第45話ステイホームな休暇を前に

 収穫された魚介類を一旦置く陸揚げ場だが、ここ最近はクラーケンのお陰で大漁とはいかずスペースの隅に魚を詰め込んだ樽が幾つか重なってる程度であった。


 それでもまだ貯蓄分や当日の収穫分でギリギリ町の消費量を賄う事が出来てはいるので漁港特有の生臭さが嗅覚を刺激してくる。


 臭いにやや顔を顰めつつ足を踏み入れると陸揚げ場に居た人らが一斉にこちらを向いた。


 漁師や運搬を担ってるらしき労働者らが最初は怪訝そうな顔をしていたが、同行していたギルド職員から事情を聴かされるや驚きつつも慌ただしく場所空けを始め出した。


 置いてる物も多くはないのであっという間にスペースが出来上がる。俺らは礼を言いつつそこへ歩を進めた。


 しばし何をするわけでもなく待っていると駆け足気味の足音が複数聞こえてきた。


 身体を少し後ろに捻って見ると、ヴァイゼさんが部下や職員を引き連れて駆け寄ってくる姿がそこにはあった。


 暑さと邸宅からここまで走ってきたからか全身大汗掻きながらヴァイゼさんは俺の前まできて呼吸を整えると、疲れと驚きのあまりやや喘ぎつつ口を開いた。


「れ、レーワン伯。報告を聞いて駆け付けたのですが、もう仕事を済まされたというのは誠でございますか!?」


「信じられないことに済ませて今ここに居る次第ですよ男爵殿」


 肩を竦めてみせた俺は相手の息が整うのを待って改めて挨拶を交わす。


 恐らく今日は発見出来ずに戻ってくる可能性もあったのが即日かつ日も高いときに済ませてきたのだから慌てて駆け付けてきただろうし、その点少し申し訳なくは思ってる。


 手短に挨拶を済ませた後はすぐさま本題に取り掛かる事に。


 とは言うものの確認ぐらいのものだしそれも念のためという程度。と、個人の感覚でならそうなるけど政治的にも治安的にも確認疎かにするわけにもいかないわけで。


 俺に促されてクロエが自分のバイクから小さな歪みを生み出しそこに手を突っ込む。


 細い糸でも引っ張るぐらいの感覚で腕を軽く上げると、そこから人間の胴体ぐらいの太さはある触手が姿を見せる。


 一枚の羽根でも扱うかのような軽やかさで引っ張り出されたクラーケンが小さな地響きをあげて床に落ちてきた。その巨体と異様さに俺とマシロとクロエ以外の面々が軽くざわつく。


「こ、これはまさに伝え聞くとおりのクラーケンですな……」


「ブラオ男爵は目にした機会あるので?」


「書物や話では幾度も。直に目にしたのは幼少の頃商都の方で解体作業中のものを見学したぐらいではありますがね。ここまでの物は流石に初めてですな」


「なるほど」


 海の男なヴァイゼさんですらそういうぐらいなのに、海と縁のなかった俺が死体どころか直ではないしほんの僅かな時間とはいえ身近に生きた気配感じる羽目になるのやっぱりおかしいよなぁ。間違ってるよなぁなんか。


 根に持ちすぎなのを自覚しつつもそんな感想を抱いてしまってやや不機嫌の波が上りつつも、俺はヴァイゼさんの傍にいるギルド職員らにも確認とるように指示を出した。


 実物を目にして呆然としてた職員らが慌てて持ってきていた数十ページぐらいの薄めの本を片手にクラーケンの周囲を見て回る。


 あれはクラーケンに関する資料を纏めたやつらしいけど慌ただしく駆け付けた割には準備の良いことで。


 皮肉っぽい考えが浮かびはしたが特に言うべき事もないので黙って確認作業を見守ることに。


 触手部分に触れてはページをめぐり、胴体をまじまじと見てはまためぐりと慎重に確認しながらなので思ったより時間掛かったが、間違いなしと判断したのか職員らがクラーケンの傍を離れた。


「確認がとれました。資料にあるとおりのクラーケンで相違ないかと」


「うむ。ギルドの者がそう仰ってるがブラオ男爵もそれでよろしいですかな?」


「えぇ。私からも特に異存はありませぬ」


「お墨付きを頂けたのなら私共もこれをもって確認を完了とします」


 汗を滲ませつつ断言して頷く職員らに俺は儀礼的に頷き返した。分かってたことを改めて分かったことと言われた所で何も言いようがないしな。


 やりとりを聞いていたクロエが特にお伺いも立てずにすぐさまクラーケンを仕舞い込む。アイテムボックス共通の事象とはいえ、物珍しいからかあれだけの巨体が瞬時に飲み込まれて消えていく光景に周囲は驚きを隠せなかった。


