第44話 残響 re


「無理だ、こんなに多くの人間は連れていけない」

 私は声に驚いて、閉じていたまぶたを開いた。

 視線の先には、集落に対する襲撃を生き延びた住人とシンがいた。私はヴィードルのコクピットシートに深く座り込むと、彼らの話に耳をかたむけた。


「ふむ」と、シンは落ち着いた声で言う。「でも、この集落に君らを残すことはできないよ」

「どうしてだ」と髭面ひげづらの男がシンに詰め寄る。

「人擬きの生き残りがまだ付近にいるかもしれないからだよ」

 シンは男性の態度を気にしていないのか、平然と答えていた。けれど、シンのとなりに立つユイナは明らかに不機嫌になっていた。


 すると、シンを取り囲んでいた集団の中に、年配の女性が割って入る。

「なら、あなたはひとりで集落に残りなさい」

「なんだと」と、男は不満そうに女性を睨んだ。

「集落の現状を見てきたはずよ。私たちに生き残る術はないの、家も畑も、すべてダメにされた。これから子どもたちをどうやってやしなうつもり?」


 年配の女性が言うように、生き残った住人の多くは子どもだった。その子どもたちは集団から離れて、ユウナから配られた携帯糧食を食べていた。

 子供たちの表情には生気がなく、どこまでも暗かった。


 年配の女性に同意するように、今まで黙っていた住人も声を上げ始めた。

「決まりね」と、ユイナが言った。「必要なものだけを持って、すぐに集合して」

「俺はまだ――」と、髭面の男が声を上げた。

「貴方はこの場所に残ってもらっても構わないの」ユイナは男の言葉をさえぎった。

「なっ?」


「知っていると思うけど、地上に向かう道のりは徒歩ではとても厳しい。子どもたちの世話で忙しいのに、あなたの面倒まで見ていられない。それにあなたの所為せいで大切な時間が失われた。また余計な時間を取るつもり?」

 ユイナの言葉に男は怒りに顔を赤くして、それから何も言わずにうつむいた。髭面の男が黙ったのが合図になったのか、住人たちはユイナに先導されながら住居に向かった。


 私は背中を伸ばすと、ヴィードルから飛び降りた。それから項垂うなだれたままベンチに腰掛けていた〈姉妹〉のひとりに声をかける。

「一緒に行かなくていいのか?」

「行く。でも私物は少ないから」

「そう言えば、ここにはとついできたんだよな」

「そうよ」

「旦那さんは?」


 姉妹たちと同じ顔をした女性が、ゆっくり頭を振った。

「すまない、無神経だったな」

「いいの」

「遺体は?」

「何も見つからなかった。彼は私たちが避難するための時間を稼ぐために、おとりになったから……」


「そうか」

「それに……遺体が残っていても、埋葬ができるような場所はこの集落にはない。ここには火葬のためのまきもない」


 私は集落に視線を向けた。子供たちが走り回り、遊んでいたであろう小さな広場は、人擬きと住人の死体で溢れていた。数日の間は鼻につくことになる腐臭と糞尿の混ざった嫌な臭いが、私たちの側までただよってきていた。


 貧しい集落を襲うことになんの意味があったのだろうか。家族を失い、苦しみの中にある住人に、この光景はどう映るのだろうか?

 私は行き場のない暗い思考にとらわれそうになったが、すぐにその考えを打ち消した。起こってしまった出来事は変えられないし、そのことに頭を悩ませる余裕をこの世界は持たせてくれない。

