第132話商都の少しだけ長い一日 その6

 避けようのない死の臭いが漂う最中、この期に及んで状況を理解出来ずにいつもの言動が通じると思い込んでるのが愚者の特徴の一つかもしれない。


 最大限好意的解釈をするならばそれほどまでに己と己の保有する力に対して自信が溢れてるのだろう。


 無論のことだがこの場においてまったく無意味なものではあるのだが。


「ば、化け物め!!これ以上ワルダク侯爵家に対して害を働き無礼を行うならば容赦せぬぞ!!」


 ヒステリー気味な金切り声でクロエに怒鳴りつけたのはワルダク侯爵夫人であった。


 止める者は居ない。


 夫や息子は恐怖に囚われて失神寸前の精神状態で身内へ目を向ける余裕はなく、僅かに生き残ってる部下達は只管に地に頭をこすりつけて命乞いを続けていて聞いていない。


 クロエと一対一で対することになってるのだが、侯爵夫人は一時的に死への恐怖より屈辱に対しの怒りが勝ってるようだった。


 或いは血生臭い現実を突きつけられても尚、元聖女という、この世界ではそれなりに一目置かれる立場への驕りが絶望的な実力差を認識させないでいたのかもしれない。


 侯爵夫人のヒス気味な叫びにクロエは歩みを止めて視線を地面にへたり込んでしまってる中年女性へ向けた。


 無言で見ているだけの反応を侯爵夫人は自分に都合よく解釈した。


 この化け物女はようやく自分の凄さに恐れをなしてきたのだと。


 生まれてから今までの間、ずっと奉仕されてきた側だった侯爵夫人にとっては自分の言動一つで全てが思うが儘であるのは当然の事だった。


 時にそうならない時もあったのだが、それは夫であったり国王や宰相であったりと、自分の価値観の中では仕方がないから譲歩しようと寛大な心で折り合いをつけてるつもりであった。


 僅かな例外を除けばどんな相手だろうと侯爵夫人で原理派から任命された元聖女という選ばれし者である自分に従うのが彼女の常識。


 こういう愚かしい思考の持ち主故に、侯爵夫人は今の状況や直前まで抱いてた恐怖も忘れて傲慢そのものな表情を浮かべて口を動かしだす。


「ようやく身の程を弁え始めたようね!アタクシは侯爵夫人でアラスト教原理派から聖女として認められた事もある偉大な存在なのよ!!アタクシの裁きを受けるのが怖いのならば今すぐ這い蹲って許しを請いなさいな!!ほらどうした下賤な化け物は礼儀も知らないのかしら!?」


