第三話 男性と警部
左右に五つの曲がり角がある道には、パトカーの他に救急車も止まっている。
朝は少なかった警官が、今は増えていて、曲がり角からはみ出して見えた。
通り抜けるのは無理だな、と来た道を戻ろうとした時、警官の一人が声をかけてくれた。
「君は今朝の女の子だよね。学校は終わったの?」
制服姿の男性は、帽子を直しながらこちらに来ると、私に向かって、ごめんね、と謝ってくれた。
そんなに困った顔をしていたのかな、と顔を触ってみると、彼は周りを見て誰もいないことを確認し、私にこっそりと教えてくれた。
「まだ現場検証が終わっていないから、今日は通せないんだ。日が暮れるまでかかると思うけど、帰り道は大丈夫? もし帰りにくいなら、今朝とは違う道を教えるよ」
なぜそんな事を聞くのだろうか。
不思議に思っていると、彼は別の道を丁寧に教えてくれた。
どうしてここまで親身になってくれるのだろうか。
少し不安になって彼を見つめると、彼は困った顔で頬をかいた。
「実は、君の後に来た人達に
「ええっと、今朝教えてもらった道も近道だったので、学校には間に合いました。けど、それはそれで、仕方のない反応だったと思いますよ」
彼の話を聞いて納得したが、反対に彼は不思議そうに私を見る。
あの道のことを知らないならば、地元の人ではないのだろう。
この様子だと、あの話は聞いていないはずだ。
彼の後ろでは、数人の警官が
やはり、別の道を行くしかないのかと、諦めてあの道を通ることにする。
すると、あの道について彼が知りたがるので、他の人達が嫌がった理由を教えてあげることにした。
「今朝教えてもらった道は、この町では「お化け道」と呼ばれています。その名前の通り、ずっと昔から幽霊が見えると噂されていて、実際に見た人が何人もいるそうです。ここら辺の
「お化け道? ずいぶんと面白い名前なんだね。本当に出るの?」
信じていない彼は、途端に笑顔を見せた。
知らない人ならば当然の反応である。
けれど、実際に見ると少し
「本当ですよ。この近所の人に聞いてみてください。きっと怖い話がたくさん聞けますから」
そっけなくそう言ったけれど、彼は本当に信じていない。
もしかしたら、幽霊自体を信じていないのかもしれないけれど、あの道を通らなければならないのなら、一刻も早く帰りたい。
遅くなればなるほど、帰りたくなくなるのだから。
それなのに警察官の彼は、仕事があるはずなのにまだ喋る。
いい加減にしてほしいと思った時、ふと私の背後で、地面を踏みつける音が聞こえた。
振り返ると、一人の男性が地面につま先を
「最近の警察は、若い子相手にナンパするのが仕事なのか?」
男性がそう言うと、警察官は怒った顔で彼を睨む。
それでも、警察という立場を忘れてはいないらしく、怒鳴りつけたり、嫌な態度を示したりはしなかった。
だが、その表情は怒りを隠しきれていない。
「迂回する道を変えてほしいと言われたので、説明していただけですよ。それより、貴方は誰ですか。ここは通行止めですから、通るなら別の道にしてください」
すると男性は、うつむいて笑った。
馬鹿にするように口の端を上げて笑う姿は、普通のサラリーマンには見えない。
さすがの警察官も、この態度に怒り出してしまった。
看板を越えて私を通り過ぎた警察官は、男の腕を取ると、ポケットに入れていた手錠を彼の手首にかけたのだ。
突然の逮捕に男は驚かなかったが、代わりに私が驚いてしまった。
あまりにも急な展開に、どうしようかと迷っていると、声を聞きつけたのかそれとも偶然なのか、一人の警察官が曲がり角から出てきた。
「何かあったのか」
どうやら一服しようしていたらしく、手には煙草の箱が握られていて、一本だけ取り出したところだった。
今朝の人は腰が低くて落ち着かなかったけれど、この人は落ち着いた雰囲気がある。
スーツを着ているので、おそらく刑事さんだろう。
彼は私の後ろで怒っている警察官に気がつくと、何があったんだと聞きながら歩み寄ってきた。
「この男が仕事の邪魔をしたんです。ですから、公務執行妨害罪で現行犯逮捕しました」
「公務執行妨害って、いったい何をやらかしたんだ?」
刑事さんは警察官の話を信じていないようで、疑いの目を持って理由を尋ねた。
警察官が説明すると、刑事さんは呆れた顔で息を吐いたのだった。
「お前な、それは公務執行妨害にはならないぞ。というよりも、説明していたところを人に笑われたくらいで、いちいち腹を立てるな。そんなだから、先輩達に交通整理でもやってろって言われるんだよ」
「ですが警部、彼は私を侮辱したんです。それなのに、どうしてそんな事を言うんですか」
警部と呼ばれたスーツの男性は、煙草を懐にしまい、手錠をかけられた男を見た。
何度か上から下まで確認すると、一度うなずいてから、手錠を外すように命じたのだ。
当然、警察官の彼は納得がいかず説明を求めたけれど、警部さんは早くしろとだけ言って手錠を外させ、文句を言いたそうな彼を現場に戻してしまった。