 立ち止まった者の行きつく先は決まっている。


 乾いた涙の痕が残る死者の頬を一瞥いちべつすると、哀れな死体から視線をそらした。

「ミスズ、頼みがある」と、近くに来ていたミスズに声をかけた。「彼女について行って、荷物の整理を手伝ってきてくれないか?」

 ミスズは項垂うなだれたままの女性に視線を向けた。

「そうですね、私が一緒に行きます」

 ミスズは彼女に手を貸して立ち上がらせると、二人で住居区画に向かった。


「子どもたちはどんな感じだ?」と、私はユウナにたずねた。

 ユウナは腰に手を当てて、しばらく考えてから言った。

「ちょっとキツイかな。親を亡くしたから相当にまいっている子もいる」

「連れて帰るのは大仕事になりそうだな」


「シンの依頼を受けた事を後悔してる?」

 ユウナはそう言うと、菜の花色の瞳を私に向けた。

「してないよ。彼らを助けられるんだから、むしろかったと思っている」

「意外だね。普通は面倒事なんて抱えたくないって、切り捨てるのに」

「全員は救えない。でも助けられる範囲内にいる人たちのことは、なんとか助けてあげたい」


「それ本気で言ってるの?」と、ユウナはあきれながら言った。

「ああ。ちなみにおかしいのは分かっている。ミスズも俺と同じような甘い考えの持ち主だからな。いつか取り返しのつかない厄介事に巻き込まれるんじゃないかって、時々怖くなるよ」


「変なの。それじゃ二人はまるで違う世界の住人じゃない」

「違う世界の住人か……」私は困惑して、それからたずねた。「ユウナは、その世界がどんな場所だと考えているんだ?」


「なにもしなくても快適に生きられる世界かな。問題があれば、他人が助けてくれるの。だから自分たちも他人を助けることが正しいと思ってるの。それでね、甘い蜜がいっぱい出る花畑がある世界に住んでる」

『笑える』と、カグヤが皮肉を言う。



 準備ができると、我々はユイナが操縦するヴィードルを先頭にして集落を出た。

 住人たちは荷物を背負い、大量の荷物を手に提げていた。が、大半の荷物はおそらく道中に捨てることになるだろう。それだけパイプラインの道程どうていは厳しい。途中には汚染地帯もあるので、汚染対策の装備も必要になる、もちろん、ガスマスクは必需品だった。


 身体からだがまだできていない幼い子どもたちは、ヴィードルの後部座席に乗せて、それ以外の子どもたちは住人が手分けしてサポートすることになった。ミスズとユウナもヴィードルに何人か子どもを乗せて、住人たちの列に加わった。


 シンはヴィードルをユウナに任せると、徒歩で列の間を自由に移動していた。私は住人たちの列の後方に陣取り、周囲の監視を行いながら歩いた。


 〈カラス型偵察ドローン〉から受信する俯瞰ふかん映像を確認して、それからパイプラインの先に視線を向けた。住人は鉄板で補強された足場を利用して移動していたが、足取りは遅かった。

 住人が運ぶ荷物が移動の妨げになっているのは明らかだったが、パイプラインに吹き付ける風も問題になっているように感じられた。高所で暮らす彼らにも、この道の危険性は充分に理解できているはずだ。


『レイ、人擬きの反応を捉えたよ』と、カグヤの声が内耳に聞こえた。

 パイプラインの側に設置された非常階段に人擬きの姿が確認できた。カグヤに感謝すると、ミスズとシンに連絡を取り、銃を使用することを報告した。敵対的な者からの銃声だと勘違かんちがいして、無駄に慌ててほしくなかったからだ。けれどその必要はなかった。


 ハンドガンを両手で握ると、人擬きに照準を合わせた。するとホログラムで投影された照準器に拡大表示された人擬きのみにくい顔が映る。


 引き金を引くと乾いた銃声と共に、遠くの人擬きが血煙を上げながら前のめりに倒れるのが見えた。ほとんど銃声がしなかったので、住人は私が銃を使用したことに気がついてもいなかった。


『人擬きの相手もずいぶん楽になったね』

 ハンドガンを眺めながらカグヤに返事をした。

「このハンドガンのおかげだよ」

『殺せるのなら、もう怖くないってやつだね』

「そうだな」と、私は苦笑する。


 他に人擬きがいないことを確認すると、先を行く住人たちの列に加わるために歩き出した。しばらくして、パイプラインから見える灰色の高層建築群に目を向けながらたずねた。

「なぁ、カグヤ。これほど強力な兵器が、どうして検問所なんかで簡単に見つかったと思う?」

『そう言えば、まだ話していなかったね。検問所に派遣された兵士の名簿はもう処分しちゃったけど、あの検問所には大企業の――それも重役の息子さんが派遣されてたんだよ』

「旧文明期の大企業って、当時は国と同等の資金力や権力を持っていた組織なんだろ」


『そうだね』

「どうしてそんな人間が検問所なんかに? いや、そもそも立場ある人間がなんで軍に入隊したんだ?」

『金持ちの子どもがおちいる勘違いの所為せいじゃないのかな?』

「勘違い?」

『自分は他人よりも優れた人間だから、家族の助けを借りないで、自分の足で立って成功できる。ってやつ』

「立派な考えじゃないか」


『本当に優秀な人間なら、家族のもとでも成功できる。わざわざ距離なんて取らなくてもね。現にこの人は一般の兵士じゃ絶対に入手できないような高価な装備を、企業につとめている兄から送ってきてもらっているし』

