第二話 通行止め
我が家の朝はとにかく早い。
新聞配達と同じ頃に起きる母が一番で、次いで祖父、そして私の順だ。
母の朝は、暗い中でのデスクワークから始まり、祖父は、亡くなった祖母へお茶を供えるのが日課だ。
家族みんなで詩を
優しい笑顔が似合う人で、祖父はしばらく仏壇の前から動けないほど落ち込んでいた。
母も仕事が手につかず、私も
真面目な祖父は、毎朝決まった時間にお茶を運ぶ。
祖母が好きだった熱いお茶を仏間に運ぶ足音で目を覚ますのが、私の日課なのだ。
毎朝五時に起きてやることは勉強で、部活で疲れてしまうため、寝るのが早い私の朝は宿題から始まる。
毎朝同じことを繰り返す我が家は、健康的だと言えばそうだろうけど、不思議と朝は誰一人外に出ようとしない。
母は仕事、私は勉強で部屋から一歩も出ないが、祖父は仏壇にお茶をあげたら暇になる。
しかし、外が暗いうちは絶対に外に出ないため、我が家が本格的に動き出すのは六時を過ぎてからだった。
今日も日が昇ると同時に、祖父が玄関まで新聞を取りに行き、母は仕事を中断して、朝ご飯とお弁当を作り始める。
私も宿題を終えて、今日の予習をしていたけれど、学校のことを思い出すたびに深いため息が出ていた。
何度かため息を吐いて勉強を止めると、味噌汁の香りにつられて一階に下りた。
「
台所に入ると、母が忙しく動き回っていた。
朝ご飯と同じおかずがお弁当用に取り分けられていて、言われたとおりご飯とおかずを詰めていく。
中学校から続く習慣ではあるけれど、なかなかちょうど良く入りきらない時は、少し残念な気持ちになる。
今日はうまく入りそうだけれど、ふとした瞬間に妹を思い出してため息が出てしまった。
「あの子とは、どう?」
察したのか、それともタイミングが合ったのか。
母は私に、そう尋ねた。
母を振り返ると、味噌汁をかき混ぜながら私を見て、もう一度同じ質問をしてくる。
表情ではわかりにくいけれど、母なりに心配しているのだろう。
「……悪いわけじゃないけれど、良いわけでもない、かな」
本音を言うわけにもいかず、気持ちを誤魔化して答える。
顔を見ないで答えた私に、母もため息を吐いた。
「引っ越してきたのは知ってたけど、まさか同じ学校になるとはねえ。しかも同じ学年で、同じクラス。裏で何かしたのかと疑いたくなるわ」
疲れた顔でそう言った母の気持ちは、痛いほどよくわかる。
私達が双子の姉妹だったなら、悩むこと無く別のクラスになっているはずだった。
彼女とは血がつながっていても、戸籍上は他人となっている。
名字も違うからか、同い年の
私でさえ複雑な気持ちなのだから、母はもっと複雑で嫌な気持ちだろう。
一気に暗くなった空気が重く感じられ、ご飯を詰める手が止まる。
母も
「なんだ、二人して。そんな暗い顔では、一日を乗り切れんぞ」
元気な声に顔を上げれば、満面の笑みを浮かべる祖父が立っていた。
とても老人とは思えない、しっかりした足取りで台所に入ってくると、余ったおかずをつまみ食いして「少し、しょっぱいな」と笑う。
「話は後にして、早くご飯にしよう。学校に遅れるぞ」
言われて時計を見ると、七時半を過ぎている。
私が暮らす村から、学校がある町まではバスが出ているので、早くしなければ乗り遅れてしまう。
慌てて自分のご飯をよそって先にいただくと、祖父は満面の笑みで私を見ていた。
どうにかバスに間に合い乗り込むが、今日は乗客が少ない。
いつもなら半分は埋まる座席が余っていて、今日は休日だっただろうかと、日付と曜日を確認してしまった。
幸い今日は平日で、普通に学校がある日だった。
乗っているのは学生だけで、年の違う村の子供達だけが乗っているだけだった。
何かあっただろうかと思い出してみると、一つだけ思い当たることがある。
今日は、村で行われる小さな祭りの日だ。
正確には、祭りというよりも、儀式を
村にあるいくつもの小さな
毎年一回だけ行われる小さな祭りだけれど、村人は夏に行われる大きな祭りより、秋に行われるこの祭りを、とても大事にしている。
この日ばかりは、村中の大人が仕事を休んで、祭りを行う。
日が暮れるまで宴会を続けて、夜は完全に日が落ちる前に家に帰り、絶対に外には出ない。
朝日が昇るまで家でおとなしくして、ようやく祭りが終わるというのだ。
