第六話 警部と私
次の日、やはり友人は学校を休んだ。
他にも大勢の人が休んだため、少しだけ早い学級閉鎖になりかけたけれど、どうにか授業が出来るため、先生達もホッとしていたようだ。
相変わらず妹は、クラスメイト達と笑い合って楽しそうだった。
けれど、私に話しかけるのは、「おはよう」と「さようなら」だけだ。
そんな態度だったので、本当に姉が欲しいのかと考えたけれど、私の母と自分の母に反対されて諦めたのかもしれない。
高い声で笑う彼女の声が、今日はいつもより不愉快だ。
聞こえないふりをしながら、スマホの電源を入れた。
ネット上には未舗装道路の事件が取り上げられていて、殺人事件だという内容の記事がたくさん出てきた。
被害者は、この町に住む会社員の女性で、まだ二十代と若い人だった。
生前の写真が載っていて、真面目そうな美人という印象の顔写真は、入社当時の履歴書からだと説明がされている。
人から恨みを買うような人には見えず、記事にも彼女を嫌っていた人はいないと記されていた。
それ以外の記事は、事件現場を伝えようとするもので、警察の発表の後に書かれた記事には、事件の詳細が記されていた。
被害者は
町内の建設事務所で働く事務員で、主に会計を
小さな事務所のため人手は常に足りず、遅くまで残業した帰りに殺害されたと警察は発表したらしい。
死因は、腹部を中心に、全身の十数カ所を切られ、数カ所を刺されたことによる失血死で、遺体は道路の真ん中に、腕を拡げた状態で仰向けになっていたらしい。
犯人の特定はされていないが、容疑者とみなされる人物は数人いて、現在は調査中だという。
自分と十歳しか違わない人が、近くで殺されている。
その事実に、背筋が寒くなった。
今回は並木道での犯行ではないため、オカルト関連の話はほとんど出ていなかった。
スマホ一つで、あっさりと情報が手に入れられたけれど、被害者の個人情報が簡単に手に入るのは怖かった。
綾香さんの家族はこの町の出身で、彼女は大学入学を機に、一度は家を離れたそうだけれど、卒業して就職が決まると同時に家に戻ってきたらしい。
恋人はいたようで、その人のことについても少しだけ書かれていた。
「殺人事件、か……」
先生が教室に入ってきた時に呟いた私の言葉は、誰にも聞かれなかったようだ。
けれど、自分で自分の声が、耳元ではっきりと聞こえた気がした。
先生達の話では、しばらくの間、学校は午前中のみの授業を行い、部活動も活動停止になるそうだ。
生徒達は速やかに家に帰り、出歩かないようにと釘を刺されて、今日の授業が終わった。
昨日と同じく、さっさと帰る人がほとんどだったけれど、今日に限って、妹が私に近寄ってきた。
「お姉ちゃん、お父さんの話は聞いた?」
とぼけて、「ううん、聞いてないけど何かあったの」と答える。
彼女は気にせず、笑顔で「あのね」と言うと、父が私を引き取りたいのだと話した。
「お父さんも、私にお姉さんがいた方がいいだろうって言ってくれたし、お母さんは、まだ納得してくれないけれど、絶対説得するから。だから一緒に暮らそうよ」
どう答えれば良いのだろう。
本音を言えば行きたくない。
父とも、彼女とも、再婚相手の女性と暮らすのも、心の底から嫌だ。
ここでそれを言ってしまえば、彼女がどんな顔をするか。
面倒なことにしたくないと、笑顔を浮かべて「ごめんね」と答えた。
「今はおじいちゃんと暮らしているし、お母さんとの生活にも慣れたところだから、このまま三人で暮らそうと思ってるんだ。あなた達もこっちに引っ越してきて大変だろうし、今のままのほうが良いと思うよ」
「そんなことないよ。お父さんも一緒に暮らしたいって言ってくれたし、絶対楽しいから」
ね、と首を
どうもこの子は、子供っぽいところがあるようだ。
幼い子供のような仕草をすることが多く、お願い事の時によく見る。
クラスメイト達からは可愛いと言われているようだけれど、好意的な気持ちがない私には鬱陶しいだけだった。
「あなたのお母さんが良いって言わないなら無理だよ。私も急には決められないし、それに引っ越すなんて、簡単なことじゃないんだから」
