第204話 司祭 re
構造体の外壁に沿って上昇するエレベーターに乗り込むと、上層区画の天井内部にあるエリアに移動する。そこは象牙色の半透明なチューブ状の廊下になっていて、我々はその通路を歩いて地上に続くエレベーターに向かう。半透明の通路からは、上層区画の都市景観が一望できるようになっていた。
〈超小型核融合ジェネレーター〉を意図的に暴走させたことで起きた爆発は、考えていたよりも広範囲に
とは言え、破壊された都市を見ていると、これから機械人形を相手にするときには、慎重に相手したほうがいいと思わせるのに充分な光景が広がっていた。
通路に設置されたオートウォークに乗ってしばらく進むと、通路の脇に施設の整備のために使用されるメンテナンス通路に続く扉が見えてくる。扉の上部には避難誘導標識があり、扉の先が避難経路としても使用できることが確認できた。
その扉に近づくと、ホログラムで投影される二頭身の防災マスコットキャラクターがあらわれて、我々を扉の先に誘導する。そのキャラクターは黄色いヘルメットを被った可愛らしいサイだった。
通路は明るく道幅が広く取られていたが、壁や天井からは劣化したケーブルがバチバチと放電しながら垂れ下がり、
避難経路に利用できるとは思えない環境だったが、〈作業用ドロイド〉の数が制限されている
エレベーターが通過するための縦穴は、四方に
しかしそのときには、この場所に通路があるなんて気づきもしなかった。落下防止用に設置された安全柵から身を乗り出して見上げても、縦穴の先がどうなっているのかは分からなかった。
縦穴に続く通路は我々がいる場所以外にも複数あるのか、見上げるだけでも
もう一度視線を上げたときだった。縦穴を挟んだ向こう側に赤いワンピースを着た女性の姿が見えた。黒髪の女性は両腕の肘をつけるようにして安全柵に寄り掛かっていて、私の視線に気がつくと顔を上げた。
両眼がなく、暗い
彼女の長い指が
すると潰れた無数の
そして無邪気に笑い出した。まるで地上に地獄の混沌を振りまくのが嬉しくてたまらないといった表情で笑い、赤黒い血液が混じった唾を飛ばした。
『レイ』とカグヤの声が内耳に聞こえる。
『エレベーターがもうすぐ来る。危ないから下がって』
彼女の言葉に驚いて
「カグヤ、あの女性を見たか?」
『女性? 見てないけど……どうしたの? バイオモニターの数値が乱れてる』
「何でもない」私はそう言うと縦穴から離れる。
「疲れているのかもしれない……」
「足の調子は?」と彼女に
「ずっとよくなりました。今は痛みもありませんし、歩くだけなら問題ないです」
「大事に至らずに済んでよかったよ」
「そうですね」と彼女は笑みを見せる。
「それにしても、〈オートドクター〉は奇跡みたいな効果があるんだね」
「そうだな。治療用ナノマシンが何をしているのかは、俺にも分からないけど」
「ナノマシンですか……?」と彼女は眉を八の字にして、
「そう言えば、治療が終わったあとのナノマシンはどうなるのですか?」
『そのまま体内に残って栄養素に変換されることもあれば、尿と一緒に排出されることもある』とカグヤが答える。
「おしっこですか?」と、エレノアが首をかしげる。
『うん。だから心配しなくても大丈夫だよ」
「いえ、少し気になっただけで心配はしてないよ」
ちょっと不思議な言葉遣いをするエレノアの笑顔をみていると、周囲の安全確認を行っていたイーサンがやってくる。
「レイ、少しいいか?」
「どうしたんだ?」
「俺たちが施設に侵入したことは、保安システムを
「〈バグ〉たちの
「だから金を奪って逃げたところで、襲撃は収まらないどころか、連中は金を取り返すために死に物狂いで俺たちを攻撃してくるだろう」
「侵入者が俺たちだと断定できる理由は?」
「保安システムが外部との通信を完全に絶ったのは、俺たちを排除すると決めたときだった。もしも連中が施設との通信を可能にする装置を所有していたとしたら、それ以前の情報は手に入れられたはずだ」
