第142話去った後の評判(前編)

side:死を免れた罪人達



 高い天井から僅かに差し込む光以外は光源のないうす暗い部屋。


 日陰多き場所の筈だが、風通しの悪さと迫りくる夏の暑さの前ではあまり快適な場とは言えず、籠った熱が部屋の住民らを容赦なく襲っている。


 部屋の片隅に置かれた大壺の中には飲み水があるのだが、暑さと渇きで既に底が見える程に減っていた。


 ほぼお湯のように温く、泥と汚れで濁っているが贅沢は言えない。看守に頼めば注ぎなおしてくれるのなら猶更だ。


 普段なら罪人が泣こうが喚こうが無視するか怒鳴りつけるかする看守であるが、夏の時期の水の追加だけは例外であった。露骨に嫌そうな顔をして大きな舌打ちしつつも大壺に水を注ぎなおしてくれる。


 善意や配慮などではなく、死なれて死体処理や書類手続きなどするよりもマシというだけではあるが、獄中生活してる罪人らにとっては理由などどうでもよかった。


 住民の一人がひび割れた皿に濁った水を満たしてすぐさま飲み干す。


 不味そうな顔をしつつも渇きを満たした安堵感の吐息を一つ吐いて天井を見上げる。


「今年含めてあと五回も此処で夏を過ごすのか……」


 悲し気な呟きを耳にした他の男達も一様に溜息を洩らした。


 男達はつい半月程前までワルダク侯爵一家の護衛を務めており、主人の権勢を盾にして胸を逸らして歩き回っていた。


 雇い主としては一家揃って最低であったが、侯爵で尚且つレーヴェ州を中心に反社会勢力の元締めの一人として強大な身分であるが故に、我慢すればおこぼれもそれなりに美味いものがあった。


 今回も王都とはまた違った豊かさと華やかさを誇る商都でイイ思いが出来るのを期待して遠路遥々やってきたのだ。実際来た当初は侯爵や嫡男に同調して自分らなりに楽しめていたのだ。


 急転したのはある貴族と揉めてからだった。


 リュガ・フォン・レーワン伯爵という男。ヴァイト州という辺境のド田舎を治める節令使をしてる若者。


 下っ端も下っ端な奴が喫茶店でつまらない喧嘩を起こした事が最初の切っ掛けだったという。


 それだけならまだしも、左程間を置かずに嫡男アクダイカが白昼堂々喧嘩を売って返り討ちに合い、挙句に捕縛された事が破滅の開始であった。


 二日後に侯爵一家お気に入り扱いで偉そうにしてたAランク冒険者達が殺害及び捕縛。


 翌日には金と権力駆使して解放した息子と共に腕っぷし強い連中引き連れて伯爵の滞在する宿を襲い撃退される。


 そして騒ぎを座視出来なくなった節令使府から拘束ないし追討の命令が出されて追われる羽目に。


 更に翌日には王都に逃げ帰らず、現地で掻き集めた連中を使って伯爵とレーヴェ州節令使府への報復を試みるもあっという間に壊滅。


 主人である侯爵は捕縛され、侯爵夫人はその場で殺され、しかも嫡男も自分らが連行された後に斬首に処されたに至り、男達は破滅を実感し暗澹たる気分に全身漬かりきった。


 どうやらワルダク侯爵は取り調べが終わり次第王都へ連行され、戻ったらすぐさま処刑される見通しらしい。侯爵家も潰す予定だと取り調べ担当の役人に告げられた。


 一家揃って死ぬ羽目になるのだから自分らも死罪になってもおかしくなかった。


 男達が顔色悪くなるのも無理からぬ事。そのつもりはなかったのにいつの間にか国への反逆者認定されてしまってるのだから。明日は我が身かと怯えてしまう。


 だがこうして今は厚い壁に覆われた半地下の牢屋に押し込められている。


 本来ならば即刻磔の刑となるとこであるが罪一等減じられた。


 降伏して侯爵拘束の補助をした件と、その後の取り調べにおいて侯爵が叛意ありで動いていた事への証言をする件と、そして連行される際にレーワン伯爵側から配慮せよとの口添えがあった件も加味された結果だった。