「あの面白いメモの人か……」私はメモの内容を思い出す。「でも、おかげで俺はいい装備を手に入れられた」

『そうだね』


「名簿だけで、よくそんなことまで分かったな」

『入隊時に軍が行う人物評価が名簿にっていたからね。軍も彼の扱いに困っていたみたいだよ』

「そいつの所属していた基地を探索すれば、もっといい装備が手に入ったかもしれないな。名簿は捨てないで取っておいたほうが良かったんじゃないか?」

『そういう考えもあるのか』と、カグヤはとぼけた。


 日が暮れる前に、我々はなんとか休憩所として使われていた掘っ立て小屋までたどり着けた。

「これ以上の移動は危険だね」

 シンの言葉に我々は同意する。

「そうだな。この先には汚染地帯があるから、暗くなったら動けなくなる。子どもたちは休憩所の小屋に入れて、大人にはその周囲で待機してもらおう。休憩所には、人数分は揃えられないが、夜の寒さをしのげる毛布もあるし、食料が詰まった箱もある」


 シンはうなずいてユイナを側に呼ぶと、これからの行動を指示する。

 私は二人の側を離れると、ミスズの様子を見に行った。

「調子はどう?」と、髪が乱れたミスズに声をかけた。

「子どもたちが後部座席で暴れるので、その対処に疲れました……」

「後部座席の操作パネルはロックされていて、いじくるものがないから退屈なんだろ」


「そうですね……」と、彼女は力なく微笑む。

「ミスズは子どもが苦手か?」

「はい、苦手です」と、ミスズはキッパリと言う。「東京の施設にいたころには、同年代の子としか交流はありませんでしたから」

『それは意外だね』と、カグヤが言う。



 かたむいた太陽が廃墟の街をあかね色に染め、港近くの高層建築群の間から見える巨大な水槽に日の光が乱反射して地上に複雑な波模様をつくり出していく。

 遠くに見える不思議な光景をぼんやりと眺めていると、銃声が聞こえて住人のひとりがバタリと倒れた。一瞬の思考停止のあと、住人たちは恐慌きょうこう状態になった。


 住人を落ち着かせようとしているシンとユイナを横目に、私はミスズにヴィードルを動かしてもらい、住人たちの盾になるように車両を配置させる。 

 元々ヴィードルの陰に隠れるようにして住人は休んでいたが、攻撃は我々の背後から行われた、つまり高台からだ。


「どうして背後から敵が来るの!」

 ユウナがヴィードルを動かしながら声を荒げた!

 また銃声がして、ミスズに向かって弾丸が撃ち込まれた。が、シールド生成装置が発生させる力場が弾丸の軌道をそらした。


『撃ち返して、ミスズ!』

 ヴィードルの防弾キャノピーが閉じると、ミスズはカグヤの指示に従って重機関銃による攻撃を始めた。あらかじめ攻撃目標がカグヤに指定されていたのか、ミスズの正確な射撃を受けた狙撃手の身体からだがバラバラになって吹き飛ぶのが見えた。


「だから俺は言ったんだ!」

 髭面ひげづらの男がわめき立て始めたが、その直後に銃弾を受けてすぐに静かになった。

 別方向からの狙撃だった。髭面の男は額に弾丸を受けて即死だった。


『レイ、カラスで確認できた敵の位置にしるしをつけておいた』

 カグヤの言葉にうなずく。

「シンたちにも敵の位置情報を送信しておいてくれ」

『もうやったよ』

 カグヤに感謝すると、その場に膝をついて狙撃銃を構えた。


 パイプライン上に転がる瓦礫がれきに身を隠していた襲撃者の女性が見えた。彼女はライフルを構え、すでにこちらに狙いをつけていた。


 ボルトハンドルを冷静に操作しながら女性に銃口を向ける。そしてレティクルの中心にかさねて躊躇ためらうことなく引き金を引く。射撃の反動を肩に感じると同時に、衝撃で女性の頭部がる。私は照準器から視線を外して、もう一度覗き込む。襲撃者は即死だった。


