第43話俺らにとってはいつもの討伐風景

 そして滞りなく一泊終えて迎えた翌朝である。


 海、うみ、ウミ、UMI。どこを見回しても磯の香が濃厚に漂う大海原である。


 正確に言うならまだ小島や岩礁が見えてるし、望遠鏡あれば辛うじて港はともかく陸地のぼやけたのが見えるぐらいにしか陸から離れてないので言う程ではないが。


 とにかくも俺は安定感のある陸地を離れて漁船の申板部分というべき、本来は水揚げした魚を一旦降ろす所に立っていた。


 現代文明の漁船ですら波濤の揺れを完全制御なぞ出来ない。中世水準の木造船なら猶更だ。


 なので乗り慣れてない身としては壁か柱に手をついてないとしっかり立てれない。なお縁部分は万が一落ちたら怖いので避けてる。


 この場でそうしてるのは俺ぐらいで、ここが職場の漁師さんや日頃から身体鍛えてバランス感覚も養ってるであろうシンら冒険者、そしてこの程度の揺れで今更どうこうもないマシロとクロエは平然と立っていた。


 それだけで俺がいかにこの場で場違いあるのか証明している。魔物退治どころか通常の漁仕事にすら御呼びでない素人丸出しもんだ。


 どうしてこうなった。


 と、同行決まってから既に数十回は自問自答してる言葉を俺は内心苦々しくつぶやく。ここまで来たから覚悟は決めてるとはいえつぶやくぐらい許されてもいいよねこれ。


 ヴァイゼさんが手配してくれた漁船は普段は十数人乗せて二、三日ぶっ通しで漁を行う為に建造されたという、漁船にしては大型の物。


 今回は移動の足になるのが役目ということで持ち主の人含めて数名の漁師が操船役として同行しており、それに俺とマシロとクロエ、そして一応俺の護衛としてウルトラコルポの面々が乗り込んでいる。残りの面子は港で待機という名前のプチ休暇与えた。


 あとは今回必要となるということで彼女らがいつも乗り回してる大型バイク二台も搭載。木造船だし車両の重さで床が抜け落ちないか少し心配したがそこは大量に魚介類収穫する為の船かなんとかクリアした。


 いつもの漁ではなく俺と言う貴族様でお偉い様乗せるということになって急遽清掃を行ったらしく、僅かに漂う生臭さは拭いきれないが意外と船の内外は綺麗なものであった。


「あんな綺麗な嬢ちゃんらだけでなく貴族様をお乗せする日が来るとは思わなかったので頑張って綺麗にしてみたんでさあ」


 とは船長の言である。


 まぁそうだろうな。ヴァイゼさんみたいなのじゃなければ普通余程の酔狂な奴じゃないと漁船なんぞ乗らないだろうよ。


 権威と金銭のお陰か荒々しさで評判の海の男らは少なくとも俺の前では大層愛想が良かった。万が一があっても自分の家族が不自由ない生活送れる保証も付くともなれば躊躇いの壁も低くなるものか。


 晴天にも恵まれ夏の海風は程良い勢いで絶え間なく吹きつけており、帆船として都合の良い環境といえよう。


 こんな日は漁日和であり、いつもなら港から大小数十の船が出て行っては日が暮れる寸前まで様々な魚を収穫するのに勤しむという。


 それが今では船も疎ら。俺らが居る所になるとまったく船を見かけなくなっていた。


 ちょっとした海の魔物ぐらいなら叩きのめしてやると息巻く漁師らも流石に巨大軟体生物相手は命が惜しいらしい。実にまともな反応だ。俺も見習って陸地で結果報告待ちしたかったよ。


「ここまで来てまだそんなチキンな発言するとか期待どおりでウケるー」


「くくく、軟弱者の荒療治。パーリーピーポーシーサイドな狂騒の奏」


「うわーいどうもありがとうド畜生ども手前らに呪いあれー」


 やや音程外した風に「うーみーはひろいーな」とか歌ってた二人が俺のボヤキにそう返してきたので片頬を歪ませて真心を込めて答えてやったさ!