 腰を抜かしてる状態でベラベラと勝手な事を喋りだした侯爵夫人を、クロエは最初黙って見てるだけであったが、しばしの後小さな溜息をこれ見よがしに吐いてみせた。


 都合の良い考えをして喋ってた侯爵夫人は思いもしない反応に鼻白んだが、クロエは無視して口を開いた。


「やってみろよ」


「えっ?」


「そんなに凄い力っていうならアタシに喰らわせてみろってんだよ」


 侯爵夫人に近寄る為に大股に一歩踏み出す。


 レッグトリガーの軋む音が響いて周囲の男どもが恐れに身体を揺らした。


「どうした?はやくやってみろよ糞婆」


「あっ、あぁあ?……あ、アタクシを誰だと思って……」


「御託はいいんだよ。ほら先手打たせてやるんだからさっさとやれよ。早くしてくれ。いいからやれや」


 斬り捨てるという表現が相応しい、相手の言い分を封殺するような威圧感滲ませた言葉を受けて侯爵夫人は瞬間的に加速させてた口を閉じられた。


 一歩また一歩と近づいていき、ついにあと数歩程、mにして三、四mという至近にまで達した。


 眼前に迫る恐怖に侯爵夫人の焼き切れかけた理性がついに切れた。


「そんなに言うなら喰らうがよいわ不敬且つ不逞な輩め!!」


 そう怒鳴った侯爵夫人は手を合わせて長々と呪文の詠唱を始めだした。


 素人目から見ても隙だらけなのだが、クロエは前進を止めて無防備晒して相手の攻撃を待ち受ける。


 詠唱は軽く一分半はかかり、ようやく終えた頃に侯爵夫人の合わせた手にはサッカーボールぐらいの大きさの光球が姿を見せていた。


「こ、この光の玉にはアタクシの魔力の殆どを注ぎ込んだわ!大きさはそんなにないがコレを喰らえばお前なんぞ跡形もなく滅してやれるわ!!この聖なる力こそが―」


「だからさぁさっきも言ったが御託はいいから早くやれよ。馬鹿じゃねぇのお前」


「死ねぇ!!!」


 長口上を直球な罵声で遮られたことに激した侯爵夫人は光球をクロエに向けて投げつけた。


 投げつけた瞬間、光の玉は弾けて閃光と爆発が炸裂した。


 爆風によって生じた砂埃にむせ返りつつも侯爵夫人は勝利を確信した。


 晴れた後には愚か者の焦げた死体が倒れてるだろう。相応の報いをくれてやった筈だ。


 だが起き上がれるようになったら忌々しい化け物女の死体にトドメの一撃、正義の鉄槌を下しでもしないと気が済まない。


 見届けた後は夫や息子を叱咤激励して剣の一本でも持ってこさせよう。


 強く賢い妻であり母を尊敬し直して功労者を労わるワルダク侯爵やアクダイカの姿を想像して侯爵夫人は心の余裕を取り戻しかけた。


 だが一方的な勝利宣言とその余韻は長くはなかった。


 爆風が晴れた後に眼前に居たのは死体ではない。


 それどころか攻撃を受ける直前の直立不動のままである無傷なクロエの姿がそこにあった。


「気は済んだか?」


 感情の籠らない冷たい声に侯爵夫人は血の気が引いた。


 魔力と激情をぶつけきった所為か冷静さが戻ってきたもののそれは幸福ではなかった。


 あのままヒステリーを持続させ続けて何が起きたか把握出来ずに死ねればマシであったかもしれない。


 自分が置かれた現状を改めて悟ってしまった侯爵夫人の心は折れた。夫や息子のように全身を震わせながら号泣しながら身悶えだす。


「ひぃ、ひぃぃ、ひぁ、いや、た、助けて!か、神よ、偉大なアタクシをたすけ」


「苦情ならあの世とやらのどこぞの神様にでも言ってろ」


 相手の最後に見せる醜態に対してクロエは一言そう言って距離を詰めた。


 三歩目。ほぼ目前まで近づいたクロエは左足を振る。


 それはさながら近場の子供が狙い外したが故に転がってきたボールを軽く蹴って返してやるかのような小振りなものだった。


 しかし軽い蹴りを胸部に直撃された侯爵夫人は短い断末魔を上げて吹き飛ばされた。


 当たった瞬間に絶命したのか、叫び声一つ上がることなく侯爵夫人だった死体は遥か先へと飛んで行った。


 一時間後、城壁警備の為に巡回してた兵士らが城壁の一角に出来上がってた醜怪なモノを発見することとなる。


 四散した血と肉片。


 それが叩きつけられてる箇所にはどんな武器を使ったのかヒビ割れが生じていた。


