第五話 妹と私


「私は「お化け道」を知りたいのではなく、今回の事件を解いてみたいんだ。事件に大きな関係があるならば別だが、なぜあの道について調べなければならない」

 不愉快だと顔をしかめられたけれど、それは彼の理屈であって、私の知ったことではない。

 これ以上は時間の無駄であるし、何より、日暮れまで時間がない。

 早く帰ろうと席を立つと、男性は引き止めることはせず、黙ってコーヒーを口にしていた。

 

 家には日暮れ前に帰れたけれど、先に帰っていた祖父に心配され、時間ギリギリまで私を探し回った母には怒られた。

 祭りのことを忘れていたわけではない。

 けれど、初対面でコーヒーまでごちそうになった男性の話は出来ず、例の事件について友人と話していたと嘘をついてしまった。

 祖父も母も、事件については聞いていたらしいけれど、一日中村の中にいたため、詳しいことはわからなかったらしい。

 

 今のところ学校から連絡はなく、連絡網も回ってこないため、明日も学校があるのだろう。

 お風呂から上がって一息ついていると、スマホが着信を知らせた。


 電話の相手は香苗で、一緒に帰れなくてごめんという謝罪から始まった。

 彼女の家族は神経質になっているらしく、明日のニュースで情報が得られたら、内容によっては学校を休ませるとまで言っているらしい。

 彼女は大げさだと言ったけれど、三年前の事件を知っている両親は、納得してくれなかったそうだ。

 

「だいたい、未舗装の道で起こったことを、あの道と同じように考えないでほしいよ。こっちは中間テストがあるし、少しでも授業に出ないと成績が危ないんだからさあ。もう少し頭が良かったら喜んで休んだのになあ」

 

 運動は出来るけれど勉強は苦手な彼女は、休みたい気持ちが少しはあるらしい。

 けれど、成績を気にして無理に出ようと考えているようで、無理にでも登校する気のようだ。

 事件を知っている私は、今日会った刑事さんと男性の態度を思い出して、休んだほうがいいと告げた。

 

「一日くらいなら休んでも大丈夫だよ。気になるなら私が勉強を教えるし、ノートなら私がとるからさ。ずっと嫌な事件が続いてたから、おばさん達も心配してるんだよ。だから安心させてあげないと」

「そう? でもなあ、紗衣を一人にするのも嫌なんだよね」

 

 彼女は、私の家庭について知っている数少ない人だ。

 妹が転校してきた時は真っ先に相談したし、複雑な異母姉妹が一緒にいることを一番心配してくれている。

 安心して、と電話越しに笑いかけると、彼女も声から感じ取ったのか、少しだけ柔らかい声になった。

 けれどすぐに、「紗衣が大丈夫ならいいけどね」と、心配そうな声で、しぶしぶ了承してくれたのだった。

 

 家族のために明日は休むと言って、彼女はすぐに話を止めた。

 今日は疲れたからと言うと、そのまま電話を終わらせてしまった。

 いつも長話になるのに珍しい。

 そう思ったけれど、元気のない声で話す彼女は、家族と言い合いになったのかもしれないと考えて、スマホを机に置いて窓の外を見た。

 

 真っ暗な空は、今朝の青空が嘘のように全てを黒く染めている。

 窓を開けて空を見上げると、雲の切れ間からかすかな月明かりが漏れているだけで、星は見えなかった。

 

     

             

 寝る前に水を飲もうと下に降りると、母と祖父が、居間で話す声が聞こえてきた。

 

「このままじゃ、あの人に紗衣を取られるかもしれないのよ。再婚相手は反対しているみたいだけど、どうしても自分で育てたいってきかなくて」

 

「今更だろうに。お前と別れる時など、「子供がいたら相手に迷惑だから」と引き取る気すらなかったというのに。再婚した相手との子供もいるのに、なぜ今ごろになって、あの子を引き取ろうとするんだ」

 

「それが、相手との子供が急に、「お姉さんがほしい」と駄々だだをこねたみたいなのよ。一緒のクラスになって、急に言いだしたみたいで。紗衣には、私達の問題で迷惑をかけているのに、これ以上辛い思いをさせたくはないわ」

 

 お姉さん。

 そう言ったのは私の妹。

 それは両親が同じ妹ではなく、父の再婚相手が産んだ、父とあの人の子供のことだ。


 血縁上は父親が同じ姉妹だけれど、妹の母親で、父の再婚相手である女性が認知させずに産んだ子供だと聞いている。

 母も祖父も、何一つ彼女達について語ろうとしないけれど、あの子が私の妹で、母親が違っていて、父の愛情を独り占めしていることだけは、嫌というほど理解していた。

 