 出港してから二、三時間。風の勢いがあるお陰で通常よりも早く進んでるとはいえ、クラーケン探しも兼ねてるのでまだまだ先が長い。


 これまでの情報と照らし合わすと幾つかの地点が候補に上がっており、その地点辺りを行き来して様子を窺がう。夕刻までに姿を見せなければ一旦撤退して明日仕切り直しだ。


 というのがこの世界における海の魔物退治の流れであるんだが、生憎と俺の目の前に居る二人はお約束を踏むような性格はしてなかったし踏まないような手段を有していた。


 候補地点付近を指し示す目印として僅かな雑草が生えてる以外何もない大岩礁以上小島以下みたいなものがある。そこから先がクラーケン出現率高いところとなってくる。


 それが見えてきた事を告げられると、マシロとクロエはジャンケンをし始め、幾度かあいこをやった後にマシロが負けクロエが勝った。


 勝敗を決すると二人はバイクを置いている船内へと降りていき、しばらくするとやや怖めの木材の軋みをあげつつ、本来は収穫した魚などを投げ入れる大きな穴からゆっくりとクロエのサイドカーが姿を現した。


 何故一台だけかといえば、この時代の個人所有の船の水準だと甲板と言える程広いスペースがある船は多くはない。あったとしても成人男性十人前後も立てばロクに動けなくなる。


 広さと重量の関係で精々一台しか出れないわけだ。しかも船長以下船員は操縦スペースに押し込まれ俺は半ば柱にしがみ付く形になってようやく乗り上げることが出来るのが関の山。


 わざわざ鉄製の板を急遽数枚用意させて坂道を作り出してそこから出てきたわけだが、何をするのかと俺以外の面々は興味と不安を混ぜ込んだ顔してバイクとそれに乗るゴスロリ少女を凝視していた。


 なお俺だけはこいつらが何をするのか概ね察している。伊達に何度も二人の暇つぶしな魔物退治に付き合わされてるわけじゃないんだなこれが。


「くくく、配置完了。探知開始ヨシ」


『りょーかーい。妙に生臭さ篭るからさっさと見つけて外出たいわー』


 バイクのメーター部分に向かってクロエが話しかけると、そこにあるスピーカー部分らしきとこからマシロの声が聴こえてきた。周囲は「魔導具か?」とざわつくものの俺はそれがありきたりな通話機器である事を知っている。


 ありきたりでないのはそれ以降だ。


 今、船内に居るマシロは自分のバイクからレーダー探知を行って索敵を行っている。いつもの謎魔法でなくガチな現代機器のやつだ。


 電波やら衛星やらとそういうのに必要そうなものがないのにやれるのもだが、なんでバイクに広範囲を索敵可能なレーダーシステムが搭載されてるのが意味が分からない。


 しかもクロエはクロエで自分のバイクにも同じ機能が搭載されている。やろうと思えば一台で済むとこをわざわざ役割分担してやるのもこいつら特有の余裕からくる無駄動作である。


 マシロからの連絡を待つ間、クロエは汗一つ掻くことなく涼し気な顔して海の彼方を見つめていた。


 いつもの陰気なのかダウナーなのかよくわからないもの混じらせて笑っているのが基本なのだが、この時は遠い目をして何か感慨に浸るかのような真顔になっている。


 以前見せた怒気や嫌悪を孕んだような真顔ではなく、ふとした拍子に見せる無防備さのあるものというべきか。とにかく珍しい表情をしていた。


 マシロもそうだが、こいつももしかして今の言動は割と意識的なものじゃなかろうか。以前見せたあれが素なのだろうか。


 とすればなんでまたあんな風に振る舞ってるのやら。俺はふとそんな答えが望めないような疑問が過った。


 俺の視線に気づいたのか、目を二度三度瞬かせたクロエはすぐにいつもの陰気そうで小馬鹿にしたような笑みを張り付かせて鼻で笑ってみせた。


「……くくく、深淵なる乙女心の守秘の壁。踏み込む蛮勇を止めし賢明なる理性なる鎖」


「わぁーってるよ。別にお前らが言いたくねぇんなら訊かねぇよ。ビジネスライクで今は十分だ」


「くくく、重畳重畳」


「うるせー馬鹿」


 僅かに蠢いた好奇心を見透かされたような気がして俺はやや不機嫌気味に舌打ちしつつそう言った。


 実際語られたところで闇の深そうなこいつらの話なんぞコメントに困るだけだろう。そして一年半ぐらいの付き合いの俺でも下手な慰めの言葉なぞ不要な気持ちなのだろうと察せれる。


 今はとにかく危険度高まったこの海を無事に切り抜けられますようにと祈るのが健全かつ俺に出来る唯一の事だな。


 思い直した俺は手持ち無沙汰気味に周囲を見回した。だが当然ながら周りは青空に蒼い海ばかり。時折遠くでなんかの魚が飛び上がるのを見かける程度だ。


 呑気に釣りやクルージングするにはもってこい。と言いたいとこだがクラーケン抜きにしても危険な魔物が魚と一緒にそこらじゅう泳いでるの思い出すとあんまり居心地は良くない。