苛立ちながらそれだけを言って、教室を出た。
後ろから「待って」と声をかけられたけれど、聞こえないふりをして、さっさと校舎を出る。
追いかけられても捕まらないようにと、足を速めて学校から離れた。
あんなところに、一秒でもいたくない。
不快な気分になって、地面を見ながらひたすら歩く。
気がつけば、いつも通っている道を歩いていたらしく、通行止めの前に来ていた。
警察はいなくなっていたけれど、犯行現場ということで、しばらく封鎖されるようだ。
通行止めの看板には、「事件現場であるため、しばらく通行禁止」と書かれていて、期間は未定とある。
晴れの日が続いたので、未舗装の部分には、たくさんの乾いた足跡があちこちに出来ていた。
遠回りになるけれど、並木道以外の道を通って帰ろうと振り返る。
すると、煙草を持った昨日の刑事さんがいた。
「あれ、君は昨日の女子高生か」
「警部さん、ですよね。何かあったんですか」
ずそう尋ねると、彼は苦笑いを浮かべて、煙草を口から離す。
「一服に来たんだよ。喫煙者に冷たい時代だからね。現場を見てくるって言って、一本吸いに来たんだ」
隠すことなくそういった警部さんは、笑いながらもう一本くわえて、火をつけた。
喫煙者に会うことはあるけれど、ここまで堂々と、道の真ん中で吸う人は初めて見た。
美味しそうに吸う顔を見つめていると、彼は困った顔で、白い煙を吐き出した。
「見られるのは好きじゃないんだけど。まあ、珍しいよね。君くらいの歳の子なら、煙草は悪いものって教えられてるだろうし、嫌なら止めるよ」
「いいえ、気にしないでください。吸う人が珍しくて、興味が湧いてしまっただけですから」
そんなに見つめていたのかと恥ずかしくなり、顔を背けた。
あっという間に一本を吸いきった警部さんは、事件があった曲がり角を見て、私に聞いた。
「もしかしてだけど、事件について知りたかったりする?」
どうしてそんな事を言うのかと、顔を上げると、警部さんは笑った。
「昨日会った男と、何かあったのかなって思ってね。事件について知りたがってた奴だから、迷惑かけられてないといいけど」
迷惑ならかけられました、と言いたい。
けれど、それを告げたらいけない気がする。
会ったばかりの男性にコーヒーまでご馳走されたから、というわけではないけれど、ただ話を聞かれて答えただけなので、笑って誤魔化した。
何もありませんでしたと答えれば、警部さんは微笑み、もう一本に火をつける。
「挨拶し忘れてたが、俺は
白い煙を吐きながらそう言うと、名越警部は苦笑いを浮かべた。
「君は町の高校生だろ。その制服に見覚えがあるよ」
「よくわかりましたね。中学生と間違えられやすいんですけれど」
私が通う学校は中高一貫校で、女子の制服は大差がない。
そのため、高等部の新入生は、必ず中等部と間違えられる。
まだ子供だものと母は笑っていたけれど、間違われるのは複雑な気分だった。
せっかく高校生になれても、まだ子供扱いされているみたいで、香苗と一緒にがっかりしたこともある。
名越さんは
「通っている学生でもほとんど気づかないが、中等部は葉っぱの模様で、高等部は花の浮き彫りが施されてるんだ。見る奴が見ればわかるが、場所が場所だけに、気づかれないことが多いんだよ」
言われて確認すると、たしかに花が彫られている。
中等部の制服は家にあるので確認できないが、彼の言う通りなら大発見だ。
初めて知った制服の違いに興奮し、家に籠もっているであろう香苗に教えてあげようと、スマホを取り出した。
スマホには香苗からの着信が入っていて、メールアプリには「暇すぎる」と書かれていた。
暇つぶしになればと、ボタンの事をアプリに書いて教えると、名越さんは苦笑いを浮かべて煙草を吸いきった。
「それで、君の名前は?」
「
自己紹介すると、彼は笑った。
何か笑える要素があったのかと思ったけれど、彼はまた煙草に火をつけて、話を続けた。
「それで清音さん。君はどうして、何度もこの場所に来るのかな。もしかして被害者の知り合いだったとか? それなら、ぜひとも話を聞きたいんだけど」