 母と結婚していた頃でも、父は家に寄りつくことがほとんどなく、私は父のいない家庭で育ったようなものだ。

 それでも、父が帰ってくれば嬉しかったし、甘えたくてしょうがなかったけれど、父にとって私は、自分の子供ではなかったのだ。

 

 その事を理解したのは、両親が離婚した日だ。

 母に言われて学校を休み、家で大人しく勉強をしていると、父が知らない女性と女の子を連れて帰ってきた。

 母の顔は途端に怖くなり、知らない女性は、怖い、と父にすがり、父は彼女に「心配ないよ」と、見たこともない笑顔でささやいていた。

 知らない女の子は父の腕に抱きついて甘えていて、それを見た私は、彼女達が何なのか、なんとなくわかってしまったのだ。

 

 それでも、勘違いかもしれないと席につくと、父は母に一枚の紙を叩きつけた。

「さっさと名前を書け。二度と顔を見せるな」

 怖い顔でそう言った父を睨みつけながら、母は手を震わせて名前を書いた。

 それが離婚届だと知ったのはずっと後で、その事を知らなくても、これで父と母は終わったのだと理解できてしまったのだ。

 

 追い出されるように家を出た私達は、遠くにある母の実家を頼り、ずっと会っていなかった祖父母と同居することになった。

 

 病気の祖母の世話をしつつ、自分の仕事をこなす母と、弱っていく祖母を甲斐かい甲斐がいしく看病する祖父。

 苦しいはずなのに、忙しい母に代わって、私の相手をしてくれた祖母。

 新しい環境で、慣れない生活に苦労したけれど、父のいない生活に慣れていた私は、父の帰りを心配しなくて済むことに安心しきっていた。

 

 それなのに。

 どうして今さら私を引き取ろうとするのか。

 

 怒りで今すぐ叫びたかった。

 だけど、二人に気づかれてはいけないと、口を手のひらで押さえて我慢する。

 落ち着くために水を飲もうと台所に行くと、冷めた空気が漂っていた。


 水を汲んで、一気に飲む。

 一杯だけでは足りず、二杯、三杯と飲んで、最後は怒りごと飲み込むように一気に飲みきると、ようやく落ち着くことが出来た。

 

 父というのは、怖いだけの存在だと思っていた。

 まだ幼かった私にとって、父は逆らえない人で、一度も愛情をもらえなかったことが原因だったのだろう。

 昔から、友だちが父親と遊んでもらったとか、好きな物を買ってもらったと聞くたびに、羨ましくて羨ましくてしょうがなかった。


 私は一度も父と遊んでもらったことがないし、買ってもらったものは一つもない。

 父という存在は家にいないもので、それが当たり前だと思っていたからだ。

 

 私とみんなは違う。

 みんなのお父さんと私のお父さんも違う。

 みんなのお父さんは、お母さんとも仲が良くて、厳しいけれども、それ以上に優しくて、いつも一緒にいてくれるのだ。

 

 私のお父さんは、お母さんと仲が悪くて、私に興味がなくて、一緒にいてくれなかった。

 

 それがおかしいと気づいたのは、この村に引っ越してきてからだった。

 事情を知る村人達が父の話をすることはなく、家族について話すこともなかった。

 それをありがたいと思う反面、申し訳なくて恥ずかしくてしょうがなかった。

 

 妹は、父の仕事の都合で隣町に住み、いくらでも良い学校に入れたのに、私と同じ学校にやって来た。

 それを知った時の祖父の怒りと、母の慌てようはすごかったけれど、私はそれ以上に悲しかった。


 同じ父を持ちながら、父に愛される妹と同じ教室にいなければならないということが。

 

 父の愛情を独り占めしながら、私の居場所まで奪おうと笑顔を振りまく彼女が。

 

 そんな状況で、何も出来ない自分が。

 

 悲しくて、悔しくて、どうしようもなかったのだ。

 

 水が無くなったコップを握りしめながら、強く唇を噛みしめる。

 次々と溢れてくる感情が涙に変わり、次々と溢れ出てきた。


 シンクのふちにつかまって、泣き声を我慢しながら思う。


 どうして父は、母を捨てたのだろうと。


 どうして私を、大事に思ってはくれなかったのだろうと。

 

 止まらない涙がシンクの中に落ちるのを見ながら、どうしようもない問いかけを頭の中に浮かべては、消した。

 

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