第6話持っていく物と人

 軍資金の額であれこれ騒いでいると、遠慮がちにドアをノックする音が聞こえた。


 音に反応してドアの方へ顔を向けると、続いてこれまた遠慮がちな声が聞こえてきた。


「あの、兄上。私ですが、入ってもよろしいですか?」


 その声の主は聞きなれた身内のだったので俺は「おう入れ入れ」と気軽に応じてやった。


 開かれたドアから顔をだしたのは、俺の髪より暗めの色合いの金髪をした、繊弱そうな容姿の、微笑以外の表情が似つかわしくないと思わせる温和そうな青年。


 俺の三つ下の弟であるヒリュー・フォン・レーワンは一礼して室内に足を踏み入れた。


 主君の弟の入室にターロンは立ち上がり返礼するが、マシロとクロエは身分というのを鼻で笑うかのように馴れ馴れしく片手を上げるにとどまった。


 いや、元現代日本人の俺相手はそれでいいが、弟は混じりっけ無しのこの世界の貴族様なんだから少しは遠慮せーよお前ら。


「すまんな夜分呼び立てて。家族団らんを邪魔した詫びはいずれする」


「いえ、お気になさらずに。伯爵家当主直々の御呼びたてに不平不満言うほど私に反骨心なぞありませんから」


 ややおどげた風にそう言い返した弟に俺は苦笑を浮かべつつ席をすすめた。


 ヒリューは重ねて言うが俺とは違い生粋のこの世界の人間である。そして共に育ってきたので当然ながらこの時代この国の貴族の一員でもある。


 なので俺の言動を何から何まで理解出来てるわけではないのだが、この弟はそれはそれとして自分の兄が分からないなりにも何か成そうとしているのを頭でなく感覚で理解してるのか、困惑交じりの笑みを浮かべながらいつも俺の行動を支持してくれて何かと手助けもしてくれていた。ここの貴族にしては絶滅危惧種とまではいかないが希少な寛容さと歩み寄ろうという姿勢を持った善人なのだ。


 身内の九割以上にすら白眼視されてる俺にとって、本当に貴重な信頼に値する男である。


 ということで、今回の件に関して以前から予告めいたことは伝えてはいた。


「それで、私に話というのは?前々から語ってた件のですか?」


「そうだな。軍資金話に関連することだが、こっちの話をしていくか」


 弟の来訪を機に、俺は別の話題に転じることとした。


 数枚の書類の中から三、四枚を抜き取り、俺の左隣の席に着いた弟に手渡す。渡された書類を不思議そうに流し見したヒリューは驚きに目を見開きつつ俺に視線を移した。


「兄上これは」


「おう、レーワン家の財産目録及びそれの譲渡状だ。爵位、俺がここ五、六年展開してる商売の権利及び利益、財宝の中から金銭類の半分以外の物は全てお前に譲る。俺は既にサイン書いてるから、納得したならお前も書いて欲しい。明日明後日ぐらいに役所に提出して許可貰うから」


「兄上!?」


 まぁ驚くだろうな。


 俺が挙げた以外のくれてやると言っても、それはこの屋敷だったり大小十数の荘園として管理してる土地だったり先祖伝来の美術品や貴金属の類だったり、形にあるものほぼ全て譲るというのは実質当主の座を譲るようなもんだし。


 本当は爵位もくれてやってもよかったんだが、後々はともかく当面はまだ伯爵の肩書は何かと重要になりそうだから一旦自重した。


 ヒリューの驚きにターロンも驚きと感心を混ぜたような顔して顎に手を添えて頷き、マシロとクロエは「へぇー」と言わんばかりな顔で俺ら兄弟の顔を交互に見ていた。


 弟はしばし困惑の沼から抜け出せず唖然とした声を漏らしていたが、ようやく我に返ったようで首を左右に軽く振りながら俺に言い返そうと試みようとしてた。


「兄上、これではもしここに戻ってくるときがあれば後々困るでしょうに。当主とはいえ一度提出して受理されたものを無かったことにできませんよ。家に再び住み着くのも簡単にいかなくなるんですよ?」


「いいんだよ俺はあっちで骨埋める覚悟でいるんだから。屋敷も土地持っていけないし、絵や彫刻なんて持っていっても精々軍資金の足しに売り飛ばすのがオチだ。俺なんかよりお前のが適切に管理できるだろうから持ち主に相応しい」


