第143話去った後の評判(後編)

side:レーヴェ州節令使



 マルシャン侯爵はその日最後の決裁書類にサインを記す。


 この署名によって、また一人、ワルダク侯爵に関係する者が処刑となることが決定した。

 

 筆を置いたマルシャン侯爵の口から小さな溜息が漏れる。


 ひとまず仕事終えられた安堵感よりも疲労感によって生ずる類のモノであるので、気の滅入りは如何ともし難い。


 たった今執行許可の署名をした相手は、節令使府に勤める役人。しかも州都庁内の警護に関わる役目に携わっていた者だ。


 先日から行ってきた大捕り物で芋づる式に繋がりが明るみとなり、それに伴って州都内外の騒ぎは未だ収まる気配がない。


 この案件もそんな繋がりを辿り引き当てられたものだった。


 思う以上に根深い事への対処による徒労感か、多くいる部下の中でも都庁警護の人間も賄賂仕掛けられていた事への憤りなのか、連日のように出る逮捕者達への失望なのか。


 僅かに漏れた溜息には様々な感情が混じっていた。


 このような不愉快なものがまだ続くともなると、夏の陽気とは真逆の気分へと包まれていくようだった。


「……レーワン伯が此処を出てから三日目か」


 気が滅入りそうな考えを紛らわせたくなった侯爵は、ふと先日まで滞在してた、親子ほど歳の差がある若い同僚の事を思い出した。


 自分と同じく被害者であり、今の事態を引き起こす一因に図らずもなっている困った相手でもある伯爵。


 噂というものはあまりアテにならないものだ。


 マルシャン侯にとってリュガへの印象は極端に言えばこの一言に集約される。


 彼が商都へ赴くという報告を聞いた時点では、王都における振る舞いを噂や又聞きで耳にする程度であり、個人的に悪くもないが良くもないといった風である。


 若造の分際で訳の分からない事を言い立てて自らに差配させろと無茶を言う頭のおかしい奴。


 金払いの良さと昨今の若い連中と比べて素行は悪くないぐらいしか美点のない変人。


 どこにも属そうともせず、貴族なのに貴族を忌避してるような振る舞いをして平民と交流を深め、故に歴史あるレーワン伯爵家当主にありながらどこも属させたくないと忌避される奇人。


 九割方悪い評判であり、残り一割も悪人よりかマシという消極的さから出てくるもの。


 挙句にモノ好きにも辺境のド田舎で何も旨味なさそうなヴァイト州の節令使に進んで志願した。


 このように貴族社会では諸々含めてちょっとした悪い意味で有名人である男が、リュガ・フォン・レーワンという若者である。


 侯爵もある程度そんな先入観があったが、王都の貴族達と違うのは、ヴァイト州入りして以降の足取りも商人達経由ながらも耳にしていたお陰で印象のアップデートが行われてた事である。


 しかも零細商人などでなく、フォクス・ルナール商会という大手老舗商会がそれとなく注目していたのが大きかった。


 今でも正直な所リュガが何をしたいのか完全に理解も把握も出来ていない。


 その辺の商人も舌を巻くほどの商才発揮して莫大な財貨を貯めたというのに、ヴァイトに赴いて以降は湯水の如く日々散じてる行いは酔狂という感想しか浮かばない。


 ただ、それが商人でいうとこの投資を行ってるのだろうと、商会の当主らの口から言われると、そんなものかと少しは納得していた。


 珍物を見物する気持ちと、何をやるのかという僅かな興味が此処で出来上がる。


 それからしばらくして、彼のお抱え冒険者が双頭竜討伐を成功させ、解体及び買取を王都、商都、ヴァイトも三ギルド合同で行うと知らせを受けた。


 趣味という程に集めても拘り深くもないが、そこそこ宝石類に興味あった侯爵は、前々から侯爵家が所持するに相応しい宝玉を探していた。


 懇意にしてるギルドマスターから報告を受けた際に、彼は閃きそして駄目元で魔石を求めてみた。


 Sランクの竜種である。価値ある物を承知してたので些か揉める覚悟をしてたのだが結果は快諾。価格も吹っ掛ける事もなく、ギルドと話し合って決めた値で良いともいう。


 喜びと同時に不思議な男という印象を更に強める事となった。


 そんなこんながあって彼らが商都へとやってきたので対面。


 リュガ本人は節令使や貴族として体裁整えた格好をした若者であり、見た目だけでいえばそこまで特筆すべきものはなかった。


 本人よりも護衛と称して同行させていた者らの方が見た目の印象は残る。事前報告を受けていたとしてもだ。


 軽装の鎧を着こんだ大男はともかく、奇妙な恰好の白と黒の少女達と、山岳部族の出という赤い髪の娘と、全体的に妙な違和感覚える風体の男と、名のある貴族が普通引き連れてないような手合いであった。