 懲役五年。その後はレーヴェ州から永久追放。


 これが彼らに課せられた罰であった。


 今でも思う所がないわけではなかったが、そのような不平不満は僅かなものである。


 そのような思いが生じる都度、同時に浮かぶのは紅い目をした漆黒の異形の姿。


 冷たく自分たちを見下すその恐ろしき姿が、それが起こした信じ難い力が、多くの命に対して、酷薄というには乾いた無関心さが、それらが思いを萎えさせている。


 あの凄惨な光景は当面忘れそうになかった。今でも時折悪夢に出てきては跳ね起きる者も居る。


 あの時あの場で虫けらの如く無残に殺されるよりはマシだ。


 男達は自らにそう言い聞かせて現状を受け入れ耐えていた。


 今の自分らを顧みた男達がその流れで思い出すのは入牢初日に互いに交わした会話。


 造りはしっかりしてるが暗く不衛生な牢の壁を見つつ溜息混じりに話した。


「牢屋出てレーヴェ追い出されたらどうする?」


「王都に帰ったところで侯爵の関係者だったのバレたら何されるか分からんからな。なにせ反逆者の一味扱いだ」


「かといって国外出る元気が牢出た後の俺らに残ってることやら」


「……どこ行くにしてもだ、ヴァイトにだけは行きたくねぇな」


「…………そうだな。アイツラがいるとこなんざ御免だな」


 異口同音にそう結論付けた男達。


 黒い化け物とそれと同格と思わしき白い衣を纏った奴。そしてそんなのを平然と従えてる伯爵。


 もうあんなヤバイ奴らなんかに関わりたくないものだ。


 そんな奴らが住まう場所なんてろくでもない所だろう。辺境のド田舎というのを含まなくてもだ。


 考える時間だけはあるのだから、ちゃんと考えて決めていくべきだろう。


 これからの事を考えて生きていられるだけマシだと己を慰めながら、男達は今日も暑さに苦しみながら何もない一日を過ごすのであった。





side:街の人々



 相変わらず兵士や自警団が厳しい顔して小走りに歩く姿が目立つものの、商都の露店通りはいつもの日常へほぼ戻ったような賑わいを見せていた。


 様々な品々が並び、稼ごうと声を張り上げ身振り手振りで客を引き寄せようとする商人、それを冷やかしたり購入したりする通行人らが肩がぶつからないように注意しつつ歩く。


 芸人らが広場や道の隅で芸を披露して、その前を配送業者が馬やロバに曳かせた荷車と共に通り過ぎていく。


 珍しい髪の色や肌の色をした異国人や、風変わりな恰好をしたエルフなどの他種族らが屋台で買った食べ物を美味そうに食しつつあちらこちらを見て回る。


 商都と呼ばれるこの地ではそんなもの当たり前の光景だが、先日の騒ぎもあって平穏というもののありがたさを噛みしめてるようにも見えた。


 この辺りの区画の責任者、現代地球風な言い方をすると町内会長のような役目を担う老商人ウトサは、数名の護衛をお供にして、見慣れた賑わいをしみじみした表情で見て回っていた。