「うちの新人が悪かったな。まだ二年目なんだが、少し熱血すぎるところがあってな。特に若い女性に対しては、熱心すぎるほどなんだ。君も大変だったね」
警部さんは申し訳ないと言うより、またかと言いたげな顔で、新人が角を曲がるのを見届けてから、私達に頭を下げてくれた。
私は、気にしないでください、とだけ言ったけれど、男性の方は何も答えず、手錠が外された手首を交互に手のひらでこすり、私を見た。
「それで、あの道とは何だ」
男性は静かにそう言い、答えを待つ。
私はというと、彼の言葉が質問だということに気づくのが遅れてしまい、男性を見つめたまま黙り込んでしまった。
刑事さんは何の話だと私達を交互に見るけれど、口を挟むつもりはないらしく、三人揃って黙り込む状況になってしまったのだった。
ようやく質問だと気づいても、あの道とは、一体どの道のことなのだろうと首をかしげたので、彼は小さく息を吐いて、もう一度言った。
「君が、通りたくないのに、その理由を誤魔化していた道のことだ。先程の警官に言われていただろう。迂回する道が嫌だと言った人がいたと。余程のことがなければ誰も通りたがらないという「お化け道」のことだ」
ようやく意味がわかり、納得してうなずくと、今度は刑事さんが不思議そうな顔で私に尋ねた。
「お化け道? 例の並木道のことか?」
その通りだとうなずくと、刑事さんは「あの道か」と顔をしかめる。
通るのが嫌だという「お化け道」とは、
広くて整備された道だが、この町でもいろいろと有名な場所なのだ。
片側に桜、もう片側にイチョウが植えられていて、春は桜の花びらが舞い、秋はイチョウの葉が舞う人気の観光地となっている。
けれど地元の人からは「お化け道」と呼ばれていて、母と共にこの町に引っ越してきた頃に、いち早く教えられた場所の一つである。
怖い話が好きではない私にとっては、噂も含めて苦手な場所になっていた。
詳しい話は怖くて聞いていないけれど、あの場所で自殺した人がいただとか、事故で亡くなった人がいただとか、とにかく噂に耐えない心霊スポットのような場所だった。
刑事さんと男性に、そう説明すると、刑事さんは嫌な顔をしたのに、男性は否定することも納得した素振りも見せず、指の関節を唇に当てて考え込んでしまった。
「ところで、君達は知り合いなのかな?」
刑事さんも私達に疑問を持ったのか、考え込む男性を一度見てから私に尋ねた。
私は首を横に振って否定すると、制服警官とのやり取りを話し始めた。
ほとんどは警官が話したことだけれど、今朝のやり取りを説明すると、再び刑事さんが頭を抱えてしまったのだ。
何か失礼なことを言ってしまったかと口を
黙り込んだ私に気がついた刑事さんは、困った顔を見せたけれど、すぐに微笑んでくれた。
「君が悪いとか、彼が悪いとかではなくて、それはうちの警官が悪かったことになるよ。仕事そっちのけで女子高生と話して、注意されたからって逮捕しようとしたとなれば、彼の方が責められる立場だからね。それよりも問題は、彼が「お化け道」を迂回路にしてしまったことだ。他に何か聞いてないかな」
尋ねられて思い出してみると、彼は他の人にも「お化け道」を勧めていたことを話した。
普通ならばそこまで深刻にはならないのだけれど、この刑事さんは真剣に受け止めてくれて、これからは「お化け道」を通らせないように、迂回路は別の道にすると言ってくれた。
珍しいくらい好意的な態度に嬉しくなり、思わずお礼を言ったくらいだ。
しかし、ずっと考え込んでいた男性が口を開いた途端に、空気が重くなっってしまった。
「では、その「お化け道」とやらが今回の殺人に関わっているのか?」
刑事さんが表情をこわばらせた。
私はハッとして男性を見る。
彼は真剣な顔で刑事さんを見ていて、言葉を詰まらせた刑事さんは、口を手のひらで押さえ、誤魔化すように斜め下を見る。
それだけで、今回の通行止めが殺人によるものだと、私は理解してしまった。
気まずくなったが、ここで逃げては不自然な気がして、仕方なく二人の顔色をうかがいながら話を聞くことにする。
ここまで聞いてしまったけれど、誰かに話す気にはなれず、とりあえず情報だけでも得ようという、中途半端な野次馬根性が発揮されたからだ。
刑事さんも特に嫌な顔はせず、むしろ私を
それに答えながら男性を見るけれど、男性の興味は、事件と「お化け道」にあるようだ。
どれだけあからさまに話を変えても、すぐに話を戻してしまった。
何度も繰り返して諦めたのか、刑事さんは大人しく話を戻した。
「どこでそれを聞いたのかは知らないが、この通行止めに関する話は出来ない。詳しく知りたいなら、今日の夕刊かニュースを見てくれ」
刑事さんはそれだけ言うと、足早に曲がり角の向こうに行ってしまった。
残された男性は納得がいかない顔で、私はこの場に残ったことを少しだけ後悔した。
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