 船長や俺んとこの冒険者が言うには、陸と同じで魔物も一応は警戒してこちらの様子を窺うのが基本であり、血の気が多い獰猛なやつとか縄張りと思わしき領域に深入りしない限り襲い掛かることはないという。


 それでも報告書にも書かれてるとおり年間少なくとも十数件転覆や沈没報告もあるし死人だって鮫とかに襲われる頻度程度には出ているので油断は禁物。


 この国の海はそれでも比較的安全な部類らしく、他所は酷いとこだとクラーケン級の魔物の生息地になってるような、海があるのに海を生かせないとも聞き及んでる。


 果たしてこの世界で海路の発展望めるのだろうかこんな事で。とか考えだし始めた矢先であった。


『んー、反応あるねー。結構近いからそろそろ準備しといたほうがいいかもー?」


「くくく、了解」


 俺の耳に二人の会話が流れ込んできた。と同時に。




「変身」




 いつものようにクロエが姿を変え、それを見た周囲が大仰にどよめくというお約束になりつつ流れとなった。


 仮面の異形へと姿を変えたクロエはバイクから立ち上がり、揺れによろめくことなく静かな足取りで縁の方へ歩んでいき海上を軽く覗き込みだした。


 フルフェイスの仮面なのでただでさえ感情悟らせないように笑み張り付かせてる奴が益々表情読めなくなってる。一体変身して何をやらかすのやら。


 俺ですらそう思ってるのだから俺以外の奴は固唾を飲んで緊張した面持ちでクロエを凝視している。


 時間にして数分程経過しただろうか。水面を見つめていたクロエが頷きながら数歩程距離をとりだした。


「くくく、悪しき軟体の巨体のノイズ。脆き人の居る作られし物を蠢きデンジャラスゾーン」


『そうねー。レーダーでも確認できたわ。この船の至近に居るわ目標のやつ』


 いつもの調子でさらりと言ってるが発言内容に俺らは露骨に顔を強張らせて思わず床へ視線を向けた。


 そんなとこに視線向けても仕方がないし縁まで近寄って覗き見た方が確実だろう。けどなそんな度胸は俺にはありません。


 というよりも下手に近寄っていきなり触手の餌食になる可能性考えたら誰もありません常識的に考えて。


『船長さーん、聞こえてるんでしょー?とりあえず船を可能な限り停止させてねー。ほんの少しで終わるからー』


 俺らの緊張に感応する欠片も見せずにそんな要求をしてくるマシロに船長はぎこちなく頷きつつ傍に控えてた部下らに指示して船を止めさせた。


 止めたといっても基本人力頼りのやつだから少々時間を要した。その間に船に襲い掛かってくるかもと思ったが、どうやらクラーケンも様子見をしているらしい。


 らしい。と言うのは先程まで水面を見ていたクロエとレーダーで動きを追っていたマシロの証言をもとにした希望と言うか願望と言うか。


 とにかくも動きを止めた船は波のささめき以外の音が止まったかのように静かとなった。


「……」


『リュガ、ちょっとやる前に確認したいんだけどさー』


 スピーカー越しからマシロが声をかけてきたので俺は落ち着かない故にやや声を上ずらせて応えた。


「な、なんだよ。やるなら早くしてくれないと生きた心地せんぞ割と」


『じゃあ言うけど、完全に無傷は無理だからねー?クロエがなるべく綺麗に仕留めてくれるだろうけどさーもし何か苦情来たら対処ヨロー』


「わ、わかった。わかったよ!お前が魔法で仕留める案が無理な以上は仕方がないって割り切ってやるから」


 そうだ、実はじゃんけんでの役割分担はあくまでバイク運用に関してのみであり、退治そのものはクロエが最初からやる予定だったのだ。


 肉弾戦メインそうなクロエより適当な呪文どころか無詠唱でなんでもありな魔法使えるマシロの方が適任だと最初は思ってた。


 だがクラーケンの全容がハッキリ把握されておらず、とにかく大きいぐらいしか分からないとなると相応の威力のある魔法を発動させねばならない。


 結果どうなるかといえば、クラーケン死ぬだろうが周辺の魔物どころか魚介類も道連れになる。海は広いからって人間が立ち入る漁場という意味なら狭くなるわけで。


 脅威が去っても当面何も採れない採れても以前よりも大幅に少ないんでは意味がない。収穫量の減少はすなわち漁師の収入減であり、俺の管理地域の税収に関わる。


 自分さえよければいい通りすがりの冒険者ならいざ知らず節令使という役人がそんな事承知できるわけがない。なので割と早い段階でマシロの魔法での対処は没となった。