「それで節令使様これからの事ではありますが」


「逸る気持ちは理解できるが全ては帰還してからだ。続報として今の報告をローザ男爵夫妻にしてくれたまえ」


 期待を込めたような顔をしてくる職員らに俺は冷然と断じた。


 解体や査定に関しては出立前に話はつけてある。ヒュプシュさんが解体職人引き連れてこっちに来てやれんこともないけど時間をとられかねないからちょっと嫌だ。


 なにせランク的にもサイズ的にも大物解体は慎重な作業。皮の一枚も無駄に出来ない慎重さ故に時間がかかるの目に見えてる。


 おまけにそこから買取査定まで始まったら俺の滞在予定日数大幅超過待ったなしだぞ。俺的には急ぎでもないから流石に休暇終えてからにして欲しい。


 これが普通の冒険者なら職員らも「そこをなんとか」と粘り強く交渉してくるだろうが、節令使というお偉いさんつまり俺が立ちはだかるとなれば黙り込むしかない。


 幾らどこ行っても盛況を誇る冒険者業界とはいえ官に不興を買ってまでの度胸と押しの強さはないのだ。


 かくして当地でやれることをやった俺はひとまず終わり扱いとするのであった。


 露骨に未練がましく俺とマシロとクロエをチラ見しながら立ち去っていく職員らの無念そうな後ろ姿を見送りつつ俺は隣に立つヴァイゼさんに声をかけた。


「……まぁそんなわけでまずは大きな仕事終えたわけですが」


「……流石レーワン伯。お付きの方含めて行動力の塊ですな」


 難題と目されてた案件があっという間に終わった事にまだ実感が湧かないからかヴァイゼさんはようやくそれだけを口にした。


 気持ちは分かるのでそれ以上は言わず話題を転じる。


「それで予定なら今日の夕方近くにお訊ねするつもりだった私の泊まるとこなんですが」


「あぁ、そうでしたな。昨日お会いしてから調べてみましたよ」


 立ち話もなんだということで、俺らは陸揚げ場から関係者の休憩スペースの方へ移動した。収穫物が積まれてない以外の差はないもののやや離れたとこにあるのもあって生臭さが軽減してるだけありがたい。


 木箱の一つに腰を下ろした俺は早速ヴァイゼさんから話を聞くことに。


 ヴァイゼさんが部下の一人に指示して数枚の紙を差し出させる。それを別の木箱に広げると大雑把に書かれた見取り図と文字が目に映る。


 そこに書かれていたのはすぐさま使用可能な空き家。元々富裕層向けもしくは遠出してきた旅人向けにしつらえてたものらしく、少し掃除すればその日から泊まれるらしい。


 別荘以下民宿以上みたいなものかと認識しつつ俺は広げられた物件情報を覗き込んだ。マシロとクロエも興味の色を浮かばせて俺の後ろから覗いてくる。


 部屋数多いやつ、家よりも広いのとこの辺りにしては凝った園芸されてる庭があるやつ、徒歩五分どころか一、二分圏内に様々な店が立ち並んでる利便性高いやつ、なんかとにかく贅の尽くした材質使ってたり家具備えてるのが売りなやつ。


 どれもセールスアピール高めだし普通なら喜ばれる系のやつだから良い意味で迷うことだろう。だけど俺の求めてるのとはなんか違うからイマイチ響かない。ていうか公費の浪費にしかならんわ俺が活用出来ないだろうから。


「あー、いや、そのですなレーワン伯。このようなとこでそもそも数も多くない上にそれなりに滞在先として需要があるのがそういう傾向になるものですから」


 俺のよろしくなさそうな表情に気づいたのか、ヴァイゼさんがいつもの快活さを潜めて申し訳なさそうに言い訳をしだした。


 言いたいことは分かる。統治してる俺が言うのもあれだが、現在のヴァイト州は正直噂を否定出来ぬぐらいのド田舎。そこの更に地方ともなれば候補になる物件が複数あるだけ奇跡であるのも理解してる。


 なんだけどそれはそれとしてもうちょいシンプルなやつはないもんかねぇ。どうせ閉じこもってダラダラするにせよここまで来たなら良い環境でダラけたいんだが。


 最悪どっかの宿でも借り上げてそこで過ごすかなと思いつつ何枚目かの紙をめくったときだった。


「おっ?」


 思わず声をあげた。


 その物件は3LDKの平屋建て。風呂トイレ別(正確には風呂のスペースに出来そうな小部屋あり)で庭付き。庭の広さも十二、三坪と今までの物件と比較したらまずまずな感じ。


