第八話 男性と私と妹


「自己紹介がまだだったね。私はこれとう、惟任れいだ」

「……清音紗衣といいます」

 

 歩きながら自己紹介を済ませる。

 そういえば、お互いに名乗らないままだったと思い出した。

 おしゃべりが好きそうに見えるけれど、惟任さんは自己紹介を終えた途端とたん、ほとんど喋らなくなってしまった。

 

 沈黙が気まずくて、何度も話しかける。

 どれも相槌を打たれるだけで、会話にはならなかった。

 ここまで話さない人は初めてなので悩んでしまうが、並木道に到着するとすぐに会話が戻った。

 

「ここが「お化け道」か。噂では幽霊が出るそうだが、どう見ても普通の道だね」

 

 イチョウが散っていて、すっかり寂しくなっているけれど、鮮やかな黄色が風で揺れている。

 黄色と茶色の不思議な組み合わせが、ただのコンクリートを彩っていた。

 

「春と秋は観光客で賑わいますけど、今みたいに季節外れの期間は、人一人通らないのが普通なんです。まだ雪は積もっていませんけど、見るものはないと思いますよ」

「いや、あるよ」

 そう言って彼は、すっかり葉の落ちた一本の桜の木に近寄った。

 

 幹に手を当てて目をつむり、何かを考えているように見える。

 そのまま静かに額を当てると、一陣の風が並木道に吹いた。

 

 スカートが舞い上がるほどの強い風に驚いて、反射的に身をかがめた。

 必死に裾を押さえて風が止むのを待つけれど、風はなかなか止んでくれない。

 暴れる髪の毛も押さえて顔を上げた時、道の先に人影が見えた。

 

 こんな時間に人が来るなんて珍しいな、と思い、一体誰なのか気になって、顔を確認しようとした。

 

 遠いので、顔や服装はよく見えなかったけれど、体つきから男性だと思った。

 髪は長く、結んでいるのか、細長く風に舞い上がっていて、白い服と一緒に空中で揺れているようだ。

 

 誰なのだろうか。

 

 顔を確認しようとしたけれど、強くなる風で目を開けられなくなってしまったため、こらえきれず目をつむってしまった。

 

 風が止むと、惟任さんは幹から手を離す。

 道を渡り、反対側のイチョウの木に近づくと、幹に手を当てて、額も当てる。

 今度は風が吹かなかったけれど、惟任さんは長い間目をつむっていて、その時間がとても長く感じられた。

 

「君は幽霊を信じているか?」

 

 目をつむったままそう聞かれて、「いいえ」と答えた。

 すると、彼は小さく笑って、私を見た。

 

「不思議だね。君は幽霊を信じていないのに、この道の噂は信じているのか」

「それは……みんなが話しているので、想像したりしたら怖くなりますよ。幽霊を本当に見たわけではないですし、いるかどうかもわかりませんから」

 

 怖い話は嫌いじゃない。

 だけど、幽霊だとか妖怪だとか、子供だましの存在は信じていない。

 だいたい、高校生にもなって、幽霊を信じている人のほうが少ないだろう。

 

 惟任さんは、そうかと言って、また笑った。

 幹から手を離すと、私のところに来て、道の先を見つめる。

 

「この道がどうして、観光地になっているかわかるかな」

 

「それは、桜とイチョウが綺麗だから、ですか?」

 

「いいや、それは違うよ」

 

 惟任さんは私を振り返った。

 その視線の強さに胸が高鳴り、思わずこぶしで胸元を押さえると、彼は私と視線を合わせて言った。

 

「この場所は良い気が流れているし、何より、はなりがいる。地元の人間がきちんと手入れしてくれれば、もっと美しい花を咲かせるんだけどなあ……」

 

 彼の視線が桜に移ると、釣られて桜の木を振り返った。

 桜の枝が揺れていて、何もないはずの表面が輝いている。

 いつの間にか顔を出した太陽に照らされて、枝が順を追って風になびき、不規則に輝く姿に目を奪われた。


 花守りというのが、何なのかは知らないけれど、言われてみるとそんな気がする。

 噂を信じて寄り付かなかったけれど、ここは、こんなにも綺麗だったんだ。

 

 優しい風が髪を舞い上げ、柔らかく制服をなびかせる。

 知らない場所に来た気持ちになるけれど、不快感はなかった。

 

 それからもずっと、風は枝を揺らし続けて、太陽は桜の木を照らしていた。

 