とても不思議で、奇妙な祭りだと思っているけれど、そういう祭りだと言われてしまえば、子供は受け入れるしかない。
町の停留所で降りた時には、私だけになっていて、かわりに乗り込む乗客達は、
あっという間に満席になったバスは時間通りに出発し、誰もいない停留所には冷たい風が吹いた。
思わず肩を縮こませる。
あと少しで秋も終わりだというのに、まだ日差しは暖かい。
今年は降雪が遅くなると天気予報でやっていたわけではないのに、なんとも不思議な天候だ。
足早に通学路に
昨日まで通れた道が通れなくなっていたからだ。
何かあったのかと、見晴らしが良いとは言えないコンクリートの壁の向こうを、背伸びして覗こうするが、自分より高い塀に
すると、曲がり角の一つから人が出てきた。
「学生さん? 悪いけど
制服を着た警察官がそう言うと、別の曲がり角からスーツの人が顔を出してきた。
刑事だという若いその人は、丁寧な口調で、申し訳なさそうに
学校には間に合うので問題はない。
けれど、それよりも、この通行止めが気になる。
いつも通るこの道は、十字路がいくつも続く場所にある。
上から見ると、道路が綺麗な四角を一面に作っていて、それは町の公民館に飾ってある航空写真で見ることが出来た。
通学路になっている道は、左右に五つの曲がり角があって、計十本の道に分かれている。
二人の警官が出てきたのは、こちらから数えて、左の三番目。
こんなところで工事をやっているにしては、何かがおかしかった。
学校へは、この道を真っ直ぐ行かなければならない。
大がかりな工事でもやっているのだろうかと思ったけれど、それならどうして警察がいるのだろうか。
理由を聞く前に、二人は曲がり角の向こうに行ってしまった。
コンクリートの壁で姿が見えなくなると、呼び出すほどの好奇心は失せてしまった。
通行止めと言っても、看板が一つ立っているだけで、入ろうと思えば入れる。
けれど、そんなことをしてまで、先に進もうとは思えなかった。
こんな急に、何があったのだろうか。
教えられた道から学校に着いた時、その答えはすぐにわかった。
「殺人事件なんだって」
昇降口で靴を入れ替えていると、息を切らした友人の
いつもは私を待っていてくれるのだけれど、彼女もまた、通行止めで迂回してきたらしい。
珍しく慌てた様子で靴を入れ替えた彼女は、スクープだと、新聞部のような興奮状態で説明してくれた。
「今日の朝なんだけど、例の舗装されていない道に行ったでしょ。あそこの通行止めって、舗装されていないところ全部にされてるんだって。迂回できる道を教えてくれた、制服の警察官が説明してくれたの。でも、すごかったのはその後なのよ」
時間が早いこともあって、人がまばらな昇降口は、声の反響が大きい。
下駄箱を出れば広い廊下に出るので、声だけでわかる人にはわかってしまう。
数人の生徒が、顔を近づけて話す私達を不思議がるけれど、親しいわけではないため、誰も声をかけては来ない。
後から来た別のクラスの友人と目が合ったけれど、香苗の様子で察してくれたようだ。
おはよう、と口の形だけで挨拶をしてくれて、返事が出来なかった私は、笑顔と目線だけで挨拶を返した。
香苗も彼女に気づいたようだけれど、今は人目を気にするよりも、登校時に聞いた話を聞かせたいらしい。
ゆっくりと歩きながら、彼女は自慢げに説明してくれた。
「私が通る道は、舗装がない道路を抜けるまで、何回か角を曲がらなくちゃいけないの。だから迂回する道も限られていて、一緒にいた大人も私も、警察官に遠回りになるって説明したんだ。それでも「迂回してください」って言われて困ったわよ。一緒にいた人はよほど急いでいたのか、警察官を無視して中に入っちゃてね。警察官は慌てて止めようとしたんだけど止まらなくて、そのまま角を曲がったら、その人が悲鳴を上げたの。何があったんだろうって思ったわ。もちろん、私は看板の前に立っていたんだけど、真っ青な顔のその人が戻ってきたら、小さく「人が殺されてる」って言って、どこかに行っちゃったのよね。警察官は仲間と一緒に戻ってきて、気にしなくていいよ、ただの下水道工事だからって説明してくれたんだけど、ただの下水工事を見て、大の大人が悲鳴を上げるわけないじゃない。だからここに来るまでに、会う人みんなに話を聞いたら、何人かが、殺人事件があったって話してくれたの。びっくりよね」