「襲撃を止めるどころか、逆効果になったってわけだな」
「そうだ。だから連中と取引しようと思っている」
「どんな取引だ?」
イーサンは鳥籠の全資産が保存、記録されている端末を取り出す。
「こいつと引き換えに俺たちに手出しができないようにする」
「苦労して手に入れた金を手放すのか?」
「金をすべてそっくり返すわけじゃない。条件を付けるつもりだ。もちろん、レイが許可してくれるのが前提だけどな」
「何をやるにせよ、俺は提案に賛成だ。ただ、イーサンが金を簡単に手放すとは思っていなかった」
「意外か?」
「傭兵はタダ働きしない。子どもでも知っていることだ」
「もちろん金も重要だが、ここで俺たちが成し遂げたことで傭兵団の名が売れる。俺はそれで充分もとが取れるのさ」
「売名か……たしかにこれ以上のことはないな」
「たった五人で、連中の鼻を明かしたんだからな」と、イーサンは笑顔を見せる。
「それで」と私は言う。
「どうするつもりなんだ?」
「金を返す代わりに、停戦の時間を
「どれくらいの期間を想定しているんだ?」
「少なくとも一年は連中の顔を見たくない」
「金を盗られて怒り狂った連中が約束を守るとは思えない」
否定するように頭を振ると、イーサンは肩をすくめる。
「だから送金は複数回に分けて行うんだ」
『契約不備の場合、金は返ってこないって訳だね』とカグヤが言う。
「そうだ。連中が攻撃を仕掛けてくるなら仕方ない。俺たちは連中から奪った金を使って戦争の準備をすればいいだけだ」
「
「俺たちだけが相手なら、
『そっか、〈五十二区の鳥籠〉は砂漠地帯の鳥籠〈
『資金もないのに無茶はできない……』
「ああ。それに連中が金を失ったことはすぐに知れ渡る」とイーサンは笑みを見せる。
「鳥籠は金で雇っている傭兵たちからの信頼を一気に失うことになる」
『お金の取引に使うソフトはどうするつもりなの?』とカグヤが質問する。
『お金を期日通りに送金するだけじゃなくて、強固なセキュリティーも必要になる。彼らもアクセスするプログラムになるんだから、私たちがやったみたいに、お金を奪えるようになってたら大変だよ』
「前もって用意していたソフトがある。それを使うつもりだ」とイーサンが言う。
「完全に〈データベース〉を経由するシステムで、物理媒体は使わない」
『そのソフトウェアを確認させてくれる? 上層区画からなら、地上との通信もできるようになったし、ペパーミントにも見てもらおうと思う』
「確認してくれ」
イーサンが端末を差し出すと、カグヤの操作する偵察ドローンは細いケーブルを伸ばして端末に有線接続を行う。
『ありがとう』
「ずいぶんと準備がいいんだな」と素直に感心しながら言う。
「そんな先のことまで予測して行動しているとは思わなかった」
「俺は臆病なのさ」とイーサンは笑みを見せる。
「だから勝てる喧嘩しかしないし、もしものときのために備えは用意しておく」
「なんだかイーサンらしいな」
「そうか?」と彼は苦笑する。
それからしばらくして、地上の薄暗い倉庫にエレベーターが到着する。
『コードに問題はなかったよ』とカグヤが言う。
『ペパーミントが少し手を加えたけど、信頼性のあるいいプログラムだって言ってた』
「手直しが必要だったか……」とイーサンは少し落ち込む。
「傭兵団のなかでも、とくに腕が立つスペシャリストが書いたコードだったんだけどな」
『気にすることないよ。相手はペパーミントだもん』
「そうだな」イーサンは溜息をついた。
「それより」とエレノアが言う。
「気がつきましたか?」
『うん。集団に囲まれてるね』
カグヤは遠隔操作できるようになった施設のシステムを介して、倉庫内に隠していたワヒーラから通信を受信できるようにする。インターフェースで索敵マップを確認すると、倉庫の周囲に数百人の武装した部隊が展開しているのが見えた。
「やっぱりそうなるか」とイーサンは言う。
「レイ、これからは慎重に行動するぞ。連中に蜂の巣にされかねないからな」
