第四話 お化け坂


 沈黙が続き、帰るタイミングを逃してしまったことで、居心地の悪い状態がさらに悪くなってしまった。

 男性は通行止めの看板を見つめるだけで、私に興味はないようだけれど、黙って帰るのも行儀が悪い。

 どうしようかと悩んでいると、看板を見つめていた男性が私に言った。

「君は「お化け道」を知っているのか?」

 何度も言われたことだけれど、今回の質問は、なぜかそらせなかった。

 このまま誤魔化して帰ればいい。

 そう考えもしたけれど、私の口から出たのは「はい」という言葉だった。

 

 肯定してしまったことで、帰ることができなくなり、立ち話もなんだからと言われて、喫茶店に行くことになった。

 街の喫茶店は何軒かあるけれど、学生が入れるのは「フィガロ」という木造のお店だけ

なので、知り合いに会わないかと心配になる。

 けれど素直に帰った人が多かったのか、お店には見知らぬ人ばかりが座っていた。

 

 すっかり顔見知りになったマスターにコーヒーを注文すると、彼はさっそく話を聞きたがった。

 どうしてそこまで知りたがるのか不思議だったが、話さなければ帰してもらえない気がして、大人しく話すことにした。

 

「みんなが言う「お化け道」は、桜とイチョウの並木道として有名な観光地なんです。心霊スポットみたいに扱われたりもしますが、春と秋はとても綺麗な場所なので、ほとんどの人は気にせず観光していきます。ですが地元の人は、あの道を通るくらいなら遠回りしても良いと言うんです」

 

「それは刑事の口から聞いたよ。私が知りたいのは、なぜあの道が「お化け道」と呼ばれるのか、ということだ」

 

 店員が二人分のコーヒーを持ってくると、彼は口を閉じた。

 人目は気にするらしく、それでいて好奇心は強いようで、店員さんが下がるとすぐに同じことを聞いてきた。

 どこまで話そうかと考えたけれど、この人に嘘をついたり誤魔化したりしたら、後が大変なのではないかと思ってしまう。

 けれど本当の事を話せば、誰に責められるかわからない。

 けれど――。

 

「……私から聞いたとは、誰にも言わないでくださいね。あの道の怖い話をすると、町の人が嫌がって文句を言ってくるんです。それを守っていただけるのならば話します」

 

「元から人に話す気はないが、いいだろう。君の条件をのもう」

 

 初めて笑顔をみせてくれたけれど、やはり話していいのか不安になる。

 ここは公共の場で、知らない人達ばかりだが、同じ学校の制服を着た人もいるのだ。

 しかし、ここで話さなければ、何かが駄目になる。

 そんな考えが浮かんだ時、私は口を開いた。

 

「あの道は、昔から木が植えてあったわけではなくて、何十年も前に、当時の町長が並木道にしたいと提案して作られた場所なんです。町の記念館に行けば写真が残っていますが、当時は荒れ果てた場所で、今では面影もないくらい酷い場所でした。今は綺麗に整えられていますが、昔は雨が降れば通れないくらいぬかるんで、あちこちで水が溜まっていたらしいんです」

 

 今では「お化け道」と呼ばれるが、かつては町で一番大きな道路だった。

 祖父も母も利用したことがあるそうで、時々思い出しては、当時の大変さを語ってくる。


 私には今の道路が当たり前なのだけれど、舗装される前の道路を知る人達は、あのままが良かったのかもしれないと、そう言ってしまうほど思い入れがあるらしかった。

 

 そこまで人々に気にかけられるのに、なぜ「お化け道」と呼ばれるのか。

 それは、十五年前の雨の日に始まったと言われているからだ。

 

 

 

 十五年前のある日の夜。

 あの道を通った女性が人の声を聞いた。

 最初は、猫が悲しげに泣いているのだろうと気にしなかったが、その声は何度も聞こえてきた。

 不思議に思って声のする方に行くと、数人の男女が身を寄せ合って、膝を突き合わせて泣いているのが見えたという。

 すでに0時を回っていて、顔は見えなかったのだけれど、大学生くらいの男女だと、とっさに思ったらしい。 

 何かあったのか、と尋ねるけれど、彼らはただ声を出して泣くばかりで、困った女性は近くにある駐在所ちゅうざいしょから警官を連れてきた。

 駐在ちゅうざいは、泣くばかりの男女に困ったけれど、そのうちの一人からどうにか話を聞けた。

 

 泣いている理由を話してくれたのは、隣町に住む女性で、この町の大学に通う女子大生であった。

 

 彼女はこの日、仲の良い男女数人で、町のレストランに食事に来ていた。

 グループの一人で、彼女と仲の良い男子学生の誕生日だったそうだ。

 安いと評判のレストランでお酒も入り、楽しい時間が終わるのが名残惜しいという話になったので、すこし遠回りして、並木道を通ろうということになったらしい。

 

