第142話 絡みついた糸 re


 廃墟の何処どこかで銃声が鳴り響くと、私は眼下に見える建築群に視線を向けた。


 銃声は破裂音と共に断続的に聞こえてくる。それは街の何処どこかで激しい戦闘が行われていると示していたが、この世界ではたいしてめずらしいことではない。略奪者が隊商を襲っているのか、あるいは人擬きとの戦闘が行われているのかもしれない。いずれにせよ、そこでは新たな不幸が生まれているのは確かだった。


 廃墟に埋もれた世界のありようは複雑だ。いつも何処どこかで理不尽で不幸にまみれた出来事が起きている。それでも人々が信じている神は万能だという。しかしその万能の神が創り上げた世界は苦しみであふれていた。そして多くの場合、罪のない弱者が苦しんでいる。


「いや、待ってくれ。罪のない人間なんているのか?」と彼らは言う。

「人々は罪と共に生きる。だからこそ偉大な神に救済を求めるのです」と。


 いつだって説教だけは得意だ。けれど世界の本当の姿が見えている者は少ない。私は溜息をつくと、銃弾にさらされている人間が弱者でないことを祈る。


 乱雑と立ち並ぶ廃墟は薄紫色に生い茂る雑草に埋もれていて、廃墟の街は色取り取りの花で彩られていた。招き猫のホログラムがふと薄暗い路地に投影され、その招き猫に向かって金貨が降ってくる。すると暗闇に身を潜めていた〝何か〟がうごめいて、逃げるようにして廃墟の中に入っていった。


「あの大群、何の変異体だと思う?」

 カグヤにたずねると、すぐに返事が聞こえた。

『ダンゴムシかな?』


「犬みたいに大きかった」

『うん。大量発生した変異体かもね』

 照り付ける日差しの強さに思わず顔をしかめた。

「夏か……」

『うん。夏だね』


『スズ、おそい』と、ハクが私に身体からだをくっ付けながら言う。

「仕方がないよ。廃墟の街は危険だから、警戒しながら進まないといけないんだ」

 私はそう言うとハクの真っ白な体毛を撫でた。


『きけん?』

「ああ。ウェンディゴを狙って攻撃してくる人間がいるかもしれないし、今の時期、街は大量の昆虫に支配されているから」

『ごはん、いっぱい』

 ハクはそう言うと、トンボにも似た巨大な昆虫を長い脚の先でした。


「大きいな。ハクはあれが捕まえられるのか?」

『レイ、ほしい?』

「いや、いらない。いただけ――」

 私が言い終わる前に、ハクはとなりの建物の外壁に飛びついて、巨大なトンボを追いかけながら何処どこかに行ってしまう。


『行っちゃったね』

「……そうだな」


 視線の先に拡張現実で表示されていた地図を使ってウェンディゴの位置を確認する。

『合流できるまで、まだ少し時間がかかるかも』

「ミスズたちに何かあったのか?」


『とくに何も起きてないよ。ただ、ウェンディゴは大きくて重たいから〈ジャンクタウン〉に行くときと同じで、足場を慎重に選んで進んでるんだ。道路が陥没かんぼつしていて危険だからね。雑草が邪魔で、大きな穴を見落とす可能性もあるし』


 高層建築群の間から見えていた積乱雲を眺めて、それから私は言った。

「そうか……それなら、久しぶりに二人だけで探索するか」

『この建物を?』

「そうだ。ハクも何処どこかに行っちゃったし、その間、俺たちは暇になるだろ?」


『探索の準備はできてるの?』

「ハンドガンがあるから武器は大丈夫だ」

『バックパックは?』

「ないけど、探索に時間はかけない。危険だと判断したらすぐに撤退すればいい」


『慎重にね』

「わかってる」

 建物の出入り口のすぐ側には黒焦げの焼死体が転がっていた。おそらく建物を探索していたスカベンジャーのモノなのだろう。


「人間の仕業だと思うか?」

『ううん、わからない』とカグヤは答える。

『やっぱり、探索は諦める?』

「諦めないよ」


 屋上に設置された航空機の離着陸場の残骸を横目に見ながら、建物内に続く扉に手をかける。扉は施錠されていなかった。スカベンジャーが屋上に逃げ込んだときの状態が維持されていた。


 静まり返った薄暗い廊下を歩いていると、その建物が以前は複合商業施設として利用されていたことが分かった。しかし店舗は荒らされていて、ひどく散らかっていた。着飾った男女の大きなポスターが確認できるアパレルショップには、空の棚と衣類を吊るしていたハンガーばかりが床に散らばっていて、足の踏み場もない状況だった。


 いくつかの店舗に入って確かめてみたが、どの店も同じような状況だった。棚に商品は残されておらず、ゴミやほこりひどい状態だった。窓に近い場所はさらに悲惨な状態になっていて、ガラスのない窓から侵入した雨水によって床は水浸しになっていて、そこで繁殖した大量の羽虫が周囲を飛んでいた。