 辛うじて原型を留めてたのでそれが人間であることはすぐ分かったものの、何がどうしてそうなってるのか発見した兵士らは困惑に顔を見合わせる。


 ソレがワルダク侯爵夫人であると判明したのは翌日。


 身に着けてた元は上質だったろう絹の服の残骸と奇跡的に身体に残ってた装飾品、それとレーワン伯爵一行の証言によってである。


 だがそれは後の話。


 すぐ傍にて妻が無慈悲に葬られた光景を目にしたワルダク侯爵は声にならない悲鳴を上げた。


 息子のアクダイカは現実逃避を始めだしたのか隣で「へひ、ベピィィ、ピェアァァ……!」と喚きながらあらぬ方向を見て藻掻いている。


 蹴り飛ばした侯爵夫人を見届けることもなく、クロエは侯爵親子の方へ向き直った。


「さて仕上げといくか」


「まままま、ま、まて!!」


 その言葉を聞いたワルダク侯爵は死が確定したと思ったのか涙と鼻水で顔面濡らしながら甲高い声を張り上げた。


「お、お前の実力は分かったぞ!よ、よ、よし、お、お前を雇ってやる!!僕様に仕えさせてやってもいいぞ!?」


「……」


 ワルダク侯爵の発言にクロエは呆れたように小首を傾げるが、侯爵はそれに気づきもせずに自分的には会心であり有益であり寛大な提案を喋りだす。


「ぼ、僕様は寛大な男だからな妻の事は許してやらんでもない。誠心誠意生涯の忠誠を尽くして惜しみなく働くと誓うのならここまでの無礼は全て不問にしてやる!!こんな事をして許されるわけがないのだからありがたい話だろう!!」


「……」


「そ、それに。あ、あ、あんな何も無さそうな貧相な伯爵なんぞより厚く遇してやってもいいのだぞ!?幾ら金が欲しい?金貨五枚か?十枚か?お前みたいな身分卑しき奴が生涯手にできない額を出してやらんこともないぞ!!?」


「……」


「心がけ次第では僕様達のおこぼれも恵んでやるぞ。卑しき庶民どもから色々巻きあげていけば機会なぞ幾らでもあるし、選ばれし侯爵家に奉仕出来て僕様達の傍に居られる栄誉を手にすることも出来るぞ!!悪くない話だろう!?」


「……」


「お前みたいな化け物なんぞどうせどこにも居場所なぞなかろうよ!!それを恵んでやらんでもないのだから分かったなら今までの非礼を詫びて僕様と可愛い息子を助けろ!!そしてあの小賢しい伯爵の若造を殺してこい!!なにしてる早くせんか!」


 先程死んだ妻と同じで物事を自分の都合の良い方へ解釈してるのか、クロエが沈黙してるのをいいことに口を回転させていくと共に侯爵は気分が高揚しだしたのかいつものような調子で語りだしていた。


 相手のあまりにも屑貴族のテンプレみたいな発言にクロエは答えることなく歩を進めて侯爵親子の前まで来た。


 そして未だに罵声と調子のよい言葉を交えて吠えている侯爵を黙らす為に片足を踏みつけて潰した。


 強くもない普通に歩くような軽やかさで踏みつけられたからか、最初ワルダク侯爵は自身に何が起きたのか把握し損ねた。


 しかし、自分の片足の足首から先が潰れているのを目にした瞬間に痛覚が一気に押し寄せてくると、口から漏れ出すのが喋りから叫びへと変わった。


「あぁぁぁぁぁ!!?ぼ、僕様の足ぃぃぃぃぃ!!」


「悪いな。アタシ異世界語よく分からないんだわ。あれだろ?足を砕いてくださいって言ってたんだろ?」


 痛みに叫びだしてる相手に心にもない事を告げながらクロエは侯爵親子を見下ろす。


 片や痛みで片や恐怖で問いかけに答えられず。だが返事など微塵も期待してないのでクロエは一瞥した後に顔を上げた。


「おいそこのお前ら」


 声をかけたのは離れた所にてひたすら命乞いをし続けた男達にである。


 漆黒の異形の前に震え上がってた男らは声をかけられた事に最悪な想像をしたのか幾度も地面に頭を叩きつけながら命乞いに拍車をかけた。


 だがそれもクロエの次の言葉によって中断する。


「選ばせてやるよ。この場で死ぬか、大人しく従った後に裁判受けて生存に一縷の望み託すか」


「……!?」


 男達は信じられぬような表情を張り付かせて顔を上げた。


「お前らのやった事はまぁ死罪の可能性高いだろうよ。だが今回の主犯はここに転がってる糞侯爵であってお前らは従っただけというなら、或いは生き延びれるかもしれないだろ?」


