第29話 気持ち re


 不安で眠れない夜は初めてのことじゃない。

 この世界で目が覚めてからは恐怖の連続で、人擬きや略奪者の陰におびえて、数え切れないほどの夜を眠れずに過ごした。けれど今日は自分自身のためにではなく、友人の安否が分からないという不安で眠れなかった。


 どちらもいやな感じがする、不安が頭を過り嫌なことばかりを想像してしまう。けれど自分自身が抱く恐怖は、己の力で乗り越えることができる。人擬きは排除すればいいし、略奪者は殺せばいい。


 しかし他者に対して抱く感情は制御できない。自分自身がコントロールできる領域の外で行われることに対して、上手うまく対処することができないからなのかもしれない。


 寝心地の悪いソファーで寝返りを打つと、保育園の拠点に設置してある監視カメラの映像を表示する。網膜に投射される拠点に人の姿はなく、ひっそりとしていた。拠点の警備システムを掌握しょうあくしたことで、拠点から遠く離れた場所にいても、施設内の様子を確認することできるようになっていた。


 映像を切り替えてリビングの様子を確認する。誰もいないはずの部屋には照明が灯っていて、そこに家政婦ドロイドの姿があった。機械人形は部屋に設置されていた大型モニターに映し出される人々の運動する姿を見ながら、一緒になって体操をしていた。


 機械人形が体操することに、なんの意味があるのかは分からなかったけれど、暇つぶしでもしているのだろう。家政婦ドロイドの人工知能は特別で、まるで人間のように振舞うときがあった。だから気にするだけ無駄なのかもしれない。


 ベッドで横になっているミスズが寝返りを打つ。何回目だろうか、ミスズも不安で眠れないのかもしれない。長い夜だ。けれど、いつまでもこの状態が続くわけじゃない。明日のこの時間には、すべてが変わっている。くも悪くも。


『そろそろ、時間だよ』

 カグヤの声で身体を起こし、出発する準備を進める。ミスズを起こそうと近づくと、やっと眠れたのか、彼女から静かな寝息が聞こえた。窓の外を確認する。明るくなるにはもう少し時間がある。


 もう少しだけミスズを寝かせておくことにした。今日は人喰いの略奪者たちとの激しい戦闘が予想される。冷静な判断と集中力が必要とされる。だから眠れるのなら、例えわずかな時間でも眠って頭をスッキリさせたほうがいい。


 市街地での戦闘を想定したデジタル迷彩の戦闘服に着替えて、ボディアーマーを装備する。太腿のホルスターをベルトでしっかりと固定するとハンドガンを収め、何度か感触をたしかめるように拳銃を抜いては収める。


 ベルトポケットの所定の位置に予備弾倉や手榴弾を入れていく、それから身体をひねって動きに違和感がないかを確認する。満足すると湯を沸かして、コーヒーを入れる準備をした。


「ミスズ」

 小声で呼びながら、彼女の肩を軽く揺する。


 まぶたを縁取る長い睫毛まつげが瞬き、彼女は私にゆっくり瞳を向けた。

「おはようございます、レイラ」

「おはよう」


 この部屋で一緒に暮らすようになってから、ミスズのために用意したカーテンの向こう側で彼女は着替えていた。私はソファーに座ってコーヒーを飲みながら待った。はやる気持ちを抑えて、息をゆっくり吐く。急いでも仕方がない、そのことは充分に理解していた。それでも今はもどかしかった。


 ミスズは彼女専用のスキンスーツに迷彩服を重ね着していた。黒を基調とした彼女のスキンスーツは、パワーアシスト機能やナノマシンによる治癒機能も備えた優れたモノだが、隠密任務に使用されるたぐいの装備で、今回の市街戦では逆に目立つ可能性があった。


 ミスズには激しい戦闘が予想される戦地で、少しでも身の安全が確保できるように、シールド生成装置を搭載するヴィードルでの戦闘を行わせるつもりでいた。それでも不測の事態が起こるのが世の常だ。用心のために迷彩服も着せたかった。


 彼女のスキンスーツは、身体からだの線がハッキリと分かるくらいにピッチリしたスキンスーツだったので、問題なく戦闘服を重ね着することができた。


 ボディアーマーも装備させ、チェストリグの装備も確認していく。それが終わると、コーヒーを飲みながらボソボソとした〈国民栄養食〉を食べているミスズを横目に、小銃の確認も行う。アサルトライフルにサブマシンガン、そして狙撃銃の確認を行う。