「ウトサの旦那じゃねぇですか。見回りですかい?」


「うむ。ここ数日部屋に籠ってばかりだったんでな、少し気晴らしに歩こうと」


 顔見知りの露天商の一人に声をかけられたウトサは苦笑を浮かべつつそう語る。


 疲れを滲ませた笑いを見た露天商は察したような顔をして眉を顰める。


「あー、それもしやあれですかい、例の侯爵野郎の件の」


「うむ。嘆かわしい話だが、この区画に住まう者の何名かが疑いありで節令使府に連れていかれたのでな。昨日まで役人らと確認作業しておった」


「そりゃ本当ですか。向こうの通りに住む連中もそんな話してたもんですけど、ウチもですかい」


「まぁ大勢住んでればどうしてもな。商都の住民全員が正しき心持つ清らかなる者ではないのは分かってるつもりだが」


 苦笑を消して疲労を更に滲ませつつウトサは指先で眉間を揉み解す。


「当面はまだ此処に似つかわしくないような事も起こるだろうし、お前も気を付けるのだぞ」


「へぇわかりました。それにしても折角レーワン伯爵様が助けてくれたってぇのに陰気な話だ」


「まったくだな。しかもあの方々がおらなければ今より酷かっただろうと考えたら気が滅入りそうだ」


 露天商の嘆きにウトサは同意の頷きを返した。


 ウトサ達が思い出すのは二つの光景。


 一つは自分らや街を悪漢共から救ってくれた、奇妙な乗り物に乗った薄汚れた白い衣を纏った黒い髪の少女の颯爽たる姿。


 一つはそんな彼女の主であり、他所の州の節令使にも関わらず、すぐさま食料などを配るなどして自分達への配慮を見せてくれた若き伯爵の物腰穏やかな様相。


 聞くところによれば、そもそも冒険者ギルドとフォクス・ルナール商会の招きに応じて遠路遥々やってきたという。


 いわば旅行のようなものである。自分らの安全を優先して宿に立て籠もる選択をしてもおかしくはない。現地の揉め事で己の楽しみを潰す者もそう居ない筈だった。


 ところが彼らは内外の賊を一掃して荒らされて困った人々に救いの一助を施したのだ。


 マルシャン侯爵やその側近の貴族達がこの地の者を尊重して節度ある振る舞いをしているとはいえ、貴族というものに幾分か偏見を持ってた住人達からしたら驚きであった。


 ワルダク侯爵のしでかしもあってその驚きは猶更だ。


「貴族にも義理人情ある方が居るもんですな」


「或いはレーワン伯爵というお方が稀であるかもな。それはそれであの方が如何に素晴らしいと思えるがのう」


 ウトサらはリュガに対してそのような事を言いつつ、もう既に懐かしそうに思いを馳せる。


 礼を言いに宿へ訪問したが、これで恩を返せてるとは到底思えない。


 いつかまた彼らが来た際は住民達、少なくとも助けて貰った区画とその責任者である自分は恩返し出来る程のもてなしが何か出来ればよいのだが。


 もしくはヴァイトという地に商いという形で礼をするのもよいかもしれない。


 いずれにせよ何か出来る機会が早くくればよいのだがどうなることか。


 そんな日が来ることを祈りつつ、ウトサは話し込んでた相手と別れて再び見回りへと戻るのであった。





side:地元の冒険者達



 レーヴェ州冒険者ギルド所属のSランクパーティー「メタルスヘルト」一行はSランク特別待機室内にて疲れた顔を見合わせていた。


 構成人数は五人。いずれも実力実績共に手堅いものがある歴戦の男達なのだが、ここしばらくの騒ぎは魔物退治とは別の疲労感が圧し掛かって辟易するものがあった。


「まだ魔物や賊討伐に身体動かしてる方がマシだな。早く終わってくれんもんか」


 リーダーであるレッツが剛勇で鳴らしてる彼にしては珍しく弱気な呟きをするが、他のメンバーも同調するように無言で頷きあった。


 彼らが先程まで携わってたのはいわばギルド内の内部粛清。


 捕縛や尋問立ち合い、更には抵抗して逃げようとした者の始末などに携わっていたのだ。


 それだけならまだしも、形式的と承知しつつも仕事前にギルドマスター直々に事情聴取を受ける羽目にもなった。


 仕方がないとはいえ痛くもない腹探られて愉快な気分ではいられない。


 せめてもの慰めは上は他のSランク達含めて高ランク冒険者は例外なく聴取受けてる事。今現在はA以下が同じように職員らから問い質されてる頃合い。


 これもワルダク侯爵の集めた手下どもの中にギルド所属Aランク冒険者が居たのが原因だ。


 最近羽振りと態度がデカかったAランクパーティーのイディオ・レクレスや、B+ランクの魔物を従える程の才能があったがそれを鼻にかけてた為に浮き気味だったAランクテイマーなど、高ランクが幾人も関わってたともなればギルドとしても無視出来ない。