 しかも見晴らしがいい。ある小山の一角に建てられたそこからは海が一望できるとか。歩いて一、二分で断崖絶壁に差し掛かる立地とか、どこかの有名な闇医者が住んでそうな感じも元日本人としては微妙に心惹かれる。


 元々はある交易商が一山当てた勢いでちょっとした別荘にと建てたものの、建築後しばらくして財が傾いてしまい手放してしまったのをヴァイゼさんが抵当として引き取って管理しているという。


 由来はともかくとして俺としては悪くないと思った。が、ヴァイゼさんがお勧め度低い理由は場所にある。


 港や町から徒歩一時間弱。馬走らせたとしてもそこそこかかる上に付近には七、八十人程か住んでる集落が一つある以外は何もない不便な所だという。


 娯楽どころか店が何もない、加えていざというときにすぐに駆け付けるにはやや難しい所に爵位持ちな節令使を滞在させるのは如何なものかと考えるのは地元有力者としては当然だろう。


 けれども何か月も居るとかでなくたかだが数日。しかも基本的に家から出ずに過ごすんだから寧ろこういうとこがイイんですよ俺は。


 数日分の食料や日用品運び込ませればいいし、何かこちらから火急の用向きあるならうちんとこの居候のバイク飛ばせばいいだけだしで俺は何も問題はない。


 護衛に至っては以前から言うとおりマシロとクロエ居るから別にいらない。


 あれ?もうこれ一択じゃね?


 一応残りの物件も見てて似たようなのあったけど、遠すぎたり築年数古すぎたりと最初の数枚とは正反対なものばかり。ヴァイゼさんが俺の要望だけでチョイスしてみましたなやつだった。


 というわけで俺は数ある中から3LDKの物件を希望することにした。


「伯が望まれるのなら否やはありませんが本当によろしいのですか」


「構いませんよ。久方ぶりに静かなひと時を楽しめそうですから」


 心配からか難色を示すヴァイゼさんにそう言い切って俺は彼らに手配を依頼した。


 支払いなどの手続きに関しては宿泊先で待機してる役人連中に任せるとして、俺はそれらが終わるまでほんの少し待てばいい。どうせ最終的な支払いは州都帰還後になるわけだから。


 ヴァイゼさんが言うには今から始めれば遅くとも明日朝には宿泊可能ということだ。


 となると今日のうちに出来ることをやっておいてやり損ねは休暇明けという流れになるかな。


 などと考えてると横から遠慮がちに声を掛けられた。声のした方を振り向くと、そこにはいつからか夏用の軍装を着た兵士らが数名立っていた。どうやら物件漁りに集中して気づかなかったらしい。


「節令使様、私らはプフラオメ王国海軍の者です。そして私はメイリテ・ポルト方面駐留軍を統率するアーベルと申します。以後お見知りおきを」


 兵士らの中心に居た四十前半ぐらいの口髭生やした痩身の男がそう言って深く首を垂れる。それに対して返礼をしつつ俺は内心首を捻った。


 はて、視察に関しては休暇明け、しかも滞在最終日前日に行う予定な筈だが。それは事前にあちらも通達で知ってるだろうに何用なのか。


 いや討伐の礼を述べに来たんだろうけどその日のうちにわざわざ出向くとは律義なことだねぇ。


 俺の軽い疑問に対しての答えはアーベルの次の発言で解けた。


「後日の訪問は既に承知しておりますが、その、よもやこれ程早く討伐が終わるとは思いもよらず。気の早い漁師らから出漁してよいかと問い合わせが殺到してまして。今から全船総出にて安全確認の巡回をやることに」


「ほう」


「それとこの件含めて報告の為に商都にある本部まで出向く事になりまして視察当日に節令使様にご挨拶出来そうにないので、まぁそのこちらから礼を述べに伺った次第であります」


「ほほぅ……」


 うわーなんか急に忙しくさせてしまって申し訳ないな。


 早く済ませればいいってもんじゃないわけか。良かれ悪しかれ予定が少しでも狂えばそれだけ修正入るよねどんなことでも。


 俺個人はやっておしまいとはいえ、それ以外ならそりゃ安全確認や報告やらと続くよね確かに。責任者なら猶更あちこち動かないといけないのは身を持って知ってる筈なのに不覚だな。どうしようもない事柄なのは分かってるけど気にはするさ。


