四度作業部屋にて
カクン、と首が落ちるような感覚に襲われ、私は目を開けた。どうやら気づかぬ内に眠っていたようだ。そんな暇は無いというのに、全く呑気な物であると自嘲する。締切はもう間近だと言うのに。私は頭を擡げて画面に向き直った。
違和感があった。
五十嵐資料館に入って行くところまで書いたのは覚えている。だがそれ以降を書いた記憶は無かった。だが眼前にはそれ以降の、槍を係員が泣きながら渡すところまでが書き記されていた。それだけでは無い。ファイルを確認すると、私の記憶は一版を書いたところで止まっているが、これは何版か分からない。少なくとも三回は書き直されている。
どういうことなのだろうか。私は気味が悪くなってきた。
改めて内容を読んでみる。創作物たる彼らが苦悩しながらも前に進む話。私が書いたのだろうか。それとも彼らが描いたのだろうか。記憶は全く無い。だがそこで描かれている情景は、私に改めてこの物語を完結させることを決断させるのに十分であった。
彼らが言う事が正しいかは分からない。だが作者の視点から分かる事はたった一つだけある。この話を没にし、世に出さなければ、彼らは永遠に私のこの原稿の中に封印されたままとなってしまう事だ。
幾度目かのエナジードリンクを飲み干し、再びキーボードに触れる。
そんな結末は私も望んでいない。例えどういった形であっても、彼らに日の目を見させてやりたい。私はそう願った。であればやるべき事は一つである。作品を書き上げ、発表する。そのためには話を進めなければなるまい。彼らが選んだのか、私が選ばせたのかは分からないが、今進んでいる道をそのまま進ませてやるしかない。私は必死にキーを打鍵し続けた。
だがまあ、案の定詰まるわけである。
隕石を、鮫を倒す術が浮かばなかったのだ。
あんなデカイ鮫にするんじゃあなかった。というか何で鮫にしたんだ。なんで槍なのに鮫なんだ。鮫なら槍じゃなくてチェーンソーかモリかダイナマイトだろう。私は自分を責めた。阿呆、馬鹿、愚図。だがそれでは解決しない。何か方法を考えなければならない。何がいいだろうか。
槍をモリだったことにしようか。一文字違いだったからこじ付けも出来るだろう。
いやこれをやると本格的にギャグにしかならない。ダメだ。却下だ。となると何か理由を付けよう。
鮫…。
鮫と言えば海…。
海…海の神…。
私の頭の上で電球が輝いた。これでいけるだろう。
『おーい。』
私の脳裏に誰かの声が聞こえてくる。女の声であった。その声色に私は聞き覚えがあった。天乃声子の声であった。
『良かった、聞こえてるのね。さっきから二人で話しかけても聞こえてないみたいだったから。』
聞こえている。さっきまで…その、なんだ、揺らめく世界の中で夢中になっていたので反応出来なかったようだ。
『…寝てたんだな。心配して損した。』
側から別の人間の、男の声が聞こえてきた。四壁明太郎の声であった。
私は黙秘権を行使すると、彼らにもう一度伝承について調べるように言った。
『これ以上調べる事あるの?』
彼女が疑問を呈した。私は今後の展開として、その槍の使い方について知る必要があるのだと伝えた。
『使い方、ねぇ。投げたりするのか?』
それは今言ったらダメだろう。それは君達が調べて欲しい。そう伝えると、彼らは不精不精、資料館の中へと戻っていった。
これで今後の展開は書けるだろう。私は本日幾度目かの打鍵を開始した。
しかしこの話を書いていて本当にわからなくなってくる。私が書いているこの原稿は果たして私が書いているのだろうか。彼らの一挙手一投足が原稿に記されていくのだろうか。
先ほどまでの版の原稿は私が書いたのか、彼らが書いたのか。合間に尋ねてみたが、彼らも答えは知らなかった。原稿に書かれた行動を取った事自体は事実らしいが、彼らは彼らとして行動しただけで、原稿を書いたりはしていないとのことである。だとすればここにあるこの文章群は何なのだろうか。
そもそも今会話している事自体がおかしいといえばおかしい。現実と虚構が混じり合って、良く分からない状況が生じている。
するともう一つの疑問も生じる。即ち、『私が居るのは現実なのか?』という点である。もし私が居る場所が虚構であったら。もし私もまた、誰かに書き記されているだけに過ぎないとしたら。
…原稿を書くのが楽になるだけだな、と思い、考えを捨てた。
先刻の、瞳を閉じる直前に考えていた、シミュレーション仮説に関する話もそうであるが、薄気味悪い想像をして勝手に鳥肌を立たせるのはそろそろ終わりにしようと誓った。今の私にとって、それらは大して重要な話でも無い。つい心配して考え込んでしまうが、無駄な心配であった。結局私に与えられている役割は、今のところはただ一つ、原稿を書く事だけだからだ。であれば、例えここが虚構だとしても、創作をする事が私の使命である。それは変わらない。虚構か否かの心配など不要である。心配すべきなのは締切であり、アイデアが浮かばないことこそ嘆くべきなのだ。私は心の中でそう切り捨てると、モニターとのにらめっこを再開した。
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