 元凶である侯爵はどうやら命も家も消える予定らしいが、現状放置してればいずれ第二第三のよからぬ輩が同じ事をやるに違いない。


 そんな懸念を抱いたギルドはこれを機に不正や大小に関わらず目についた犯罪を潰す決意をした。


 しかしレーワン伯爵の依頼継続中に並行して行ってるので完了の目途は未だ立たない。


 メタルスヘルト一行含むSランク達は当面緊急クエスト扱いとして半ば強制的に留め置かれてる。


 ギルド内にて冒険者達に対して睨みを利かせる為、いつでも動けるように一仕事終えてもこうして待機室で休憩をとるしかない。


 いつもなら仕事を終えれば行きつけの酒場や娼館、家庭持ちなら自宅へさっさと戻ってるのだから、彼らとしてはウンザリしてしまうのも無理からぬ事だった。


「あー、そういえばイディオ・レクレスの生き残りの弓使い、アイツ今朝方処刑されたってよ。国への反逆罪適用されて」


 泥酔するわけにもいかないので、水と絞った果実でかなり薄めた酒を飲みつつメンバーの一人がそう口にした。


「本当か?」


「らしい。此処に戻る前に職員達がそんな話してるの聞いたんだ」


「ギルドからこれで十人目か。侯爵との関わりあった所為で国への反逆者扱いで死刑になったのは」


 仲間の語りにレッツは深い溜息を吐いた。


 普通なら牢に数年叩き込まれるか、ギルドから除籍されて州都追放されるか済むような罪も、ワルダク侯爵が反乱起こした事で反逆行為と見なされて罪が加算されてしまってる。


 大事ではあるが、冒険者どころか職員の中にも関わり合った者が居るのもあって、連日のように容赦なく処断されていく様子は尋常でない。


 レッツ達が把握してるだけでも、節令使府、ギルド、商人や町人など含めて百名近くが既に処刑され、その何倍もの数が牢屋に叩き込まれて取り調べを受けている。


 節令使やギルドマスターの普段からはあまり想像出来ない苛烈さに、下々の者達は首を竦めあうのだった。


「国への反乱が商都で起こるなんて前代未聞だからなぁ。そりゃお偉いさんらも血相変えるか」


「それもあるがレーワン伯爵の事もあるだろう。どうもワルダク侯爵と繋がりあった役人共が先走って節令使府内で襲撃未遂やらかしたらしいしな」


「他所の節令使、しかも古くからある伯爵家の当主がそんな目に合えば面子潰れるもんだから必死にもなると。まったく馬鹿な真似をしたもんだ」


 現在の職場環境の原因に対して口々に罵りつつ、彼らは先日まで滞在してたヴァイト州節令使一行の事を思い出してた。


 勿論レーワン伯爵の貴族の余裕と優雅さを称えた態度もだが、それ以上に彼らにとって印象深く思い浮かぶのは彼の左右に居た同業者二人の事である。


 彼らは双頭竜解体に使われた作業場の護衛の一員に加わってた。


 Sランクである自分らでも中々お目にかからない竜種。自分達でも勝算は五分に持ち込めるか怪しいと伝え聞く恐ろしき相手。


 そしてそれを討伐してここまでやってきた奇妙な恰好をした二人の少女。


 Aランクに成りたてというが、十代半ばでしかも登録して二、三年でそこまで登ってきただけでも才気あふれる逸材だろうに、彼女らはとんでもない事をやってのけたのだ。


 僅か一時間程で二〇〇〇の武装集団をほぼ皆殺しにした上で首謀者を捕まえて。


 同時に街で暴れた賊らを瞬く間に退治して、造作もなく海賊船を一隻轟沈させてのける。


 同じことが出来るかと問われたらレッツらは即座に否と答えるだろう。他のSランクらも虚勢張る者でない限り全員同じように否と答えるだろう。


 彼女らはそれほどまでに驚嘆に値するのだ。


 王都での評判は噂ぐらいで聞いていたが、誇張の無い話だったのだと実感した。あれならば竜とだって自分らより余裕で戦える筈だ。


 あれでSにすぐさまなってないのが不思議なぐらいだ。ギルドの昇格記録更新されても驚きはしない。


 同業者としては頼もしさと共に恐ろしさも感じる。同じギルド所属でない事に僅かな安堵もあった。


 様々な意味で異色であろう二人の前では自分らがどれだけ頑張っても霞んでしまう。と、直感が告げているのだ。


「あの娘らなるかねSランク」


「表向きはこの地の節令使様の手柄になるそうだからどうだろうな。まぁ成ってもおかしくはないが」


「ヴァイトってとこだと初になるなそしたら。まぁあの辺境で今後も頑張って欲しいもんだね」


 そんな考えもあってか、仲間達の素直過ぎる発言にレッツは微苦笑浮かべつつ無言で頷く。


 末恐ろしき新人とその主に思い馳せつつ、彼らは次のお呼びがかかるまでの休息時間を過ごすのであった。

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