけで行くか」


『いいの?』

「殺し方を知っていれば、バグはそれほど危険な生物じゃない」


 足元を確認したあと、ウェンディゴから飛び降りる。

「それに、ミスズが指揮しているアルファ小隊もすでに戦闘配置についている。数が少ないバグなら殲滅するのも難しくないはずだ」


『五十は少ないのかな?』

「どうだろうな。ウミ、後方で待機していてくれ。戦闘が終わったら合流しよう」

『承知しました』と彼女の凛とした声が聞こえた。


 それからコンテナにいるサクラと通信を行う。

『どうしたの、レイ』


「少しのあいだウェンディゴを離れる。何かあればハクと一緒に子どもたちを守ってくれ」

『わかった。こっちは私たちに任せて』


 通信を切ると簡易地図を確認しながら、木々が立ち並ぶ森の奥に向かって駆け出す。

「カグヤ、イーサンたちの場所まで最短距離で誘導してくれ」


『了解』

 拡張現実で矢印が投影されると、カグヤの操作するドローンが私を追い抜いていく。


 乾いた銃声が木々の間に反響して聞こえてくると、簡易地図が赤い点で埋め尽くされていくのが確認できた。赤い点はすべて〈バグ〉の大群だった。


 シダの茂みを飛び越えて、地中に埋まっていた建物の屋上に向かう。緑に苔生した巨大な彫像が並ぶ場所にイーサンたちがいて、バグの大群に対して制圧射撃を行っていた。バグの群れは森の奥から次々とあらわれて、我々のいる建物に向かって猛進してきていた。


「早かったな、レイ」

 射撃を続けていたイーサンに答える。

「今日は道が空いていたんだ」


「そうだろうな」彼は苦笑する。

 私はライフルのストックを引っ張り出すと、ライフルを構える。


 照準の先には枯茶色の殻を持つ昆虫じみた〈バグ〉がいて、そのバグは二メートルほどの半透明な翅を四枚持っていた。その長い翅に比べ短く太い異様な胴体を持っていて、バッタのような大きな後脚を持っていた。


 粘液に覆われたおぞましい頭部には、大きさの違う複眼が不規則に並んでいて、カチカチと嫌な音を立てる大顎には、太く鋭い毛がビッシリと生えていた。そのバグの大群は、飛跳ねながら我々に向かって直進していた。大きな後脚が互いにこすれるたびに、黒板を爪で引っ掻いたような不快な音が聞こえた。


 茂みの中から飛び出してきたバグに射撃を行いながらイーサンに訊ねる。

「ミスズたちは?」


「向かいの建物だ」と、イーサンは顎でした。

「ヌゥモとナミもあっちにいる」


 視線を向けると、半壊し傾いた建物の屋上にミスズとアルファ小隊の面々がいて、バグに対して断続的な射撃を行っていた。


 バグとの戦闘はすぐに終わると思っていたが、化け物の数は減ることがなく、騒がしい羽音を立てながら我々に襲いかかってきていた。


 森の中で焼夷手榴弾を使用することを躊躇ためらっていたが、炎が広がる前に汚泥とバグの波のような前進で炎が消えることに気がついてからは、遠慮なく使うようになっていた。バグの群れを焼き尽くすのに焼夷手榴弾は効果的で、醜い化け物は高い鳴き声をあげながら死んでいった。


 森の奥から次々とあらわれるバグは、単純な攻撃では我々に太刀打ちできないと悟ると、細長い脚を使って樹木にカサカサと器用に登り、長い翅を使い滑空しながら我々の後方から攻撃するようになった。私は上空から降ってくるバグに対して射撃を行いながら、後方で待機していたウェンディゴの様子を確かめる。


『大丈夫だよ』とカグヤが言う。

『バグは私たちに夢中で、ウェンディゴを襲う気はないみたい』


「それでも安心はできない」と、手榴弾を放り投げながら言う。

「やつらは知恵が回る」


『あれは知恵じゃないよ、ただの防衛本能』カグヤは否定する。

「そうだといいけど……」


 視界に無数の警告が表示されると、向かいの建物に視線を向ける。倒壊した建物の傾斜を利用してバグの大群がミスズたちに迫っているのが見えた。アルファ小隊が撃ち出す自動追尾弾やショット弾をものともせず、バグの大群は斜面を駆け上がる。


「マズいな」イーサンが言う。

「レイ、ミスズたちの掩護に向かうぞ」


「了解」

 大量のバグが銃弾に倒れ死んでいくが、化け物は群れの死骸すら踏み潰しながら狂ったように前進を続けていた。


 突然、我々のすぐ近くで立て続けに空気をつんざく破裂音があがった。

「なんだ?」

 イーサンの視線を追うと、砂煙の中から人影があらわれるのが見えた。


 それは甲虫の外骨格を加工し、鎧のように身にまとう人間の集団だった。彼らは体長五十センチほどの黒蟻の行列のなかにいて、その黒蟻と一緒になってバグの群れに対して攻撃を始めた。


「敵か?」

 困惑しながら銃口を向ける。


「待ってください!」

 イーサンのとなりにいたエレノアが言う。

「彼らは鳥籠の守備隊です」


「〈森の民〉なのか?」

「ええ。私たちはバグを殲滅することに集中しましょう」


 それからほどなくしてバグの群れを全滅させることができた。接近戦に持ち込まれたさいに怪我を負った者もいたが、幸いなことに擦り傷程度で済んだ。森の民は我々のことを警戒していたが、サクラが仲介してくれたため無駄な争いが起きることはなかった。


「とりあえず大丈夫そうだな」イーサンが溜息をついた。

「信用できるのか?」と、守備隊と行動する黒蟻を見ながらく。


「問題ない。あの黒蟻は比較的おとなしい部類の昆虫で、守備隊とつながってる」

「〈森の民〉の蟲使いか」

 艶のある甲虫の外殻で身を守る警備隊に視線を向けると、たしかにツノのようなものが頭部についているのが確認できた。

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