 彼らは学校のことや、自分の近況を話しながら並木道を歩いていると、いつの間にか後ろを歩いていた女性が一人いないことに気づいた。

 遅れているのかと少し待ったが、いつまで経っても姿が見えない彼女を呼んでみたが、返事がない。

 何かあったのかと道を戻ってみたら――、と話したところで、彼女はまた泣き出してしまった。

 

 話を聞いた駐在は、歩いて確認してくると行ってしまい、残された通りすがりの女性は帰るに帰れなくなってしまった。

 泣く男女をなだめながら、駐在が戻ってくるのを待ったという。

 駐在はすぐに戻ってきたけれど、その顔は青ざめていた。

 何があったのかと女性が尋ねると、駐在は真っ青な顔で黙り込んでしまい、見に行こうとする彼女を引き留めて、近くの警察署に連絡を入れたのだった。

 

 

 

「そのまま家に帰った女性は、次の日のニュースで消えた女性のことを知ったそうなのですが、駐在が見に行った先には、無残に殺された女子大生の遺体があったそうなんです。熊にでも襲われたような酷い状態で、それをグループ全員が見てしまったそうなんですよ。初めは惨殺事件だとか、猟奇的殺人だとか騒がれたんですけど、それから一ヶ月もしないうちにまた同じ事件があって、連続猟奇殺人だと、一時期有名になったと聞いています」

 

 

 

 事件はそれだけで終わらず、不定期に被害者が増えていった。

 一ヶ月後であったり一週間後であったり、かと思えば半年以上何もなかったりと、まったく理解できない行動に警察も頭を抱えた。

 並木道を通らないよう通行止めにして、夜の外出を控えさせることくらいしか出来なかったという。

 その事件も、三年を過ぎると犯行は起こらなくなってしまい、犯人の痕跡も証拠も出ないまま、事件は世間から忘れられた。

 地元では、今でも被害者と親しい人達が犯人を捕まえようと行動しているけれど、話はそれだけで終わらなかったのだ。

 

 

 

「最初の事件から五年。今から十年くらい前です。あの並木道に、幽霊が出ると噂になりました。初めは、面白半分に噂されているだけだと思われていたようですが、地元の人も見るようになって、いつの間にかあの場所は、殺された女子大生の幽霊が出る場所だとささやかれるようになったそうです。見る人はきまって幽霊を信じていない人達ばかりで、それが真実味を帯びたのだと思うんですけど、さらには、別の幽霊を見たという人も出てきたので、あの道を通る人が減っていったそうなんです」

 

 

 

 幽霊の目撃情報が出てきてからというもの、殺された人達の幽霊以外にも、着物を着た人だったり、スーツのような服を着た人だったり、子供や老人だったりと、一貫性のない情報が増えていった。

 その頃を知る祖父は、出まかせではないかと疑っていたそうだけど、似たような話があちらこちらから出てきたため、頭ごなしに否定はしなかったらしい。

 けれど信じているわけではなく、あまりその話をしたがらないのだ。

 

 幽霊話が当たり前になったことで、いつしかあの道は「お化け道」と呼ばれるようになった。

 だけれど、それだけが怖がられる理由ではなかった。

 

「町の人が怖がるのは、三年前に起こった殺人事件からなんです」

 

 いろいろなことがあって、人通りの減った並木道だったが、それでも毎年、美しい花と鮮やかな葉を散らしていたという。

 けれど三年前の雨の日。

 これまでの噂話を消し去るほどの事件が起きたのだ。

 

「私は新聞とニュースで知ったんですけれど、あの並木道で、また遺体が発見されたことが、「お化け道」と呼ばれるきっかけになったんです」

 

 

 

 三年前。

 あの並木道で、再び惨殺された遺体が発見された。


 最初の被害者と似たような殺され方に、殺人鬼の再来だと大騒ぎになったけれど、警察はこの事件の詳細を公表することはなかった。

 混乱を避けるためらしく、犯人がどんな人物で、凶器は何で、どのように殺害されたかという情報すら公表されなかったのだ。

 現場近くに住む人も、犯人は見ていないため、マスコミに追いかけられても答えられなかったらしい。

 

 町に住む香苗は、当時のことを思い出すと、頭が痛くなってくると言っていた。

 彼女の家は、並木道の近くにあるわけではないが、情報収集に必死だった記者に追いかけ回されたことがあり、それ以来マスコミが嫌いになってしまったというのだ。

 

 どうしてそこまで情報を隠すのか、なぜ警察関係者のみでしか情報が共有されないのかと、当時のマスコミは、とにかく必死だった。

 記者の間では、警察の誰かが犯人ではないかと疑っていたそうだ。

 警察側は否定していたけれど、どれだけ揺すぶられても情報を伝えない警察に、れた一部の報道関係者が強硬手段に出たのだ。


 それは、殺害現場に張り込むことと、警察関係者に情報提供者を作るということだったが、どちらも失敗している。

 マスコミと警察の探り合いは長く続き、どちらも疲弊ひへいしてきた頃に、犯人らしき人物が浮上したのだ。

 