「大丈夫か、ミスズ」

 上の空で食事を続けるミスズにたずねる。


「緊張しています……」と彼女は言う。

「正直、とても怖いです」


「わかるよ」

 廃墟の街で戦闘になったことはこれまでにも何度もあった。実際、人擬きの襲撃で窮地きゅうちに陥ったこともあった。けれど今回のそれは違う。己の意思で死地に飛び込むのだ。不安にならないほうがおかしい。


「行きたくないのなら、そう言ってくれ。俺は別に気にしない」

 ミスズは私の言葉に頭を振った。そのさい、寝ぐせがついた黒髪が踊るように揺れる。


「行きます。本当は怖いです。逃げ出したいくらいに。でもクレアさんが抱えている不安と恐怖は、私が感じているモノよりもきっと大きい。わかるのです、私がそうだったから」


 ミスズの寝ぐせを直してあげながらうなずいた。

「そうだな。絶対に大丈夫だとか、俺が必ず守ってやる。なんて気休めは言えないけど、俺とミスズには守護天使がついている。そう簡単に俺たちはやられはしない」


『それって私のこと?』

 カグヤの言葉にうなずく。

「俺を信じてくれミスズ。それで、俺を信じる以上にカグヤを信頼してくれ」


「はい」

 ミスズはうなずいて私に視線を向ける。彼女の瞳の奥に力強い意思を見た。もちろん、そんな気がしただけだ。けれど、それで充分だった。


 丁寧に装備の確認を行ったあと、我々は部屋を出た。人気ひとけのない大通りを二人で歩く。日が昇り始めたばかりの冷たい空気を身にまとい進む。不安はない。今はわずかな高揚感こうようかんを胸の奥に感じている。やれることをやるだけだ。私にはそれができる。今までだって何度も窮地きゅうちに直面して、全てに打ち勝ってきた。


 ジャンクタウンの入場ゲート近くに人だかりができているのが見えた。警備隊の詰め所の前には数人の隊員と、灰色と深緑の迷彩が施された軍用ヴィードルが駐車してあった。


「きたか、レイ」

 ヤンがいつものようにボディアーマーの首元に手を引っかけて立っていた。


「どういうことだ?」と、私はたずねた。

「俺たちも一緒に行くんだよ」


「一緒に行くって、誰が?」

 ヴィードルのハッチが左右に開いて、操縦席に座っていたリーが顔を出した。


「僕たちだよ。二人に同行する」

 リーはそう言うと、ミスズに手を振って挨拶をした。


「鳥籠の警備はどうするんだ? 責任者が二人も抜けて平気なのか」

「平気じゃないな」

 リーはバツが悪そうな顔をして、短く揃えられたあごひげを撫でた。


「ならどうして」

「ヤンを一人に出来ない。とくに今回は色々と無茶をしそうだしな」

「余計なお世話だ」と、ヤンは満更でもなさそうに鼻を鳴らした。


「二人が一緒にきてくれるのは嬉しいよ。正直、俺とミスズの二人だけっていうのは心細かった。感謝する」


「必要ないよ」と、リーは頭を振る。「感謝なんていらない。俺たちがクレアを助けたいだけだから。でもまぁ、ヤンには感謝してほしいけど」


「感謝してるよ。それに無茶をさせるのも分かってる。俺の身勝手な我儘わがままかもしれない。けど、それでも俺はクレアを救いたい」と、ヤンは頭を下げた。

女誑たらしのヤンを改心させた女性だ。何度でも救って見せるよ」

 リーの軽口に私はうなずいて、整備士が乗ってきたヴィードルに装備を載せていく。


 ヴィードルには、ヨシダのジャンク屋で買った重機関銃がしっかり搭載されていた。その機関銃は、球体型コクピットの周りを自在に動くことを可能にするレールに取り付けられていた。


 狙った場所がどこであろうと機関銃はすぐさま移動し、射撃ができるようになっていた。ちなみにレールの上を移動する際に、ヴィードルの脚などの障害物を避けられるように変形する機構を備えていた。


 もちろん整備工場の人間にヴィードルのシステムはいじらせていない。数が少なく貴重な車両だし、知られたくない機能もたくさんある。だから射撃の制御を行うシステムはヴィードルに乗り込んだあと、カグヤに頼んでシステムの構築をしてもらうことになる。


 ヤンは警備隊の詰め所で部下と打ち合わせを行い、それから戻ってきてリーが操縦する軍用ヴィードルに乗り込んだ。リーたちが乗るヴィードルは、行商人が使う大型ヴィードルほど大きくはないが、それでも私とミスズの搭乗するヴィードルより一回り大きかった。