 その点だけでも、確かに変わり者と噂される余地はあるだろうが、そこだけの話。


 いざ話してみれば話の分かる案外マトモな者であった。


 礼儀も弁えてるし、会話の流れもその辺の貴族と話すよりも滑らかに進んで不快感もない。何か益を得ようと無理に媚びる真似もせず終始理性ある落ち着いた態度を示していた。


 なにより魔石や先日のワルダク侯爵の件の功績に関してなど、爵位も職歴も上なこちらに損をさせないよう立ててくれてる気遣いも出来ている。


 確かに言動の端々に己が正しいのを信じて疑わない風を感じさせた。


 謙遜や謙虚といったものの隙間から見え隠れする、周囲の愚かさに対する辟易した感情を僅かながらにも感じ取りもした。


 しかし才覚があるのは確か。


 これまでの人生経験に加え、商都に赴いて以降、様々な人間と接して仕事をしてきて多少人を見る目はあるつもりな身故に感じ取れるものもある。


 年齢も踏まえれば、若くて才ある者にありがちな自信過剰さなだけではなかろうか。と、マルシャン侯は思った。


 王都の連中は王宮内での権力争いのし過ぎで過剰反応してるだけではないのか?


 成程、人によっては彼の滲み出る才気とそれに基づく自信家ぶりを嫌うこともあるだろう。


 実績も無いのに政治や軍事に積極的に口出しして忌避されたのも、根拠なき噂というわけでもないのだろう。


 けれども、栄誉ある王国貴族らがだ、一人の若者相手に寄ってたかって距離を置き、奇人変人扱いして嘲笑はやりすぎではなかろうか?