 

 

「犯人とされたのは、並木道の近くにあるアパートを借りていた大学生で、最初の被害者と同じ大学の男性でした。男性の隣に住んでいた人が、夜中に出ていく音を何度も聞いていて、それが犯行時刻と一致していたことと、殺害された日付が一致したことで、その人は逮捕されたんです。でも、逮捕された男性は犯行を否定して、凶器と思われる道具も見つからず、また捜査は止まってしまいました」

 

 

 

 捕まった大学生は、遊び歩いて遅くに帰ってくることはあっても、夜中に家を出ることはしないと否定した。

 彼の遊び仲間や友人達だけでなく、出入りしていた店の人にも確認が取れている。

 しかも、どれだけ遅くなっても、遊んでいた場所が駅をいくつもまたいだ市内なので、終電で帰れるように時間を決めていたとも説明している。

 犯行の日も終電で帰ってきて、犯行時刻には自宅で寝ていたと主張したのだ。

 

 警察は嘘をついていると判断していたけれど、情報をくれた隣の住人が証言を変えて、それは本当だと言ったらしい。

 毎晩遅くに帰ってくる彼に怒っていたそうで、懲らしめるために嘘をついたと告白してきたのだ。

 

 最初に被害者である女性とは面識がなく、遺体を見て震えていたグループにも確認をとったが、誰一人彼を知らなかった。

 捕まった大学生はたくさんの女性と付き合っていたが、どれもきちんとした付き合いを心がけていたようで、元彼女達から悪い話は聞けなかったという。

 二股も浮気もしないが、去る者は追わず主義だったらしく、一度別れたら二度と会わなかったらしい。

 

 最初の被害者は女性で、犯行現場近くに住む同じ大学の男子学生。

 痴情のもつれか、あるいは身勝手な嫉妬からか。

 いずれにせよ、女性に対して深い恨みを持ち、怒りをぶつけるために人殺しを続けていたのではないか、と考えていた警察は、女性の口からその全てを否定されてしまったのだ。

 

 その後も、捜査を続けて証拠を探したが、凶器になりそうな道具は見つからず、被害者たちの血液すら部屋の中から発見されなかった。

 そのため、男性は一時的に釈放しゃくほうされたけれど、警察は彼を犯人だと決めつけて、逮捕するために躍起やっきになっていた。

 今でも犯人は捕まらないまま、次の被害者は誰になるのかと、町民は怯え続けているのだ。

 

 

 

「ですが、男子大学生が警察で取り調べを受けている時に、もう一つの惨殺未遂事件が起こっていたんです。被害を受けたのは、犬の散歩をしていた主婦で、彼女は犬に助けられて命は助かりましたが、大怪我をして病院に運ばれました。治療を受けた彼女は、怯えながらこう言っていたそうです。「鬼が出た」と」

 

 

 

 コーヒーを口に含んだ男性は、鬼という言葉に反応を示した。

 カップに口をつけたまま、先をうながすように私を見た。

 私が話し始めると、口に含んだ分を飲み込み、カップを置いて静かに腕を組んだ。

 

 

 

「主婦の女性は、何針も縫う大怪我をお腹に受けたので、しばらく入院していましたが、その間も「鬼が出た」「鬼が追ってくる」と怯えていたそうなんです。先生が精神科を受診させましたが、精神病ではないと診断されたため、女性は嘘吐き呼ばわりされました。その話がどこからか広まり、そこから、幽霊や鬼が出る「お化け道」と呼ばれるようになったと言われています」

 

 

 

 単調たんちょうな話になってしまった。

 聞いた話ばかりで、実際に見たわけではないのだから当然かも知れないけれど、こんな非現実的な話で終わらせて、怒られないだろうか。

 恐る恐る彼の顔を見ると、怒ってはいないが、不機嫌そうに眉をひそめていた。

 

 外はオレンジ色に変わってきている。

 今日は、今朝までの雨が嘘のように真っ青な空になったけれど、太陽の暖かさはそれほど感じられなかった。

 初雪まで何週間もないのに、それでも昼が長く感じられるのだ。

 

 いつになれば終わるのだろうか。

 主語のない疑問を思い浮かべるけれど、自然相手に文句を言っても仕方ない。

 来週までには降ってほしいな、と窓の外を見ると、黙り込んでいた男性がようやく口を開けた。

 

「つまり「お化け坂」というのは、複数の目撃談からつけられた名前ということか。予想していたよりもずっと不明瞭ふめいりょうな話だな」

 

「ですが、私が知っているのはこれくらいです。詳しい人は詳しいかもしれませんが、私はそこまで知りたかったわけではなくて、ただ周りから聞いただけですから……」

 

 がっかりされたようだけれど、本当なのだからしょうがない。

 これ以上は詳しい人を探して、その人に聞いた方が早いと言えば、彼は、「いや、それでは駄目なんだ」と言った。

 

 

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