「ですが……」


「親戚連中も俺なんかよりお前のが付き合いやすいだろうし、他の貴族との交流もお前が当主代理として取り仕切ってれば安心するだろうよ」


 謙遜や遠慮でなく心底思ってることだ。


 俺が当主になって以来、先祖代々交流あったとかいう幾つかの家とは疎遠になってるわ、先代が生きてた頃は理由つけて頻繁に顔出してた親族らも年に一、二度、しかも挨拶済ませたらそそくさと帰る体たらくなのだ。


 俺個人は人を頭ごなしに否定しかかるような馬鹿共と会うことなくなって清々してるんだが、この時代の貴族としては同じ階級との交流が希薄なのは致命的だという認識ぐらいはある。


 後悔なんざまったくないんだが、俺が出て行った後に少しでもレーワン家、というより弟とその家族が困るような事態になるのは良心が痛む。


 ならばこれを機会に俺自身で俺を御飾り当主にして弟に過ごしやすい立場提供すれば、それは長い目で見れば俺の利益になる。


 なお困ったような顔して何か言いたげな弟の肩を俺は軽くこついてやった。


「別に完全な善意とかじゃない。これは頼みごとに対する報酬として受け取れってことならどうだ」


「頼み事ですか?」


「あぁ。お前にはレーワン伯爵家当主代理として王宮内と王都やその周辺地域の情報を集めて俺に定期的に知らせる役目を頼みたい」


 引きこもるとはいえ、領地外の出来事を把握しとかないと何かしらのアクシデントに足元掬われる可能性は高い。


 俺が生きてるうちにせよ死後にせよ、想定してる結末の一つに「既存勢力が再統一に成功もしくは勃興勢力による統一」がある。


 井の中の蛙気取り路線もいいが、それかましすぎてると折角作ったものが悉く破壊されてしまう。知識はともかく人や物資が無限に湧いてこない限り、ちょっとした現代の利器や英知なぞその時代の統一勢力に数でごり押しされたら勝てないわ。


 だから俺としては、ある程度情勢を見極めて問題ないと判断すれば長いものに巻かれるつもりでいる。なんなら統一の後押し必要なら惜しみなく助力してやってもいい。


 人様の下風に立つが誰も文句を言えない一個人で一勢力張れる一貴族。


 この滅茶苦茶都合良さそうなポジションが限りなくベストに近いベターな着地点だと俺は考えている。次点だと半独立王国じみた場所として乱世を高みの見物ではあるが。


 その為には情報は必須。地方は俺自身がやればいいとして、まだまだ健在な中央、特に諜報が入り込むの難しそうな宮廷は信用できる奴でないと任せられない案件である。


 亡国というやつは外側からでなく内側から崩れる場合もあるのだから。


 今の国王は暴君暗君の類ではないやや欲深いだけの凡人。だが特に目立った業績や善政したわけでないので、仮に交代したところで惜しまれることもない。


 王様の座を欲する王族、それに付随する大貴族、或いは中央軍を握ってる将軍。それらがいつ箍を外して暴挙に出るやもしれない。宮廷革命やクーデターの天丼起こった挙句に王朝滅亡だってあり得るんだからな。


 しかもだ、宮廷内出入りして一応書記官として在籍してたこともあり重要書類目にする機会のあるから分かることだが、国王自身は凡人とはいえ先代先々代とやや暗君寄りな君主だったので実は綻びは既に無数に発生してたりもする。こういうフラグ建ててるから平凡とか個人としては善良とかな奴は今の時期不味い。


 なまじ兵や富が集まってる中央が崩れたとすれば、それを少しでも取り込もうとする群雄の争奪戦は激化して情勢が混迷深める。取るに足らない奴がそれを切欠に一勢力ぶち上げることだってある。


 この国の今後の行く末どうなるか不明だが、中央政権の末路は戦略政略的に可能な限り把握しておく必要性は高い。


 ということもあり、王都の情報はギリギリの段階まで最新のが欲しいのだ。俺の今後的に考えて。


「だからお前に頑張ってもらいたいわけよ」


 それらの事を一通り語り終え、俺は弟を見据える。視線を受けたヒリューは考え込みながらも俺から視線を逸らそうとはしなかった。


「……わかりました。兄上が仰るならその役目引き受けましょう。あまり国の行く末に不吉な事を言うのは憚れることでしょうけど、今の世の中用心するに越したことはない。と考えておきます」