 惟任さんはそれ以上何もせず、また機会があったら案内を頼む、とだけ言って、すぐに帰ってしまった。

 時間を確認すると、もうすぐお昼で、良いものが見られたからか気持ちも軽く、今なら家に帰れる気がした。

 

「……そういえば、惟任さんって何者だったんだろう」

 

 振り返った先に彼の姿はなく、結局、彼がどんな人物なのかはわからなかった。

 私の顔には気づいていたようで、会った時に唇の端と頬を見て顔をしかめられたけれど、それは嫌悪や同情からではなかった。

 

 心配そうな目で、並木道に来るまで私を見ていた彼は、もしかしたら気遣ってくれていたのだろうか。

 

 切れた場所を指先で触ると、思わず声が出るほど痛かった。

 さっきも説明しながら口を開けるのが辛かったけれど、彼なりに口を開ける時間を減らしてくれていたのかもしれない。

 

 彼が去った後、風は静かに止んだ。

 太陽もゆっくりと雲に隠れたけれど、あれほど怖いと思っていた道が明るく見える。

 

 不思議な人だ。

 彼が触れていた木々を見ながら坂を下りると、家に帰るためにバス停へと向かった。

 

 

 

 家に帰ると、心配そうな顔の祖父が玄関の前に立っていて、私を見つけるとすぐに、泣きそうな顔で駆け寄ってきてくれた。

「大丈夫だったか。心配したんだぞ。いつまで経っても帰ってこないから。怪我は大丈夫か」

 祖父の視線が、切れた口の端に移ると、顔が悲しげに歪んだ。

 

「まったく、あの男は何を考えているんだ。女の子に手を上げるなんて。あれでも男か、父親か」

 話しながら泣き出した祖父は、私の肩を握りながら、悔しそうにうつむいてしまった。

 どうやら母から連絡が入っていたらしく、それ以上は何も言わず、笑顔で家に入れてくれた。

 

 母が朝に作ったおかずでご飯を食べていると、ニュースで、未舗装道路の事件が説明されていた。

 犯人はわからないままで、凶器は刃渡りの大きな包丁で、彼女が亡くなるまで、何度も傷つけていたらしい。

 これは猟奇殺人だと、ワイドショーでは騒いでいたけれど、祖父は「かわいそうになあ。まだ若いのになあ」と、悲しそうだった。

 

 司会者が大騒ぎするゲスト達を落ち着かせて、事件の説明を続けると、今度は犯行現場について新しい話が出てきた。

 犯行現場は未舗装道路だと思われていたが、警察の調べによると、別の場所だったということがわかったらしい。

 ゲスト達がどこなのか聞いても、司会者はもったいぶって答えず、まだわかっておりませんと笑って、話を終わらせてしまった。

 

 そのやり取りから、すぐにわかった。

 あの並木道だ。

 ついさっき行ったばかりの場所で、殺人が行われたのだ。

 

 もしかしたら、本当の殺害現場を通ったかもしれない。

 そう考えたら、急に怖くなった。

 体が震えそうになったけれど、ご飯を食べる動きで誤魔化し、テレビに集中することにした。

 

 事件の情報は、どの番組でも流しているけれど、並木道については、どの番組も取り上げていない。

 過去の事件が関係しているのだろうけど、もし、この事件が並木道で行われていたのだとしたら、本当に呪われているのではないだろうか。


 さっきは幽霊を信じていないと言ったけれど、もし本当にいるのならば、私は大丈夫なのだろうか。

 

 ご飯を食べ終えてからは、頬の痛みより怖い気持ちが勝っていて、面白そうなドラマも内容が入ってこない。

 学校に行ったはずの母からは、まだ帰れないとメールが入ったので、祖父も出かけないで、私のそばに居てくれた。


 制服を着替えないと、と思ったけれど、一人になるのが嫌で、そのままテレビを見ることにした。

 

 ドラマの再放送が始まる頃になると、沈んでいく太陽が庭に影を作り始める。

 そろそろ気温が下がってくるなと考えていると、玄関のチャイムが鳴った。

 

「紗衣、大丈夫だった? 頬が腫れてるじゃない」

 心配した香苗がお見舞いに来てくれたのだ。

 

 彼女から、一緒に居られなくてごめんと謝られた。

 いつも明るい彼女が落ち込む姿に胸が痛み、思わず「ごめんね」と謝ると、彼女は「ごめんじゃないでしょ」と怒り出した。

 