「…………た、助けてくださるのですか?殺さないでくれるのですか?」


「裁判はここの奴らがやるから知らねぇよ。だがアタシの言う事聞くならこの場は生かしてやる」


 どうする?と、クロエはどちらでもよさそうな、どうでもいい風に問いかける。


 男達はしばしの間表情を強張らせて顔を見合わせてたが、やがて迷いを捨てたのか頷きあいつつ、今度は服従の意を示すために頭を下げた。


「従います。従いますから殺さないでください……」


「まぁいいだろう。じゃあまずアタシの前で喚いてる馬鹿親子を縛り付けろ。逃げるような度胸無さそうだが一応な」


「わ、わかりました!」


 生き残った男達は弾かれたように立ち上がり、必死そのものな様相で十数秒まで主だった侯爵と嫡男をその辺に転がる死体から服を剝ぎ取ってそれを紐代わりにして縛り上げる。


「痛ぁぁぁい!うわぁぁ、や、やめろお前ら!!主君に逆らうとは何事だ!?痛っ、ぼ、僕様達を助けろぉぉぉぉ!!痛い、やめろ、いたい!!」


「は、はなせぇぇぇ!!どうして、どうしてこんな酷い事するんんだよぉぉぉ!!?ペェェぃ!ひゃぁぁぁぁああ!俺様達が何したてんだぁぁぁ!」


 侯爵親子が声を張り上げるも、痛みや恐怖でマトモに動くことも出来ない上に生き延びることに必死な男達に力づくで抑えつけられるので拘束はすぐさま終わった。


 男達も愚か者の一員ではあるが侯爵達よりは馬鹿ではない。今更ながら自分らの置かれた立場を理解するぐらいの理性は残ってた。


 クロエの言う通り自分らの仕出かした事は大それた事であり、裁判で死罪を下される可能性は高い。仮に罪一等減じられても半永久的に牢屋入りか犯罪奴隷行きかもしれないだろう。


 それでも、生存本能がまだ死にたくないと訴えかけるのならば、一日でも長く生きたいのならば、他の者のような惨死の末路を辿るぐらいならば。


 男達が目先の生存を躊躇いなく選択するのは当然の帰結であった。


「終わりました。次はどのように」


「じゃあアレ」


 硬い表情で跪いいてる男達にクロエは顎で指し示したのは、頑丈そうな木箱を幾つも積んだ荷車。


 馬は巻き添えくらって死んでるか、騒ぎの合間に綱が解かれたのか既に逃げてしまい引手は誰も居なかった。


「あそこに社会のゴミ親子入れたら戻るぞ。少し時間くれてやるから馬探してこい。無いならお前らであれを曳いてついてこい」


「は、はっ!直ちに行います!」


「言うまでもないが逃げられると思うなよ?アタシは目も耳もイイからな。おまけにコイツも居るし」


 排気音を立てながら姿を見せたサイドカーに男達は再び青ざめた。目の前の鉄の乗り物が逃げ出そうとした奴らを遠くからでも殺す様を見ていたからだ。


「早くしろ。馬早く見つけるの無理なら全員で曳くっていう決断も込みでな」


「は、ひぃ、はい!も、勿論でございます!!」


 異口同音にそう叫んだ男らは喚く侯爵親子を荷車に放り捨てた後にすぐさま馬を探しに周囲を探索し出した。


「……どこにも居場所がないだって?」


 慌てふためく男達を無関心そうに見つつクロエは鼻を鳴らす。


「そんなもん無ければおっ建てりゃいいだけの話だろ」


 フルフェイスの仮面の内側でクロエは笑う。


 いつものような気怠く投げやりで他者を小馬鹿にしたような嗤いではなく、決意を固めきってる者が浮かべる静かな微笑みを。


「だから、アタシと真白は此処に居るんだよ」


 呟きは仮面の外に漏れることなく静かに消えていった。

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