 しばしの沈黙の後ヒリューは生真面目そのものな声音で俺の頼みを引き受けることに。


「そう言ってくれるとありがたい。それとな、ギリギリまでって言うのはお前の身の安全保てる意味でのやつだ。犠牲になってまで情報集めしなくていいからな。危ないと感じたらすぐ俺んとこに逃げてこい必ず」


「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ兄上。私一人ならともかく妻と子が居る以上は言われずとも早々に逃げてきますから」


「あー、そうだな。子供二人しかもどちらも乳児ともなればそうか夫としても父親としても。お前の踏ん切り具合見誤ったな」


「そう言われるなら兄上も早く身を固めになられたら如何ですか?身近に守るべきものがあれば少しぐらいの心理的な障壁も超えられるというものです」


 妻帯者のもっともらしい言い草に俺は苦笑を浮かべて頭を掻いた。


 二十一歳ながらもヒリューには既に妻も子も居る。現代日本の感覚では少し早い気もするが、中世ではそこまでではない。寧ろ二十四歳の伯爵な俺が独身で居ることの方が奇異だわな。


 俺が元々まだ早いという感覚引きずってるわ、昔から今まであれこれ行動してて恋愛や結婚を優先順位としては最下位に置いて放置してるわ、俺の奇人変人及び宮廷で割と嫌われてるという評判が出回ってて貴族や富豪から敬遠されてるわ、母親を初めとして一族の面々がそれなのに高望みしてえり好みするからそれ以外の身分階級も除外されるわと、幾つもの原因の結果が今に至る。


 異性にまったく興味ないわけではないが、今の所自分の計画優先にしたい気分だし行動の足枷になりかねないから気楽な独身のがありがたいわけよ。


 いずれは立場的に身を固める羽目になるだろうが、あくまでいつかの話だ。もうそれこそ最後の手段としてヒリューに伯爵位譲ればレーワン家断絶は免れるだろうし。


 などと考えていると、マシロとクロエが兄弟のやりとりに口を挟んできた。


「いやー、この年齢と身分で童貞くん。しかも理由付けて恋愛どころか娼館に行くことすらしようとしないとか生涯無理っしょこれ。魔法使いにでも転職しちゃうー?」


「くくく、男女の縁の交差無き空虚。色彩のない乾いた欲望は絶望に散る」


「おい馬鹿頼むから弟の前ぐらいそういう話やめてくれください!?」


「魔法使い?兄上は魔法を取得する為に身を清いままにされてたのですか?」


「お前も真面目に天然発言するな。こいつらの戯言は聞き流していいからな!?」


「坊ちゃんはいつまでも坊ちゃんが坊ちゃんであり続ける所以ですなぁ!」


「ターロンこの流れでその言い方悪意あるよね!?普通主君に言ったら殴られるからな割と本気で!」


「ターロンそれはどういう意味なんだい?」


「ヒリューだから真面目に訊ねなくていいからな!?」


 真面目な話に区切りついたと思ってこいつら自由すぎんだろ。


 内心頭を抱えながら俺は大きく咳払いしてこの不毛な会話を無理矢理打ち切らせた。


「とにかくだ。稼いだ軍資金に加えてレーワン家に元々あった財貨の半分加わるし、ヒリューという情報収集担当も王都に置けることになった。明日以降からターロンには人員集め、ヒリューは今渡した目録確認して気づいたことあるなら報告してくれ。マシロとクロエはいつも通りでいいが、明日か明後日辺り俺の護衛頼む」


 国から正規兵託されるとはいえ、あくまで兵隊。しかも数もそこそこだ。なのでこういうときは地元で集めるか自分の家の私兵連れていくかで補うもんなのだが、行く場所が場所なのでさてどうなるか。


 その辺りの事はヒリューらに任せるとして、俺も明日は譲渡状提出した後は街へ寄ってするべきことある。


 一気に話が動いてきた感あるがこうなると速いこと正式な任命こないもんかねぇ。


 目の前で俺の命令を聴きつつも先程の話を蒸し返そうとしてる面々に溜息を吐きながら俺はささやかに願った。

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