『この先は進めそうにないね』

 カグヤの言葉にうなずくと、他の道を探すことにした。


 家具を販売していた広い店は、人々が避難所として利用していた痕跡が残っていた。展示されていたクローゼットや本棚が仕切りに使用されていて、店内にはいくつもの個人的な空間が作られていた。


 私は立ち止まると、花柄の色のくすんだカーテンの奥を覗いてみる。大小様々な棚で囲まれた空間にはダブルベッドが置かれていて、黒く変色したマットレスの上には人骨が二体分残されていた。


『餓死したのかな?』

「いや、違うな。食料は充分にあったみたいだ」

 ベッドの足元には収納のための引き出しがあって、その中にはパンパンに膨らんだ缶詰が隙間なく大量に保管されていた。


『自分たちの境遇に悲観して、自殺でもしたのかな』

「そうなのかもしれない」

 マットレスに視線を向けると、何かの薬が入っていたと思われる容器が転がっていた。


 生物の気配を感じて振り向く。店舗の奥に無数のテントが張られている区画があって、そのテントの間に立っている生物の影が見えた。もちろんそれは人間ではなかった。薄暗い通路に立っていたのはみにくい姿をした人擬きだった。


 その人擬きは長い時を生きてきた個体で、衣類はなく、身体中からだじゅうの皮膚が裂けていて、そこからミミズれのような青黒い血管が広がっていた。そして大きく膨れ上がった頭部には、目や鼻の代わりに小さな口が沢山ついていて、それぞれの口の中には黄色い歯がビッシリと生えていた。


 その人擬きは私の存在を感じ取ったのか、こちらに向かってひたひたと歩き出した。化け物の乳房からは数十本の指が突き出していて、人擬きが歩くのに合わせてうねうねと動いていた。その人擬きを刺激しないように、ゆっくり太腿のホルスターからハンドガンを抜くと、化け物の頭部に照準を合わせた。


 発射された弾丸は、口をパクパクと動かしていた人擬きの頭部に命中する。弾丸の侵入口には小さな穴しかできなかったが、弾丸の抜けた後頭部は破裂し頭蓋骨や脳の一部を後方にぶちまけた。化け物は身体からだをゆらゆらと動かすと、やがてバタリと前屈みに倒れた。


 射撃は静かに行われた。〈秘匿兵器〉のおかげで銃声が建物に鳴り響くこともなかったし、旧文明の〈鋼材〉を弾薬として使用しているため、薬莢が吐き出され床を転がることもなかった。


 しかしそれでも建物に潜んでいた脅威は、侵入者の存在に気がついたようだった。建物の至るところから、何かが激しく動く物音が聞こえてきていた。そのときに生じた振動で、天井の隙間から細かい砂埃すなほこりがパラパラと降ってきた。


『レイ、気づかれたみたいだよ』とカグヤが言う。

「化け物が何処どこから来るか分かるか?」

『わからない。今は〈ワヒーラ〉が側にいないし、偵察ドローンもミスズたちと一緒に行動してるから』


「そうか……」

『レイの特殊な瞳からは、人擬きの存在は感じ取れないの?』

「感情を持たない人擬きに対して、瞳は効果を発揮しない」

『そっか、ならすぐに移動しよう。ここは死角が多すぎる』


 彼女の言葉にうなずくと、周囲の動きに警戒しながら家具の販売店を離れる。しばらく進むと、かつて食品店だったと思われる場所に出る。背の高い棚が並んでいたが、商品は何も残されてはいなかった。


 ハンドガンを構えたまま棚の間を慎重に進むと、薄闇に明かりが灯っているのが見えた。場所を変えて明かりの正体を確かめると、それは稼働している自動販売機の照明だった。鳥籠の外で故障していない自動販売機を見るのはめずらしいことだった。


 その自動販売機の周囲にはうつろな眼でたたずむ数体のみにくい人擬きがいた。

「あれは面倒だな」

『見てて、レイ』

 カグヤの言葉のあと、自動販売機の周囲にホログラムで投影される広告映像が騒がしい音と共に浮かび上がり、周囲の人擬きが自動販売機の側に集まる様子が見えた。


「カグヤがやったのか?」

『そうだよ。人擬きの注意がそれているうちに先に進んで』


 しばらく進むと宝石店から甘い匂いが漂ってきて、同時にカチカチと固いものを鳴らす音が聞こえてきた。警戒しながら宝石店に近付くと、音の正体を探ることにした。


 その奇妙な生物は天井にべったりと張り付いていた。生物は一メートルほどの体長があって、細長い胴体には長く奇妙に揺らめく脚が数え切れないほど生えていた。その脚はびっしりと短い毛に覆われていて、それぞれの脚が異なる色を持っていた。


 鮮やかな赤や青、紫や緑色と、それぞれの色に規則性はなかった。それがその生物本来の動きなのかは分からなかったが、ナマケモノのように非常にゆっくりとした動作で天井を移動していた。