 知らなかったというかすっかりその点失念してた事に軽く羞恥を覚えながらも俺は表にそれは出さずに精々優雅で余裕ある笑みを浮かべて応じてみせた。


「うむ。卿らに急な仕事を課してしまったようで申し訳ない。だがその精勤ぶりと律義さは称するに値するであろう。今後とも国民の為に励んでもらいたい」


「はっ。勿体なきお言葉。そして些か順序が違いますがクラーケン討伐おめでとうございます。我らに代わり退治してくださった事、海軍一同代表して礼を申し上げます」


 そう言って再び頭を下げるアーベル。俺がやった訳ではないが礼儀として鷹揚に頷いてみせた。


 後ろで誰に向けてか知らんがドヤ顔してる二人はまぁ張本人らだから別にいいけどさ。


 とか思ってると顔を上げたアーベルの視線が俺の背後にいるマシロとクロエに留まる。


 しばしの沈黙の後アーベルが俺に向けて口を開いた。


「節令使様、そちらの御二方がクラーケン討伐の」


「うむ。私の家の客分として遇してる冒険者の二人であり、今回の討伐を行った者らでもある」


「それはそれは。話には聞き及んでおりましたが、こうして対面しますとやはり驚きを隠せませんなよもや年端もゆかぬ少女らが」


 率直な感想を述べるアーベルに俺は微苦笑を浮かべてみせる。そりゃ女性冒険者なんか珍しくないとはいえ風体や年齢からしてクラーケン叩きのめせる奴らには見えないからね。


 俺は微苦笑で留めたが二人はやや気に障った。というより暇つぶしに揶揄したいから気に障った風を装ってアーベルに対して口を開く。


「人を見かけで判断すると痛い目みるわよー?年端もゆかぬ少女がしゃしゃり出てないと未だに四苦八苦してる人らなんか指先一つでダウンさせちゃうわよー?」


「くくく、小人の眼の歪みと誤差の認知の不運。黒き獣に呑まれし安易なる蒙昧」


「君ら空気読んで。頼むから役人の前で国の人に喧嘩売らないでくださいね」


 片手で顔を抑えつつ俺は呻くように窘めた。こいつらの無頼っぷりはブレーキの利かないダンプカーか何かなの?


 相手によっては激昂して刃傷沙汰になりかねいが、幸いアーベルはそういうタイプではなかった。凄いとか有望と称されようとたかが一冒険者のタメ口発言に面食らいつつも生真面目に頷いている。


「これは失礼致した。確かにそのような心構えだからこのような事態に手も足も出ない体たらくを晒してしまうかもしれませぬ。自省の言葉として受け止めるでござる」


「いやそこまで真に受けなくてもいいのでは。つーかこいつらそこまで考えて言ったわけじゃないから絶対」


 勝手に納得してるから変に蒸し返すのも如何なものか。そういう判断が動いた所為で俺はその言葉をアーベルに言えずに沈黙するだけであった。


 そこからは幾つかのやりとりを経て、後日の視察に不在の場合でも代理の者の立ち合いでも十分であることを確約させた上でアーベル含む海軍の者らは慌ただしく場を後にした。戻ったらすぐさま出港だそうだから忙しないことこの上ない。


 来客の対応を終えて一息吐く俺にヴァイゼさんが水に満たされた陶器のコップを差し出してきた。いつの間にか取り寄せてくれたらしい。


 生温いが喉が渇いてるのでそれでもありがたさを感じつつ飲み干すと今度は満足気な吐息が漏れた。


「……いやしかし海軍が早々に動くとなるとブラオ男爵ももしや?」


「えぇそうですな。今はともかく早ければ夕方ぐらいから家の方に問い合わせに顔を出す者は出てくるでしょうな。明日からは言わずもがなで」


「そのような時に休んでしまうのはいささか気が引けますな」


「なんの。ここしばらく無聊囲うような日々でしたからその分働くだけですぞ。伯も周りに気を遣わず今後の働きの為に休めるとき休まれればよろしいのです」


 ありきたりとはいえ最もな発言に俺はただ頷くだけであった。


 己を過大評価とかそういうの抜きにしても俺にしか出来ないことが山とある。そして今後纏まった休みがいつとれるか分からないのなら確かに多少の遠慮なぞ取っ払って大手を振って休むべきなんだろうな。


 空になったコップを返して俺は木箱から立ち上がった。


 ともかく明日からの休暇に備えて今日やることやってしまおうかね。


 盛夏の暑熱に相変わらず辟易しつつも俺はマシロとクロエと共に休憩所を後にするのであった。

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