彼女が聞いた話によると、舗装されていない道の一つで、血まみれの遺体が見つかったらしい。
警察が来ると通行止めにされて、そのまま通行止めの範囲は広がり、誰一人その道に入れなくなってしまったという。
そして、遺体を発見した人が別の人に話していき、噂として広まったらしいのだ。
けれど遺体の発見者は、未舗装の道に家がある人で、最初に話した相手が近所の人だったため、最初は大きな騒ぎにはならなかったという。
香苗が話を聞いた人は、遺体の第一発見者から、
警察は、噂が広まらないように手を尽くしているらしいけれど、噂好きの女子高生にまで広まっているのならば、あまり意味がないのだろう。
「でも、殺人事件って決まったわけじゃないでしょ。新聞にも載ってなかったし、ニュースにだってなってないのよ。ただの事故だったかもしれないじゃない」
亡くなった人がどんな人なのか知らないため、なんとなしにそう言うと、彼女は首を振って否定した。
「殺人しかありえないよ。だってその人、体中を刺されてて、凶器は発見されてないって聞いたもの。それに事故なら、あんな大規模な通行止めはしないでしょ。せいぜい事故が起こった道路だけでするじゃない」
そう言われると、そんな気がする。
事故現場なら大げさにすることはないだろうし、迂回させるほどの何かがあるとすれば、彼女の言う通り、殺人しかないのだろうか。
どうしても信じきれず、教室に向かいながらも、話し続ける彼女に
男子も女子も、通行止めの道路で起こったらしい殺人事件の話ばかりだ。
妹が中心になったグループでは生々しい話もされていて、そんなに広まっていたのかと感心したくなる。
クラスに親しい人がいないので、話す相手はいなかったけれど、耳を塞がなければ無限に聞こえてきそうな会話から、思いがけず新しい情報が得られた。
亡くなったのは、未舗装の道路沿いに住む会社員の女性で、町内の小さな会社で事務仕事をしていた人らしい。
挨拶が元気な人で、近所の人から褒められるほど、笑顔が素敵だったという。
亡くなったのは昨夜のうちで、香苗の話が合っているのならば、彼女は殺害現場の近くを通ったという事になるのだろうか。
最初に遺体を発見した人は、具合が悪くて倒れているのかと思って近づいたらしい。
近くに寄ると、服が赤黒く染まっているのに気づいて、慌てて警察に連絡を入れたという。
凶器は鋭利なもので、包丁かナイフなのかまではわかっていないらしい。
ただ、遺体の首から下は血で染まっていた、というのがクラスメイト達の話だ。
広く通行止めにされているらしいけれど、その理由はまちまちで、証拠探しのためだとか、遺体を見られないようにするためだとか、それぞれの推測で話し合っている。
香苗の話は本当だったのかと納得したところで、焦った様子の担任が教室に入ってきた。
「急な話ですが、今日は午前中だけの授業になります。お昼は食べずに、寄り道などしないで、早く家に帰ってくださいね」
落ち着かない様子の担任がそう言うと、喜ぶ人と同じくらい、事件との関わりを疑う人が声を上げた。
先生に質問する声が次々と飛び交う中で、先生は足早に教室を出て行く。
その姿を見たみんなの顔は、「やっぱり殺人だったんだ」と言っているようだった。
授業は簡単に終わった。
各教科担当の先生達も落ち着かない様子で、いつもならギリギリまで行う授業は、いつもより早く終わっていく。
チャイムが鳴る前に出ていく先生もいて、初めは帰れる喜びと事件への好奇心で興奮していたクラスメイト達も、どこかおかしいと感じたのだろう。
最後の授業が終わる頃には会話も少なくなっていて、帰る頃には誰も話さなくなっていた。
早く帰れるのは嬉しいけれど、香苗は家の人に迎えに来てもらうため、一緒に帰る人がいなくなってしまった。
妹は私のことなど気にせず、クラスメイト達と先に帰っていて、次々と減っていく教室の人を見ながら、一人で教室を出たのだった。
いつも通っている未舗装の道路は、一番の近道であったけれど、まだ警察が残っているのならば通れない。
そうすると、迂回するためには、今朝通ってきた道を通らなければならない。
あの道は、二度と通りたくない。
祈る気持ちで未舗装道路に行ってみたけれど、やはり通行止めのままだった。
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