「被害者のことは知りませんが、今日のネットニュースで、名前と顔は知っています。ここに来たのは、ここがバス停までの近道なので、通れるようになったのか確認に来ただけです」
はっきり答えると、名越さんは口の端を上げて笑った。
馬鹿にされたかと思ったけれど、彼は普通に話を続ける。
「まあ、そうだろうな。バス停に行くには遠回りするか、あの並木道を通る以外に道はないし、どうせなら近道して帰りたい、と思うのは普通だ。だけど二日続けて会うと、職業柄、疑いたくもなるんだよ」
気に障ったなら悪かったな、と謝られたけれど、彼の言葉を信じきれない。
悪い人ではないようだけれど、癖なのか何なのか、浮かべる笑みが
昨日の今日で、また並木道のことを話すことになるのか、と気分が落ち込んでしまい、思わずため息が出る。
彼に聞こえてしまったかと、慌てて口を閉じるけれど、名越さんは何も言わず、静かに煙草を吹かしていた。
殺人現場の近くで、刑事と
香苗が聞いたら、面白そうだとはしゃぐだろうけど、私は少しもはしゃげない。
目の前の人は、昨日の制服警官のように私を逮捕できるし、制服警官より権力があるだろう。
もし犯人だと疑われれば、このまま逮捕されて、警察に連れて行かれるかもしれないのだ。
やましいことは特にないのだけれど、警察官を目の前にすると悪いことをした気になると誰かが言っていた。
これがそうなのかと、考えてしまった。
私だって、二日続けて警察に会うとは思っていなかったし、昨日の男性と歩いていったところを見られたのかもしれないと疑いたくもなる。
ただでさえ面倒事が重なっているというのに、これ以上増やしたら、祖父が倒れてしまいそうだ。
慌てて昨日の男性との関係性を否定するけれど、どもってしまい、また名越さんに笑われてしまった。
「そんなに焦らなくても、疑ってないから心配するな。通行規制されている場所に入ってきたから、少し
「通行規制って、ここがですか?」
通行規制とは、近年になって作られた法律で、最初は市区町村ごとに決められていた条例だったのだけれど、国の法律に組み込まれると条例よりも厳しいものになってしまった。
この法律は、警察が関わる全ての事件に当てはまり、主に事件現場の保護と情報の制限、そして、不法侵入を減らすための措置として多く適用されている。
これによって、規制された場所の犯罪が減ったとニュースになったことで、一気に知名度を上げたのだった。
ここが通行規制されていると知らなかったとはいえ、このまま居たら逮捕されてもおかしくなかった。
すぐに出ていきます、と道を戻ろうとしたけれど、名越さんは、「俺がいるんだし、急がなくても大丈夫だよ。もう少しゆっくりしていきなって」と言って、引き留めてきた。
立ち止まって、どうしようかと悩んだけれど、ここで帰ってしまったら、後で何かあるかもしれないと思い、もう少しだけいさせてもらうことにした。
「それで、昨日の男とはどうしたの。何か話した?」
「ええっと、並木道の話をしただけです。事件について知りたがっていましたけど、家に帰るため時間になったので、話を途中で切り上げてしまって、そのまま帰りました」
名越さんは、昨日の男性について知りたがった。
やはり、私と彼が二人で歩いていった姿を見ていたらしく、何を話したのか、どこに行ったのか、どんな事を聞かれたのかと、次々に質問された。
一つ一つ、思い出しながら答えるけれど、どれも名越さんが知りたい情報ではなかったようで、どんどん難しい顔になっていく。
一通り答えると、彼は質問することが無くなったようで、遅くなる前に帰りなさいと帰宅を許された。
何度か振り返って彼を見たけれど、その目は事件現場に向けられたままで、一度も私を見ることはなかった。
不思議な人だな、と思いながら遠回りして家に帰ると、畑仕事を終えた祖父が笑顔で出迎えてくれた。
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