 王都に居たのならば、事の詳細を身をもって知ってしまい、或いはマルシャン侯もその列に加わってた筈だろう。


 だが、そうでないので彼は素直にリュガに軽い同情と、王都に住まう、自分の属する派閥に居る以外の貴族連中の狭量への嘆きを抱く。


 相手に既に告げた通り、生憎と立場の違いから表立って庇う事も応援する事も出来ない。属する派閥へ誘うなど以ての外である。


 とは言うものの、こちらに多大な利益を提供した相手に対して何もしないというのも、マルシャン侯爵家の当主としては沽券に関わる。


 リュガ本人も気持ちだけで充分と明言してるとはいえ、間接的にほんの僅かな助力ぐらいならよかろう。


 あちらも少なくとも損ではないし、自分も返礼出来たという満足感を得られる。双方に悪い話でもないだろう。


 思い立った侯爵は一枚の白紙を手に取り、迷いなく筆を走らせる。


 任地へ帰還して以降またよく分からない事に財を投じて何かを成すのだろう。


 それが自分や商都に何をもたらすのだろう。


 良からぬ事でないのならいいがはてさて。


 リュガへのそんな疑問を生じさせつつ、マルシャン侯は書き上げた文章の最後に己のサインと節令使の印を捺すのであった。





side:レーヴェ州ギルドマスター



 レーヴェ州冒険者ギルドのマスターアランは己の執務室のデスクにて肩を揉み解していた。


 デスクに積まれた書類の束を疎まし気に見つつ、天を仰いで溜息を吐いた。


 ここ最近の激務は、半分は嬉しい悲鳴的なものだが、もう半分は憂鬱な呻き的なもの。


 特に後者は心身ともに言い知れぬ疲労感が付き纏う。しかもまだ終わる気配がないのが、ギルドマスターの疲れを取らせないでいた。


 ギルド内の調査と処罰はようやく三分の一が終えた所。


 開始してから十日近く経過してるが、意外に早く進んでるか意外に遅く進んでないかは人の見方次第。


 SやAを対象としたものはほぼ終えており、今はBやCを中心に進めている。


 それより以下のランクに関しては、余程目に余る罪でない限りはひとまず捨て置く方針だ。


 先日まで幹部らと共に議論重ねたがそういう結論となった。末端まで高ランク同様の追及をすると際限がなくなってしまい通常業務に支障が出てしまうのが理由だ。


 ただでさえ、規模の大きいギルドということで、在籍者の相手以外にも取引先の商人や役人に対する調査協力の為に信用できる職員を派遣してる現状。


 職員も人が足らないので、少し叩けば埃が出そうな奴を幾人かとりあえず処罰してるだけである。そこまで追及の手を伸ばしたら機能不全確定であり背に腹は代えられぬ。


 かと言って多忙を理由に放置する気もない。今の状況が落ち着き次第手を付ける予定であり、アランは激務の合間を縫って少しずつ対象の選別を行ってるのであった。


 商都のような場所柄だと時にはギルド総出で行う仕事も舞い込んでくるので、職場に泊まり込みは慣れてはいる。なのでそれ自体は文句はない。


 憂鬱なのはやはり内容だ。罪アリとはいえ、職員や冒険者の数を自ら減らす行いをやっててご機嫌とはいかないのだ。


「伯爵様には申し訳が立たないな」


 一時休息しようと力なく背もたれに身を預けつつ、アランはこの場に居ないリュガに対してそんな呟きを発した。


 数日前に任地へ帰っていった若き節令使。


 若いながらも地位や身分に驕る事もない、こちらにも必要とあらば腰を低くして応じてくれるような柔軟性を持った好人物。と、彼は見ていた。


 基本的に注文を付けることなくほぼこちらを信用して任せてくれる度量の大きさが特にアランは気に入っていた。


 依頼主の中には「そこまで指図するのか?」と頭抱えるような細々とした事を口出す輩も居る。貴族ともなれば他よりも軽く三割増しぐらい忍耐強いられるぐらい厄介なものだ。


 羽振りも良く性格も良い依頼主は理想であり、リュガはその理想を体現してたといっても過言ではない。


 持ち込まれた物も、苦労はするがその甲斐があるものばかりだ。


 彼のお抱え冒険者が持ち込んだ大物の数々は、そういう事例に慣れてる商都や王都のギルドですら平静ではいられないものがあった。


 無論、見たこともない奇妙な恰好をして奇妙な鉄の乗り物になった若い女冒険者二人組の存在も印象深く強烈に気になる。


 彼女らを間近で見た冒険者達が後々凄い存在になるのではと噂してたのも聞き及んでいる。それだけの大功を建ててるのだから、ギルドマスターとしても無関心ではいられない。


 だが、それはそれとして、ギルドとしては持ち込まれた情報と現物の山々にまず意識が向いた。


 まだまだ各地に何か潜んでるか把握してないとはいえ、よもや辺境地であるヴァイト州に高ランクの魔物が蔓延るダンジョンが発見されたというだけでも驚きの情報。


 それがあっという間に踏破達成され、ダンジョンボスである双頭竜というSクラスに属する大物も討伐成功。


 小型とはいえレッドドラゴン襲来など、ここ最近ケーニヒ州の境などで発生した事例を除けば、この国における魔物討伐やダンジョン攻略は概ね良くも悪くも安定したものであった。


 なので久方ぶりに冒険者業界として湧き上がるには十分な話題なのだヴァイト州での一件は。


 本来なら何よりも優先して解体や査定を行い、滞在中に話をつける筈だったのだ。


 それがワルダク侯爵とかいう奴のお陰で予定は大幅に狂った。


 洒落にならない騒ぎ起こしたのもだが、商都全体を巻き込んだ不正への対処含めて余計な仕事を増やされた関係者一同はワルダク侯爵を憎悪していた。


 結果、余波を喰らう形で期間短縮する羽目になったリュガには滞在中に最低限のモノしか渡せず、大量の魔物を預からせる事態になった。


 普通ならば大金になるであろう素材の山を遠い地に置いていくなど不安で仕方がない筈。


 起こった事が事なので横流しや中抜きといった嫌な出来事を想像してしまってもおかしくない。


 そう思わされて信用に陰りが生じるのは、ギルドとしても耐え難い。だが現地でこんな不祥事起これば甘んじて受けるしかない。


 しかしリュガはそんな不安など見せずにアラン達を信じて置いて行った。


 解体と査定が終わり次第、料金や素材をヴァイト州に輸送するという案をその場で即座に承認した事には、仕事柄様々な人物と会ってきたアランも内心舌を巻いたものである。


 リュガの寛大さに感謝しつつ彼が去ってからも精励してるが、双頭竜解体にようやく目途が付いたぐらいの進展しかない。


 ここから他の魔物の解体、諸々の査定、査定終えた後の売買とそれに伴う金銭面の運用など、このままでは全て終わるのは年を越す。


 仕方がないとはいえ、アランとしてはレーヴェ州冒険者ギルド全体の誠意を見せて寛大さに報いたいとこなのだ。


 けれども一刻も早く依頼された仕事を終わらせる以外で特に何かやれることも今はない。


 派遣されてる王都の副ギルドマスターらに訊ねてみても力なく首を横に振られた。


 どうしたものか。と、小休止しつつも思い悩むアランであったが、職員の一人が一通の手紙を持って入室してきたので思考を切り替える。


「どうしたのだその手紙は」


「はっ。つい今、節令使府から持ち込まれたものでして。確認したら節令使様直筆の署名と印があるものでした」


「ふむ?節令使府との合同で今日片付ける案件は終えてる筈なのだが……」


 訝しみつつも手紙を受け取ったアランはすぐさま開いて文面に目を通す。


「……なるほど。まぁささやかながらも、今できる恩返しにはなるか」


 しばし目を通した後、アランは納得したようにそう呟きつつ、本日ようやく口端に笑みを浮かべられたのだった。

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