作業部屋にて・1
私は困り果てていた。もう原稿の締切はまさに目の前というところまで来ていた。いうなれば最終防衛線。ここを突破されれば私の作家人生が蹂躙され壊滅的被害を受ける事は容易に想像が付く。だがアイデアが無い。全く無い。どうにもこうにも、何も浮かばない。私の目の前のパソコンには真っ白なワープロソフトの画面だけが写っていた。バックグラウンドで最近流行の動画の音声が流れている。そっちに気を取られて筆が進まない・・・というわけでは決して無い。兎に角アイデアが浮かばないのだ。万策尽きたとはこの事である。
大きな、極めて大きな粗筋は決まっていた。世界の滅亡を前に学生達が団結しそれを阻止するというものだ。若干主人公に対してスケールが大き過ぎるきらいがあるが、そこは何とか理由付け出来るだろう。むしろスケールが大きいほど話が広がりやすくなるというものだ。だがそれ以上の部分が決まっていなかった。主人公の名前すら決まっていないのだから、救い難い阿呆である。私の事であるが。
かつて某猫型ロボットを考え出した作者の気持ちというのは、まさにこのようなものだったであろうか。"出た"の宣伝絵だけで、キャラクターが決まっていなかったと言われている、あの状況に、私の置かれた状況は酷似していた。
弱り果てた私は立ち上がり、腕を組んで右往左往する。それが数分程度続いただろうか。無駄な事を悟った。何も浮かびはしない。こうなってくると必要なのは、とにかく話を書き始める事だ。白紙の答案を提出するよりも、ランダムにABCとマークしていった方が点数が取れる確率は格段に高い。問題は、今目の前にあるテスト用紙が記述式であるという事だが、この際それは置いておく。
私は椅子に再び座ると、手元にあったエナジードリンクを飲み干し、キーボードの上に指を置いた。かつて無限の猿定理というものを聞いた記憶があった。ランダムにタイプライターの鍵盤を叩けばいつかは猿でもシェイクスピアの戯曲を書けるというものだったと思う。つまり、私がキーボードを叩いていけば、いつかは何かしらの作品が完成する可能性があるという事だ。それは極論というか暴論かもしれない。だがこれ以上頭を抱えていたところで何も完成しない。私は徐に打鍵を始めた。
最低限の方針と、脳の片隅で自然と思い描いていた部分があったからだろうか、導入は意外とすんなり書けた。恐らく書き直すであろうが、まずは良しとしよう。主人公とそれを導く声(女性の方が後々ロマンスとかに繋げられるだろう)も出した。これも良い傾向だ。最悪キャラクターの掛け合いだけで話というものは作れなくは無い。無論、叙述トリックを仕掛ける等、一捻りが必要ではあるが、一旦は置いておこう。ここで言いたいのは、キャラクターが出来始めているという事は、作品の制作にあたり大切な事である、という点だ。
教室で主人公が世界の滅びに気づく。それを肯定する女性の声。
細かい点は追々加筆していくにしても、王道的な出だしといって差し支えないのではないだろうか。若干無茶がある部分がある事は否定出来ないが、まず出だしとしては良しとしよう。
だがそこでやはり詰まってしまった。二人の掛け合いを考えていて、主人公達の名前が決まっていなかったことに気がついたのだ。小説の中にはあえて『私』『俺』と名前を出さない作品もあるが、この話は登場人物が多くなる可能性が高いので、名前が無いと自分が管理出来なくなる可能性が高い。少なくとも私側、即ち作者の視点から言うと、名前は決めておいた方が良さそうである。
私は、キーボードの"あ"から順に打鍵し始めた。名前というのは極論文字の羅列である。前述の無限の猿定理の如く、五十音を順番に並べていけば、何かしらしっくり来る名前が出来るのではないだろうか、そう考えた末の行動である。だが、"あああ"から"ああん"まで考えたあたりで止めた。この方法は明らかに時間の浪費に他ならなかった。最初に気づくべきだった。私は愚かである。締切直前という事もあり、此処二日ろくに眠れていないのもあって、疲れているのかもしれない。
何か他に方法は無いものか。だがそのような画期的なアイデアがあるはずもなく、そうパッとそれこそ"出た"みたいな事には、残念ながら私の頭ではなりそうになかった。
私は溜息をつくと、椅子に座ったまま目を閉じた。眠るわけでは無い。確かにこの形態は眠りの姿勢に近いものがあるが、決してそうでは無い。私は脳内でキャラクターを動かすことにしたのだ。
各キャラクター、特に主人公の性格みたいな部分は大凡固まりつつある。このまま煮詰めていけば、キャラクターが勝手に動き出してくれるだろう。きっとそうだ。希望的観測に基づきそう結論付けた私は、脳内でそのキャラクター達の事を考えだす事にした。謂わば瞑想である。・・・最悪、最近流行っている子供の名前にすればいいや、そんな胡乱な考えも持ったままに。
・・・グゥ。
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