「なんで紗衣が謝るのよ。悪いのはあなたのお父さんであって、あなたが悪いんじゃないわ。昼休みにあなたのお母さんが来て、私に来賓室で起こったことを教えてくれたの。部外者の私が聞くのは悪いと思ったけれど、事情を知っているから教えておきたいって言ってくれて。いいお母さんだね」

 

香苗に褒められて、嬉しくなった。

 自慢のお母さんなんだ、と伝えると、彼女は微笑んでくれた。

 

 だけれど、すぐに父の事を思い出し、強い口調で怒りだした。

「本当に最低な人だよ、あの人は。自分の娘の頬をぶつなんて。もう絶対許さないんだから!」

 

 母には、彼女が事情を知っていることを話していた。

 迷惑に思われそうなことでも、親身になってくれた彼女だからこそ話したけれど、ここまで心配してもらえるとは思っていなかったから、なんだか嬉しくてしょうがない。

 

 涙が出そうになって目元をぬぐうと、お礼を言おうと顔を上げる。

 こぼれそうになった涙は、飛び込んできた人の姿を見たことで止まった。

 

「お姉ちゃん!」

 

 いつもの明るい声ではなく、怒りをむき出しにした声で私を睨みつける妹に、私だけでなく香苗も驚いた。

 なぜ彼女が私の家を知っているのかが不思議で、どうして家を知っていたのか尋ねると、彼女は悪びれもせず、香苗の後を追ってきたと言ったのだ。

 

「お姉ちゃんひどいよ! なんで、お父さんの言うことを聞いてくれなかったの。おかげで私が先生に叱られちゃったじゃない。しかも、そこにいる女の子にも怒鳴られたのよ。なんで断ったのよ!」

 

 友人を見ると、彼女は怒りをあらわに妹を睨んでいた。

 一人でわめく彼女の話を繋げると、担任に父のことで注意を受け、事情を知った香苗に怒られたらしい。

 

 以前から、彼女が私を姉だと言っていたのを、クラスメイト達は知っている。

 けれど、まさか母親が違う姉妹だとは思わず、お姉さんと呼びたいほど慕っているクラスメイトだろうと思っていたらしい。

 

 教室で香苗に怒られて、自分と私の関係を説明したという彼女だが、さすがに異母姉妹だとは言えなかったようだ。

 そのため、曖昧な態度で隠し事をする彼女に、クラスメイト達は疑いを持ってしまったらしい。

 

「みんなには、生まれた時から私のお姉さんなんだよって言っても信じてくれないし、名字が違うなら事情があるんでしょって言って、本当のことを聞きたがるんだもの。お母さんもお母さんだよ。もうお姉ちゃん達とは家族じゃないんだから、これ以上関わらないでって怒るんだもん。だから、お姉ちゃんが一緒に暮らせば、みんな信じてくれるし、家のことだってやってくれると思ったのに。どうして断るのよ!」

 

「あんたがワガママだからでしょうが!」

 

 香苗が怒鳴った。

 勝手なことばかり言う妹を、私が怒るより先に、彼女が怒鳴ってしまい、妹も驚いて目を丸くしている。

 そんな妹に、彼女は言った。

 

「あなたと紗衣は、半分だけ血が繋がっているけれど、あなたのお母さんがお父さんと再婚した意味わかってるの? あなたに本当のお父さんが出来た代わりに、紗衣のお父さんがいなくなったんだよ。しかも、お父さんはあなたに甘いけれど、紗衣には冷たくて、今日だって、紗衣のこと叩いたんだからね。そんな人と一緒に暮らせるわけないわよ」

 

「で、でも、一緒に暮らしたら、お父さんも優しくなるよ。私のことを可愛がってくれてるんだし、きっとお姉ちゃんだって可愛がってくれるよ」

 

「無理よ。実の娘に手を上げたんだから。あなたのお父さんは、紗衣のお父さんにはなれなくなったの。紗衣だって行きたくないって断ったのに、それを無理やり引き取ろうって言うのがおかしいわ」

 

 はっきりと言われた妹が、目を潤ませた。

 泣き虫なのは知っていたけれど、香苗の言葉で、どうにもならないと気づいてしまったのだろう。

 静かに泣き出した妹は、泣きながら、それでもまだ諦めなかった。

 

「だって、おばあちゃんは体が動かなくなってきたし、お父さんもお母さんも家のことはできないし。私は娘だから、家事とかやらなくていいって言われてるんだよ。だから、お姉ちゃんが来てくれれば、家族になれるし、私達も助かるんだよ」