 応戦の準備ができたのか、こちら側からも射撃が始まる。私は視界のはしに表示されるカラスの映像を確認して、それから後ろに振り向いた。

 パイプラインに設置された梯子や、非常階段を駆け上がって来る複数の人間が拡大表示される。彼らは一様に武装していて、味方には見えなかった。


『挟み撃ちだね』と、カグヤが冷静に言う。

「厄介だな」

 私は後方から接近してくる集団に向かって駆けだした。


 カラスの映像を確認すると、高台から攻撃していた襲撃者のひとりが、休憩所に向かってロケットランチャーを構えるのが見えた。発射されたロケット弾は、ユイナのヴィードルによる攻撃で空中爆発したが、敵はなおも攻撃の手を緩めない。


 私は梯子はしごから上がって来る襲撃者を数人射殺したあと、パイプライン上に設置されていた用途不明の設備に身を隠す。

 ライフルの弾倉を装填していると、階段を駆け上がって来る男たちが私の存在に気がついて、こちらに向かって射撃を始めた。私はライフルを地面に置くと、ハンドガンをホルスターから抜いた。


 そしてほぼ無意識に弾薬オプションから〈重力子弾〉を選択した。

『ねぇ、レイ。その強力な弾薬を使うの?』

「非常階段は元々使ってなかったんだし、住人にはもう必要ないだろ」

『たしかに』

「それに敵は数が多い、早めに対処しないと厄介なことになる」


 やはり何処どこかの建物と非常階段はつながっていたようだ。地上とつながっていないはずの階段からは、絶えず襲撃者たちが駆け上がって来る姿が見えた。彼らの戦力から見ても、我々を皆殺しにしたいことは明白で、その裏にいる人間が我々に向ける強い殺意が感じ取れた。


『どう考えたって、狙いはシンだよね』と、カグヤが言う。

 近くに飛んできた弾丸が地面に当たり蒸気が噴き出した。当たりどころがかったのだろう、頑丈なパイプラインの表面が削れていた。

「集落で生活していた姉妹のことを救いに来ると、あらかじめ想定した作戦行動だ」


『シンもそれを知っていて、私たちを巻き込んだのかな?』

「どうだろうな? 襲撃を予想していたのなら、武装した姉妹たちの一団を連れてくるほうが確実なんじゃないのか?」

『それもそうかもね』


 しばらく続いていた敵からの射撃が止むと、私は旧文明期の柱につながれた螺旋階段にハンドガンの銃口を向けた。〈ホロサイト〉が投影されてハンドガンの形状が変化すると、内部に青白い光の筋がいくつも走っているのが見えた。そして天使のにも似た青白く輝くこうりんがハンドガンの銃口の先にあらわれた。

 私は射撃の反動に備えて引き金を引いた。


 音もなく発射された光弾は空間上に青白い閃光を残して、旧文明期の柱を簡単に貫通してみせた。一瞬の間のあと、轟音と共に熔けだした柱の一部が広範囲にわたって飛び散り、非常階段が設置されていた柱は多数の襲撃者を巻き込みながら崩壊していった。


 私は痺れる手を何度か握って感覚を確かめたあと、ハンドガンをホルスターに収めて狙撃銃を拾い上げた。

「ミスズ、そっちの状況は?」

 ハンドガンがもたらした破壊の傷痕を眺めながらたずねた。


『襲撃者は撤退を開始しました。それで……あの、今の音は? レイラは大丈夫ですか?』

「問題ないよ、こっちの敵を片付けた。今からそっちに向かう。敵だと勘違いして、俺を撃たないでくれよ」

『わかりました。待ってます』


 空気を震わせる爆発音がして私は振り向いた。〈重力子弾〉を受けた高層建築物が大きく崩れ始めていた。攻撃の巻き添えになった建物から落下する瓦礫がれきの中には、巨大な昆虫の姿と共に多数の人擬きの姿も見えた。

 暗くなり始めた廃墟の街を破壊の残響ざんきょうが支配していった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る