「分かってる。だから交渉はイーサンに任せる」
イーサンがうなずくと、我々は倉庫の外に向かった。
倉庫の周囲にあった背の高い草は刈り取られていて、正面に紺色の外套を
周囲の建物に視線を向けると、〈環境追従型迷彩〉で姿を隠した兵士たちの赤色の線で
「さて」青年はハッキリと通る声で言う。
「私たちから奪ったものを返してもらいましょう」
「回りくどい前口上がないのは評価できるが、俺たちからも条件がある」と、イーサンが一歩前に出て言う。
「条件ですか?」と青年の眉が動く。
「そう、条件だ。ここで俺たちを撃ち殺したらお前たちの金は二度と戻らない。だから俺たちの提案を素直に聞いたほうがいい」
「そうでしょうね」と青年は微笑む。
「
青年の言葉のあと、集団の間から背の低い頭の
「彼とその条件とやらについて話し合ってください」と青年は言う。
「でも、決して逃げようと考えないでくださいね。貴方たちに銃口が向けられていることを忘れないように」
イーサンが進み出ると、小男も倉庫敷地内に入ってきた。
『嫌な
「そうだな」うなずいたあと、青年のネックレスを見た。
彼が首に掛けている金のチェーンには、〈不死の導き手〉のシンボルマークを模した金細工がぶら下がっていた。人間の瞳から
『教団の関係者がどうしてこんなところにいるの?』と、カグヤは疑問を浮かべる。
「わからない。そもそも連中が〈五十二区の鳥籠〉と関係を持っていたことも知らなかったよ」
『なんだか、きな臭いね』
「そうだな……」
青年に目を向けると、彼は不自然に整い過ぎた顔で笑顔を浮かべる。
「お久しぶりですね、レイラさま」と青年は言う。
「まさかこんな場所でコソ泥の
『レイラさま?』とカグヤは驚く。
「俺のことを知っているのか?」
「知っている?」と青年は首をかしげる。
「では、あの噂は本当だったのですね」
「噂……? どの噂だ」
「
「俺の何を知っているんだ。というより、あんたは何者なんだ?」
「私ですか?」と、青年は胡散臭い動作で両腕を広げる。
「私はただの〈司祭〉ですよ」
「ただの〈司祭〉が兵士たちを指揮できるとは思えない。本当は何者なんだ?」
「私は〈不死の導き手〉の――」
「そんなことは見れば分かる」と青年の言葉を
「ここで何を
「
「虐殺を認める教義がなんの役に立つ?」
「虐殺ですか?」
「〈三十三区の鳥籠〉でお前たちが何をしたのかは知っている」
「三十三区……?」
「大規模な〈食糧プラント〉がある鳥籠だ」
「ああ」と青年は手を叩く。
「そんなこともありましたね」
「本当に忘れていたのか?」
「ええ」と青年は微笑む。
「
青年の側に黒ずくめの兵士が駆け寄ると何かを耳打ちした。
「そう言えば、
「もしかして施設に置いてきたのですか?」
「いや」
「そうですか……まぁいいでしょう。すぐに見つけ出してスクラップにすればいいだけのことですから」
『レイ』とカグヤが言う。
『感情を抑えて』
「……分かってる」
「何を分かっているのですか?」と青年は微笑む。
「何でもない」私はそう言うと息を吐き出す。
「それより、施設はもう封鎖された。お前たちでも侵入はできなくなった」
「封鎖ですか?」と青年はまるで興味がないように言う。
「それは残念ですね。ですが仕方ありません。旧文明の施設ではよく起きることです」
『嘘だ』とカグヤが言う。
『連中が簡単に施設を諦めるわけがない』
青年は微笑み、となりに立っていた黒ずくめの兵士に何かを言う。
すると兵士たちが進み出て、私に銃口を向ける。
「どういうつもりだ?」
「
私は廃墟の街で何度か見かけたことのある黒ずくめの兵士たちに視線を向けて、それからハンドガンを抜いた。
「止めておけ」と私は落ち着いた声で言う。
「死にたくなければ、無駄なことはするな」
「それが無駄な
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