 しかし、選択の余地がないとはいえ海上という陸上生物的に難しいフィールドで上級に位置する魔物をどうやるんだ。幾ら出鱈目に強いからって流石に難しいんじゃないかこれ。


 信用はしてるが俺の中の常識が僅かに不安を煽ってくる。


 俺の胸中なぞ素知らぬ顔、或いは知ってたとしても鼻で笑って無視するであろうクロエはこちらの会話を聞いていたのか俺の発言を確認して一歩前へ踏み出した。


 準備かなんかやろうとしてるのものと思った俺はまだ浅はかであった。


 次の瞬間、二歩目を踏み出した足でクロエは高く跳躍したのだ。それはもう帆よりも高くジャンプしていたさ。


「!?」


 シンや船長らは目を剥いて絶句。まだ耐性のある方の俺は一瞬の自失の後に慌てて空を見上げた。


 滞空時間はそんなに長くはなく、俺が見上げた時には既に仮面の戦士は海上めがけて飛び蹴りの体勢を整えて急落下していってた。


「―――ッ!」


 迫撃砲でも着弾したかの如く爆発音と共に派手な水しぶきが上がる。それがスコールさながら俺らや船をこれまた派手にずぶ濡れにさせた。


 水しぶきがそれだけ派手だったのだから揺れも相当なものだった。嵐にでもあったかのように大きく揺れ動き、その場に居た全員が咄嗟に何かしらにしがみ付いてないと立ってられない程だった。


 咄嗟に片腕で顔をガードしたものの目に海水が入らなかっただけマシなだけであった。頭から海水被って五感総動員でしょっぱさを体感する羽目となっている。


 大量の水を突然被ったので不安定な揺れに足取り怪しかった俺はついに膝をついてしまった。情けなく尻もちつかなかったのがせめてもの救いだわこれ。


 他の面子がどうなったか考える余裕もなく、頭を振って水を振り払い、口に入ったしょっぱいものを唾と共に吐き出すのに精一杯。


 咳き込みながらもなんとか視界と呼吸を引き戻すことが出来た俺が見たものは、海の中に突っ込んだ筈のクロエがそんな事なぞなかったかのように甲板の上に戻っていた姿。


 流石に濡れるのは防げなかったのか漆黒の装甲に水滴が滴り落ちている。それもギラつく夏の日差しに当てられて微かな蒸発音と共に気化してあっという間に乾いていっていた。


「くくく、任務完了。他愛なき海を徘徊する柔らかき物の脆弱なるボディ」


 あれだけの飛び蹴りを放った直後というのに息を乱すこともなくいつもの調子でクロエはそう言い放った。


 足を滑らさないように半ば這うように縁のとこまでにじり寄り海上を見た俺は二の句が継げなかった。結果は分かっていてもいざその光景を見せられると思考が一時的に断線してしまう。


 船のすぐ傍につい一分前まで命だったであろう巨大な肉の塊がピクリとも動かず浮かんでいる。AないしA+認定されるぐらいに脅威で強敵な筈のクラーケンだったものが。


 人間で言う額部分に大きな穴が穿たれている。軟体動物がそこを一撃やられただけで即死するのかという疑問はあるが、現実として俺の目の前には実物が波間を漂っているのだ。


 俺より鍛えている分立ち直りも早かったシンや船長らも次々とクラーケンの死骸を目にしては再度絶句して無意識に死骸とクロエを交互に見る仕草をするだけである。 


 そりゃそうだよなぁ。まさか一撃で仕留めるとか普通は想像せんよね。しかも蹴り一発で死ぬようなやつでもないんだから非現実にも程があるよね。


 彼らの心境を察して苦笑を浮かべようとして失敗した。頭では分かっていてもこうも肝が冷える体験した直後に笑えねぇよ!?


 頬を引き攣らせてクラーケンを凝視してると背後に気配を感じた。こんな空気でこんな所を平然と歩ける奴はクロエ除いて一人しか居ないので振り返って確認することはなかったが。


「まぁたかがデカい軟体生物程度じゃこんなもんでしょう。ちょっとした船体験のついでにいつもどおり狩りして終わりって感じー。まぁ暇つぶしよねいつものー」


「テメェらスナック感覚でジャイアントキリングしといてその言い草はどうなんだよ……」


 今までに何回も討伐クエスト見ているけどやはり何度見てもこいつらの出鱈目ワンパン撃破は語彙力消失させるだけの出鱈目具合だ。


 海水の滴りなのか、暑さから来る汗なのか、はたまた冷や汗なのか、判別付かない塩辛い水が頭から頬を伝うのを感じつつ俺は様々な感情を入り混じらせた盛大な溜息を吐くのであった。

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