『大量にいるみたいだね』

「ああ、これは気持ち悪いな」

 宝石店の天井は奇妙な生物で埋め尽くされていた。何が目的でそこに密集しているのかは分からないが、人を襲う生物の可能性もあるので、危険をおかしてまで近づく必要はないだろう。ちらりと視線を動かすと、生物のすぐ側に干乾ひからびた人間の遺体が横たわっているのが見えた。


「何かが変だ」

 宝石店を離れて、しばらく移動したあと私は異変に気がつく。

『どうしたの?』

「自分が何処どこにいるのか分からない」


『分からない? そんなはずないでしょ? 地図を確かめて』

 インターフェースに表示されていた建物内の地図を確認する。その地図は建物に侵入したときから作成していたもので、すでに確認した店舗や通路はすべて地図に表記されているはずだった。


 しかし通路をひとつひとつ確認しながら進んでも、目的の場所にはたどり着けなかった。通路があるはずの場所には壁があって、壁があるはずの場所には通路があった。

 到底迷いそうにもない単純な経路なのに、私は完全に道を見失っていた。


『レイ』とカグヤが言う。

『地図をずっと確認していたんだけど、レイが通ってない場所があったよ』

「通っていない? そんなはずはない」

『本当だよ。たとえば、屋上に向かうための通路の前に来ると、決まって来た道を引き返していたんだ。なにか意味がある行動だと思ってたよ』


「引き返す? その正確な場所が分かるか?」

『私の指示通りに歩いて』

 私は肩をすくめると、カグヤの指示に従って歩いていく。


「カグヤ、本当にここをまっすぐ行くのか?」

『そうだよ』

「目の前には壁しかないんだけど」

『壁なんてないはずだよ。その先は通路になっていて、レイはそこから来たんだよ』


 私は壁に手を伸ばして触れてみようとした。すると壁なんて初めから存在していないかのように、目の前に薄暗い通路が姿を見せる。

「どういうことだ?」

『見当もつかないよ』


「まるで幻覚を見せられていたみたいだな」

『幻覚かは分からないけど、存在しないモノを見ていたのかも』とカグヤが言う。

『レイの身体からだに異常がないか知るために、レイから受信してるデータを調べてみたんだけど、おかしな数値を見つけた』


「異常?」

『うん。まるで覚醒剤を使用したみたいに、脳の神経伝達物質に異常な数値が見られた』

「そんなことまでカグヤには分かるのか?」

『わかる。建物に侵入したときにマスクを装着しなかったでしょ?』


「幻覚の作用がある何かを吸い込んだ?」

『その可能性はある。また幻覚を見せられるかもしれないから、早くこの建物を出よう』

「わかった。すぐに移動する」


 建物を出ると航空機の離着陸場の側に向かい、転がっていた消火器を拾って扉が開かないように、消火器のホースでドアノブをきつく縛った。特殊な素材でつくられたホースはしっかりしていたが、おそらく気休めにしかならないだろう。


 それから屋上の縁に腰掛けて新鮮な空気を吸った。生ぬるい空気には雨の匂いが含まれていた。

「あれは何だったんだ?」

『わからないけど、危なかったね』

「そうだな。カグヤがいなければ、今も建物内で迷っていた」


『意図的な攻撃だと思うよ』

「幻覚作用のある化学兵器が使用されたとか?」

『ううん。人間によるモノじゃないと思う』

「俺が幻覚を見ている間に襲撃してこなかったからか?」


『それもあるけど、目的は純粋に迷わせることなんだと思う』

「弱ったところを襲うためか?」

『あるいは餓死させるとか?』

「まさか」と、否定するように頭を振る。


『建物に潜んでいた昆虫の仕業かな?』

「その可能性はあるな」

『今度からはちゃんと準備してから探索しようね』

 私は黙ったままうなずいた。


 高層建築物の間を飛ぶ昆虫と鳥を眺めていると、ハクが建物の壁面を登ってくるのが見えた。ハクの脚の先に糸が巻き付いていて、その糸を視線で追うと、糸の先で暴れている巨大な昆虫の姿が見えた。


「おかえり、ハク。そいつはなんだ?」

『レイ、ごはん』と、ハクは可愛らしい声で言う。


 昆虫は大人の背丈ほどある半透明のはねを持っていて、時折ときおり、鈍い音を立てながら高速で翅を動かしていた。

「ハク」と私は正直に言う。

「俺はそいつが食べられないんだ」


『いらない?』

「申し訳ないけど、それはいらない」

 私はそう言うとハクの体毛を撫でた。

『ふぅん。ハク、ごはん、いらない』


 絡みついた糸から逃れようとして必死に暴れていた昆虫を、ハクは容赦なく建物の下に落とした。私は落下していく昆虫をぼんやりと眺めながらつぶやいた。

「これが弱肉強食の世界か……」

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