 武装も豊富でロケットランチャーを始め、敵からの視界を遮るために使用する発煙弾発射機まで搭載されていた。移動速度では私が所有するヴィードルにおとるが、これだけの装備があれば戦力の大幅な強化が期待できた。


 ミスズはヴィードルに乗り込むと、フットペダルを何度か踏み込んで感触を確かめていた。戦闘服を着こんでいるから動きづらいのかもしれない。

「平気か、ミスズ?」と私は訊ねた。

「ん……大丈夫です」


 ミスズはカグヤから攻撃システムの操作に関する説明を受けていた。それほど難しいモノではない。攻撃システムを立ち上げれば操縦者の視線の先を自動的に攻撃してくれるようにできるし、繊細な射撃が必要な場合も、全天周囲モニターに拡大表示された標的が映るのですぐに慣れると思う。問題があるとすれば、ミスズに人をあやめる覚悟があるのかだけだ。


 ミスズはこれまでの戦闘で、人擬きや変異した昆虫に対して攻撃を行ってきた。けれど人を殺してしまうような攻撃は一度も行っていない。たとえ相手が凶悪な略奪者でも、たしてミスズに殺しができるのだろうか?


 殺しに対する忌避感きひかんをどこかに落としてきた私のような人間とミスズは違う。


「覚悟は出来ています」ミスズはポツリと言葉をこぼした。

 彼女になにか言葉をかけなければいけないように感じた。しかしミスズの心に投げかけるほどの言葉を持ち合わせていなかった。それはきっと彼女にしか対処できない気持ちのありようなのだ。他人の慰めや優しい言葉は必要ない。


「ヴィードルの無線機に接続させてもらう」私の言葉にヤンは疑問の表情を浮かべた。「気にするな。面倒な接続はこっちでやる。端末だけ確認させてくれ」

 ヴィードルのコンソールとケーブルで接続されていた板状の小型端末が差し出されると、腕を伸ばして端末を受け取る。その際、身を乗り出して彼らが乗る軍用ヴィードルにも触れた。接触接続でヴィードルのシステムに侵入し接続する。


「もういいのか?」

 リーの言葉に私はうなずく。


「それじゃ行きますか」気合を入れるように、ヤンが言葉を口にする。

 ヤンたちが搭乗するヴィードルが先行する。ミスズは彼らのあとを追うようヴィードルを走らせた。


「ヤン、聞こえるか?」

『聞こえてるよ』


「レイダーが占領している遊園地に向かう経路をそっちに送った。最短経路で向かうようになっているから、無理して瓦礫がれきの中を進まなくていい。それよりも、周辺一帯の動きに気を配ってくれ」


『送ったって、そんなこと――。どうやったのか分からないけど、この地図があれば、移動にかかる時間がずいぶん減らせる』


『けど、いいのか?』と、リーが通信に割り込む。『地図っていうのは、スカベンジャーにとっての生命線なんだろ。廃墟の街の詳細な情報が書き込まれている地図の代価は、俺たちには払えない』

「気にするな」


『感謝するよ、レイ』とヤンが言った。『おい、リー。今は緊急事態だ。代価だとかなんだとかは、生きて帰ってから話し合おう』


『そうは言ってもな……ヤンには分からないと思うが、スカベンジャーは命がけで廃墟を探索している。そこで得られる情報の価値は、彼らの命と同等の価値がある。これほど詳細な地図は、相当な値で取引できるはずだ。それをこんなに簡単に俺たちに送ってきて――』


「いいんだよ」と、私はリーの言葉をさえぎる。「今は目の前にある問題に協力して対処していかないといけない。それに俺は二人のことを信用している。勝手にその情報を取引に使ったりしないだろ?」


『当然だ。信用してくれていい。ただ甘いよ、レイは。心配になるくらいに』

「こんな厄介事に首を突っ込んでいるリーに言われたくないよ」

『それもそうだな』と彼は苦笑する。


 ヤンたちが乗るヴィードルは少しだけ速度を上げて森を抜けていく。森には商人の大型ヴィードルが切り開いた道があり、速度を出しても問題ない。走行の問題になるのは瓦礫がれきで埋め尽くされた廃墟の街だ。


「あの……この移動経路で問題ないのですか?」

 ミスズはそう言うと、全天周囲モニターに映る地図情報を眺める。

「それなんだけど、俺たちのヴィードルは壁の側面だって走れる。けどヤンたちのヴィードルはそれができないんだ」


 ミスズは首をかしげて、それから納得したようにうなずいた。

「このヴィードルに慣れ過ぎていて、それが当たり前だと思ってました……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る