 すがるように見られたけれど、呆れて何も言えなかった。


 両親が離婚してから、父方の祖母とは一度も会っていない。

 母方の祖母の世話で忙しかったということもあるけれど、ずっと嘘をつかれていたので、私が会いたくなかったからだ。

 

 どうやら、彼女は家族みんなから大事にされていたらしい。

 それなのに、今まで家事をやっていた祖母が高齢で動けなくなり、これからは自分が家事をやらなければならなくなったため、それが嫌で、私を家族にしたかったのだ。

 

 ふざけないでよ。


 何が家族だ。

 何が姉妹だ。

 あなたが欲しいのは、自分の代わりに家事をやってくれるお手伝いさんだ。


 香苗も理解したのだろう。

 呆れた顔で妹を見て、私の背中をさすってくれた。

 

 誰も彼女を慰めようとは思わなかった。

 ただ、彼女が早く帰ってくれることを願ったけれど、ひとしきり泣いた彼女は、それでもまだ泣いたまま香苗を睨みつけた。

 

「何よ、私達のことなんて何もわからないくせに。お父さんはね、私のことを可愛いってずっと言ってくれてたのよ。お姉ちゃんは悪い子だけど、私は良い子だって。お姉ちゃんは駄目な子だけど、私は賢いって。それなのに何よ。なんであんたみたいな人がお姉ちゃんといるのよ。何でよ、何でよ、なんでよ……」

 

 本気で泣き出した妹によって、家の奥にいた祖父が、慌てて庭から駆けつけてきた。

 私達と妹を交互に見て、「何があった」と言うと、妹が私を指差して言った。

 

「こんな駄目な人のことを可愛がるなんて信じられない! あなたも、その子も、馬鹿ばっかりよ!」

「何だと! うちの孫に何てことを言うんだ!」

 

 祖父も負けずに怒鳴りつけ、今にも飛びかかりそうなくらい顔を真っ赤にしている。

 香苗も祖父に味方して一緒に言い返すけれど、私は妹の話を聞いて頭が真白になってしまった。

 

 次々と聞かされる新しい事実にめまいがして、頭がついていかない。

 

 どうやら父は、私を駄目な娘に仕立て上げ、彼女を甘やかしまくっていたらしい。

 再婚相手は何も言わなかったようだが、彼女の中では、私達と父は離婚した瞬間から赤の他人になっていたようだ。

 祖母は最初こそきちんと話していたが、自分の立場が悪くなると感じたのか、私と母のありもしない失敗談を作っては、彼女に聞かせていたらしい。


 つまり、妹は私を見下していたのだ。

 

 自分は偉くて、私はダメ。

 

 お姉ちゃんと呼びながら、都合の良い存在にしようと思っていたらしいけれど、そう上手くいくはずがない。

 

 あまりにも非現実的な父達の育て方に、まためまいが襲ってきた。

 

 地に足がついていないような感覚が、何度もやってくる。

 それでも立っていられたのは、友人と祖父がいてくれたからだ。

 いまだに泣きわめく彼女は、私と母のありもしない悪口を言って二人を納得させようとしているようだが、二人は信じようとしないため、また泣き出す。

 幼い子供のような妹の奮闘を、私は黙ってみているしかなかった。

 

 祖父と友人に睨まれながら、意地でも帰ろうとしない妹だったけれど、もうこれ以上は無駄だとわかったのか、涙をこぼしながら、もう一度私を睨みつけた。

 今度は私に矛先が向かったのかと身構えたが、彼女は怒るのではなく、あざけった笑みを浮かべて笑い出した。

 

「あんたなんて、お父さんに愛されてないのにね。私に逆らうなんて馬鹿じゃないの。せっかく私が気を利かせてあげたのに、本当に馬鹿よ。今頃あんたのお母さんは、私のお父さんに殴られてるだろうし、ざまあみろだわ。私達に逆らうからそうなるのよ」

 

 見たこともない嫌な笑みでそう言った彼女に、祖父はつかみ掛かろうとしたけれど、それより早く、私は家を飛び出していた。

 

 遅くなると言っていた母が父の家に行ったというなら、きっと殴られているはずだ。

 

 怒りっぽくて他人に冷たい人だと思っていたけれど、血の繋がった娘を叩くほどだと身をもって理解してしまった今、母が危ないと、とっさに体が動いてしまったのだ。

 

 慌てて外に出たため、けたのはつま先が開いた母のサンダルだ。

 走りにくくて仕方なかったけれど、家に戻る時間が、今は惜しかった。

 

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